夏の深呼吸




※未成年の喫煙を示唆する描写がございますが、それを容認するものでも推奨するものでもございません。


煙草が切れた。それに気がついたのが深夜0時。もちろん高専の中に煙草を売っている売店はないので、一番近くで買えるのは最寄りのコンビニ。最寄りって言っても歩いて片道20分弱。どうしようかなぁ。
とはいえ、一度吸いたいと思ってしまったら吸わずにはいられなくなってしまい、私は仕方なく重い腰を上げる。どっこいしょ。

「あれ、夏油じゃん」

寮の出入り口に夏油の姿を見つけた。上下黒いスウェット姿で髪をハーフアップにしている。だいぶ見た目が治安悪い。

「ナマエ、どうしたんだい、こんな時間に」
「煙草。切れちゃったから買いに行こうと思って」

ジェスチャーだけで煙草を吸う仕草をすると、夏油はむっと眉間にシワを寄せて「ひとりで?」と言った。ひとりでですけど。

「女の子がこんな夜中にひとり歩きなんて感心しないな」
「女って言ったって私だよ?」
「ナマエは強いけど、相手の男がもっと強かったら困る」

いや、私なんかそんな目に遭うわけないでしょ、というつもりで言ったんだけど。まぁいいか。

「私も一緒に行くよ」
「別にいいのに」
「私が一緒に行きたいんだ」

夏油はすぐこういう言い回しをする。そのうち女の子に刺されるんじゃないだろうかと思う。
私は「わかったよ」としぶしぶを装ってそう言って、夏油がケータイと財布だけ持ってくるからと一度寮の中に消えた。この隙に勝手に出て行ってしまうことも出来るが、後が怖いからそんなことはしない。
一分経つか経たないかくらいで戻ってきた夏油と並んで寮から高専の出入り口に向かって歩く。本当は夜中の外出なんて当然のように認められてないけど、そんなルールを守るイイ子はここにはいない。

「夏油、なにやってたの?」
「これと言って何も。部屋のクーラー壊れたから涼んでただけだよ」
「クーラー壊れたの?」
「昨日ね」

この暑い時期にクーラーが壊れるなんて、そんな悲劇が起こっていたなんて知らなかった。「ご愁傷様ぁ」と笑ったら「笑い事じゃないんだけど」と苦笑が返ってくる。それにしたってだったら五条の部屋にでもいけばいいのに。

「五条の部屋に行けばいいじゃん」
「ダメ。昨日床でいいからって寝かせてって部屋入れてもらったけど一晩中桃鉄付き合わされた」
「うわ、地獄」

私が考えることなんて夏油は既に実行済みらしい。一晩中桃鉄って。五条はやたら桃鉄に執着していて謎に99年やってた。あれはやりすぎ。ドン引き。

「窓開けても蒸し暑いしね」
「そうなんだよね。扇風機でも限界って感じだよ」

山の中のくせに、夏はしっかり暑い。昔はもっと涼しかったらしいけど、これも地球温暖化の影響だろうか。二酸化炭素の排出量増加を憂いて私は数秒息を止めた。苦しくてすぐに辞めた。

「今度の休みさ、皆で海行こうよ」
「海?」

私の唐突な提案に夏油はおうむ返しをする。べつにこれといった理由はないけど、ああ夏だなぁとか、暑いなぁとか、そういうどうでもいいことからの連想ゲームで出てきた言葉だ。

「ナマエ、泳げないだろ?」
「いや、そうだけど浮き輪とかあるじゃん。去年買った水着勿体ないし一回くらい着たい」
「あれは露出多すぎてダメ」
「なんで?普通のビキニだよ?」

急にお父さんみたいなことを言い出した夏油は、理由は深く答えずに「なんでも」とはぐらかす。本当にみんな着てるような普通のビキニなのに。
ああ、海のこと考え出したら急に水遊びしたくなってきた。私は泳げないけど海が好きで、あの潮の匂いとか日焼け止めとサンオイルの匂いとか、そういう匂いの立ち込めるところが気に入っている。夏だなぁって思う。

「…着てもいいけど、私も一緒に行くからね、海」
「え、皆で行くんだから夏油も来るでしょ?」
「…そういう意味じゃないんだけど」

夏油となんか噛み合ってないような気がするが、なんとなくそれ以上海の話は続かなくて話題は次のものへと移り変わった。


話しているとあっという間で、私たちは目的のコンビニに辿り着いた。
自動ドアをくぐると冷気が通って汗が一気に引いていった。ここのコンビニは煙草もお酒も普通に売ってくれる。私たちが山の上の学校の学生だと知っているか否かはわからないが、あまり成人に見えない私にはありがたいことだ。未成年に煙草を販売するのは法律で禁止されているので、もちろん暗黙の関係を築いている。逮捕されてお店なくなったりしたら困るし。

「夏油も煙草?」
「煙草とスポドリ買ってこうかな」

ふぅん。と相槌を打って私はアイスのコーナーに足を向ける。暑い中歩いてきたから冷たいものが食べたい。とはいえこの時間から乳脂肪分たっぷりなものはカロリーが気になるので、ゴリゴリくんソーダ味で決まり。
ゴリゴリくんをケースから取り出してレジに向かうと、後ろからひょいっと取り上げられた。夏油はスポドリと四角い箱を持ってレジに歩いて行ってしまって、そのままバイトの店員に「52番と36番」と言って一緒にお会計を済ませてしまう。
その手際に私がびっくりしていたから、夏油が振り返って小首を傾げた。

「あれ、銘柄違った?」
「いや、あってるけど…」

だからその手際の良さは何なんだ。と思っている間にお会計が済んでしまって、夏油がお釣りの小銭を財布にしまいながら「袋持って」と言ったので、私はそれに従って店員から商品の入った袋を受け取る。

「ごめん、いくらだった?」
「いや、いいよ。奢られておいて」
「でも…」

奢られる理由なんてなんだが。と思いながら、私は店の中でもたつくのも迷惑だろうと促されるまま外に出る。むわっと熱気が襲ってきた。さっきまではコンビニの冷房の恩恵に預かっていたが、さっそくクーラーの効いた自分の部屋が恋しい。

「ありがと」
「どういたしまして」

煙草は今度買うとき夏油の分まで買ってチャラにしよう。アイスは…まぁ奢り返してもいいけど五条がいるときにやったら「俺の分は!?」と騒ぎそうなのでタイミングを見計らう必要がある。
金持ちのくせにやたらそういうことを言うのは金云々じゃなくて仲間外れにされたくないという案外子供っぽくて可愛らしい理由だ。

「アイス食べて良い?」
「もちろん」

私はビニール袋からアイスを取り出そうとざっくり開き、そして口をあんぐり開けて固まった。夏油がスポドリと一緒に持ってた四角い箱。
オレンジ色のパッケージに大きく「極うす」の文字。あまりこういうものに縁のない私だってわかる。コンドームじゃん。

「ちょっと夏油!」
「あ、気づいた?」
「なんで私と一緒の時に買ってんのよ。絶対なんか変な風に見られた!」
「店員はそこまで気にしやしないさ」
「だからって今日買わなくてもいいじゃん!」

夏油は悪びれもせず、むしろ愉快そうに笑っていて、それが腹立たしくて脇腹めがけて拳を打ち込んだけどまったく利いていない。「顔真っ赤だね」と言われて、そのせいで赤くなった気がする。
いや、普通に、十代半ばの女子はこんなの見慣れてないから。夏油が遊び過ぎなだけでしょ。別に照れてなんかないし。いくつか言い訳を考えて、口から飛び出る前に夏油に笑われたから出鼻を挫かれた。

「アイス、食べないの?」
「…食べる」

ついに私は反論を諦め、自分の煙草とゴリゴリくんをひったくるとビニール袋を押し付けた。なんで夏油のコンドームが入った袋を私が持ってなきゃいけないんだ。
封を開けてゴリゴリくんをひとくち齧る。ゴリゴリくんを包んでいた水色の袋は夏油によって回収されてしまった。
しゃくしゃくしゃく。せっかくゴリゴリくんは冷たいのに、夏油のせいでぬるい気がする。腹を立てる私にはお構いなしで夏油は普段通りの口調で言った。

「どうしても今日買っときたかったんだよね」

なんだそれ。明日朝からどっかの誰かとヤるつもりなのか。そうだとしてもその女のところ行く前に買え。そう思って、ぷんぷんと怒ってみせながら私はゴリゴリくんにかぶりつく。

「朝買いに行けばいいじゃん」
「朝じゃ遅いんだよ」
「は?今から外泊?夜蛾への言い訳なら自分で考えときなよ」

しゃくしゃくしゃく。同級生はお盛んらしい。意外とこういうところはあの五条の方がウブで、さすが囲われてきたお坊ちゃまって感じがする。対して夏油は真面目で温和な皮を被ったプレイボーイである。五条いわく、ケータイのアドレス帳にはセフレの女の子の名前が二十人近く登録されているらしい。ヤリチン。遊び人。女の敵。
あれ、でも女の子から声かけてるなら女の敵にはならないのかな。

「そういう意味じゃ、ないんだけどね」

夏油は外泊するつもりではないらしい。
まぁ夏油が外泊しようが私には根本的に関係がない。や、けど気にならないと言ったら嘘。

「夏油っていつか捨てた女の子に刺されそう」
「酷いな、そんなに悪さはしてないさ」
「どうだか」

遊び人というものは得てして遊んでないと証言するものだ。まぁ確かに夏油はかっこいいし、背も高いし、鍛えてていい身体してるし、おまけに女の子に優しい。女の子に告白されてるなんてしょっちゅうで、本命じゃなくてもいいからって言い出す子までいても何ら不思議じゃない。

「セフレばっかり二十人近くアドレス帳に登録してあるって五条が言ってた」
「濡れ衣だよ。みんな地元の友達。男はその倍くらい登録してある」
「でも夏油モテるじゃん。身体の関係だけでもいいからって言う子いそう」
「まぁ言われた事はあるけど…」

あるんかい。盛大に心の中で突っ込んだ。しゃくしゃくしゃく。イラっとしてモヤっとしてもゴリゴリくん美味しいんだからほんとしょうがない。

「私は結構一途なんだ」

なにそれ。と思って、動かしていたくちが止まる。一途って、好きな子がいるってこと?硝子?歌姫先輩?それとも大穴で冥さん?
ちょっと、いや、かなりムッとしてしまって、たらりと溶けたゴリゴリくんが私の指を濡らした。あ、ヤバい、最後のひとかけ落ちちゃう。

「え」

そう思ったとき、夏油の顔がぐんと近づいて落ちかけたゴリゴリくんを間一髪でぱくりと攫う。そのまま熱い舌が濡れた私の指を舐めとって、じわじわ溶かされるような感触がする。なに、なにそれ。なにこれ。

「美味いな」

夏油は事も無げにそう感想を述べ、私の首から頭のてっぺんにかけて急速に熱があつまる。
一体何のつもりだ。

「ナマエ、顔真っ赤だね」

今度はもうその通りですハイお手上げという有り様で、私は楽しそうに笑う夏油になんの言葉も投げられずにはくはくと唇を動かした。
夏油は私が馬鹿みたいな顔をして持っていたゴリゴリくんの棒を手から抜き取ってそのまま指を絡めてしまう。

「…私の部屋クーラー壊れてるんだけど、ナマエの部屋、行っていい?」

だからこういうところが手慣れててヤリチンで遊び人で女の敵なんだ。言ってやりたいことはたくさんあるはずなのに、口の中でもたついてなんにも出てきやしない。
「ナマエ」と答えを促すように名前を呼ばれて、私はどうしようもなくて頷いた。夏油は「助かるよ」なんて言うけど、私はそこでビニール袋の中の四角い箱の存在を思い出した。どうしても今日買っときたかったんだよね。って、最初から私の部屋に来るつもりだったんじゃないか。

「あ、アイスのくじ当たってるよ」

うるさい、そんなのどうでもいい。
変な下着つけてなかったかな。部屋って片付いてたっけ。こんなことならもっと痩せたりスキンケアしたりしとけばよかった。
もうすぐ高専に着いてしまう。そしたら寮まではあっという間だ。どうしよう。

「ね…寝るだけだからね、ベッドは私が使うし、夏油は床だから!」
「泊まっていいんだ?」

ああ、墓穴を掘った。最後の強がりも虚しく、私は夏油に手を引かれて自分の部屋に入ることになった。途中で下着が上下バラバラで可愛くないものだと思い出したから、電気は消してもらおうと思う。


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