稼ぐに追い抜く貧乏神


私は随分と貧乏神というものに好かれているらしい。

「今月はあと千円。お給料日まで残り七日」

全財産の入った財布をじっと見つめるが、そんなことをしていてもお金が湧き出てくるわけではない。
呪術師というものが危ないくせにこんなにも儲からない仕事だと分かっていれば、高専には入学せず中卒で働いていた。

「うぅぅん…返済はあとよんひゃくまん…」

私の父はいわゆるパチンカスという奴だった。
競馬とパチンコが大好きで、主な収入は日雇い労働の現場仕事。生活費は主に母が風俗で稼いできたお金。機嫌が悪けりゃ大声で怒鳴ることはあったけど、暴力らしい暴力は振るわれたことがないので、そこだけが救いだ。
私が中学二年のころ、ついに母が愛想を尽かし、男を作って出て行った。私は父と小汚いアパートに残され、その半年後父が蒸発した。
借金七百万を置き土産に。

「今日の晩御飯はもやし炒め一食十円」

私は三級術師である。
在学中結構頑張ったと思うのだけれど、残念ながらこれ以上昇級することは難しいらしい。これだけ弱くて何故補助監督ではなく術師を続けているのかというと、理由はただ一つ。
術師のほうが給料がいいからだ。


十日ぶりのオフ。起きるとおなかが空いてしまうので、休みの日はなるべく寝ているに限る。と、私は日が高くなるまでぐうぐう惰眠を貪っていた。
貪るという言葉には貧乏の貧の字みたいなのがつくからあまり好きじゃない。

「ナマエ、生きてるー?」
「ぐえっ、五条さん…?」

私ちゃんと鍵かけて寝たよなぁ。まぁそんなのこの人には関係ないか。
五条さんははんぺんみたいな布団に寝ている私の枕元にがっと足を開いて立ち、腰から体を折り曲げて私を覗き込んでいる。

「寝汚いね」
「人の家に不法侵入しといて言うセリフがそれですか…」
「ん?なんて?」
「いえ、何でもないです」

私ははんぺんから体を起こしぐぐぐっと伸びをした。
はて、五条さんが私の家に来る用事などあっただろうか。平素ひとの家を「うさぎ小屋じゃん」と指さして笑う彼が一体このせまっ苦しい小屋に何の用事だろう。

「あの、なんかありました?私今日10日ぶりのオフなんですが…」
「知ってる。僕もオフなんだよね」
「はぁ…」

緊急の任務でも発生したのか。それにしたって私にお呼びがかかるなんてことは早々ないだろう。
そういえば五条さんは任務の時に着ている真っ黒な服じゃない。え、本当になんで?

「給料日前でどうせ貧乏してるんでしょ?僕がメシ連れてってあげるよ」
「えっ!本当ですか!?」

やったぞ、これは相当ラッキーをした。一食分食費が浮く。しかも五条さんはいつも高くて美味しいお店に連れて行ってくれる。私の頭の中で単勝、一等ご当選、確変大当たりの文字が次々浮かぶ。
私なんかとご飯に行って何が楽しいのかは知らない。多分、マナーもわからずあたふたしている私を眺めるのが面白いとかそういう理由だろう。もう別にこの際五条さんにどう面白がられようがどうでもいい。

「肉?寿司?」
「お肉がいいです!」

嬉々として答える私を五条さんが笑い、マシな格好して来なよ、と紙袋を押し付けられた。英語じゃない外国語のブランドのワンピースだった。


もうすぐ中学三年生になろうかという冬の日。
父が借金をしていたヤクザのおじさんたちに連行された事務所で、突然出現した大きな手のようなものに捻りつぶされ、おじさんたちが次々と死んだ。血まみれで呆然とする私のもとに現れたのが、当時まだ高専の一年生だった五条さんだった。

「あれ、ひとり生きてんじゃん」

すぐるー、と後方に声をかけ、ワンテンポ遅れて夏油さんが姿を現した。
夏油さんは五条さんが呪霊の対処をしているのを確認すると、私のほうへ歩み寄り「怪我はないかい」と尋ねた。私は声が出せずにこくんと頷き、自分の無事を伝える。
見る間に呪霊の大きな手は五条さんよって祓われ、長身をぐるんと回転させて私を見下ろした。

「オマエ、見えてんだろ」
「え…えと…?」
「悟、そんな聞き方じゃ怖がらせてしまうだけだよ」

夏油さんに嗜められ、五条さんはオエーと舌を突き出して顔を歪める。

「み、見えてるってあのおっきい手のことですか…?」

私には、呪いが見える才があった。
昔からひとと違うものが見えることと家庭環境のいびつさに各所で遠巻きにされていたのだが、これは随分珍しいことらしかった。
この何の役にも立たないと思っていたものに、私は初めて感謝をした。これはどうやら希少な能力で、高等専門学校でその術を学べば呪術師という技術職に就けるという。しかも学生をしながらでも任務を受ければ稼げるらしい。
渡りに船とはこのことだ。私は信仰してもいない神様に感謝した。


任務終わり、高専の敷地内をてくてくと行く。卒業して一年が経つけれど、やっぱり昇級は難しいのか、気配すらさっぱりない。

「二級…せめて準二級…」

昨日五条さんに連れて行ってもらった鉄板焼き屋さんは目玉が飛び出るほど美味しかった。鉄板焼きと言われてお好み焼き屋さんかなと思ったらお肉を目の前で調理してくれるお店だった。
ウェイターさんが丁寧にお肉の部位を説明してくれたが、説明を聞いたところで貧弱な私のボキャブラリーからは「すごく美味しいです」以上の感想はひねり出せなかった。
ちなみに、貧弱という言葉にも貧乏の貧の字がつくからあまり好きじゃない。

「あ!伊地知くん!」
「ミョウジさんお疲れ様です」

行く先に同期の伊地知くんがいて、私はたたたと駆け寄る。
伊地知くんは学生時代の戦友である。まぁ彼は早めに術師から補助監督志望に転向したので、実際任務で一緒に戦うことは数えるほどしかなかったが、それでも同期がいるのといないのとでは全く違う。
伊地知くんはその性格からか戦闘はからきし駄目だったけれど、頭がいいから補助監督としてはめちゃくちゃ有能である。自慢の同期。

「そういえば、昇級の話ですけどまた断るんですか?」
「え?なにそれ」

寝耳に水。私はびっくりして伊地知くんをじっと見上げた。伊地知くんも私と同じように「何が?」という顔をしていて、お互いの間に変な空気が流れる。
通常、等級が上がるとなれば術師本人に通達があり、二級までは了承すれば昇級、それ以上は一級術師の査定のもと昇級の判断がされるものだ。だから、私の昇級の話を私が知らないわけがない。ていうか断るわけがない。

「私なんにも聞いてないんだけど…」
「そうなんですか?おかしいですね、前回の時も五条さん伝手にお断りの返事をもらったんですが」
「五条さん?」

なんで?え、うそ、五条さんが勝手に断ったってこと?どうして?
まさか嫌がらせのために?いやいやいや、そんなことして五条さんに何の得が…。
「ナマエが悔しそうにしてるの楽しいんだもん」…ああ、言いかねないな。これは想像上の五条さんだが、限りなく実在する五条さんだ。
私はハァと大きく溜息をついた。

「あの…大丈夫ですか?」
「…なんとかね」

大抵のことであれば、何をされてもだいたい文句は言わない。が、それとこれとは話が違う。だって昇級したら貰える給料ががっつり変わるのだ。残り四百万のために私はどんどん稼がなければならない身である。ちなみに四百万は現時点での残りの元金にあたるの返済金額なので、利子分を含めるとそれどころでは済まない。
さっさと返済して人並みの生活を送りたい。
私は五条さんの居場所を伊地知くんから聞き出し、討ち死に覚悟でその場所まで向かったのだった。

「五条さーん、ここにいるって聞いたんですけど…」

ドアの開け放たれた五条さんお気に入りルームをひょこっと覗くと、高そうな椅子の上に長い足を持て余した五条さんがクッキーを食べているところだった。
ちなみにこの五条さんお気に入りルームというのは私が勝手に命名しているもので、正式名称は知らない。ていうか多分ない。

「ナマエじゃん。どったの」
「さっき伊地…小耳に挟んだんですが」
「伊地知ね」

あ、ごめん伊地知くん。誤魔化しきれなかった。
きっとこのあと伊地知くんが五条さんにいじめられることは容易に想像がついたが、今更辞めたところで結果は変わらないだろう。伊地知くんの尊い犠牲のもとに私は質問を続けることにした。

「私の昇級の話、五条さんが勝手に断ってるって本当ですか」
「え、そうだけど」

まじか。え、全然悪びれる様子もないじゃん。嘘でしょ。
「なんでそんなこと…」とぼやいたら「逆になんでわかんないの」と返ってきた。いやいや、ため息つきたいのはこっちですけど。

「術師ってさぁ、等級によって任務内容変わるじゃん?」
「あ、はい、まぁ…」
「一級の危険度は言わずもがなだけど、まぁ二級と三級もそれなりに差はあるわけ」

いや、それなりじゃなくてしっかりだと思いますけど。と、特級のこの人に言ったところで詮無いことかと口を噤む。

「ナマエが二級になっちゃうと困るんだよね、僕」
「困る?どうして五条さんが困るんです?」

そりゃあ別に一級になれるなんて思っちゃいないが、然るべき等級に然るべき実力の術師が就くことに何の問題があるんだろう。
そもそも五条さんが困るってどういう状況?
私が頭の上にはてなマークを飛ばしていると、五条さんがハァと特大の溜息をつき、手にしていたクッキーを私の口にガッと突っ込む。

「だって、好きな子には危ないことしてほしくないでしょ?」

ふむふむ、好きな子ねぇ。…は?え?好きな子!?
発言の意味をワンテンポ遅れて理解した私は「好きな子ってなんですか」と尋ねようとしたが、口いっぱいに広がるクッキーに阻まれてそれは叶わない。
ならばともぐもぐ咀嚼するスピードを上げてクッキーを飲み込むと、すかさず次の一枚が口の中へ放り込まれる。このクッキー美味しい。

「あと四百万だっけ」

五条さんが主語もなくそう言った。主語はないが、死ぬほど意識している金額なので何の話かはすぐにわかる。なんで五条さんが把握してるのかはわからないけど。
私がクッキーを咀嚼しながら首をこくこく振って肯定すると、今度は自分のおっきい口に一枚クッキーを放り込んだ。

「二級になりたい理由が借金返済なら、僕が衣食住面倒みてあげるから諦めてよ」

五条さんはそう言って、私の口の端についたクッキーのくずを親指で取り去ると、そのままぺろりと舐めた。
順序だてて考えれば言われている意味は無論理解できる。五条さんは私を危険な目に合わせたくなくて昇級の話を揉み消し、借金の返済のために日々の固定費の援助をしてくれるらしい。私のことを好きだという理由で。

「えっ、これ何か私試されてます?頷いたらドッキリカメラありました的な…」
「僕をなんだと思ってるの?」

五条さんがまた特大の溜息を落とした。だって信じられない。あの五条さんが私を好きだなんてさ。そんな瞬間いままであったっけ。

「まぁいいや。ちょっと考えてみて。僕の部屋空きあるし、付き合う付き合わないは別にすぐに返事しろとは言わないからさ」

たまには僕の我儘きいてよ。と五条さんが言った。
五条さんの我儘は全然たまにじゃないと思う。
すぐに返事をしなくていい、ということはいずれ返事をしろと言うことだ。でも珍しく、あの五条さんが「ちょっと考えてみてよ」と猶予を与えてくれるらしい。普段なら、例の昇級の件しかり、こっちの事情もお構いなしに事を進めてしまう癖に、随分お優しいことだ。

「五条さんが優しいなんて珍しいですね」

馬鹿な私は思ったことがそのまま口に出ていた。
目の前の五条さんの口が一瞬真一文字になって、そのあと右だけぐぐぐと吊り上がる。
ひとがせっかく優しくしてやったのに、と呟き、五条さんは目隠しを片側だけぐっと上げると、お綺麗な目で私を見下ろす。

「…ナマエ、力ずくでもあのうさぎ小屋解約させてやるからな」

それからついでとばかりに目隠しを外して、また私の口に美味しいクッキーを突っ込んだ。
やっぱり結局私に選ぶ権利なんてないじゃないか。
堅実に稼げばいいものを、このひとに振り回されるのも悪くないと思っちゃうんだから、私にもギャンブラーの血が流れているのかもしれないなぁ。
このあとのすったもんだの末、お世話になることになった五条さんの自宅が、お風呂だけで私の住んでた部屋と同じくらいの広さがあると知るのは、もう少し先の話である。


戻る






- ナノ -