気づいてないのはお互いさま


弟のような存在、というのは非常に厄介である。
なんせ向こうは、いつまで経っても守らなければならない存在だと思っている。
そしてそれ以上に厄介なのは、弟のようだと思われたところで、こちらからすれば恋愛対象になるということだ。

「恵くん、領域展開したんだって?」

高専で顔を合わせるなり藪から棒にそんなことを言い出したナマエさんは、五条さんから聞いた。と付け足した。
八十八橋でのことだろう。尤も、領域展開と言ったって未完成極まりないものだったけれど。
きらきら目を輝かせるナマエさんを見ていたら気恥ずかしくて「まぁ、はい」と思ったよりそっけない返事になってしまう。

「すごいなぁ、やっぱりセンスがあるんだよね、私なんて領域展開のイメージさえ出来ないのに」

ナマエさんは俺の心配を余所に目をきらきら輝かせたままだ。

「未完成もいいとこでしたし、領域展開できるからってそれだけじゃ思ったとおりになんていかないですよ」


ナマエさんは、五条先生の次に長い付き合いになる術師だ。
俺が小学校三年生のとき、五条先生が連れてきた。なんでも取り潰された家の生き残りらしく、五条先生お得意の無理を通して面倒をみることになったらしい。

『津美紀ちゃんと恵くんだよね、私ミョウジナマエです、これからよろしく』

そう言って握手を求めてきたナマエさんが、当時は大人のように見えた。
思い返せば、22歳の男が似ても似つかない14歳の少女を連れ歩いている絵面はなかなか犯罪じみていた。まだ中学生だったナマエさんは津美紀と俺のもとによく通い、よく世話を焼いてくれた。
津美紀はすぐにナマエさんに懐いて、二人で出かけたりすることも多くなった。

『なに、恵、お姉ちゃん取られて寂しいの?』
『べつに…』

五条先生にそう言ってからかわれても、津美紀を取られたと思ったのか、津美紀に取れらたと思ったのか、当時の俺にはわからなかった。


高専を卒業し準一級術師として任務につくナマエさんは優秀な術師だ。それに変人の巣窟である呪術界において珍しいくらい真っ直ぐで、マトモで、善人だ。
ただでさえここは男社会で、こんなひとがいつまでも放って置かれるわけがない。
補助監督に声をかけられているのをこの間見かけたし、なんならそこそこの呪術師の家から縁談の話を持ちかけられたとも五条先生から聞いた。
俺はそれに口を出せる立場にいない。

「そりゃ領域展開できたら必ず勝てるってわけじゃないけどさ、呪術戦の頂点だよ?強くなれば、それだけ自分の大事な人を守れるってことだもん、私は良いと思う」

真っ直ぐに意見を向けてくるところが、昔は嫌いだった。
綺麗で、真面目で、津美紀と同じ疑いようのない善人。
そしてこのひとは、未だに俺のことを守らなければならない存在だと思っているところがある。

「私、恵くんのことも守りたいしね」

ほら、やっぱり。
今の俺はナマエさんにとって庇護すべき弟のような位置を脱することができていない。

「あんたは俺が守るんで」
「えっ?何か言った?」

いえ別に。そう言って顔を逸らす。
ちゃんと伝えるのは、もっと強くなってからだ。俺の手でしっかり、あんたを守れるくらいに。

「そういえば今日五条さんち来る?たまには誰かの手料理が食べたいってゴネはじめてさぁ。私今日作りに行かなくちゃいけないんだよね」

行きます。食い気味にそう答えると、多分何にも解ってないナマエさんは「恵くんとご飯食べるの久しぶりだねぇ」と笑った。


授業を終えた夕方、俺とナマエさんはスーパーで適当に買い物をして、五条先生が都内にいくつか借りているマンションのひとつに向かった。
「五条さんちウケるくらいお菓子しかないんだよ」と言ってナマエさんがケラケラ笑ったけど、俺は全然笑えない。そんだけ五条先生の家に行ってるってことだろ。
このひとと五条先生がそういう仲じゃないことは知っている。それに五条先生にそんな気がないことも。だけどナマエさんにその気があるかどうかは、聞いたことがないし見ていてもわからない。

「この前行ったときはお味噌すらなくて笑っちゃった。自炊するはずなんだけどねぇ、出張が続くと途端にこんなふうになるよ」

楽しげにそんな話をされて、しかも預かっているという合鍵でマンションの鍵を開けられて、このひとが五条先生をどう思ってるかなんて、もっとわからなくなる。
モヤモヤする気持ちを払い、家主不在の家にお邪魔します、と断って上がる。ナマエさんも一緒にお邪魔しますと言った。ここで「いらっしゃい」なんて言われてたら、もっと気分が落ち込んでいたと思う。

「恵くん、手ぇ洗って、そのあとはお味噌汁のなす切ってほしいな」

勝手知ったる様子でキッチンに購入した食材を広げていくのは、やっぱり気に入らない。とはいえここでごねたって何にもならないことは明白なので、素直に返事をして作業に取り掛かった。
ナマエさんはレシピも見ずに要領よく調理を進めていく。

「ナマエさん、料理上手ですよね」
「上手ってほどじゃないけど、ひとり暮らしだからね」

そう言って謙遜するけれど、彼女が料理上手だということはとっくの昔に知っている。
まだ五条先生に引き取られて、うちへ面倒を見に足を運ぶようになって、当時中学生だったナマエさんはよく食事を作ってくれていた。
そういえば、五条先生はあの頃からナマエさんの料理を食べていたのか。
気がついてまたモヤモヤして、これ以上会話が広がることはなかった。


夜七時半、五条さんは珍しいくらい早く帰宅した。あの怪しい目隠しではなく、サングラス姿で。
五条先生がオフのときにどんな頻度であの目隠しをつけているかは未だよくわかっていないが、マンションではしないほうがいいと思う。流石に近所の目が心配になる。

「えっ、恵とナマエが一緒に作ってくれたの?」

僕嬉しくて泣いちゃいそう。と、五条先生は調子のいいことを言った。
食卓には白米と生姜焼きと浅漬けと、それから小松菜と豆苗の生姜おひたしが並んでいる。キッチンの鍋ではなすの味噌汁が温まっていた。

「はいはい、五条さん座って待ってて下さいね、いまお味噌汁よそってきますから」

ナマエさんは五条先生をさらっとかわし、恵くんも座ってて、と促された。
五条先生の向かいに座ってナマエさんの後姿を眺める。昔は俺より大きくて、まるで大人みたいだと思っていた。
けれど今は、俺より小柄な女の人だ。

「めーぐみ」
「…なんですか」
「生姜に合う料理ばっかりだね、献立考えたのナマエでしょ」
「そうですけど」
「ははっ、安心してよ、取らないってば」

見透かしたように笑うのが腹立たしくて、テーブルの下で脛を蹴る。もちろん術式で阻まれて俺のつま先が到達することはない。
ナマエだって僕のことなんとも思ってないってば。そう言ってへらりと笑う。
それが嘘でも本当でも、俺の最大の敵はずっと五条先生なんだろう。

「はい、お待ちどうさま」

三人分の味噌汁が食卓に到着する。
家族みたいに同じ食卓を囲む時間は、案外嫌いじゃない。

「いただきます」
「召し上がれ」

にこにこ笑うナマエさんを見るたび、やっぱりこのひとが好きだなぁと何度だって思ってしまうのだ。


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