タンデムランデブー


「猪野、呪術師はクソだよ」
「何七海サンみたいなこと言ってんの」

任務終わりの居酒屋で、私は後輩相手にくだを巻いていた。

「別れよって」
「えっ、彼氏?」
「そう…良い呪術師の家の女の子と婚約することになったからってさ」

私には付き合って一年になる彼氏がいた。もとは高専の同級生で、呪術師の家系。
私は非術師の家系出身だったから、在学中に呪術界のなんたるかをいろいろ教えてもらって、その面倒見のよさが仲良くなるきっかけだった。

「はぁ、なに、この現代日本でお家のご都合で結婚するとか意味わかんない」

呪術師は、良い術式を受け継いでいくものなのだそうだ。術式は血統に因るものが多く、そのために良い術式を持っていたり良い術師の家出身であったりすればするほど、政略結婚を強く強いられるらしい。

「ナマエサン、高専のときも同じようなことあったよね」
「…あったね」

猪野がビールジョッキを傾けながら私の古傷をえぐる。そう、何も初めてと言うわけではない。私は学生時代に付き合っていた先輩からも同じ仕打ちを受けていた。
まぁ仕打ちと表現すると相手が悪いみたいに聞こえるから良くはないんだけど、私の受けた傷のことを考えればこのくらいの態度でいることを許されたい。

「あー、だから今日飲もうって話か」
「そ。とことん付き合ってよ」

私はもう何回目かわからない乾杯を猪野として、ぐいぐいとビールを喉の奥に流し込んだ。

猪野は気心の知れたひとつ下の後輩だ。
ノリがいい、接しやすい、イイ奴。主にそういう言葉で形容されることが多く、私自身もこの後輩とは時折飲みに行ったりする程度には仲がいい。
チャラそうでモテそう。それが初めて猪野に会ったとき感じた包み隠さない第一印象だ。
蓋を開けてみれば、年上にちょっと砕けた近さはあるものの、決して無礼ではなく、不思議と他人との距離感をよく掴む男の子だった。
チャラそうでモテそう。から、優しくてモテそう。に印象が変わるまでそう時間はかからなかった。

「ナマエサン、今日飛ばしすぎじゃない?」
「そんなことない。ふつう。てか飲まなきゃやってらんない」

私は何杯目になるかもわからないジョッキをあけ、通りすがった店員さんに「生ひとつ」と同じものを注文した。

「荒れてるなー」
「べっつにー?こっちから願い避けっていうか、そんな家の言いなりになるような男。結婚しても実家がめんどくさそうだし、嫁姑問題は勘弁っていうか」

精一杯の強がりを口にして、私は軟骨のから揚げに齧りついた。結婚、そう、結婚。私はお付き合いを始めたそばから結婚を意識する夢見がちなところがあるが、今回に関してはちゃんとその話が彼の口から一度出たのだ。

「ナマエサン、強がんなくっていいって」

我慢していたはずの涙がぐっと溢れてきた。
猪野は泣き出した私のつまらない話を、嫌な顔ひとつせずにずっと聞いてくれていた。

「ナマエサン、デートしようよ、俺と」
「デート?」

猪野は店員さんが運んできたグラスを受け取り、代わりに飲み干した私のグラスを渡しながら言った。

「バイク買い換えたんだけどさ、慣れてきたから、ナマエサンと一緒にツーリング行きたいなと思って」

ああ、なるほど、
デート、という言葉を私は交際している男女にしか使わないものと思っていたが、こういうモテる人たちにとってはそうでもないのかもしれないな、と思い直し、私は「いいよ」と猪野の提案を受け入れた。

「ッしゃ。じゃあ次のナマエサンの休み教えてよ」



こうして決まった約束の日がその二週間後。ジーンズで来るようにという猪野の言いつけを守り、ジーンズにブーツ、それから飾りの少ないトップス姿で私は猪野の到着を待った。
酔っていて仔細を覚えていなかった私にジーンズで来ることと最寄り駅で待ち合わせと言うことを前日に知らせてきた猪野は大変優秀な後輩だと思う。

「お待たせしましたっ」

定刻より少し前に駅のロータリーに姿を現した猪野は、大型バイクに跨って、フルフェイスのヘルメットにライダースジャケットを着ている。優しくてモテそう。は、この時をもって、かっこよくて優しくてモテそう。に更新された。

「かっこいいね」
「でしょ?けっこうしたんだけどさ、ここの、ホイールベースが短くて好きなんだよね」

かっこいいね、と言ったのは猪野自身のことだったんだけど、猪野には伝わらなかったようで嬉々としてバイクの良さを語られてしまった。
私はバイクに詳しくないので、ふんふんと話を聞くに留まる。

「はい、ナマエさんのインカムとメットね、髪は中にしまって。タンデム初めて?」
「うん、バイクなんて乗ったことない」
「じゃあコツ教えるから、後ろ跨って」

猪野に言われるがまま私はバイクの後ろに跨り、プロテクターやら何やらを着けられた。なんか想像してたより重装備かも。

「座ったら俺のケツんとこを膝で挟むみたいにしてね、そしたら安定するから。で、腕は俺の前まで回して、自分の手首がっちり持って」
「こう?」

猪野がシートに跨ってから、指示された通りの姿勢をとる。「いいかんじ」と言って猪野が嬉しそうにした。

「山道走るから、曲がるとき結構角度つくけど倒れてる方向と逆向きに体重かけないでね」

はい、と最後にグローブを渡され、それを装着すると、私はもう一度猪野の前に手を伸ばして自分の手首を握った。
ドルルルル、とエンジン音がして、バイクがゆっくりと走り出す。
少なからず不安だった気持ちは瞬く間に払拭され、すぐそばを通り抜ける風を気持ちよく感じた。
しばらく一般道を走った後、インカムから猪野の声がした。

「ナマエサン、今から高速乗るけど、大丈夫そう?」
「うん!全然平気!むしろ楽しい!」

私はインカムで会話をしてるって言うのに興奮気味に大きな声でそう答えた。
予告どおり私たちを乗せたバイクがするすると高速道路のインターチェンジに吸い込まれていく。
そういえばどこに連れて行ってくれるんだろう。聞いてなかったな。

高速に乗ると、風が変わった。
隣を走る自動車が速いのと、そもそも出しているスピードが全然違うんだから当たり前だ。
平日昼の中央自動車道は社用車とかトラックが多い。それらに混じってバイクはぐんぐんと進んだ。
途中、インカムで「風がきもちーね」と話しかければ「でしょ?」と帰ってきて、ヘルメットの中が猪野の声で一杯になる感じがくすぐったかった。
一時間弱走り、私たちは上野原というインターチェンジで高速を降りる。高専の近くよりも民家は流石に多いけど、猪野が左折して山のほうへ向かっているのがわかり、景色はあっという間に山の中に吸い込まれていく。

「こっから山道に入るから、怖かったら言ってね」

猪野の声に「うん」と返し、最初に教えられた姿勢を意識して正した。
緩やかなカーブから始まった山道は、いくつも折り重なりどんどんその角度を急にしていく。山を登っていく感覚とカーブのたびに倒れる感覚が連なって疾走感が増した。
ヘアピンみたいなカーブをいくつも曲がり、やがて大きな川が姿を現す。
姿勢を崩さないように注意しながら右側を見ると、それは大きな湖に繋がっているのだとわかった。
橋を渡り、湖の始まりを越え、バイクはまだまだ進む。湖沿いに走りながらいくつかのトンネルを抜けたあと、大きな駐車場に入りようやくバイクは停車した。
エンジンが切れたのを確認して猪野に回していた手を解くと、私はシートから降りてヘルメットを外しながら猪野に言った。

「猪野!すごい!バイクって気持ちいいんだね!」

インカムを切っていなかったから、目の前の猪野のヘルメットからも私の声がして、何をはしゃいでいるのかと恥ずかしい気持ちになった。落ち着け、私。

「ここお気に入りなんだよね。見晴らしいいし、峠走れるし、東京から近いし」

猪野はヘルメットを外し、頭を軽く振ると、ダムのほうに視線を向ける。普段は帽子で隠されている左の額の傷跡が髪の隙間からちらりと見えた。
猪野に手招かれるまま車が来ていないことを確認して反対側に渡ると、簡単な休憩用のテーブルとイスが置かれている間を抜けて、手すりまで足を進める。
ダムはよりいっそう近く、大きく見えた。

「猪野、運転上手だね。バイク初めてだったけど全然怖くなかった」
「ナマエサン、バランス感覚いいから余裕だったっしょ?」

プロテクターを着けられた時はその重装備にバイクの二人乗りなんてどんなものかと思ったけれど、すぐに不安はなくなった。猪野は私のバランス感覚の良さだと言うが、多分本当は猪野の運転が上手かったからだと思う。

「なんかスッキリした、ありがと」

湖面が太陽を反射して何度もちらちらときらめく。湖面の照り返しが猪野の黒髪の先を明るく見せた。
あ、猪野、かっこいいな。
いままで何度も見てきたはずのその横顔が、突然特別なもののように感ぜられた。
気がつくと私は、いつもなら口にしないような言葉をかけていた。

「猪野ってさ、モテるでしょ」
「いや、全然モテないって」

猪野は頬を掻いて、私に向き直る。
モテないわけがないじゃん。猪野はノリが良くて、接しやすい、イイ奴で、かっこよくて優しい。そんな恋人の理想を詰め込んだこの男がモテないなら、世の中終わってる。現にこうやって、ツーリングする準備だって万端だったじゃないか。

「モテないは嘘でしょ、こんなインカムとかヘルメットとか準備ばっちりで普段から女の子乗せてますって感じじゃん」
「あのさ、それナマエサン用に買ったんだよ」
「えっ?」

は?私用?
私はさっきまで被っていたヘルメットを思い浮かべる。確かに真新しかった気は、する、けど…。

「な、なんで私用…?」
「そりゃあ、ナマエサンのこと好きだから」
「はっ!?」

猪野は手すりにかけていた手を外すと、私の手にそれを重ねた。
あったかくてかさついた、男の手だな、と思った。
何度も何度も一緒に任務をしてご飯食べて飲みに行って、良く知った相手だと思っていたのに、私は猪野の手のひらの温度も、感触も、何ひとつ知らなかったのだ。

「別れたって聞いてチャンスだと思って。だから俺、デートって言ったでしょ?」

いいよって言ってくれたから脈アリかなと思ってたんだけど、違った?と、猪野が言った。

「猪野のようにモテる男はデートって好意関係なくするもんなのかと…」
「いや、デートは好きな女の子とするモンだと思ってるんだけど」

知らなかったと意識した途端、猪野が触れている部分が熱を持って、私を侵食する。

「だって好きでもなきゃ普通べろべろになるのわかってて飲みに付き合ったり、わざわざツーリングデート誘ったりしないっしょ?」

そりゃあ、私はそうだけど、まさか猪野みたいなモテそうな男がさ、私のこと好きかもなんて思うわけないじゃん。

「強くてかっこいいナマエサンも好きだけどさぁ。俺に見せてくれる普通の女の子の顔も、俺大好き」

にひひ、と猪野が歯を見せて笑った。
湖の向こうで透明な太陽の光がゆっくりと動く。遠くでエンジン音が響いた。
私はこのあと猪野にぴったりとくっついて帰路に着かなければならない。帰りの道のりは約二時間。私の心臓は破裂してしまうかもしれない。


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