愛も呪いも


べつに、なんでもかんでも気づいてほしいとか、そういうんじゃない。
例えばデートのときに彼のために何時間もかけて選んだ服を着ていたら「可愛い」って言われたいし、がんばって手作りのお菓子を作ったときには「美味しいよ」って言ってほしい。
恋愛経験なんてほとんどないからこれが贅沢なのかどうかもよくわからないけれど、私は恋人のほんの少しの言葉だけで天国にも地獄にも行けてしまう。

「手作りとかダリィ」
「こら悟、そういうこと言うもんじゃないよ」

夕方、任務から帰ってきた悟と傑がそんなことを言いながら廊下を歩いていた。
私はとことこと二人に近づいて何事かと尋ねる。

「おかえり。なんかあったの?」

私に気が付いた傑が「ただいま」と手を挙げて、悟は「おー」と声だけで応答した。
傑の手にはクラフト紙で出来た小さめの紙袋が提げられている。

「さっき私が補助監督に手作りのお菓子をお礼だって貰ってね、悟が失礼なこと言ってたところ」
「お礼?」
「そう」

聞くところによると、以前任務でその補助監督のフォローをしたのだとか。お礼と言いつつ完全に傑に気があるやつだな、というのはすぐにわかったし、傑も気が付いていると思う。
気が付いてるのに貰うあたりが傑なんだよなぁ。

「どこの誰かもわかんねーやつの手作り貰うとか気が知れん」
「わかんないんじゃなくて知ってる補助監督なんだけど」
「同じようなモンだろ」

なるほど、悟の言った失礼なことというのは大体読めた。
私は自分の部屋の机の上に置いた小さなビニールの包みのことを思い浮かべる。同期が三人とも任務や用事で不在にしていた時間を持て余した手作りクッキー。どこの誰かもわかんないわけじゃないし、貰ってくれるかな。

「つかそもそも手作りってのがダリィんだよな」

悟の言葉にピシ、と固まった。
そうか、聞いたことはなかったけれど、悟はそんなに手作りが嫌いなのか。知らなかったな。

「悟、手作り嫌いなんだな」
「当たり前だろ。あんなもん何入ってるかわかんねーし」

傑が言って、その答えを聞いて、固まったままトンカチで殴られたみたいに粉々になった。
「昔受け取ったら明らかに変な呪力籠っててドン引きした」「それは辛いな」二人はそう話を続けていたけれど、私の耳には入ってこなかった。
あはは、と乾いた笑いでその場をなんとか誤魔化した。が、正直頭の中はそれどころではなかった。


ふたりと別れ寮室に戻った私は、ラッピングされたクッキーの袋を見つめる。硝子にはさっきあげてきた。残りはふたつ。傑と、悟へ。
あんな話を聞いてしまったし、悟へあげるのはやめておいたほうがいいだろう。自分で食べるのもなんだか虚しいから、傑にだけはあげてこよう。本当は、食べてほしかったな。
とはいえそう思っても仕方ないか、と、私はクッキーの袋をひとつ手に取って男子寮に向かった。

「すぐるー、今いい?」
「ナマエ?」

ノックをして声をかけると、スウェットに着替えた傑が部屋から顔を出した。
私が「クッキー食べない?」と言いながら差し出した袋を受け取り、しげしげと眺める。

「もしかして手作り?」
「うん。今日ひとりでヒマだったから」
「ありがとう、いただくよ」

傑には渡した。あとは悟用に用意したクッキーをどう消費するかだな。そんなことを考えていたら、目の前の傑が「あのさ」と切り出した。

「悟に渡せてないんだろう?」
「えっ…どうしてそれを…」
「さっき廊下で話してた時、驚いたような顔してたから」

お見通しのようだ。傑は周囲を見ているし、よく気が付くからあまり驚かないけど、今回も筒抜けのようだった。

「だってあんなに嫌そうな顔で手作り嫌いって言われちゃったら渡せなくない?」
「まぁ確かに渡しづらいだろうね」

傑がくすくすと笑った。
傑はその場でビニールを止めていた針金をくるくると解くと、クッキーをひとつ取り出してぱくりと食べる。目の前で食べられるの緊張するんだけど。

「こんなに美味しいのに、悟は損してるな」

どうやら傑は慰めてくれているらしい。私は素直に「ありがと」と言って男子寮を後にした。


私と悟は一か月と少し前からお付き合いをしている。私が告白して、悟が了承した。
悟のどこが好きかと言われると数えきれないくらいある。態度も悪くて口も悪い悟だけど、本当は結構寂しがり。気を許した相手には子供みたいな笑顔を見せる。それから眠くなるとすごく可愛くなる。
けれど、悟が私のどこを好きかというのは全然わからない。気まぐれでオッケーしてくれただけかもしれないし、暇つぶし程度なのかもしれない。そうは思いたくないけど。

「硝子、あっちのお店可愛くない?」
「ナマエこれ似合いそうじゃん」

翌日。私たちは四人連れ立ってセンター街を訪れていた。
もとは悟が新しく出来たスイーツのお店に行きたいと言い、傑が新譜を見たいと言って、硝子と私がそれにのっかった形だ。
私と悟は付き合っているけれど、四人で行動したり、男女別れていることのほうが多い。今日だって、私と硝子が並んで歩き、悟は傑と一緒に後ろをついてきている。

「硝子、これお揃いで買おうよ」
「いいね、ナマエ青にしな。私は…」

硝子はそう言って、同じヘアアクセの色違いを物色した。
硝子と話しているほうが気が楽。そういうことも、私と悟を二人ではなく、四人とか男女別で行動させる理由かもしれない。

しばらくセンター街で遊んで、硝子が喫煙所に、悟がコンビニに行くと言って、私と傑だけ待つことになった。ガードレールにもたれかかっていると、傑が私の服を見下ろして言う。

「ナマエ、その服可愛いね」
「ありがと。この前買ったんだよね」
「そういう系統の服着てるとこ初めて見たけど、似合うな」

「そ?」と短く返したけれど、内心結構照れていた。
このカットソーは硝子と一緒に買いに行ったもので、出来ればデートの時に着たいなぁなんて思っていたのだ。まぁ、機会がなくて四人で遊ぶのに着てきているわけだけども、似合うとストレートに言われると嬉しい。
傑と付き合う女の子は楽しいだろうな。

「どうせ悟のことだから気づいてないんだろ」
「…それわかってて言ってくるとか性格悪い」

せっかく心の中で褒めたのに台無しだ。
悟が傑の十分の一とかでもいいから気づいてくれればいいのに、と思ったことがないわけじゃない。悟が気づかないのはあまり周囲を気にしない生来の気質かもしれないし、そもそも私にそんなに興味がないからかもしれない。後者だったらかなりつらい。

「悟、なんで私と付き合ってくれてるんだろう」
「え?」

私はばっと口を塞いだ。いけない、勝手に声に出ちゃってた。
傑もこんなこと言われたって困るだけだろう。

「ごめん、いまのナシ!」
「むしろ私は、なんでナマエは悟と付き合ってるんだろうって思うけど」

なんでって。私が悟のことを好きになる理由はいくらだってあるのに。
傑は上半身をぐっと曲げて私の顔を覗き込んだ。

「ナマエは悟に好かれてるか不安なんだ?」
「うっ…そう…かも」

かも、なんて言ったけど、かもじゃなくてそうなのだ。
告白も私からだし、二人で過ごす時間も少ない。贅沢は言いたくないけれど、出来れば少しだけでも二人で過ごす時間があればいいなって思うし、一回くらい好きって言われたい。

「おい、お前ら二人で何話してんだよ」
「えっ、悟!?」

いつの間にか目の前に立っていた悟が不機嫌そうな顔をしている。近づいてくる気配に気づかなかったとか、私周り見えてなさすぎ。
傑が「別に?」と言って私に同意を求めてきて、さっきの内容を悟に知られるわけにはいかないと思い、私も「うん」と返事をする。
悟はつまらなそうに「ふーん」と言って、ちょうど喫煙所から戻ってきた硝子のもとに歩いて行ってしまった。


センター街から高専に帰って、硝子と一緒に寮のお風呂に入った。
寮生活は不便なことも多いけど、銭湯みたいにおっきい湯舟に浸かれるのがいいところだ。
硝子は先に寮室に戻ってしまったから、私はひとり髪をドライヤーで乾かして寮室のほうへ歩いていく。
寮室へ続く廊下を曲がると、私の寮室の前に長い人影があった。

「悟?」
「…遅ぇ」

待ち合わせをしていたわけでもないのに、悟は不満げに言って私を見下ろす。
「あー」とか「うー」とか、言いづらそうにいくつか言葉を漏らし、それから一回息をついて悟が口を開く。

「…なんでオマエ傑にだけクッキー渡してんだよ」

傑に自慢されたんだけど。と続けた。
昨日の手作りクッキーのことだろうことはわかったけど、それをいまこうして問い詰められている意味がわからない。ていうか傑、自慢ってなによ。

「硝子にも渡したけど…」
「違ぇよ、なんで俺にはねぇのって聞いてんの」

そんなこと言われたって。悟は手作りが嫌いなんだから辞めておいたんだけどな。
悟はイライラとしているのを隠すでもなく唇を尖らせる。

「だって…悟は手作り嫌いなんでしょ?」
「はぁ!?そんなこと言っ……たわ…」

うん、言った。結構強めに。
悟の言葉は勢いよく飛び出て、途端に尻すぼみになる。
悟は挙動不審に忙しなく組む腕の向きを替え、もごもごと口を動かした。やがて、どうにか見つけたセリフを絞り出すように声にした。

「あれはその…知らない奴からはって話で…ナマエのは違う」

そう言うと、悟は私の腕を引っ張って、そんなことひとつも予想していなかった私の身体は簡単に傾いて、すっぽりと腕の中に収められてしまう。
悟の匂いがこんなにも近い。

「ナマエは、俺の彼女だろ」

頭上からぽとんと落とされた。そのまま顔をあげると、青い瞳が潤んで私を見下ろしていた。
耳が赤くなっていて、悟は肌が白いからそれがよくわかる。

「悟、可愛いね」
「こんなイケメン捕まえてナマエ何言ってんだよ」
「顔はかっこいいけど…ふふ、やっぱ悟は可愛い」

悟は照れたように視線を逸らし、私を抱きしめる腕に力が込められた。ちょっとだけ苦しくて、でもそれが心地いい。
悟は言葉をくれないけれど、こんな態度を取られてわかってあげられないほど鈍感じゃない。

「…クッキー、まだ残ってねぇの?」

悟の分のクッキーは、自分で食べるのも虚しいとまだ机の上に残っている。
抱きしめられた体勢のまんま、私は額を悟の胸にぐりぐりと押し付ける。悟の手が私の頭を撫でた。

「呪い、入ってるかもよ?」
「ナマエのなら別にいいし」

悟の腕から解放された私は、寮室のドアを開けて悟を招き入れる。
机の上にはラッピングされたクッキー。呪いはこもっていないけれど、愛ならたくさん入ってる。
あれ、でも愛も呪いもそんなに変わんないのかも。
それなら私は悟を呪ってしまうことになるわけだが、ここはひとつ、甘んじて呪われてほしい。

「悟、すきだよ」

悟はふいっと視線を逸らし、小さな声で「俺も」と言った。
ついに真っ赤になった悟は、言葉で伝えるよりもくっきりと、私への愛を語っていた。


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