愛ある研究


昨日買ったワンピース。
首元がレースになっていて、全体のシルエットはAラインで女の子っぽさを強調。メインカラーはネイビーで甘すぎず、けれど腰のリボンが可愛さを演出。

「壊相!ねぇ、これどう可愛くない?」
「新しい服ですか?」
「そう、ここのレースが薔薇になってるの!」

触爛腐術思い出してついつい買っちゃった!と言うと、壊相は首もとのレースを摘み上げ、薔薇をじっと確認した。
黒い眼球はまるで漆のような艶やかさで、くり抜いて桐の箱にしまえば美術館に並べられてもおかしくないほど美しい。

「随分精巧ですね、この花びらの重なりが美しい」

感心したように述べ、壊相はレースをひらりと解放した。ああ、距離が離れていく。
壊相は呪胎九相図の受肉体だけれど、兄弟の中ではわりと常識的というか、人間的というか、風変わりなところがある。
人間の私のお喋りにちゃんと付き合ってくれるし、お洋服を差し出せば興味ありげな様子で観察をする。

「いいでしょ。今度これを着て壊相とデートがしたいの」
「デート?」
「そう。男と女が一緒にお出かけすること」

150年前に生み出された彼らだけれど、受肉して間もない今は人間の、しかも最近の言葉は馴染みがないらしい。
デートについて私が簡潔に説明すると、ふむ、と指を顎に当てて何事か考え出した。

「ナマエは女ですが、私は受肉体なので男と呼べるかわかりませんよ。それでもデートと呼ぶんですか?」
「ふふ、そうだよ、デートって呼ぶの」

だって私、壊相のこと好きなんだもん。


呪詛師という身分に身をやつしているのは、単に事の成り行きだった。
べつに特別人殺しが好きということもないし、大それた犯罪にはそこそこちゃんとびびる。
なのにいつまで経っても辞めないでいるのは、多分私の得意科目が理科だったからだと思う。

「いや、充分イカれてると思うけど」
「えぇ?そうかなぁ」

私の今の雇い主は夏油という男だ。
額に怪しげな縫い目があって、人間だというけれど全然それっぽくない。

「でも、呪術師だってイカれてるんでしょ?ならそんなに変わりなくない?」

それはそうだね。と言って、夏油はコーヒーをすすった。
あまりにいつもコーヒーを飲んでいるものだから「コーヒー好きなの?」と尋ねたら「この体がね」と返ってきた。厨二病かよ。

「進化とか、実験とか、そういう勉強するの好きだったんだよね」
「まぁ知的好奇心の探究は私も嫌いじゃないよ」
「で、今度は何するの?」

この前真人と夏油が一緒になって里桜高校という学校でいろんな実験をしてきたらしい。高専の術師に応戦されて、真人はぼろぼろ、温泉治療中。

「呪胎九相図を受肉させる」
「え!なにそれ!超楽しそう!」

私は夏油の言葉に飛びついた。
呪胎九相図といえば、加茂憲倫が作った呪霊と人間のハーフ。彼の最高傑作のひとつである。確か高専に保管されてるって聞いたことあるけれど、それを受肉させるなんて!

「最高じゃん」

呪胎九相図の受肉体。一体どんなのなんだろう。
夏油とその話をした三日後、真人によって呪胎九相図の1から3番が奪取された。更に数日の後、誘拐した人間にそれを取り込ませ、血塗、壊相、脹相が受肉した。
これが私の運命の出会いだった。


拠点のソファにだらんと腰掛ける。
目の前の夏油はぺらぺらと小難しそうな本をめくっていた。

「ねぇ夏油、受肉体って子供作れるの?」
「…なるほど、それは面白い視点だな」

私の質問は夏油の科学実験的な欲求を刺激してしまったらしい。夏油はじっと考えるような素振りをした。

「人工的な異種交配の話をすると、異種間に生まれた子供には生殖機能がない。1910年にインドで生まれて、その後兵庫でも出産に成功したレオポンなどがいい例だね」
「あ、ヒョウとライオンの子だっけ」
「そう。これはあくまで人工的な異種交配実験の話だ。受肉体はベースが人間。もとは生殖機能を持っている身体を使っているわけだし、事例が無いからなんとも言えないが、なくはない、と言うのが現状の回答かな」

夏油によると、現状の受肉体がどの程度遺伝子に変化をきたしているかが問題らしい。
家畜を意図的に改良するように、同種であれば交雑はあまり難しいことではない。
つまり、壊相の遺伝子がごく人間に近ければ人間と交雑できる可能性が高くなるということ。
もうひとつは壊相の半分が人間で、もう半分が呪霊なのだから、壊相自身に繁殖機能が残っているかが鍵と言うわけだ。
ふんふんなるほど。呪霊は科学で証明できる物じゃない。私はバッリバリ人間だし、壊相も少し前まで人間だった身体を使っている。しかも呪胎の半分には人間の遺伝子も入ってるわけだし。夢があるなぁ。

「で、誰と誰の子供を作るんだい?」
「え、言わなきゃダメー?」
「差し支えなければ」

夏油は興味津々といった様子だった。
まぁ私が壊相のこと好きなんてことはきっとバレてしまっているだろうし、今更隠すのも変か。

「私と壊相の子」

そう答えると、夏油は細い目をぐっと見開いて、ぱちぱちと何度か瞬きをする。
へぇ、夏油って目ぇちゃんと開けれんだね。

「君が産むのか」
「そうだよ?好きな相手の子は産みたいじゃない?」

それが女の子ってもんでしょ。と持論を述べて胸を張っていると、夏油は喉だけで器用に笑う。

「ふふ、ははは、面白いな。自ら受肉体の子供産むつもりなのか。はは、いいね、君のそういうところ好きだよ」
「夏油に好かれてもなんも嬉しくないんですけど」

にんまり夏油が笑って、背中にぞぞぞと悪寒が走る。この男の笑顔は冷たくて嫌いだ。


来たるデート当日、深夜1時。
壊相との子供を夢見る私だが、現実が甘くないことは充分に理解している。
現実の私はベッドインはおろか告白さえ出来ず、壊相が人間の言葉に不慣れなのを利用してデートの約束を取り付ける姑息な真似しか出来ていない。

「ナマエどこへ行くんですか?」
「とってもいいところ!」

私と壊相は並んで森の中の道を歩いていた。
じゃりじゃりと足元の土を踏み、鬱蒼とした中を進む。
拠点からそこそこ離れたこの山は、私のお気に入りだ。昔、私がまだ高専に在学していたころ、一度だけ任務で訪れたことのある場所だった。

「壊相、大丈夫?足元悪いでしょ?」
「ナマエこそ、今日は歩きにくそうな靴じゃないですか」

壊相の言うとおり、私は今日おろしたてのパンプスを履いていた。壊相に可愛いと思われたくって履いてきたけれど、だいぶ後悔している。かかとが痛い。
私は「大丈夫だよ」と返事をして、痛みを悟られないように少し歩くスピードを速くした。
生い茂る木々を分けて辿りついた高台は、遠くに都会の町並みを宿すなんの変哲も無い場所。けれど、とびきり月がきれいに見える場所。

「ついたよ、ここが私のお気に入りの場所!」

雲が少しだけ浮かぶ夜空は、宇宙の黒を透かす闇の色。
そのなかにぽっかりと口を開けるように、月が丸く輝いている。
さらさらと風が吹き、秋の気配を静かに運ぶ。そう言えばなんでお月見は秋にするんだろう。

「ね、壊相。綺麗でしょ?」
「ええ、月がよく見えますね」

壊相と私は近くの岩に並んで立って、遠く離れた宇宙の理について思いを馳せる。
私は人間で、壊相は受肉体だ。どれだけ好きでいてもそれは変わらないし、人間同士のようなデートもできない。
それにきっと私が壊相のすべてを理解できる日は来ないし、壊相は人間のことなんて好きになってくれないだろう。
150年前に生み出されたあなたに会えた。それだけで充分奇跡なんだ。
私はこれで満足だった。

「壊相と見たかったの」

嘘。満足じゃない。もっと壊相のこと知りたい。
だってひと目見たときからあなたのことがこんなにも好き。

「好き」

くちから思わず言葉が飛び出して、私はあっと両手で塞いだ。言うつもりなんて無かったのに。
どうしよう、誤魔化さなきゃ。焦りが熱を持って、体中を駆け巡る。壊相がこっちを向いている気配がした。

「ナマエ」
「嘘!ビックリしたでしょ!あはは、ドッキリ大成功!」

私はぱたぱたと両手を振って、口からでまかせをべらべら並べる。
だって壊相に嫌われたくない。冗談だって笑い飛ばして、なんにも聞かなかったことにして欲しい。
あはは、と下手くそに笑いながら壊相の様子を窺うと、笑いもせずこちらを見ていて、誤魔化されてはくれないようだった。

「ナマエは、私が好きなんじゃないですか」
「え…え!?なんでそれを…」
「デートと言うのは好きあっている者同士がするのだと聞きました」

そんなこと誰が!あのアジトのなかでそんな人間かぶれしてるやつがいるわけ…あった。というか人間がいた。夏油だ。絶対に夏油に決まっている。

「そういう意味かと思っていたんですが、違いましたか」

じっと、漆みたいな眼球が私を見下ろす。月の明りがさやかにそれを照らし、まるで作り物みたいに光を反射する。
ああ、すき。私はこの黒がどうしようもなく好き。

「ち、違わない」

私がカラカラの声で言うと、壊相は口元をふっと緩めて「よかったです」と言った。
ん?ちょっと待って、好きあってる者同士がする、って、それって。
壊相、と呼びかけようとして、唇はそれを許されなかった。壊相の唇が、私のそれにぎゅっと重なって、私の声のすべてを吸い取ってしまったからだ。
何回か角度を変えて、壊相の、ちょっと硬くてかさついた唇がキスをする。
それからしばらくして、壊相の唇がそっと離れていく。黒い眼と熱いくらい視線が絡む。

「え、そう…」
「…キスとは、これで合ってますか」

私はその言葉にこくんと頷いて、すると壊相は小さく笑った。
恍惚と壊相のキスに酔いしれ、そのまま壊相に近づこうと足を踏み出したところで、私は自分の靴擦れのことを思い出した。痛い。びりっとかかとから痛みが走る。
それもそのまま無視をして片足を着地させ、壊相の胸板にぴったりとくっついた。

「ナマエ、足を怪我しているでしょう」
「大丈夫だよ、これくらい」

頬を寄せる。壊相のおっきい手が私の肩に触れ、それから優しく撫で下ろした。
靴擦れなんてどうでも良くなってしまう。夢みたい。

「帰りは私が運びます」
「えっ!」

夢見心地だった私の意識は急激の呼び戻され、声をあげて驚いている間に、壊相は私の身体を横抱きに持ち上げた。やばい、これはお姫様抱っこというやつだ。
壊相の逞しい腕が私の背中と太股にあたる。生温い体温がじんと伝わった。このまま時間が止まってしまえばいいのに。

「そういえば、夏油からナマエが受肉体と人間に子孫が残せるかを研究していると聞きました」

…なんだって!?嘘でしょ!なんてこと言ってくれてるんだ、馬鹿!
物事には順序ってものがあるんだぞ!縫い目野郎!
さっきまでの乙女チックな私の気分を返せ!

「え、壊相、それはその…」

ダメだ、このままでは痴女だと思われてしまう。なんてこった。
いや、全然嘘じゃないしまごうことなき私の発言なんだけども、今すぐどうこうって事じゃなくて、知的好奇心ということでもなくて、愛ある研究であって。
まぁ知的好奇心も大いにあるわけだけども。
どうやって言い訳しようかと私がもたもたしていると、壊相がふふ、とまた笑いを漏らす。

「私でよければ、協力しましょう」

くそ、夏油の馬鹿野郎のせいでいろいろめちゃくちゃじゃないか!でもなんかありがとうな!
私はここにいない大迷惑なキューピットのことを思い浮かべ、帰ったらとりあえず一発殴ろう、と決意を堅くしたのだった。


戻る






- ナノ -