ピグマリオンとダンス


呪術師は奇人変人が多いが、彼女ほどの奇人も中々いないだろうと思う。
同僚のナマエは、仕事がない日には決まってアトリエに籠り、雪花石膏の前で寝食を忘れて彫刻に没頭する。
高専からそう離れていない古びた小さな一軒家、それが彼女のアトリエだ。
私はコンビニで調達したサンドウィッチと惣菜パンの入った袋を持って、彼女のアトリエの扉をノックした。もちろん応答は無い。
彼女から預かっている合鍵を使って、がちゃりとドアを開ける。埃っぽいにおいがした。
突き当たりの日当たりのいい部屋で彼女はいつも創作活動をする。その部屋に足を踏み入れると、予想通り彼女がかんかんと音を立てながら作業に没頭していた。

「ミョウジ、もう朝ですよ」
「……」
「ミョウジ、聞いてますか」
「……」

毎度のことだが、二度の無視に溜め息をつき、私はミョウジの肩をぽんと叩いた。

「ミョウジ」
「おわっ!な、七海!?」

やっと気がついたミョウジは肩をびくつかせたあと凄い勢いで振り向いた。目の下のクマが酷い。

「朝です。どうせろくに食べてないんでしょう」
「あ、もう朝か…」

私の言葉でようやく気づいたといったふうで、ミョウジはカーテンの向こうの眩しさに目を細める。
彼女は手を洗ってくる、と言って洗面所へ向かい、私は勝手知ったる台所でコーヒーの準備に取り掛かる。このコーヒーマシーンは、私がアトリエに持ち込んだものだ。

「七海ありがとね」
「いえ。サンドウィッチと惣菜パン、どっちにしますか」
「うーん、じゃあ焼きそばパンもらおっかな」

手を洗って戻ってきた彼女と、私は古いちゃぶ台に向かい合って座る。
両手を合わせていただきます、と言って朝食が始まった。
放っておくとろくに食事をしないものだから、彼女の食事の世話をしてやるのは私の習慣のようなものになっていた。

「どうですか、進捗状況は」
「うん、夏油さんはそろそろ出来そう」

彼女はここでずっと、死んだ親しい人間の彫像を作り続けている。


高専の教室から寮へ戻ろうと三人で歩いていた時だった。

「本当は私、美大に行ってみたかったんだよねぇ」
「え、そうなの?」

ミョウジと灰原と私は、高専でのいわゆる同級生だった。
三人とも非術師の家系に生まれ、スカウトされるような形で入学した。当時から風変わりな彼女は、出し抜けにそんなことを言い出した。二年の春だったと思う。

「ミョウジは何か作りたいものがあったの?」
「彫刻!中学までは少し塾みたいなところで勉強もしてたんだよ」
「へぇ、そうなんだ」

灰原とミョウジの後ろで、意外だな、と思いながらその話を聞いていた。短いながらも一年間、数少ない同級生として一緒に過ごしてきた身だが、そんなことを気づかせるような話も素振りもなかった。
彼女は概ね人当たりはいいが大雑把なところがあり、とてもそんな繊細な作業に没頭するイメージは湧かなかった。

「彫刻ってどんなの作るの?」
「うんとね、一番初めに作ったのは車に轢かれて死んじゃった近所の野良猫。その次は寿命で死んだうちの犬。あとは学校で飼ってた文鳥とか、亀とか、そんな感じ」

灰原は特別気にした様子を見せてはいなかったが、私は彼女の言葉にどうにも不気味だと思った。そしてそれは、直後の灰原によって明確に言葉にされた。

「死んじゃった動物を彫るの?」
「うん」
「どうして?」
「うーん、何でだろう」

そんな奇行に走る理由もわかっていないのが尚のこと不気味だ。理由もわからないようなことだから奇行と呼ばれるのかもしれないけれど。
ミョウジは身近で死んだ動物ばかりを彫刻にしたらしい。私はこれをひどく不気味に思った。あの先輩たちに比べればまだマシな同期ふたりだが、こんなところで術師の勉強を続けていられる程度に頭はイカれているのだ。
はぁ、と人知れず二人の後ろでため息をつく。少し考えるような素振りをしてから灰原が口を開いた。

「人間は彫らないの?」

今度はフゥー、と大きく息をつく。どうしてそうなる。
灰原はまともな風に見えるけれど、やっぱりまともじゃない。
その飛躍した発想に、ミョウジは真剣な表情で答えた。

「今まで考えたことなかったけど…アリだね、それ」
「ナシですよ」

黙していた私が思わずそう声を出すと、前を歩く二人はぴたりと足を止め「なんで?」と言わんばかりに首を傾げた。
逆になんでアリだと思うのかこっちが聞きたい。

「誰かが死んだら彫刻にするなんて気味が悪いです。あとこの呪術界でまともにソレやってたらキリがない」

後半より前半の倫理的問題を気に留めて欲しかったところだが、二人の興味関心を引いたのは後半の数の問題だったららしい。
「確かに全員彫刻にしてたら追いつかないかも」とミョウジが言い、灰原が神妙に頷いた。

「じゃあ、仲良い人だけにする」
「はぁ?」

突拍子もない話は尚も続いた。私は思わず呆れた声を漏らした。

「灰原と七海と、五条先輩と夏油先輩と硝子先輩!それに夜蛾先生と、あと冥さんとか歌姫さん。これだけ絞れば多分ちゃんと彫れるよ!」
「…人数の問題じゃないでしょう」

全くもって理解できない。私が人数の問題じゃないと言った後も、ミョウジは「でもあの補助監督さんも」だとか「それなら寮母さんも彫りたいし」などと言って人数を指折り増やしていく。人数の問題じゃないとは言ったが、増やすのは斜め上だろ。

「安心して、七海の彫刻は二割り増しでかっこよくしとくから!」
「…ミョウジ」
「冗談だって!」

勝手にひとを殺してくれるな、と念を込めてじとりと睨むと、そんなことは意に介さないとばかりのカラカラした声でミョウジが笑った。
誰ともなく歩みを再開させて、私たちはやはり並んで寮までの道のりを行く。

「いつかさぁ、私の作った彫像集めて美術館とか作れたらかっこよくない?」

かっこよくない。

「いいね、かっこいい!」

それってその時には結構知り合い死んでる前提だろ。

「美術館の名前はなんにする?」
「そうだなぁ…あ、思い出美術館は?」

なんだ、その間の抜けた名前は、と言いそうになって寸でのところで口を噤んだ。
そんなことを言えば二人から抗議の嵐を受け、あまつさえ「じゃあ七海は何がいいと思う?」とでも聞いてくるに決まっている。
ほらみろ、灰原はすぐに「いいね」とミョウジの命名案に賛成した。
それから三人で、作る予定もない思い出美術館の構想について話をした。とはいっても、私は専ら聞いているだけだったけれども。


夏が過ぎ、灰原が死んだ。
ミョウジは1メートルほどの高さの雪花石膏を寮室に運び込んだ。かんかんかんかんと、小さく鋭い音が、廊下まで聞こえていた。
ノックをしても、彼女からの応答はなかった。ノックして、返事を待って、またノックして、返事を待って。それを数分間繰り返して、とうとう私は無断で部屋のドアを開けた。
削りだした雪花石膏のくずで部屋中が真っ白になっていた。その真ん中で、ミョウジが一心不乱に木槌を振っている。

「ミョウジ」

かんかんかんかん。

「ミョウジ」

かんかんかんかん。

「ミョウジ!」
「おわっ!七海!?」

私は木槌を持つミョウジの手首をぐっと掴んだ。まだ暑い時期だというのに、ぞっとするほど冷えていた。
「何を作ってるんですか」と、私の底冷えする声が雪花石膏の粒に跳ね返った。そんなことは、聞かなくたって見れば充分にわかった。

「灰原の彫像」

そこには、数週間前に死んだ、灰原の笑顔が彫られていた。

「どう?中々上手いでしょ?」

私の震える唇とは裏腹に、ミョウジは少しの動揺もなくまた彫刻を再開した。かんかんかんかん。木槌を打つ音が響く。
迷いのない動きは、あっという間に灰原の目尻をやわく再現した。その迷いのなさが、私は恐ろしかった。

「ミョウジ…死ぬな」

かんかんかんという音に紛れさせるつもりだった。私はそう小さく漏らして、ぐっと歯を食いしばる。
彼女はこの彫像を完成させてしまったら、死んでしまうのではないかと思った。
この幻想とともに、心中してしまうのではないかと思った。

「大丈夫だよ、私は死なない」

打つ手を止めてミョウジが言った。
聞こえていたのか、と私が顔をあげると、ミョウジの強い瞳と視線がかちあった。
私はどうしようもない気持ちになった。どうしようもない気持ちになって、灰原を亡くしてから初めて泣いた。


灰原の彫像は、ミョウジの寮室に安置され、彼女が卒業と同時にこのアトリエを借りたとき移設したらしい。
らしい、というのは、その作業が行われるとき私はもう大学編入の手続きを済ませ、高専を離れていたからだ。

「夏油さんの次には誰を?」
「そうだねぇ、いまんとこ予定はないかな」

ミョウジは焼きそばパンを咀嚼しながら頭の中でぺらぺらとリストをめくっているようだった。
彼女のリストにある親しい人間が亡くなったのは、直近では夏油さんが最後らしい。

「では、私を彫ってくれませんか」
「七海を?」

ミョウジは少しだけ面食らった顔になって、それから大きな声をあげて笑った。

「はは、ヤダね!」

何故です。と尋ねると、ミョウジはわからないのかとばかりに目をまん丸にする。わからないから聞いているんだ。
失礼なほど遠慮なくひとしきり笑って、ミョウジはひーひーと息を整える。

「だってそれ、七海が私より先に死ぬ気満々ってことでしょ?」
「それは…」

私は彼女より高い等級を拝する一級術師だ。任務の危険度も致死率だって何倍も違う。
もとよりそう長生きできるとは思ってもいないが、その幕切れがいつ訪れてもおかしくないことは自分が一番よくわかっている。
すっかり笑いを収めたミョウジはもぐもぐもぐと焼きぞばパンを最後まで平らげ、ご馳走様、と手を合わせた。

「七海には、私の彫像を展示した美術館の館長になってもらう野望があんだよね」
「…その話、まだ覚えてたんですか」

まだ彼女がこの奇行に本格的に着手する前、灰原と冗談交じりに言っていた話だ。
確か「思い出美術館」だとか間の抜けた名前をつけていた気がする。
その計画は彼女の中でまで生きており、どうやら私はその思い出美術館の一員として展示してはもらえないらしい。

「長生きしよーよ、一緒にさ」

へらっとミョウジが笑った。唇の隙間から覗く白い歯には青のりがついていて、まったく何の恰好もついていない。しかも口の端にパンくずもついている。

「呪術師で長生きするなんて、まっぴら御免ですよ」

私はそう言って、彼女の口端を拭った。
身内贔屓のようで恐縮だが、美術館のメインには灰原の彫像を飾ろうと思っている。展示ルートの一番初めは、彼女の処女作である野良猫で決まりだ。

「いいじゃん、ふたりなら」

彼女の人生を今まで彩ってきた彫像たちが壁一面に並べられる。
私はその真ん中で最後のひとつになれる日を待ちながら、彼女と一緒にダンスでも踊っていよう。


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