初心者マーク


「五条悟様、折り入ってお願い事があります」
「なんでフルネーム?」

目をぱちくりさせる悟を無視して、私は話を続けた。

「私とデートしてください」


高専というのは閉じられた世界である。閉じられた世界である、が、若人は例外なく青春を送っている。
私は同級生の夏油傑に恋をしていた。初恋、そう、初恋というやつだ。
呪術師の家に生まれた私は、恋というのものに縁はなく男女関係と言えば、政略結婚、家督相続、子孫繁栄、焼肉定食のイメージしかなかった。いや、焼肉定食は食べたいだけ。
とにかく、ろくな恋愛もせずに育った私に、夏油傑というひとの与えた衝撃は凄まじかった。

「君がミョウジナマエさん?私は夏油傑。呪術界のことはまだあまり知らないんだけど、数少ない同級生同士、仲良くしてくれると嬉しいよ」

さらりと握手を求められ、私は衝撃のあまり固まった。
自分で言うのもなんだけど、私は御三家ほどではないが、長く続く術師の本家の一人娘だ。向けられる視線と言えば値踏みするようなものばかりで、差し伸べられるのは邪心を孕んだ汚い手ばかり。
こんなに裏も表もない視線も手も、私にとっては初めてだった。

「ミョウジさん?あ、ごめん、もしかして握手嫌だったかな」
「嫌じゃない、嫌じゃない!」

降ろされそうな夏油くんの手を捕まえて、私はぶんぶんと振った。
夏油くんは私の勢いに多少引いていた気がする。
夏油くんは優しくて正しくて人が良くてかっこいい。


「なんで俺がオマエとデートしなきゃなんないわけ?」
「そ、それは…」

私はズブの恋愛初心者である。どういう女の子が好かれ、男の子が女の子のどういうところを好きになるかなんてことも全くこれっぽっちも考えたことがなかった。そんな私にデートの作法なんてものがわかるわけもなく、こうして悟を練習台に…。失敬、悟に協力してもらって体得しようというわけだ。

「だいたいナマエって傑のこと好きなんだろ?」
「ど、どうしてそれを…?」

ぎくりとした。夏油くんが好きだなんたただの一度も言ったことがないのに!
「見てりゃわかる」と言って悟は手元の雑誌をぱらぱらとめくりだした。

「あーあー、なるほど、読めたぞ。オマエ、傑の予行演習に俺を使おうって算段だろ」

どきーん!心臓が跳ねた。六眼ってそんなんも見えるの?としげしげ思っていたら「ナマエ全部顔に出てるぞ」とつっこまれた。

「尚更ヤだね。予行演習とか腹立つし。もうド正直に傑誘えばいいだろ」
「無理だよ!お、お、男の子とデートなんて何していいかもわかんないのに!」
「俺ならいいのかよ」

いや、悟は家の繋がりで昔から知ってる仲だし会話に困ることもなければ緊張することもないけどさぁ。夏油くんは違うじゃん。
うっかり呪術界老害あるあるとか言っちゃって引かれたら嫌じゃん。

「大体デートなんてテキトーに飯食ってラブホでも行きゃいいだろ?」
「ふ、不潔だ!夏油くんと悟を一緒にしないで!」
「男なんて皆同じようなもんだっつーの」

悟はお坊ちゃんの癖に何かと俗世に慣れている。どこからどうしてこうなったかの仔細は知らないけれど、私のような初心者マークとは違う。
私の頼れる相手はなんだかんだで悟しかいないのだ。

「こんなこと頼めるの悟だけなんだよ!昔なじみのよしみで!なんとか!」

手をばちんと合わせて頭を下げながら懇願をすると、ハァ〜?と嫌そうな返事の後、数秒してから「いいぜ」と悟が言った。
やった!ラッキー!ありがとう!と思って顔を上げたら、にやにやと口角を上げた悟と目が合う。これは早まったか?

「明日校門前10時集合、相手が傑のつもりで来い。服まで気ィ抜くなよ」


私は悟の指示通り、服装にもお化粧にも気を抜くことなく、お気に入りのワンピースをおろした。
髪は家入さんに借りたストレートアイロンで真っ直ぐにしたし、雑誌で勉強したとおりのお化粧もした。
悟はデートコースに関して「特別に俺が考えといてやる」と言っていたけれど、それじゃあ私の練習にならないのでは?と思った。つっこむと長くなりそうなので辞めた。

「あれ、ナマエ出かけるの?」

寮の廊下をいそいそと歩いていたら、夏油くんにそう声をかけられた。
夏油くんはラフな格好で、制服と違って首元が見えているからそれだけで私はどきどきしてしまう。

「うん、ちょっと…」

悟とデートの予行演習をするなんて馬鹿正直なことは言えないので、なんて言ったらいいんだろう、と考えていると、後ろからずいっと肩を引かれた。

「ナマエは俺とデートすんの」

私の肩を引いた悟はそのまま私と夏油くんの間に割り入る。寮にいるなら待ち合わせなんてしなくても良かったのに。と思っていると、私の頭上で会話が勝手に進んでいく。

「悟、今なんて?」
「難聴かよ。ナマエは今から俺とデートすんの。映画行ってカフェ行って買い物して、あーもしかしたら今日は帰ってこねぇかもしんねーわ。そん時は言い訳よろしくネ、傑クン」
「おい悟」
「意気地なしの傑クンに付き合ってる時間ねぇんだった。オイナマエ行くぞ」

あっと言う間に悟は私の手を掴んでずるずる引きずるようにして寮の玄関に移動する。
待って、ちょっと待って。

「ま、待って、悟、今めっちゃ凄いこと言ってなかった!?」
「ハァ?大したこと言ってねーし。オマエは黙ってついて来りゃいいんだよ」
「えぇぇ…」

なんか夏油くんにものすごい勘違いをされてる気がするんだけど、ともう一度意見をしようとしたら「説明したらオマエが傑のこと好きだってバレるけど」と悟に言われ、私は大人しくお気に入りのパンプスを下駄箱から取り出した。

「映画行くの?」
「そ。俺が好きなやつな」

悟が手を出したから「何?」と尋ねたら「デートは手ェ繋ぐもんなんだよ」の言葉とともに私の手を取って歩き出してしまった。

「勘違いされたらどうすんの」
「させるためにしてんだよ馬鹿」
「えっ、なんて!?」

悟が何か小さな声で言ったけど聞こえなくて、聞き返しても教えてくれなかった。
悟は歩幅を合わせてくれないので、私はずっと小走りのまま悟の斜め後ろをついて行くことになった。


結果として、デートの予行演習は散々だった。
悟の好きな映画というのが、C級スプラッタホラー映画だったのだ。そのあと連れて行かれたカフェは美味しそうなパフェがあったけど、カニバリストが解体した人間でスイーツ作りに勤しむシーンを長々と見せられた後では、さすがの私も食べる気にならなかった。

「オマエさぁ、なんで傑のことが好きなの?」
「えっ…!い、言わなきゃ駄目?」
「当たり前だろ、こっちはわざわざ時間作って予行演習に付き合ってやってんだから」

果たしてこれが予行演習になっているのかは甚だ怪しいけれど、まぁ私が言い出したことだしなぁと夏油くんの好きなところを指折り数える。

「まず、夏油くんって優しいじゃない?」
「はぁ?」
「正しくって、頼りになって、人が良くって」
「おっえー」
「裏表がないの。変な下心もないし」
「オマエの目は節穴かよ」
「あとカッコいい」
「俺のほうがイケメンだけどな」
「…悟、聞く気ある?」

私の言葉に悟はすべてフザけた相槌をうつ。

「オマエ、世間知らずの審美眼ゼロって感じだな」

くっくっくと笑い、悟はパフェをぱくりと口に入れた。
パフェを続けてぱくぱく口に運びながら、行儀悪くケータイをカチカチといじる。

「まー、俺の親友を選んだってことだけは評価してやるよ」

結局悟だけが嬉々としてパフェを食べ、その上買い物にまで引き摺り回された。
くたくたになった夕方、悟は「俺はまだ寄りたいところあるから」と言って新宿で別れて、結局私は一人で高専までの道のりを戻ることになった。

「はぁ」

10時に学校を出て、時刻はただいま17時。
ひとつも予行演習にならなかったじゃないか。悟の馬鹿。
筵山の階段を登り、石畳をコツコツ鳴らして歩く。ふと自分のつま先を見ると、お気に入りのパンプスはずいぶんとくたびれていた。

「ナマエ…!!」
「あれぇ、夏油くん?」

人影が、校門からこちらに向かって走ってきているのが見えた。夏油くんだ。

「何かあった?」
「…悟が、君をひとりで帰したって連絡を寄越したんだ」

悟が?だからってわざわざ走ってくるなんて。「急用?」と尋ねると、「いや…」と言葉を濁してはぐらかされてしまった。
追求することでもないか、と思って、私はそれ以上聞かずに、二人で並んで石畳を進む。夏油くんは私より足が長いけれど、隣を歩くときにはこうして歩幅を合わせてくれる。
もうしばらくで寮だ、という場所まで辿りつき、夏油くんが足を止めた。

「…ナマエ、どうして、悟とわざわざデートなんてしたんだい?」
「えっと…その…」

どうしよう。なんて言い訳したらいいんだろう。
予行演習だなんて口が裂けてもいえない。だって言ったら私が本当に好きなのは夏油くんだってすぐにバレちゃう。
悶々と考えていると、隣で夏油くんがぽつりと言った。

「悟のことが好きなの?」

私が、悟を?

「ない!ないない!それだけは絶対にない!!」

悟はあくまで昔なじみで、なんなら幼馴染以下で、高専に入るまでは年数回会う程度の仲なのだ。
男の子耐性のない私にとっては充分接しやすい男の子ではあるけど、それ以上でも以下でもない。
ていうかそもそも私が好きなのは――。

「そうなの?ナマエは悟と仲がいいから、そうなのかもって思ったんだけど…」
「ないよ!だって私が好きなのは夏油くんなんだもん!」

あ。

「えっ?」

やばい。勢い余った。なんで言ったの、私の馬鹿。
どうしよう、どうしよう。
おろおろと視線を彷徨わせていると、夏油くんの手が私の腕を掴んでいた。

「ナマエ、本当に?」

掴まれた力は決して強くはないのに、触れている部分が火傷しちゃいそうなくらい熱い。
脳内で「嘘だとごまかして夏油くんにこのまま勘違いされ続けること」と「肯定して当たって砕けること」を天秤にかけて、私は後者を選んだ。夏油くんに嘘つくの、やっぱり嫌だし。

「う、うん…夏油くんが好き…。私、でも男の子と何話していいかもわからなくて、悟にお願いして練習に付き合ってもらったの…」

結局なんの練習にもなんなかったんだけど。と付け加えると、夏油くんは掴んでいた腕をほどき、優しい手つきで私の肩に触れる。

「ナマエが悟のこと好きなら、どうやって振り向かせようか考えてたんだ」
「夏油くん?」
「好きだよ」

恐る恐る視線だけで夏油くんを見上げると、耳を赤くした夏油くんが私を見下ろしている。
うそ。うそうそ。いま、夏油くん、好きって言った?
夏油くんは一回ふんわりと私を抱きしめて、そのあと体一個分の距離を離すと、それから、と向き合った姿勢のまま私に切り出す。

「私がナマエに優しく接していること、裏表も下心もないって思ってるなら、それは君の見当違いだよ」

どうしてそれを、と思ったら、夏油くんがパカリとケータイを開いて悟からのメールの画面を見せた。
「ナマエ、傑のこと裏表も下心もないって言ってんだけど。まじウケる」と書かれたメールが届いていて、時間を見たらカフェで悟だけがもりもりとパフェを食べていた時間だった。あのときだ。悟め。

「私ともデートしよう。悟と今日行ったところ、全部上書きしたいな」
「…でもC級スプラッタホラーは遠慮したい…かな」
「…悟、そんなもの見せに連れて行ったの?」

こくん、と頷くと、夏油くんは内臓が出そうなくらい溜め息をついた。
「悟に遊ばれたな」と悔しそうな声で言っていたけれど、いまいち意味は分からなかった。

「そうだ。悟は名前で呼ぶのに、私のことは苗字でしか呼んでくれないだろ?それも気に入らなかったんだ」

さっきまで赤かった夏油くんの耳はすっかりいつもの色に戻っていて、その赤さは遅れて羞恥心に襲われた私に着々と移っていく。
視線を顔から少し下にずらすと、私服のせいで見えている喉仏が目に入ってどきどきしてしまったから、慌ててもう少し視線を下げる。
それでも夏油くんは目の前で逃がさないとばかりに立ちはだかっているのだから、どれだけ視線を下げても夏油くんでいっぱいにするしかない。

「呼んでみて、すぐるって」
「…す、すぐる、くん…」

なんだい、ナマエ。と夏油くんは私が用があって呼んだわけではないと知っているくせに、いじわるくそう尋ねる。
今までだって呼ばれていたはずの自分の名前が、この瞬間から甘い響きを持って私の耳をくすぐった。

「悟より、うんと楽しいデートを約束するよ」

そもそも悟とは予行演習だとはいえデートらしいデートになってないんだけどなぁ。と思ったけれど、夏油くんが悟に嫉妬しているみたいに見えるのが少し嬉しくて、黙って夏油くんの手を握った。
ここまですべてが悟の計算どおりだったと知ることになるのは、この半年後の話である。


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