狭いながらも楽しい世界


悟が来る。この狭っ苦しい1DKに。
私は大急ぎで部屋の掃除をしていた。
特級術師で御三家で、実家は何坪あるかもわからない豪邸。自分の家も普通の、と言ってもそこそこ大きい3LDK以上のマンションから都心のタワマンまでセーフハウス用も含めていくつも所有するあの男が、どうしてこんな狭い部屋に来たいと言い出したのか。話は三日前に遡る。


私は研究資料の整理の合間に補助監督室で京都高専の術師が手土産に持ってきたという生八つ橋をいただいていた。

「はぁ、生八つ橋うまぁ」

生八つ橋が特別はちゃめちゃに好きというわけではないが、やっぱりこうしていただくと生八つ橋っていいなぁと手放しで褒めたくなる。私は高専出身だから修学旅行の京都というものに縁はないが、世の大人たちはこの生八つ橋を食べて学生時代を思い出したりするんだろう。

「ミョウジさん生八つ橋好きなんスか?」
「いやぁ、特別そういうわけじゃないんだけどね。京都いいなぁって」

ちょうど休憩時間だという新田ちゃんが一緒になってお茶を啜って、そう尋ねた。そうっスかねぇ、とあまり興味のなさそうな返事なのは、彼女が京都高専出身だからかもしれない。少なくとも四年以上京都に住んでたわけだし。

「私は京都っていったら出張ってイメージしかなくてさぁ、テレビで京都観光の番組とか見るとたのしそうだなぁって思うよ」
「確かにデートでちょっとお高い宿とか泊まってるのは羨ましいっスね」
「そうそう。二年ぐらい前に悟に旅行しようって誘われて行ったら結局呪霊しか出ない山の中連れていかれて散々な目に遭ったことがあるよ」

私と悟はいわゆる恋人という関係にあるが、悟の多忙のために中々連休なんて取ることもできず、何の気なしに「旅行とか行ってみたいなぁ」と言ったら京都に連れて行ってくれることになった。ウキウキで荷造りをして観光ガイドを握りしめ、連れていかれた先は平城京初期の放棄された祠があったらしいという石垣で、悟が「チャチャっと祓おうね」などとのたまって、結局のところ呪いを祓って京都高専に挨拶だけして帰って来る羽目になったのだ。本当になんの観光も出来なかった。
旅行っていうか任務の同行じゃん!と帰りの新幹線で突っ込みを入れたら、今頃気づいたの?と小田原を過ぎたあたりで笑われた。

「そういえばミョウジさんって五条さんと付き合って長いんスよね?」
「そうだねぇ、学生時代に知り合って付き合いだしたのはそのあとだけど…なんだかんだで五年は付き合ってるかな」
「ひー、長ぁ」

新田ちゃんはいかにもといった様子で驚いてみせた。確かに数字にしてみると結構な年数だ。五年って…ゴールド免許でも一回更新時期来るじゃん。
まぁ悟はあんなだけど一緒にいて居心地がいいし、ああ見えて意外と懐に入れた人間には優しいのだ。だから色んな意味で各方面から「あの五条と付き合ってるのか」と言われることはあるが、比較的円満にお付き合いは続いている。

「デートとかってどんなデートするんスか?特級術師のデート気になるっス」
「えぇぇ、そんなに珍しいことはないと思うけどなぁ。時間もあんまり取れないし、映画行ったり買い物行ったり…結局落ち着けるから悟の家でだらだらしてることも多いよ」
「へぇ、意外っス。五条さんあんな感じだしもっと派手なのかと…」

あんな感じって、と笑いながら生八つ橋をぱくり。ニッキのすーんてした匂いが鼻から抜けていく。
悟はどうやっても絶対目立つ。あの身長だし、あのルックスだし、あの髪色だし。ほっとけばナンパ、目を離せばスカウト。それが立て続くとさすがの悟も煩わしくなって家に引っ込みたがる。私はあまり外で恋人を見せびらかしたいというわけでもないし、おうちデートに異論はない。悟の家快適だし。

「僕、そういえばナマエの家でおうちデートしたことないなぁ」

背後からぬっと声がして、私は勢いよく振り返った。振り返りざまにほっぺにキスをされて「隙あり」なんて笑われる。いつの間に来たのか、悟が背後からぎゅっと私に巻きついてきた。

「あ、ちょっと悟、私の生八つ橋なんだけど」
「いいじゃん、ケチくさいこと言わないの」
「もう…」

私の食べかけの生八つ橋がちゅるんと奪われてしまい、私はハァっと溜息をつく。私がケチくさいというより悟が意地汚いと思う。
指についたきな粉をおしぼりで拭いていたら悟の腕が伸びてきてテーブルの上の生八つ橋をひょいっと取り上げた。「みんなの分だから一個だけだよ」と釘を刺しても「あー、ハイハイ」と取り合う様子はなかった。

「ねぇ、今度ナマエの家行っていい?」
「えぇぇ…ウチ狭いよ?悟の家でいいじゃん」

思い返せば学生時代、任務で泊まったビジネスホテルにまで「犬小屋」と悪態をついていた悟のことだ。自宅になんて招いたらなんて言われるか分かったもんじゃない。私が断固拒否の姿勢を崩さないままでいると、悟はあろうことか目の前の新田ちゃんに「五年も付き合ってて一回も彼女の部屋に行ったことないっておかしいと思わない?」とのたまったのだ。最初から聞いていたんじゃないか。
げ、と思って新田ちゃんを見ると、赤だか青だかよくわからない顔色でこくこくと頷いている。後輩を怯えさせないで欲しい。

「ほらナマエ、そういうことだから」
「なにがそういうことなのよ…」

新田ちゃんはチャンスとばかりに「ごちそうさまです」と早口で言ってばびゅんと自席に戻ってしまう。ああ、ごめん、マジでごめん。
私の心労など気にも留めず、悟はまた生八つ橋に手を伸ばしていた。


そんなやり取りにより悟を私の愛すべき犬小屋に招くことになって、しかも仕事が立て込んでいたためにろくに掃除も出来ていなかった。見栄を張りたいわけじゃないが、来客時に片づけておきたいとおもうくらいには私は常識人である。
掃除機をかけてバラバラ机に乗っているボールペンとか郵便物を引き出しにしまい、それから置いとくとちょっと部屋がごちゃついて見えるクッションとブランケットをクローゼットに押し込む。まぁちょっとはすっきりしたと思う。
丁度そのときインターホンがなり、私は「はーい」と返事をしながら玄関に向かった。

「いらっしゃい、悟」
「お邪魔しまーす。はいこれプリンね」
「え、ありがとう…」

まさか手土産を持ってくるなんて気の使い方が悟に出来るとは。びっくりして固まっていると、悟が「ねぇ、部屋入れてよ」と急かしてきて私はやっと我に返った。
「狭いけど」なんて予防線めいたことを言いながら部屋に引っ込むと、悟が狭い玄関で窮屈そうに靴を脱いだ。
私は短い廊下を抜け、冷蔵庫にプリンを箱ごと入れる。悟はきょろきょろしながら私の後ろをついてきた。

「寮にも住んでたんだし、そこまで珍しくもないでしょ」
「いや、生活がまるっと完結する空間でこんなに狭い部屋は任務以外で入ったことないし」

そりゃそうかもしれないけど。そこはもっと「付き合ってる女の子の部屋は初めて入ったから」とか上手いこと言ってよ。
そんなことを期待しても無駄なのは分かっているので、私は「ふーん」と相槌を打ちながらコップをふたつ取り出し、りんごジュースを注いだ。

「ん。悟の分」
「ありがと」

コップをひとつ悟に持たせ、テレビとソファの置いてある部屋へちょんちょんとつついて誘導する。
ローテーブルの前にに並んで座ると悟は部屋をぐるりと見回す。別にやましいのことがあるわけではないが、じろじろ見るのは辞めてほしい。

「マジ狭いね。何畳?」
「六畳が二間。言っとくけどひとり暮らしには標準的な間取りだからね」
「天井低くない?」
「悟のタワマンと比べないでよ。ほら、やっぱ私の部屋なんか来なくて良かったでしょ?」

結局文句タラタラじゃないか、と私が悟をじとりと見れば、悟は少しも気にした素振りは見ずにまだあちこち眺めている。

「だって好きな子の部屋には入ってみたいじゃん」

何の前触れもなくそう言われて、思わずコップを落としそうになった。そしたら悟はそれを見て「って、言われたかったでしょ?」と意地わるく笑う。全くもって性格が悪い。

「別に」
「顔に書いてる」
「うるさい。ほら、映画見ようよ」

悟の部屋ならもっと大きな画面で見ることができるが、しがない2DKの部屋にはあいにくそんなに大きい画面は備わっていない。
動画配信サイトを立ち上げてピコピコと操作した。そう言えば今月から好きな洋画のシリーズ最新作が配信開始になっていた気がする。

「これ見たい。ファンタジービースト2。映画館に見に行こうとして結局行けなかったんだよね。悟は見た?」
「確か飛行機の中で見た気がする」

ふぅーん。尋ねておきながら何だが、私は違うのを選ぶつもりはないからそのままピコピコと再生開始ボタンを押した。
洋画は字幕派なので、開始早々英語のなめらかなナレーションが始まった。私はりんごジュースの入ったコップを傾けながら画面に見入った。
不意に隣から視線を感じて悟を見上げると、私のことをじっと見ている。「何?」と尋ねると答えではなくて手が伸びてきて、コップを取り去ってテーブルの奥に置き、そのまま私をソファの背に追い詰めるように覆いかぶさった。もちろんもう画面は見えなくて、英語のセリフだけがつらつらつらと聞えてくる。

「ね、ナマエ」
「ちょっと悟、映画は?」

ぐっと悟を押し返すけど、当然のごとくびくともしない。悟はにんまり笑った後に私を逃がすまいと両側へ手をついた。
もうこうなれば何を言っても聞いてもらえないので、私は大人しく目を閉じてこのまま近づいてくるであろう唇を待った。
ん?あれ?全然来ないんですけど。

「…悟?」

ぱちりと片目だけ開くと、悟が私の斜め後ろを睨みつけている。なんかあったっけ、そっち。と思っていたら、悟が「あれ何?」と嫌そうな声で私に尋ねた。

「あれって…ああ、夜蛾先生にもらったの。ツカモトの女の子バージョン。名付けてツカモティーヌ。ちなみに呪いは籠ってないからただのぬいぐるみだよ」

私はソファの端に埋もれていた赤いリボンのついているツカモティーヌをひょいっと取り上げて悟と自分の間に割って入らせるように見せつけた。
夜蛾先生に「ツカモト可愛いですね」と言ったら大層喜んで私のために制作してくれたのだ。夜蛾先生の呪骸はぜんぶ可愛くて癒される。
悟の綺麗な顔が「うげぇ」とでもいうように歪められてて、綺麗な顔なのに勿体ない。まぁ、そんな顔してても綺麗なんだから多少腹立たしくはあるけど。

「サイアク。ナマエ趣味悪くない?」
「そう?可愛いじゃん」
「いや、他の男の手作り持ってるってどういうつもりなんだって言ってあげたいんだけどそれどころじゃないわ。マジで美的感覚狂ってて嫉妬心も湧かない」

ええぇ?
私はツカモティーヌをくるっとひっくり返してつぶらな瞳を見つめる。ちょっと目の周りに睫毛が足されているのは夜蛾先生の「女の子」に対するイメージなんだろう。

「美的感覚狂ってないと思うんだけどなぁ」
「そんな人形可愛いって言ってて何を根拠に?」
「だって、悟のことはちゃんと綺麗だなって思うよ?」

私がそう言うと、悟は大きく溜息をついてむんずっとツカモティーヌを鷲掴みにした。「丁寧に扱ってよ」という抗議を無視して悟はツカモティーヌをひょいっと背後に転がし、私に覆いかぶさって今度こそキスをした。

「んっ…ちょ、悟…」
「えっちしよ。勃った」
「ええぇ…まったくスイッチが分かんないんだけど…」

今日はのんびり映画を見るつもりだったのに、こんな日の高いうちからその予定はぐずぐずに崩されてしまうらしい。
ちょっとくらい抵抗しておこうと悟の肩を押し返すけど、やっぱり何の意味もなかった。
そのまま悟に抱え上げられ、私は隣のベッドルームに連行される。そっぽを向いているツカモティーヌとは残念ながら目が合うことはなかった。

「ねぇ悟、私の部屋のベッドふつうのシングルだよ。悟には狭くない?」
「いいじゃん、狭い方が燃えるかもしんないし」
「そういうもん?」
「そういうもん」

クローゼットの中からばさばさと何か軽いものが落ちる音がした。ああ詰めこんだクッションとブランケットが雪崩を起こしたんだなと思っていたら、悟が「こっちに集中してよ」と可愛いことをいうもんだから思わず笑った。
えっちのあとに冷蔵庫にあるプリンを食べよう。疲れた体には余計に甘く感じるかもしれない。

「ナマエ」
「なに?」
「好き」

態度では示すくせに案外そういう類のことを言わない悟が珍しい。私もだよ、と返す前に、言葉は唇に飲み込まれてしまった。


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