ペインキラー



※生理ネタ注意です。


あーだめ。全然だめ。腰も背中もダル重。
呪術師にも生理休暇を作れ、と、私は毎月この時期になると心底思う。
まぁそんな文句をぐちぐちと言ったところで呪いを祓えるわけでもないし、任務が免除されるわけでもない。今日も今日とて私は任務に訪れていた。

「さいっあく!あー最悪!」

ずきずき痛む下腹部。腰。だるい足。それらへのイライラをすべて呪力に変え、私は思いっきり鉈を振った。必要以上に大きい音を立てながら、ざふっと立ち消える。
私はケータイを取り出し、補助監督へピックアップの依頼をする。

「ミョウジです。はい、任務完了しました。ピックアップをお願いします」
『了解です。現在一件ピックアップに向かっていますので、続いてそちらに向かいます』
「わかりました。よろしくお願いします」

他のピックアップに向かっているということは、十中八九車中で相乗りになるだろう。知ってる人ならまだいいけど、知らない人だと少し気まずい。
とはいえこんな雑魚任務のピックアップにわざわざ来てもらうんだから、贅沢は言えない。

「はー、早く来てくれぇー」

私はお腹を抱え、その場にうずくまる。痛み止めを飲んでるのに、やっぱり二日目はつらい。
手にしていたケータイでかこかこと硝子に連絡する。内容はとくにない。気の紛らわし。
明日のテレビとか、今度の休みの予定とか、最近好きな俳優とか、そんな話。

「ミョウジさん、お待たせしました」
「あ、すみません、ありがとうございます」

そうこうしているうちに補助監督が迎えに来てくれて、私は重い腰を持ち上げた。
血の気がふっと一瞬引いて、足元がグラつく。今回は本当に重い。任務中はさすがにアドレナリン出てるし、集中してるからよっぽどいいけど、終わるとどうしても身体に無理が出る。

「大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です」

気を遣ってくれる補助監督にそう簡単に返事をして、黒塗りのセダンに足を向ける。
後部座席にやっぱり人が乗っている気配がしたから「失礼します」と断って後部座席のドアを開けた。

「あ、傑」
「あれ、ナマエ」

後部座席に乗っていたのは同級生の傑だった。ああ、良かった。知らない術師だったら生理痛プラス気遣いで二重苦になるところだった。

「お疲れ」
「うん、傑もお疲れ。相乗り、傑だったんだね」

後部座席に乗り込んで、お互いの今日の任務の話をする。
傑はここから少し離れた廃病院での任務だったらしい。雑魚任務についていた私と違って一級案件だ。

「ナマエ、顔色悪いな。体調が優れないのかい?」
「あー、うん。でも大丈夫だから」

そう言った矢先、がたん、と車が揺れて腰にビビビと痛みが走った。
補助監督の皆さんは概ね運転が上手いので、がたごとと必要以上に車が揺れることは滅多にない。が、流石に舗装工事中の道路はその限りではない。

「ナマエ?」
「ん、へいき」

全然平気じゃないと、多分傑には伝わってしまっている。理由まで気がついているかどうかはわからないけれど、これ以上踏み込んで聞いてこないことが幸いだった。
私は下腹部を温めるように手のひらでさする。

車に揺られること30分。高専に到着した私たちは、補助監督にお礼を言って、左右のドアからそれぞれ下車する。
ばたんとドアを閉め、重い腰を抱えて一歩二歩と歩いたとき、ぐんと下方に引っ張られるような感覚があって、頭がひんやり冷えた。あ、これは、まずい。

「…ナマエ!」

ブラックアウト寸前の視界で、傑の焦った顔が見える。ごめんて、怪我とかそういうんじゃないからさ。と思っても言葉になんて出来るわけもなく、私は意識を手放した。


目が覚めて、飛び込んできたのは医務室の天井だった。
下腹部も腰も痛いし、足はだるいし、頭がぼうっとするオプション付き。
どうやってここまで辿りついたのかはわからないけれど、どうやら倒れた私は何者かの手によってここに運んできてもらったらしい。傑かな、補助監督かな。

「あ、起きた?」
「しょーこ」

間仕切りの向こうから、硝子がひょっこり顔を出した。相変わらず眠そうな目をしている。

「本人ならわかってると思うけど、怪我とか呪いとかじゃなくて生理の貧血ね」

硝子は前かがみになって私の脈を取り、簡単に結膜の確認をすると、すっと上体を元に戻す。
硝子は最近医者みたいなことをしている。高専を出たら医師免許を取りに行くらしい。

「うん。自覚ある。私、高専の前でブッ倒れたよね」
「夏油が運んできたんだよ」
「あー、傑だったかー」

いや、補助監督でも気まずいけども。焦った傑の顔を思い出す。
目の前で同級生が突然倒れたら私だってめちゃくちゃ焦る。普通の人ももちろんそうだろうけど、私たちは呪いのせいとか怪我のせいとか、思い当たる節がありすぎるからいろんな可能性が頭を駆け巡る。

「めっちゃ面白かったよ、クッソ焦って医務室に駆け込んできた」
「え、マジか」
「うん。硝子、大変だ、ナマエが突然倒れた!怪我をしているかもしれない、反転術式で治せるか!?ってさ」

硝子はその様子が相当お気に召したようで、珍しく身振り手振りで物まねまで加えて状況を説明した。
硝子には今朝から生理痛の話をしていたから、きっとすぐに原因がわかっただろう。

「傑にお礼言わないとね」
「今あいつら外出てるよ」
「そうなの?任務?」
「いや、五条の糖分補充でしょ」

任務帰りをひっ捕らえられて強引に連行される傑の姿が目に浮かぶ。
ふふ、なんだかんだ言って傑は悟に甘いから、嫌そうな顔をしながら大概のお願いごとは聞いてあげるのだ。

「あれ、硝子もしかして傑に生理だって言った?」
「言ったけど」

えー!と大声で抗議すると、硝子は耳を塞いで面倒くさそうな顔をした。
いや、事実なんだけど!事実なんだけどさ!!

「だって大丈夫だっつってんのに夏油食い下がるし。説明しないともっと面倒なことになってたよ」
「うー…そうだけどぉ…」
「べつに生理は恥ずかしいことじゃないんだから」

そ、その通りすぎる…。それはそうなのだ。生理は概ね女性全員が背負わされる不可抗力の生命活動の一種であって、恥ずかしいことでもなんでもない。月に一回こうして出血や貧血に悩まされ、ホルモンバランスの変化に振り回される。強制的に。

「悟ならまだしも傑にはさぁ…」

私だって、生理を恥ずかしいと思っているわけではない。
硝子の言うとおりで、隠してもっと大層な病気とかと誤解されてしまうほうが面倒だし申し訳ない。けれど相手が、相手が傑なのが困る。

「え、ナマエ、まさか夏油のこと好きなの?」

声だけでいかにドン引きしているかを分からせるトーンで硝子が言った。私は消えそうな声で「うん」と肯定すると、硝子がうえぇと口を歪めた。そんなに?

「趣味悪っ」
「えっ!いいじゃん傑!カッコいいし、優しいし…」
「1ミリもわかんねー」

硝子は「だってあのクズだよ」と付け加えた。
ええ、なんでよ。カッコいいじゃん、傑。
高いとこのものが取れなくて困ってると、悟はゲラゲラ笑って立ち去るけど、傑は絶対取ってくれる。それから体術でいまいちピンとこない組み立てがあると、一緒になってグラウンドで練習に付き合ってくれる。
背も高いし、顔も綺麗だし、まぁあの謎の前髪は…どうかと思うけど。

「ナマエの男の趣味は全然信じらんないけど、生理のこと言ったのはデリカシーなかった。ごめん」
「や、いいよ。だって硝子のほうが正しいし…変な誤解与えちゃってもおかしなことになるもんね」

好きな人に生理だって知られたのを恥らう乙女心より、選ぶべきは身の安全を知らしめる真実である。
「お詫びに今度なんか奢る」と言ってくれる硝子と、今度一緒に新しいカフェに行こうと約束を取り付けた。

「なんか必要なもんあったら連絡して。部屋にいるし」
「うん、ありがと」

治療を受けるわけではないから、目が覚めた私は硝子と一緒に寮への道のりを歩いた。
寮室に戻って、私は簡単な栄養補助食品を口にしてからベッドへ横になる。別に縦でも横でも辛いことは変わりないけれど、変わんないなら横のほうがいい。
昨晩は痛すぎてろくに眠れなかったから、今日はずっと寝不足だった。少し眠ろう。

「う…痛い…」

と、思ったのに、痛み止めが切れて1時間足らずで目が覚めた。
私は常備薬の入っている引き出しまでのろのろ移動し、がさがさと中身を漁る。痛み止めの箱をひっくり返すと、説明書だけがポロンと落っこちた。うっそでしょ。
そうだ、今日帰りに買わなきゃなぁって思ってたんだ、私の馬鹿。
失意の中私はベッドまでまた戻って、ほったらかしになっているケータイを手に取った。

「しょーこ、しょーこ…」

私はケータイのアドレス帳を開き、さ行から硝子の名前を探す。
さ、さ、さ、し、し…。

「痛み止めとナプキンちょうだい。夜用羽根つき」

私は用件だけのメールをピロンと送信して、またぐったりベッドに倒れこんだ。
15分か、20分か、多分そのくらいが経過して、こんこんとドアがノックされる。ああ、硝子来てくれたんだ。「鍵開いてるから入って」と横になったまんま言うと、ガチャとドアの開く音がしてガサガサビニール袋が揺れる音が近づく。

「ナマエ、大丈夫?」

ベッドから身体を起こし「ありがとう」と言う準備をした唇のかたちのまま、私はぴたっと動きを止めた。

「す、傑?」

目の前に立っていたのは硝子ではなく、髪を下ろしたラフな格好でビニール袋を手に提げている傑だった。

「え、なんで、どうして傑がいんの…?」
「え、なんでって、ナマエがメールくれたからだよ」

いや、私がメールをしたのは硝子だ。きょとんとした顔をする傑を前に、私の頭の中でひとつの可能性が浮上する。
私は枕もとのケータイを引っつかんで送信済みのメールボックスを確認する。「痛み止めとナプキンちょうだい。夜用羽根つき」のメールは、宛先が「傑」になっていた。

「生理用品って今日初めて見たんだけどさ、夜用羽根つきってこれで合ってる?」
「え!嘘!買ってきてくれたの!?」

うん。と事も無げ肯定した傑は、ビニール袋から紙袋に包まれたそれを取り出した。
確認するように言われて、紙袋の中を確認すると夜用羽根つきのナプキンがきちんと収まっている。

「合ってる…。てかごめん、こんなの買いに行かせちゃって。嫌だったでしょ?」
「ちょっと恥ずかしかったけど、嫌とかそういうのはないから平気だよ」
「私、硝子に頼んだつもりだったんだ。アドレス帳で一行間違えて傑に送っちゃって」
「フフ、そんなことだと思ったよ」

そんなことだと思ったなら、尚更硝子に言ってくれれば良かったのに。
そう思ってると、傑はビニール袋の中から痛み止めの箱とミネラルウォーターのペットボトルを出して、ペットボトルはキャップを開けてからこちらに寄越す。

「痛み止め、切れてるんだろ?」
「あ、うん。ありがと」

手渡されたミネラルウォーターで痛み止めを流し込む。常温の水なのがありがたい。

「てか、ごめんね。今日医務室に運んでくれたの傑だって聞いた」
「ああ、構わないよ。突然倒れて驚いたけど、怪我とかじゃなくてよかった」

私はベッドに座ったままで、傑は向かい合うみたいにしてラグの上に座っている。
この部屋にだって皆で集まることはあるけれど、ふたりっきりっていうのは初めてで、なんか変な気分。

「普段はもうちょっとマシなんだけど、今回はヤバくて。傑がいてくれて助かった」
「女の子は大変だね」
「月イチはマジで勘弁して欲しい」
「男にはわからない辛さだっていうからなぁ。して欲しいことがあったら言って」

硝子から、傑に生理だって伝えたと聞いたときは羞恥で燃え上がるかと思ったけれど、本人を前にしてみると意外に平気でいられた。
多分傑が変に距離を取ったり、理解の無い態度を取ったりしないからだと思う。

「…もうちょっと、一緒にいて欲しい」

口から飛び出したのは、自分でも驚くぐらい甘えた、弱気な発言だった。
傑は少しだけ驚いた顔をしたあと「いいよ」と言って寛ぐような体勢になる。

「今日ね、相乗りになったの傑でよかった」
「どうして?」
「…だって、知らない術師の先輩だったら気遣っちゃうし、余計疲れてたと思う」
「それは確かにそうだね」
「だから、ドア開けて傑が座ってるの見たとき、ホッとしたの」
「今日のナマエは随分素直だね」
「からかわないで」

傑はこれっぽっちも悪いと思っていない様子で「ごめん」と謝った。
不思議だ。なんてことない話をしているだけなのに、傑と話してると痛みが和らぐ気がする。
下ろされて無造作に遊ばせている傑の髪を見つめる。その黒の隙間に、大きなピアスが覗いていた。
視線をそのままずらして切れ長の目に到達すると傑がこちらを見ていて、ばちんと視線が絡まってしまった。
傑は少しだけ笑った。

「生理で弱ってるときのナマエってさ、なんか可愛いね」
「…傑、爽やかに言えば何言っても許されると思ってない?」

思わぬデリカシーのない発言に、さっきまでの気遣いはどこへ消えたのだと呆れてしまう。
傑は私の呆れ顔など気にした様子はなくて、また少し笑った。

「弱ってるときっていうのは冗談だよ」
「冗談でも傷つくんですけど?」

私はそうちっとも傷ついていないことを隠さずに傑に抗議すると、傑はまたこれっぽっちも悪いと思ってない様子で「ごめんごめん」と謝る。
私は大げさに溜め息をつき、じとりとした目で傑を見下ろした。

「ナマエのことは、いつだって可愛いと思ってるよ」

傑がそんな爆弾を落として、呆れていたはずの私ははくはくと口を動かすことしか出来なくなった。
その隙に傑の指が私に伸び、親指が頬骨の上を滑るように撫でる。傑はくすぐったいくらいやわい顔で私を見つめている。

「す、す…ぐる…?」

私の窺うような言葉に、ん?と少し高い声で応答する。
もちろん続く言葉なんてなくて、私はどうしようもなくなったまま往復する指の腹の熱さだけを数える。傑の目が、すぅっと細められた。

「これからも私に頼って。ナマエに頼られるの、好きなんだ」

傑の声がじーんとお腹に響くみたいに聞こえた。
痛み止めが効くにはまだ早いはずなのに、私の痛みはいつのまにかどこかへ取り去られてしまったのだった。


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