あなたに溺れちゃう


恋人の傑くんは、一言で言えばしっかりもののお兄ちゃん。もしくは厳しくて優しいお母さん。
報告書はいつだって一番に書き上げるし、誤字脱字もほとんどない。内容もわかりやすくて先生からやり直しを受けているところも見たことがないし、プラスアルファで考察みたいなものまで付け加えられてることもあるから頭が下がるばかり。
対して私は優秀さのかけらもなく、呪力も弱いから補助監督に転向した方がいいのではないかと先生からアドバイスを受ける始末だ。
なぜこんなにも優秀な傑くんが私と付き合ってくれているかは正直全然わからない。


こんこんこん。私は傑くんの寮室をノックした。

「傑くん、ちょっと報告書でどうしたらいいかわからないところがあるんだけど…」
「どこ?見せてごらん」

昨日の任務で行った低級呪霊の祓除。事前の調査とは全く別の呪いがたくさん溜まっていて、それを改めて報告する必要があった。見たことはしっかり覚えている。問題なく祓うことができたけど、いざ紙の上に文字を起こそうとするとうまくいかない。
傑くんに手招かれるままお部屋にお邪魔し、トコトコと隣に座る。

「報告になかったカエルみたいな呪いがいたの。それを追記したいんだけど、なんて書いたらいいかわからなくて…」

私がそう言うと、傑くんは書きかけの報告書を受け取り、ふむ、と上から順に目を通していく。切れ長の目がすいすいと動く。傑くんはいつも涼しげ。
傑くんはひと通り目を通したあとに「よく書けてるじゃないか」と言って私とのちょうど間に報告書をひらりと置く。

「ここの記述さ、一番最後に持ってきた方がまとまると思うよ」

トンっと報告書の真ん中あたりを指差して該当の箇所をくるりと囲んだ。なるほど、入れ替えて読んでみたらまとまりがよくなった。傑くんすごい。

「ありがとう。ねぇ、呪霊の特徴っていつもどうやって書いてる?」
「そうだな…実在の生物に近しいものがいたらそれと対比して書くことが多いかな。そういうのじゃなければどこがどのくらいの長さなのかとか、そう言う描写をするようにしてるよ」
「そっかぁ。うーん私の文章力で書けるかな…」
「そういえばこの前悟は絵で描いてたな」

そう言って傑くんはくすくす笑う。ふふ、五条くんめちゃくちゃそれやりそう。残念ながら先生を納得させられるだけの絵心はないので、その案も却下だ。

「五条くん、それで報告書通ったの?」
「いや、夜蛾先生にゲンコツくらってたね」
「やっぱり」

そんなことを話しながら、傑くんがここで報告書を仕上げればいいと言ってくれたからそのまま作業に入る。まず文章を入れ替えて、カエルのところは傑くんのやり方をお手本に書き書き書き。カエルみたいなと言ってももちろん本物とは随分違う。
だいたい大きさは大型犬くらい。跳躍力がすごくて、ビルの4階までぴょんとひと飛びだった。それで体の色は炭のように黒く、あと長い舌が紫色をしていた。

「ちょっと、傑くん…」

私が真面目に報告書に向き合っていると、隣の傑くんが私の横髪に手を伸ばしくるくるともてあそび始める。
くすぐったくて身を捩っても、傑くんは「ん?」と小首を傾げるだけでやめてくれない。

「報告書終わらないんだけど…」
「はは、ごめんごめん。じゃあ私は本を読んでるから、終わったら声をかけて」

そう言って、傑くんは自分のベッドに腰掛けると、文庫本を開いた。傑くんは手が大きいから、文庫本が普通よりも小さく見える。
私は気を取り直して、もう一度報告書に向き合った。別に自分の部屋でやればいいんだけど、だってちょっとでも傑くんと一緒にいたい。
二十分と少しで報告書を書き終えて傑くんの方を見ると、いつの間にか文庫本を手に持ったまま眠ってしまっていたようだった。
私はそろそろと傑くんに近づく。

「…お疲れさま」

傑くんは優秀な呪術師なので、私よりよほど多くの任務についている。そのいずれももちろん私より難しい任務ばかり。
私はベッドの手前に跪くようにして傑くんを覗き込む。眠っていると、傑くんはいつもより少し子供っぽく見える。それが好き。
そのままじっと見つめていたら、不意に傑くんの目がパチリと開いた。

「そんなに見られたら、穴が空いてしまうよ」
「す、傑くん…起きてたの?」
「あまりに熱い視線を感じたからさ」

私が見つめていたのなんてお見通しで、傑くんがくすくす笑う。ああ恥ずかしい。

「来て」

傑くんは、短くそう言った。
ベッドに寝転んだまま、行く場所を示すように手を広げる。私はちょっとだけ躊躇って、それからそろそろと傑くんの腕の中に招き入れられる。

「来たよ」
「いらっしゃい」

なんて意味もなくお店みたいなやりとりをするのがおかしくって、私たちは顔を見合わせて笑う。他の人となら面白おかしく感じないことでも、傑くんと一緒ならこうして笑えてきてしまう。
私は本当に傑くんが好き。

「報告書は終わった?」
「うん。やり直しにならなければ今日の分までは全部」
「じゃあ心置きなくナマエを独占できるな」

傑くんはそう言って、私を抱きしめながらほっぺにチューをした。薄い唇の感触がくすぐったい。
私は額を胸に擦り付けるようにして、余すことなく傑くんにぴったりくっつく。傑くんのチューは終わらなくて、私の顔を持ち上げると耳や目尻、鼻先にもキスを落としていった。

「んっ、傑くん…くすぐったい…」
「くすぐったくしてるんだよ」

傑くんの手が私の背中からするりと上がって下がってを繰り返して、そのあとお腹を撫でるように動いた。これから恋人同士がどんなことをするのか、私たちはよく心得ていた。
傑くんは私の体を抱いたままベッドに組み敷くと、頭の両側の手をついて私を見下ろす。

「ナマエ、かわいいね」

額にチューをして、それからまた目尻と鼻先。
自分で言うのも悲しくなるけど、私はスタイルがいい方じゃない。いわゆるつるぺたというやつで、硝子ちゃんのようなくびれも冥さんのような胸もない。歌姫先輩みたいに引き締まったお尻もないし、傑くんはこんな体を触って楽しいんだろうか。
不意に頭をもたげた疑問が、そのまま口から溢れ出た。

「ねぇ傑くん、私のこと触って楽しい?」
「え、どうしたんだい、急に」

傑くんは私の言葉にぴたりと動きを止めて、切れ長の目をぱちぱち瞬かせた。驚いた時にちょっと目が大きくなるのがかわいい。

「私、スタイルよくないし、傑くんと五条くんの好きなワカちゃんみたいなおっぱいもないもん」
「いや、あれはなんというかその…」

傑くんと五条くんはよく一緒にグラビアを見ている。見るくらい男の子なんだから別に普通のことだと思うけど、やっぱりあんなにボンキュッボンのスタイルが良くて見ているんだと思ったら多少はへこむ。
私は自分の胸をペタペタ触った。やっぱりつるぺた。

「好きな子のことだから知りたいと思うし触りたいと思うんだよ」

傑くんの答えは少女漫画みたいな優等生の答えだった。
好きな子、好きな子か。傑くん、どうして私のこと好きでいてくれるんだろう。自信なんてこれっぽっちもなくて、私にはコンプレックスばっかりだった。
私は傑くんをじっと見上げる。

「傑くん、どうして私のこと好きになってくれたの?」
「え、いまそれ聞く?」
「だって…傑くん真面目で優秀だし、性格いいし、モテるし…」
「はは、性格いいって言われたのは初めてだけど」

うそだ。傑くんいつだって優しいじゃない。
私がそう思ってつんと唇を尖らせると、傑くんは愉快そうに笑った。

「そんなに私って優しくて性格良さそうかい?」
「うん。こんなに優しいのお母さんか傑くんかってくらい」

傑くんの優しさはなんというかすごく大きくて、それこそまるでお母さんの優しさみたい。
少し言うことをまとめるように「うーん」と傑くんは声を出し、それから「全部が好きっていう前提なんだけどさ」と前置きをして話始める。

「あえてどういうとこって選ぶなら、ナマエってさ、周りをよく見てるじゃないか。人の体調の良し悪しとか、考えてること先回りしてあげたりさ」
「そう…かな?」
「そうだよ。そういう自然に他人を思いやれるところが、なんかいいなって」

傑くんはそう言って、体を起こすと隣に寝転がる。お団子が邪魔だったのか、ぴゅっとヘアゴムを外して髪を下ろし、手櫛で軽く整えた。濡羽色の髪がさらりと広がった。

「自信なさげにしてるナマエも可愛いんだけど、できればもうちょっと私の好きな子だって自信持って欲しいな」
「…傑くんが優しすぎて怖い…」

本当に王子様のお手本みたい。
私がそうこぼすと、傑くんは声をあげて笑った。もう何よ、私は真剣なのに。

「じゃあ怖くなくなるくらい優しくして、慣れてもらおうかな」
「やだ。そしたら傑くんなしじゃ生きていけなくなっちゃうそう…」
「はは、それは光栄だ」

これ以上傑くんに優しくされたらきっともっとぐずぐずになって、一人で立っていられなくなっちゃうんだ。でもそれだってもう手遅れで、私はすっかり傑くんに溺れている。

「だけど、そのお母さんくらいっていうのはいただけないな」
「え?」
「だってお母さんとはこんなことしないだろ?」

傑くんはそう言って、私の首筋にチューをした。くすぐったくて身を捩っていたら。傑くんはまた私に覆い被さるように動き、投げ出していた手の指を絡めて握った。
結ばれていない傑くんの髪がカーテンみたいになて、すっかりと私を閉じ込める。

「好きだよ」

髪の帳みたいね、なんて、ちょっとロマンチックすぎるかな。
傑くんのチューに溺れながら、私は五感のすべてを傑くんに費やしたのだった。


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