愉快な地獄の歩き方




※未成年、および夏油傑に喫煙描写がございますが、それを推奨するものではございません。


一年の秋だった。ふたつ年上の先輩が、彼女の担任と言い争っているのを見たのは。

「話になんない!あの子は任務中の事故なんかじゃない!」
「それは補助監督から聞いているが…」
「だったらなんで!」

ばん、と大きな音がして、先輩が壁だか何かを叩いたのだということがわかった。
私は迂回することも引き返すことも出来たが、物陰に隠れたまま、なぜかそこを動かなかった。

「もういいです」
「ミョウジ!ちょっと待て!」

足音が近づいてきた。隠れもできず、私は呆然と立ち尽くしていた。
すぐそばを通り過ぎるとき、先輩は私のほうに一瞬だけ視線をくれた。けれど立ち止まることはないまま、まっすぐに廊下を歩いて行ってしまった。


ミョウジ先輩は、優秀な術師だ。名の知れた術師の家柄で、術式も戦闘向きで強力。
見た目をどうこう言うのは何だが、見目も美しく頭脳明晰な人格者で、非の打ち所がないような、そんなひとだと私は思っていた。
そのミョウジ先輩には女性の同期がいる。正確には、一週間前までいた。
任務中の事故で命を落としたらしい。と聞いたが、真偽のほどは定かではない。

「…夏油くん、呪力でバレバレ」
「…すみません」

ミョウジ先輩を放っておけないと思って、私は慌てて後を追った。ミョウジ先輩はハリボテの校舎の裏うずくまっていた。

「一本吸う?」

そう言って、ミョウジ先輩はポケットから煙草を取り出した。
まさか彼女が喫煙してるだなんて思ってもいなかった私は面食らってしまい、彼女は「優等生だと思ってたのにってびっくりした?」と笑った。

「いえ、一本いただきます」

私はミョウジ先輩から煙草を一本受け取り、隣にしゃがむ。
「ん」と言う声とともにライターに火がともされたから、煙草を咥えて近づいて、火をつけた。
私の煙草と、隣のミョウジ先輩の煙草からもくもくと煙が立ち、数メートル先のところでふっと消える。

「…あの子さ、現場でね、呪いが見える子供庇ったの」
「この前の、任務ですか…?」
「そう。災いを呼び寄せる子だとか荒唐無稽なこと言って村で虐待されててね、あの子が庇って、猟銃でバーンて」

先輩は人差し指で銃の形を作り、空を撃ってみせた。

「私が駆け付けた時にはもう遅くてさ、腹立つくらい肝臓綺麗に撃ち抜いてんの。出血が多すぎた」

先輩が派遣されたのは東北のどこだったかの古い集落だったはず。実際に私はまだ遭遇したことはないが、そういった閉鎖された集落では呪いの見える人間が虐げられたり、はたまた崇め奉られたりすることも少なくないと先生に聞いたことがある。
先輩は銃のかたちにした手を戻し、煙草を挟んでとんとんと灰を落とす。

「私、頭に来ちゃって、殺してやるって思ったの。でもね、あの子が息も絶え絶えで言ったの。そんなことしちゃだめだよ、って」

彼女なら言いそうだな、と大して交流のない私でもその様子が想像できた。気弱なひとで、およそ呪術師には向いていないだろう女性だったように思う。
ミョウジ先輩はまだ半分以上残る煙草を地面に押し付け、乱暴に火を消した。

「非術師なんて猿よ。どうしてあんな奴らのために、あの子が消費されなきゃなんないの」

呪術は非術師を守るためにある。強いものは、弱いものを守るべき義務がある。
その理想を挟みこむだけの余白が、今のミョウジ先輩にはないように思えた。
先輩らしくないな。いや、先輩らしさなんて実のところ私の勝手な思い込みなのだろう。現実の先輩は、煙草の煙で肺を満たすような、そういう女性だ。

「…見えてる人間だけの、術師だけの、世界になっちゃえばいいのに」

そうすりゃ呪いも生まれないのにね。と先輩は笑った。
私は同意することも否定することも出来ずに、ただただ煙を吸い込み続けた。

「ミョウジ準一級術師が、行方をくらましたらしい」

その噂が広まるのは早かった。そしてその噂は次第に変容し、ミョウジナマエは呪詛師として非術師を呪殺しているらしい、に変わった。

「傑?早くいこーぜ」
「ああ、今行くよ、悟」

私には先輩の気持ちが少しも解らなかった。非術師の、弱者ゆえの醜さというものは呪術師である以上わかっていたはずだ。
勿論友人が殺された事に関して加害者に同情の余地はないし、法によってそれ相応の裁きを受けるべきだとは思う。
けれど非術師のすべてを猿と罵り排除するという考えは些か飛躍しすぎだ。
ただ、先輩はもう帰って来ないんだと、私はそれだけを理解した。


錆びた手すりに身体を預け、シガレットペーパーに火をつける。
風がないから、煙はまっすぐ昇っていった。

「…そういえば、そんなこともあったな…」

高だか二年前のことを、随分と昔のことのように思い出した。
菜々子と美々子を保護して、両親を殺して、隠れるようにして東京の片隅のボロアパートに潜伏している。とはいっても、いつまでもこうしているわけにもいかない。だからといって目立つ行動は取れない。

「ミョウジ先輩、か」

私は、当時多分、ミョウジ先輩のことが少しだけ好きだった。
だから煙草を吸っていると知ってちょっとがっかりしたし、離反したと知っても責める気になれなかった。
恋と呼ぶにも随分と淡いその感情は、どうしてだか私の中に澱のように残り続け、ふとした時にこうして思い出す。

「元気にしてるかな…ふふ、というか、生きてるかな、か」

ひとりごち、煙草の火を灰皿で揉み消した。
私も今やミョウジ先輩と同じ呪詛師だ。しかもお互い高専在籍記録があるから、他の呪詛師なんかより躍起になって高専の連中は首を獲りにくるだろう。さて、どうするか。
次の手を考えるうち、私は二年のときに任務で閲覧した呪詛師御用達の掲示板の存在を思い出した。
ちょうど私も呪詛師になったことだし、何かこれからの手掛かりはないだろうかとパソコンを開く。

「結構いろいろあるもんだな…」

呪具の闇取引、一般人の呪殺依頼、特定の術式を持つ呪詛師への特殊な依頼、結界破り、呪詛師の求人。
内容は物騒だが、並べ立ててみると案外俗っぽい。
まずは金が要る。高専にバレる前にいくらか口座から現金は引き出したが、そう長くは持たないだろうし、今頃口座は凍結されているはずだ。

「手っ取り早く…なにか…」

画面をスクロールするうち、1件の求人が目に入った。
条件は呪詛師、男性、20代半ばまでが好ましい。業務内容は私怨による非術師の殺害幇助。場所は東北。大していい金額とは言えないが、呪詛師一年生の私にとっては敷居が低くていいかもしれない。
小さい任務から繋がりを作って、なんとか計画の遂行を目指したい。
私は書き込みをして、依頼人からの連絡を待った。


翌々日、待ち合わせに指定された場所は、都内某所の駅の、喫煙ルームだった。
少し早めについて煙をくゆらせる。こういうときにも5分前行動をしてしまうのだから、呪詛師になったっていうのに性根というものは変えられないのかもしれない。
しばらくして、時間きっかりに喫煙室の引き戸が開かれた。そこにいたのは、あの日理解できないと思ったはずの先輩だった。

「あれ、夏油くん?」
「ミョウジ先輩?」

2年前より、少し髪が伸びていた。当たり前だがもう制服ではなくて、あまりそれっぽくないシャツワンピースを着ている。
最後に会った日より、顔色はいいように見えた。

「掲示板の書き込み、先輩だったんですね」
「うん。あれ、通報するかんじ?」
「いえ、私も呪詛師になったので」

そう言うと、ミョウジ先輩は丸い目をさらに丸くして、それからニッと口角を上げた。

「高専からやばい人材が離反したらしいって、夏油くんのことだったんだね」
「界隈に名前流れてますか?」
「ううん。まだ名前は特定されてないよ。噂程度に裏で回ってるくらい」

ミョウジ先輩はポケットから煙草を出すと、一本を淀みない動作で咥える。
私はライターに火をともして差し出し、先輩はそれで煙草に火をつけた。

「昔と逆だね」
「覚えてたんですか?」
「だって夏油くん、全く理解できませんってあからさまに顔に書いててさ、それが面白かったから」

言葉にはしなかったが、顔には随分とはっきり出てしまっていたらしい。
私は誤魔化すように煙草を吹かす。

「夏油くん、背伸びたね」
「はい、まあ、成長期なので」
「髪型も変わったし。前のもかっこよかったけど、今のハーフアップも似合ってる」
「ありがとうございます」

ありふれた会話が続き、私もミョウジ先輩の変化にでも言及しようかと頭一つ分以上も下にある彼女の顔を横目で見る。
昔から綺麗なひとだったけれど、もっと綺麗になった。服装も制服の暗い色より今日のシャツワンピースのような明るい色が良く似合うし、煙草を吸う仕草が色っぽい。
と、そこまで考えて自分の中に燻ぶる恋と呼ぶにも淡い感情は、私が思うよりも明確なものとして育っていたのだと知った。

「ミョウジ先輩は、綺麗になりましたね」
「ふふ、お世辞でも嬉しい」
「本心ですよ」

ふうっと細長く煙を吐き、昔初めて一緒に煙草を吸ったときのことを思い出す。あれ、そういえば。

「ミョウジ先輩、もしかして私怨で東北って…」
「大当たり」

歯で軽くフィルターを噛んだミョウジ先輩が笑う。なるほど、復讐劇というわけだ。

「それにしても、なんで若い男指定だったんですか」
「ああ、それはね、旅行客か大学の調査のふりして行きたかったから。女二人は二年前のことあって警戒されるかも知れないし」

その口ぶりから、ミョウジ先輩には思い描く復讐方法があるらしい。片っ端から殺してしまうなら、きっとそんな工作はいらない。

「昔のよしみだし、何か私に出来ることあったら言って」

まるで善人のようなことを言うから、今度は私が笑った。呪詛師になってまで昔のよしみって、なんだ、それ。

「ふふ、じゃあ金の稼ぎ方教えてください。私、呪詛師は一年生なので」
「よしきた。呪詛師の先輩としてこの界隈での上手なお金の稼ぎ方、教えてあげる」

私の言葉にミョウジ先輩はどこか得意げに胸を張って、恐らく今まで何人も非術師を殺してきたひとだというのに少しもそんな後ろ暗さを見せない。
彼女は短くなった煙草を灰皿で丁寧に揉み消し、私に向き直ると右手を差し出した。

「地獄へようこそ、夏油くん」

随分と歓迎されているらしい。
私は自分も右手を出し、差し伸べられた彼女のそれと合わせて握手をする。

「呪術師だって充分地獄でしたよ」
「はは、そりゃそーか」

ミョウジ先輩はそう言って笑って、その笑顔はなんとなく、高専で見ていた時のものよりも解放されたもののように思えた。
同じ地獄なら、自分の理想を追い求める地獄がいい。

「ミョウジ先輩、私、やりたいことがあるんです。もしよければ協力してもらえませんか」
「話聞かせて。楽しいなら大歓迎」

道中で計画を聞かせてほしいと言われ、私とミョウジさんは東北新幹線に乗って、まるでデートの予定でも立てるように私の計画について話した。
私たちはこれから、東北のとある集落で何十人もの猿を殺す。初デートにしては随分色気がないので、帰りはどこか、デートスポットにでも寄りたい。

「そういえば、夏油くんって一級になったの?」
「いえ、三年のときに特級に」
「マジ?」

先輩風吹かせらんないなぁ、なんて言って、ミョウジ先輩は駅弁を開けた。
新幹線は320キロの高速で、私たちを東北まで運んでゆく。


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