祓ったれ週刊誌




※祓本パロです。



恋人の傑の職業がお笑い芸人であることを、私は結構長い間信じていなかった。
だってテレビでも雑誌でも見たことがないし、別に私生活で面白いことを言ってくれるわけでもない。しかも顔も芸人というよりはどこぞのモデルとかの方がよっぽど似合いそうな雰囲気があるし、あと結構ガラが悪い。
これらの総合評価から、私は傑のことをヤのつく自由業の人間だと思っていた。マジで。

「ただいま」
「あ、傑おかえり。今日はひとり?」
「私ひとりじゃ不満かい?」
「いや、不満も何も突然悟くん連れてきてご飯一緒に食べたりするからその確認」

傑はお笑い芸人である。
祓ったれ本舗というコンビを組み、主にツッコミを担当している。悟くん、というのはその相方だ。本名は五条悟というらしいけれど、傑が「悟」と呼ぶので苗字より先に下の名前を覚えた。

「夕飯出来てるよ」
「ありがとう、じゃあ先にいただこうかな」

傑の今日の仕事は、確かネタ番組の収録とエンタメ雑誌の取材と単独ライブの打ち合わせだったはずだ。別にそんなに細かいことまで報告しなくてもいいのに、時間も不規則で不安にさせてしまうかもしれないから、と傑は率先して仕事のスケジュールを私に教えてくれる。
私は回鍋肉と搾菜と味噌汁、それに白ごはんを用意してお茶の間に戻る。手を洗った傑も合流して、夕飯を前に腰掛けた。

「いただきます」
「召し上がれ」

私は夕飯を食べる傑の向かいで、手持ち無沙汰にチャンネルを回した。パッと適当に変えた番組に丁度別事務所の芸人の禪院兄弟が出ていて、慌ててBSに変える。
何があったかは知らないが、傑は禪院兄弟が嫌いらしい。

「そうだ、ナマエ。食事のあと話があるんだけど」
「うん?どうしたの、改まって」
「変な話じゃないから安心して」

変な話じゃないって…気になるじゃん。
傑はそれ以上は話すつもりはないようで、回鍋肉を大きな口で頬張った。私は視線をテレビに戻す。

「あ、七三酒場やってる」

七三酒場とは、新進気鋭の落語家七海建人が赤ちょうちんから高級バーまでありとあらゆる酒場で酒を飲み尽くす街ブラ番組である。
そういえば、傑は七海さんとおんなじ事務所だっけか。

「ナマエ、七海が好きなの?」
「そうじゃなくて、ほら、このお店。昔私が働いてたとこだよ」

私の言葉を聞いて、傑も視線をテレビに向けた。私と傑は、この小汚い安酒場で出会ったのだ。


居酒屋のアルバイトは、私の副業だった。同棲していた彼氏がギャンブル狂いの元ホストで、私は昼間はOLとして、夜は居酒屋でせっせとお金を稼いでは彼氏の馬と艇に溶かしていた。
付き合いはじめは優しかったけれど、機嫌が悪い日には暴力を振るう男で、でもそのあと決まってお前しかいないんだなんて泣かれたら私はどうしても見捨てることができなかった。
そんなぐずぐずの関係に唐突な終わりが訪れたのが、その日の夕方のことだった。
居酒屋のアルバイトの前に、制服であるエプロンを取りに珍しく家に戻ったのだ。するとアラまぁ不思議。女物のハイヒールがころんと玄関に転がっていた。
あぁ、浮気だなぁ。私は他人事のようにハイヒールを爪先でつつき、とはいえエプロンは取りに行かねばならないとずんずん廊下を行く。
ガチャ、と寝室に続くドアを開けると、彼氏と見たことのない女が今まさにセックスをしている最中だった。

「ナマエ…!?」
「あ、お構いなく。エプロン取りにきただけなので」

私の登場に、女はギョッとしていた。まぁ知ったことではないけれども。

「こ、これは…!!」
「いいのいいの。終わったら出て行って。二度と戻ってこないで」

私はそう言って、積んでいた洗濯物の中からエプロンを抜き取る。
いつかこうなる気はしていた。だからなんとも思わなくて、彼は私とセックスをずっとしていなかったけれど、この女がいて事足りていたからなんだなぁと思えば納得さえした。
後ろで何事か私に罵声を浴びせている彼を今日は強気に無視をすることができて、ガチャンと玄関の扉を閉めた。

「らっしゃーせぇー」

私は自分が想像していたよりもよっぽど図太いらしい。
居酒屋のアルバイトは今日も順調だった。気がかりなのは、帰宅するころあの男がまだ部屋に居座っている可能性だ。なんとかあの浮気女といい感じに出て行ってくれるとありがたい。

「一名様ですか?」
「あ、ハイ」

暖簾をくぐったお客さんを空いている席に案内する。随分背の高いお客さん。しかもロン毛で目立つ。うっわ、おっきいピアス。

「ご注文お決まりですか?」
「じゃあ…ホッピーと串盛りで」

お客さんの注文を伝票に走り書き、料理場に戻って大将に伝える。あいよー、と大きな声が返ってきて、私はホッピー作りに取り掛かった。
かちゃかちゃと準備をしてお客さんのところへお通しとホッピーを運ぶ。「ありがとう」と律儀にお礼を言ってお客さんはホッピーに口をつけた。
あんまりうちの店っぽくないお客さんだな、と思った。独特の雰囲気があるというか、なんか一般人っぽくない。

「おーい、ナマエちゃんこっち注文ー!」
「あっ、ハーイ!うかがいまーす!」

意外だったのは、これ関係がすっぱり終わった事だった。
その日のバイトを終えて帰宅すると、彼の金目のものがなくなり、代わりにテーブルの上に渡していた合鍵が置かれていた。鍵の交換は覚悟していたから、合鍵を返す倫理観が残っていたとは思わなくてびっくりした。
不思議と悲しいとも悔しいとも思わなかった。やっと終わったと思った。


「一名様ですか?」
「はい」

そのお客さんは、意外なほど高い頻度で店を訪れた。
お客さんの覚えは元々いいほうだけれど、これだけ特徴的な人だと余計に覚えてしまう。別に接客していて怖い思いをしたことはないが、醸し出す雰囲気がやっぱり一般人っぽくなくて一番マトモでピアススタジオ勤務、一番ヤバければヤクザかもしれないと勝手に思っていた。
お客さんはいつもホッピーと串盛りを注文し、二杯目からは焼酎のお湯割りを飲んでいた。
今日は普段より飲むペースが早く、自棄酒みたいな雰囲気だ。案の定、数時間後にはべろべろに酔っぱらっていた。

「お客さーん、大丈夫ですかー?」
「ん、ああ、だいじょう…ぶ…焼酎お湯割りで」
「お水にしといたほうがいいんじゃ…」
「へーきへーき」
「でも…」

ごとん。お客さんの頭がずるっと意識をなくしたみたいに机にぶつかる。
あーあーあー、だから言ったのに。

「あらら」

私が水を持ってテーブルに戻ると、お客さんはムクっと頭を上げて頬杖をついていた。

「帰る家がなくなっちゃって」
「家ぇ?」
「そうなんだよね、まぁちょっとした厄介ごとで…」

居酒屋なので、この手の酔っ払いはよく見る。ただこの頃の私は、やっとヒモ彼氏から解放されたことでへんに気が大きくなっていた。

「じゃあ、私の家、くる?」


お客さんの名前は夏油傑といった。なんの仕事をしているのかと聞いたらお笑い芸人をしているのだという。

「傑くんは仕事してんの?」
「ああ、一応芸人。仕事はまだ全然ないからほとんどフリーターみたいなものだけど」
「そうなんだ」

真顔で嘘をつく男だなぁと思った。全然面白いこと言わないし、雰囲気もそれっぽくないし、絶対嘘だと聞き流していた。
私は今までの恋愛経験から自分の引きがだいたい悪いと言うことはよくわかっていた。素性の知れない男前がどんな仕事をしていてもぶっちゃけどうでもいい。
家には出て行ったばかりの元彼の部屋着が残っていたし、着替えにも困らないだろう。
男を家に泊めるんだからそういうことになるだろうと思っていたのに、傑くんは指一本触れてこなかった。そのまま傑くんはどうしてだか私の部屋に居座り続け、無し位崩しのようにお付き合いが始まった。

「ピン?コンビ?トリオ?」
「コンビ。面白いやつだよ、相方は」

相方の話をする傑くんは楽しそうだった。その相方が実在しているかも私は知らないが、まぁ楽しそうに笑って話すからいいかと私は上機嫌に話し続ける傑くんの横顔を見つめた。

元彼と違って、傑はヒモにはならなかった。不規則にバイトに行ってくると言って出てゆき、毎月25日になると私に生活費と言って数万円差し出す。別にそんなのいいのに、と思いながら一度受け取って、こっそりもらったうちの半分を傑の財布に戻していた。


傑と付き合い始めて一年と少しが経過した頃、珍しく二人で連れだってスーパーに行った帰り、アパートの前に白髪の長身の、どう見ても一般人じゃない男が立っていた。彼は傑が相方と呼ぶ悟くんである。

「あれ、悟?」
「傑、おせーよ」

傑は悟くんのほうへ走り寄ると、二人で何やら画面を確認している。
何か仕事の話だろうか。二人で並んで立っていると迫力がある。聞いたことはないけれど相方と呼ぶくらいだから悟くんもヤのつく同業者なんだろうか。なんかほら、バディ的な?

「ナマエ!漫-1グランプリの決勝進出が決まった!」
「は?」

とびっきりの笑顔で戻ってきた傑に、私は心の底から間抜けな声を出した。
まんわん?漫-1のこと?年末にやってる?

「うそ、傑って本当にお笑い芸人だったの?」
「え、まさか信じてなかったのかい?」

私はこくんと頷いた。背後で悟くんがゲラゲラと笑っていた。


傑はぺろりと夕飯を平らげ、自分のお皿をかちゃかちゃ洗ってくれた。
別にいいって言っているのに、これは傑が売れる前からの習慣で、今も律儀に続いている。
しばらくして、二人分のルイボスティーを用意した傑がお茶の間に戻ってきて、私の向かいに腰かけた。

「で、話だけど」
「うん」

がさごそと傑が仕事用の鞄から紙の束を取り出す。見るようにと言わんばかりに差し出されたので、遠慮なく眺めた。
なになに、えーっと『人気絶頂祓ったれ本舗ツコミ夏油傑、恋人発覚!?お相手は石倉さとみ似の一般人女性か』……は?

「週刊誌にすっぱ抜かれてね」
「えっ!これ先週ご飯食べに行った時のじゃん!」

原稿のコピーのような紙には不躾な見出しと記事、それから傑と目元を隠された私のツーショットが載っかっていた。
記事には芸人ナンバーワンモテ男に女の影が、とか、傑のファンだと公言している女優の名前だとかが下世話に書かれている。

「ごめん、撮られてるなんて全然気づいてなかった」
「ああ、それはいいんだ。私は気づいていたから」

なんだって?気づいてた?
ならその時に言ってくれればいいのに!…いや、言ってもらったところで一般人の私に出来ることなんてないかもしれないけどさぁ。

「せっかくなら、世間に盛大に騒がれながら結婚しようかと思って」
「はぁ?」

悪びれる様子もなくにこにこ笑う傑に眩暈がした。
ああ、そうだ、傑はこう見えて案外目立ちなところがあるんだ。
祓本は傑が常識人で悟くんが常識破りな破天荒キャラだと認識されているけれど、あの悟くんを上手いこと操縦してコンビ組んでるんだから、傑がただの常識人なわけがない。

「結婚しよう、ナマエ」

呆れて溜息をついてあれこれ考えたところで、私は傑のその言葉に対して返せるセリフはひとつしか持っていない。

「うん、結婚しよ」

あーあ、あの時はまさかヤクザかとさえ思った男と週刊誌に載って、あまつさえ結婚することになるとは思ってもみなかった。
結婚式、悟くんにめちゃくちゃにされそう。だけどそれも面白そうだなと思ってしまうから、私もすっかり芸人の嫁なのだ。

「せっかくだからさ、結婚式派手にしようよ」
「いいね、後輩芸人呼んでネタ100本やらせよう」
「ふふ、鬼じゃん」

結婚式、絶対祓本の鉄板エピソードトークにしてやるからな。と、私はひそかに意気込むのだった。


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