せんせい、おねがい


私の好きなひとは、私の先生。
出会った場所は高専。初めて告白した場所も高専。フラれた場所も高専だ。
去年は担任の先生をしてくれたけど、今年は二年生の担任になるから私は受け持ちの生徒ではなくなってしまう。

「ねぇ先生、新しい教え子、かわいい?」
「かわいかねぇよ、問題児ばっかだぞ」
「私とどっちが可愛い?」
「どっちも可愛くねえな」

ひどーい。私はそう言って、先生の作業している隣のデスクにだらんと上半身を預ける。
報告書か何かよくわかんない資料を広げて、先生は眉間に皺を寄せた。

「二年の子、みんな優秀じゃん」

今年二年に上がったのは四人。流石にふたつ下だからそこそこの交流がある。みんな可愛くて素直でいい子だ。
真希ちゃんはサバサバして接しやすいし、パンダくんは可愛くて優しい。狗巻くんと買い食いするのは楽しいし、乙骨くんは特級らしくかなり斜め上だけど人が良くておおらか。
でも、大好きな日下部先生を独占されてると思うと、ちょっとだけ嫉妬する。

「俺は面倒ごとは嫌いなんだよ」

先生は私の方へは視線をくれずに、面倒くさそうな顔でそう言った。
そんな顔でちょっぴり安心するなんて、自分の浅ましさが嫌になっちゃう。


私が日下部先生を好きになったきっかけは、恋に落ちるきっかけというにはいささかエピソードが弱い。私もなんで日下部先生のことを好きになったのか、未だに上手に説明をすることが出来ない。

「先生、また煙草?」

まだ先生が私の担任だったときの話だ。高専の敷地内をぷらぷらしていたら、向かいから歩いてくる日下部先生に遭遇した。
先生は口に咥えた煙草からふうっと煙をくゆらせていて、喫煙者と知っているから特別変わった光景ではなかった。

「身体に悪いよ?」
「いーんだよ、煙草くれぇ吸わねぇとやってらんないの」

ふう。日下部先生が煙を細く吐き出す。白いそれはまっすぐに伸び、ほんの数秒で姿を消してしまった。
大人の事情というのはよくわからない。そりゃあ呪術師はストレスばかりだけれど、あんなに煙たいものを吸ってそれが軽減されるのだろうか。

「口寂しいならこれあげる」

私はそう言って、ポッケをがさごそとまさぐって棒付きキャンディーを取り出した。
今日はグレープとオレンジが入っていたから、グレープを先生に差し出す。

「飴ぇ?」
「うん。昔お父さんが禁煙したとき口寂しいからって飴とかガムとか食べてたんだよね」

日下部先生は受け取った棒付きキャンディーを表に裏にひっくり返してしげしげと眺めた。
そのまま日下部先生は煙草を携帯灰皿でもみ消すと、棒付きキャンディーのフィルムをぺりぺりと剥がし、ぱくりと口に含む。

「甘ぇな」

そう言って、ふっと口元を緩めた。
私は胸がきゅんと鳴った。あれ、と思った時にはもう遅くて、私は日下部先生のその表情に、すっかり虜になってしまったのだった。


それからの私の行動は速かった。
担任だったからよく顔を合わせてはいたけれど、今まで以上に日下部先生に話しかけるようにしたし、会うたびに棒付きキャンディーを渡して「先生の健康に気を遣ってるんだよ」なんて尤もらしいことを言った。

「先生、好きです」

自覚してから告白まではもののニケ月程度だった。だって毎日好きだと思うんだから勘違いなはずないし、日に日に大きくなっていく気持ちを押さえ続けるもの難しかったからだ。
私のシンプルかつストレートな告白に日下部先生はぽかんとした顔をするばかりだった。

「私、日下部先生が好きなんです。男のひととして」
「あー、ミョウジ」
「私、なんでもするから、先生、私と付き合って」

断られる、とすぐに察して、私は先手を打った。すると日下部先生は困った顔でぽりぽり頬を掻いた。

「ミョウジ、簡単に何でもすると言うな。しかも男に」
「誰にでも言うわけじゃないよ。先生だから言ってるんだもん」

私が食い下がると、日下部先生はハァと溜息をついた。
こんなふうに詰め寄るなんて、子供っぽかっただろうか。

「あのな、そういうのはもっと年の近いやつとやれ。こんなオッサンに構ってるヒマあったら合コン行け。ミョウジのそれは年上に憧れてるとかそういうやつだ」
「…生徒はやっぱり恋愛対象にならない?」

私はこんなに好きなのに、振るどころか相手にもしてもらえないのが悲しかった。
子供とか大人とか生徒とか先生とか、そんなの関係ないよ。私が好きになったひとが、たまたま大人で先生だったってだけなのに。
そりゃ、告白して成功するなんて思っていたわけじゃないけれど、実際にあしらわれてみると想像以上に胸が痛くなった。

「私の気持ちまで否定しないでよ」

生徒は恋愛対象にならない。沈黙はきっと肯定なのだと、子供で生徒な私にもわかった。
ぐっと拳を握る。たとえ日下部先生に振られたとしても、この気持ちは私だけのものだ。気持ちまで初めから何にもなかったみたいな、そんなふうに言わないで。

「…先生が私の運命の人じゃないかもとか、そんなんわかってるよ。私は子供だし、もっとこれからたくさんの男のひとと出会うだろうし」

私は、高だか十数年生きているだけだ。今までの経験で人生のすべてを測れるほど、私はなにも経験していない。そんなことは、大人に言われなくてもわかっている。

「わかってんだったらお前…」
「だけどさ」

私は日下部先生の言葉を遮って、語気を強めて吐き出した。

「だけどさ、今の私は先生がいいんだもん」

私はこれからたくさんのひとと出会う。日下部先生よりかっこいいひともいるだろうし、日下部先生より優しいひともいるだろう。
でもそんなの、日下部先生より好きなひとになるかなんて今はわからないじゃないか。

「…すき」

頭の中で考えている言葉はすべて強気だったのに、くちに出した声は随分と弱々しかった。
目頭が熱くなって、涙がにじむ。泣いたって仕方ないのに。
ハァ、と日下部先生が溜息をつく。呆れられてしまった。私はぐっと唇を噛んだ。

「…卒業する時まだ同じこと言えんなら、考えてやらんこともない」
「えっ…せ、先生、ほんとに?」

弾かれたように顔を上げると、日下部先生はじっと私を見下ろして、それからぽんっと大きな手のひらを私の頭に乗せた。

「わ、私がんばる!先生に好きになってもらえるようにがんばるね!」
「ちゃうわ。他の男好きになる努力しろ」
「やだ!だって先生がいいもん!」

日下部先生は呆れた声で「好きにしろ」と言って、私は「好きにする」と返事をした。
かくして猶予を得た私は毎日のように日下部先生へのアピールを続け、最初は煙たがられたものの、いまではすっかり理由もなく隣にいることを許されるようになったのだった。


だらん、とデスクに預けていた上半身を起こし、頬杖をつく。日下部先生は未だ書類と格闘中。相変わらず先生ってば字が汚い。男のひとって感じ。
座学なんてあって無いような高専の授業だけども、ときおり板書をすることもある。チョークで書くもんだから先生の字は余計に難解になった。
ああ、先生の板書ももう見れなくなっちゃうのかぁ。

「ねぇせんせ、私のこと可愛いって言ってよ」
「俺を淫行教師にするつもりか、お前は」
「可愛いって言うだけでインコーになるの?」
「知らん」
「えー、自分で言ったくせにー」

果たしてどこまでがセーフでどこからがアウトなのか、私はよくわかっていないが、世間サマは昨今いろいろうるさいから大変だ。あとこういうのは何かあったら大人が責任を取らなければならないらしいので、先生の迷惑になったら嫌だから難しい。
真剣交際ならいいんだっけ。あれ、でもキス以上はしちゃいけないんだった?
大人と子供、先生と生徒、成人と未成年。私の前に立ちはだかる大きな壁は、いくつもあるようで本質的にはひとつしかない。

「いいじゃない、だって高専の教師なんて教員免許持ってるわけでもないんだし」

ほんの数年で飛び越えることの出来る、でも今はまだ高い壁。
じっと日下部先生を見つめていたら、ようやく報告書のきりがついたのか、ボールペンを置いて「ふぅ」と息をついた。

「そもそも教師がいいなら五条とかにしとけよ。アイツのがよっぽどそれっぽいだろうが」
「私は教師が良いわけじゃないの、日下部先生がいいの」

それっぽい、の基準は知らないが、まぁ五条先生なら恋する女子生徒のひとりやふたりいてもおかしくはないだろう。強いし美形だし。性格ヤバいけど。
でもそういうんじゃない。私が好きなのは日下部先生なんだから。

「ミョウジ、意外としぶといな」
「なにそれ、褒めてる?」
「あーあー褒めてる褒めてる」

うそばっかり。適当に返事をする日下部先生に、ふふふと笑いをこぼした。
先生はそれから一服とばかりにポッケから棒付きキャンディーを取り出した。ちなみにこれは私があげたものではなく、先生が自発的に調達したものである。

「先生、煙草辞めたよね」
「口うるさいのがいるんでな」
「私のこと?」
「ミョウジ以外にいねぇよ」

ぱくり。日下部先生は口角をちょっとだけあげてキャンディーを放り込んだ。
先生からくゆる煙はかっこよくて好きだったけど、健康に良くないなら辞めてほしい。だってただでさえ結構年の差あるんだから、長生きしてもらわないと。

「キャンディー舐めてる先生、可愛くて好き」

私がそう言うと、日下部先生はジトっとこちらを見てまた溜息をついた。
先生、面倒だからってそんなに溜息ばっかついてたら幸せが逃げてっちゃうよ。

「…あんまりナメたこと言ってっと痛い目みるぞ」

日下部先生は私の肩をぐっと抱き寄せるみたいにして、あっという間に私たちの距離は数センチまで迫る。私は黙って目を閉じた。沈黙は肯定だ。
ほんの数年で飛び越えることの出来る、でも今はまだ高い壁。どうやらその壁の上から、日下部先生は私を引っ張り上げてくれるらしい。

「先生、我慢できないなんて子供だね」

キャンディーの味はオレンジ。私の唇は、瞬く間に甘い香りに包まれた。
いちにのさんで、はい、ジャンプ。


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