スパークラー


夏の終わりというのは、少し寂しい。そう思う程度の情緒は私にもちゃんと備わっていた。
温められたアスファルトやなんかの地面の熱気が夜を暑くはするものの、夏真っ盛りの時期に比べれば随分と涼しくなってきた。特に高専なんていう山の中ではそれが顕著で、だって地面がアスファルトでないし、周りには日差しを遮る木々が生い茂っているからだ。
私は時間超過をしながら任務を終え、とぼとぼと高専から家路に着こうとしていた。正直疲れたし今すぐ寝たいし勘弁してくれって感じだが、申請して高専に泊まると高確率で至急の任務を言い渡されるのだからそれだけは回避しなければならなかった。

「うぅ…7連勤…」

労働基準法というものが世間様にはあるらしいが、生まれてこの方呪術界でしか生き方を知らない私には内容さえ知らない御伽噺のようなものである。卒業後にやっと二級術師に昇級したような私にも、回ってくる仕事は大変に多い。これがもっと等級の高い術師になったどうなるんだろう、と想像するだけで恐ろしくてたまらない。
でもなぁ、一級術師ってお給料いいんだよなぁ。なれるかどうかは別にして、そのお給金には興味がある。危険度爆上がりの代わりにお給金もぐんと跳ね上がるのだ。
どうせなれやしないくせにそんなことを考えていると、後ろからタタタタと誰かが走ってくるような音が聞こえた。夜といえど呪いに昼も夜も関係ないので、誰かが任務に走るのかもしれないなと思っていると、呼ばれたのは私の名前だった。

「ミョウジちゃん!」
「猪野先輩?」

呼びかけの主は私のひとつ上の猪野先輩だった。猪野先輩も今日高専来てたんだ、と嬉しくなって、私は疲れも忘れて「お疲れ様です!」と溌剌とした声で挨拶をするとぺこりと頭を下げる。

「お疲れ!今帰り?」
「はい!」
「じゃあ一緒に帰ろう。その、もう暗いし送るよ」

もう暗いと言ってもまだ夜の九時で、普段から出歩いている時間だ。夜道が怖いというタイプでもないし大袈裟に思うけど、でも猪野先輩と一緒にいたいからそれは言わなかった。
実を言うと、私は猪野先輩のことが好きなのだ。学生時代からずっと憧れていた。

「もう夏終わっちゃいますね」
「今年は呪い多かったから余計早かった気がする。ミョウジちゃんなんか夏らしいことできた?」
「全然です。行こうと思ってたお祭りは任務で潰れちゃいましたし、行こうと思ってた原宿のかき氷屋さんは時間なくて行けなかったし」

じゃりじゃりじゃり、高専の山道を下る。木々の間を通り抜ける風がちょっとだけ涼しい。猪野先輩と私のつま先がおんなじタイミングで右左右左と動く。先輩は私に歩幅を合わせてくれていて、それが嬉しくなって思わずふふふと笑うと、猪野先輩が「どうかした?」と言って、私は慌てて「何でもないです」と誤魔化した。

「猪野先輩は夏らしいことできましたか?」
「俺も全然。今年こそサーフィンしようって意気込んでたのになぁ」
「猪野先輩サーフィンするんですか?」
「やってる友達がいんの。教えてくれって話を去年したんだけどさ、なかなかタイミング合わなくて」

猪野先輩は交友関係が広い。私と同じ術師系の家に生まれているのに非術師とも普通に付き合いがあるんだから一体どこで出会っているんだろうと思う。猪野先輩はとても話しやすくていい人なので、少しのきっかけがあればどんな人でも仲良くなれてしまうとは思うけれど。
そんなことを自分の中で勝手に考えて頷いていると、不意にドォンと音が鳴って遠くの空が明るくなった。明るくなった方には球状に光の粒が広がって、キラキラしながら夜の中に溶けていった。

「わ、花火だ」

ドォン、ドォン。立て続けに音が鳴って、その度に光が咲く。赤、白、黄色。あれは火薬に混ざった金属粉の炎色反応だと何かで見た気がするけれど、何色がどれかなんてことはすっかり忘れてしまった。

「花火、今年初めて見たかも」
「猪野先輩も?」

私と猪野先輩はそこで立ち止まってじっと空を見つめる。だけど花火が遠すぎて、途中の建物や山に隠れて綺麗に見ることは出来ない。目の前で上がる花火とは違い、大きく打ち上がるのにどこかよそよそしい。

「…花火、したかったな」

ポツンと声が漏れてしまった。別に特別花火が好きと言うわけではなくて、それは終わってしまう夏への未練がましさとかそういうものだった。
小さな声だったはずなのに花火と花火の間にちょうど落ちてしまったものだから、きっと猪野先輩の耳にも届いてしまっている。

「今から一緒にやろっか、花火」
「え?」
「コンビニでも手持ち花火のセットくらい売ってるっしょ?麓のとこのコンビニ寄ってさ、その…ミョウジちゃんが嫌じゃなければなんだけど…」

早く答えてしまわないとなかったことにされてしまいそうな猪野先輩の尻すぼみになっていく提案に、私は慌てて「やりたいです!」と返した。声のボリュームが調節できなくって今度は思いのほか大きな声になってしまい、パッと自分の口を手で覆う。こんなの私が猪野先輩に誘ってもらって浮かれてるって知らしめるようなものだ。

「い、行きましょう!花火!買いに!」

照れ隠しにそう言って私は早歩きをして、猪野先輩は後ろからついてきて「そんなに花火したかった?」と笑った。花火もそりゃあ嬉しいんだけど、そうでなくて、猪野先輩と一緒ってことが嬉しいんだけど。もちろんそれは打ち明けられないことだった。


誤算だったのは、麓のコンビニの花火のラインナップだった。花火セットを想定していたんだけどお盆も終わってしまったせいか品揃えは悪く、ちょうど残っていたのが線香花火のセットだけだった。
線香花火は地味だしそんなに好きというわけじゃないけど、私は猪野先輩と花火をするチャンスを逃したくなくて「線香花火好きです」とその場を押し通し、私と猪野先輩は線香花火片手に近くのブランコしかない小さな公園に向かった。
適当に公園の隅に陣取り、落っこちていた取っ手の割れたバケツを拾ってきて水道で水を汲む。ろうそくにぼうっと火を灯して、二人で向かい合わせにろうそくを囲んだ。

「はい、ミョウジちゃん」
「ありがとうございます」

私は受け取った線香花火をろうそくの火に線香花火を近づけた。
頼りなくふるふる揺れながら火がつき、小さな火球になる。やがて短い火花がいくつもいくつも折り重なり、花のようになった。
それからパチパチパチと広く飛び散るように明るく輝き、そのあと今度は風に乗って火花がしなだれ、最後には途中の勢いもなりを潜めて、小さく咲いて散ってを繰り返すみたいに火花を咲かせた。それも終わって火花を散らさなくなった火球は、役目を終えたようにぽとんとあっけなく地面に落ちて線香花火が散っていく。

「俺もさ、線香花火好きなんだよね」
「猪野先輩も?」

うん、と猪野先輩は頷き、風が吹いたせいで猪野先輩の火球はゆらゆら不安定に揺れた。火薬と煙の臭いが鼻を掠める。

「バァちゃんちでよくやってたんだよね。高専とおんなじくらいの田舎で、夏になると近所の湧き水でトマトとかきゅうりとか冷やすの。おやつに食べるんだけど、不思議と家で食べるより美味しくてさぁ」

猪野先輩はそう言って、自分のおばあさんの家で過ごす夏休みのことを話した。猪野先輩は男の人にしては口数の多い方だと思うけど、あまり自分のことを話すタイプではなくて、だから少し意外で珍しいことだと私は聞き逃さないように慎重に耳を傾けた。

「バァちゃんの隣の家の…隣っつっても歩いて一分近くかかるんだけど、その隣の家のおじいさんがいつも線香花火くれてさ、近所に子供住んでないから俺とバァちゃんだけで庭で線香花火してたんだよね」
「いいですね、夏って感じ」
「まぁね。ガキの頃はもっと派手な花火がいいってわがまま言ったんだけど、バァちゃんがじゃあ競争しようって言い出して。ほら、どっちが線香花火を長くつけてられるかって。それが楽しくなって、そっから線香花火のこと好きになったんだ」

猪野先輩は線香花火のささやかな光を受けながら懐かしそうに笑った。見たこともない幼少期の猪野先輩のことを勝手に想像して、私の胸の奥がほかほかした気分になった。

「バァちゃんが長くつけていられた方の言うことを聞くなんて条件出し始めてからはもう俺もそれまで以上にマジでさ」
「勝ったことあるんですか?」
「一回だけ。でもだいぶ鍛えられたから並の線香花火ストには負けないよ?」

線香花火ストって何ですか、と私が笑うと、猪野先輩も一緒になって笑った。
夜の公園は静かで、私たちが立てる物音くらいしかしていない。袋から次の一本を取り出し、私と猪野先輩は揃って火をつける。
猪野先輩は賑やかで明るい人だけど、線香花火を見つめている間は別人のように静かだった。口数とかそういう問題じゃなく、醸す雰囲気や声音、仕草のひとつひとつが夜の空気に調和しているからだと思う。
こんなに静かな猪野先輩を、他の女の子が知っていたらどうしよう。そう思ったら途端に気が焦った。

「猪野先輩、私たちも線香花火で勝負しませんか」
「お、いいね。負けた方は勝った方の言うこと聞くってことでいい?」
「はい、負けませんよ」
「俺だって」

戦いの火蓋は切って落とされた。
線香花火はさっきと同じように花を咲かせ、弾け、流れる。打ち上げ花火の華やかさとは程遠い小さな輝きに私たちは夢中になった。

「私、本当は別に線香花火好きってわけじゃないんです」
「え?」

私が急にそんなことを言うものだから、猪野先輩は案の定びっくりしたように私の方を見た。
言わなきゃ、言ってしまえ、でも振られたらどうしよう。そんなこと言ってて他の子に先を越されてもいいの?
何人もの私が脳内で口々にそう言い、最終的には穏健派まで一緒になって私の背中を押す。

「猪野先輩と一緒にいたくて嘘つきました」

パチパチパチ。線香花火の音だけが聞こえる。
私は最後まで言ってしまわなければと、くちを一回閉じ、それから唇を湿らせるようにしてもう一度開いた。

「私が勝ったら、今度デートしてください」

猪野先輩の驚いた顔が私の見間違いでなければちょっとずつ赤くなって、はくはくと口を動かして言葉を探しているようだった。それから猪野先輩はふいっと手元を揺らして、線香花火の火球がポトッと落ちてしまう。

「猪野先輩、並の線香花火ストには負けないんじゃないんですか」

私がそう言うと、猪野先輩は次の線香花火を手に取って私に一本差し出して、私に向かって「ミョウジちゃん」と改まって呼びかける。
真っ直ぐな目が私を射抜いて、パチパチパチと火花をあげた。

「もうひと勝負しよう」
「もう一回?」

猪野先輩の雰囲気から流石に鈍い私でも告白を単純に断られるわけではないのだろうということが察せられて、ならどうしてもう一回勝負するなんて言い出したんだろうとおうむ返しをする。
猪野先輩は「それでさ」と間をつなぐように言って、言葉を続けた。

「俺が勝ったら、俺と付き合って」

馬鹿みたいな勝負だ。勝っても負けてももう結果なんて出ているのに。私は「いいですよ」と答えてから猪野先輩から線香花火を受け取って、そろりとろうそくに近づけた。
打ち上がらなくても、ささやかでも、私の恋は確かにここにあって、今まさに花を咲かせようとしている。先端の和紙に火がついた。あとは、燃え上がるだけ。


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