最低のキス


高専の女子寮と男子寮の間にある談話室で、私は傑を見つけた。

「すぐるー、アイス食べよ」

私はシェアするのにぴったりなチョココーヒー味のチューブ型アイスを持ってパタパタとソファに近づく。
傑は私に気がつくと読んでいた文庫本を閉じ、右に詰めてソファに一人分のスペースを作ってくれた。私はそこにすとんと腰掛け、傑に片割れを差し出す。

「ナマエ、これ好きだよね」
「うん、ちょっと食べたいなーってときにちょうどよくない?傑とはんぶんこ出来るし」

ちゅう、とチューブに吸い付くと、しゃりしゃりした食感の氷の粒が口の中を冷やしていく。何が面白いのか傑はしばらく私を見ていて、それから自分の分を口に運んだ。

傑と付き合いだしたのは、二年生の秋からだ。
二級術師に上がったばかりの私は報告よりも等級の高い呪霊に当たってしまい、呪霊二体に苦戦を強いられた。
もっと運が悪かったのは、帳の中に非術師が取り残されていたことだった。
まだ呪霊に見つかってはいなかったのか、無傷のまま部屋の隅で怯えていた。母親と子供だった。
保護しようとした矢先に呪霊が現れ、非術師を庇い重傷を負った。情けない。呪いを祓うことは出来たけれど、誰かを庇って負傷するなんて、まだまだ鍛え方が足りない。
硝子の反転術式で概ね傷を治してもらい、事なきを得た。医務室のベッドで目を醒ましたとき、泣きそうな顔をした傑に告白をされた。

『君を失うなんて考えたくもない、好きだ』

五条ほどではないけれど、普段あんなに余裕綽々の傑が、こんなに泣きそうな顔をするのだと私は初めて知った。
私は糸を引かれるようにすんなりと受け入れ、それから傑と付き合うことになった。

「そう言えば聞きたかったんだけど」

アイスをすっかり食べ終えて、容器をゴミ箱に投げ入れると「行儀が悪いよ」と傑から小言を言われる。

「何だい?」
「傑ってどうして私のこと好きになってくれたの」

傑と私は、告白されるまで特に強く繋がりがあったわけじゃない。
そりゃ数少ない同期だからそれなりに仲は良かったと思うけど、私は硝子と一緒にいることが多かったし、傑も五条とばかりつるんでいた。
これと言って決め手になるようなことは思い浮かばない。

「そうだな…ナマエが非術師を庇って大怪我しただろ、その時、このままナマエが動かなくなったら、世界を呪ってしまいそうだと思ったんだよ」
「あの時好きになったってこと?」
「いや、ずっと好きではあったんだと思うけど、溢れたっていうのかな、そんな感じ」
「ふぅん、意外。傑って衝動で何かするってイメージあんまりなかったから」

頭いいし。まぁ、その頭の良さが余計なことまで考えさせている気もするけど。
傑は私の腰を抱き寄せて、仕返しとばかりに「じゃあナマエはどうして私を選んでくれたんだい」と聞いた。

「う…それは…」
「うん」
「…好きって言ってくれたとき、傑の泣きそうな顔見て、ヤだなって思ったからかなぁ」
「ナマエもあの時衝動で決めたってことだ」

そう言って、じっと私の顔を覗き込む。
何よ、ずるい。私が傑に見つめられるの弱いって知ってるくせに。

「…きっとずっと好きだったんだと思うよ?それがあの時に自覚したって言うか…」
「ふふ、そんなものだと思うよ、誰かを好きになるって。積もり積もって、どこかで我慢が利かなくなるんだ」

そうかも。傑に言われると、びっくりするぐらいすんなり受け入れることができる。
傑にはそういう、誰かを納得させるような不思議な力があると思う。
なんとなく無言になって、恥ずかしいな、視線を逸らす。傑が私の頬に手を添える。大きい手のひらは気持ちがいい。
キスだ、と思って、ん、と目を閉じ唇を合わせて待っていても、一向に唇は降ってこない。どうしたんだろう、と思ってちらりと目を開けると、傑はためらうような顔をしていた。

「キス、しないの?」

私が急かすと、一瞬間があったあと「いいかい?」とお伺いを立てられる。別にいつもそんなことしないくせに。私はうんと頷いてまた目を閉じた。
もう一度私の頬に手を添え直し、そっと唇を寄せられる。
キスはチョココーヒーの味がした。


傑と初めて呪霊の味の話をしたのは、まだ付き合う前の、呪術高専に入学して一年が経とうと言う冬。
私と傑が一緒に二級呪霊の祓除任務に就いたときだった。
私は当時三級術師で、傑は二級術師。足を引っ張らないようによくよくまわりを見渡して、慎重に現場に入ったことを覚えている。
一年近く同級生をやっていたのに、いつも五条が傍にいるもんだから、二人きりで長い時間を過ごさなければいけないのは初めてだった。
日帰りで済むはずの距離だったけれど、調べるうちに呪霊の発生時間に制限があることがわかり、急遽泊まりの任務になった。

「飲み込むなよ、後で取り込む」

任務そのものは大したトラブルもなく、多分私は必要なかっただろうなと思う呆気なさで終わった。
幼虫のような見た目の、直径2メートル以上はあろうかという傑の呪霊が標的に噛み付き、その動きを止める。
彼の指示通りその呪霊は捕食をやめ、傑が捕らえた呪霊に手を翳すとするする丸まって手のひらサイズの球体に変わった。
傑は大きく口を開けて、その黒い塊をごくんと飲み込む。
私はこの日、傑が呪霊を取り込むところを初めて見た。

「ねぇ夏油、呪霊ってどんな味?」
「知ってもいいことないと思うよ」
「あ、そ」

その時傑は苦笑いを浮かべるだけで、何も説明しようとはしなかった。
私も私でそれ以上追求することはなく、話はそこで途絶えてしまった。


次に呪霊の味の話をしたのは、高専三年の八月。
傑も五条も特級術師になり単独任務ばかりになった。私は当時二級術師で、数ヶ月ぶりに同行することになった任務だった。
あの時と違ったのは、私が傑と付き合い始めたってこと。毎日とは言わないけれど、この前みたいにチョココーヒー味のアイスをシェアするくらいには良好なお付き合いを続けていると思う。
今回呪霊を仕留めたのは私で、取り込むためにその場では祓うなと言われていたからちょっと骨が折れた。

「術式、結構馴染んでるね」
「当たり前でしょ、目指せ一級術師なんだから」

私の術式で捕らえた呪霊に傑が近づき、手を翳して呪霊を黒い球体に変える。傑の大きな手が塊を掴む。
大きく口を開け、ごくんと飲み込む。

「ねぇ傑、呪霊ってどんな味?」
「…知っても、いいことないと思うよ」

あの時と全くおんなじ言葉だった。
それがなんだか聞き逃せなくて、ムカついた私は傑の襟元を引っ掴んで、中途半端に空いた口に舌を突っ込むついでにちゅっとキスをした。

「うぇ、マッズ!」
「だから言ったのに…」
「なんか…なんだろ…雑巾みたいな味がする…」

雑巾食べたことないけど。
傑はぽかんとした顔をして、それから小さく笑った。

「私も雑巾みたいな味だと思うよ、雑巾は食べたことないけどね」

なんだか、笑う傑を見たのは久しぶりの気がするなぁ。私はのんきにそんなことを考えていた。
最近元気がなかったから、笑顔だって見れていなかった。やっぱり傑の笑った顔が好きだな。
疲れた顔をしているのが夏バテなんてもののせいではないこと、私はわかっていたけれど、傑はそこに触れさせてくれなかった。

「呪霊は不味いけどさぁ、だからって傑のキスが不味いわけじゃなくない?」

私は傑のためになんでもしてあげたいと思うけれど、傑はそれを許してくれない。

「…ナマエ…君って子は…」

傑は困ったように笑って、今度は傑からキスをしてくれた。
もう雑巾の味は少しもしなくて、呪霊の味って一瞬なんだなぁとぼんやり考える。
今にも崩れそうな廃屋なんていうロマンとは程遠い場所で、これが最後のキスになった。
数週間ののち、傑が大量殺人犯の呪詛師として、処刑対象になったからだ。


あれから、もう11年も経った。
私は卒業後なんだかんだと無事一級術師に昇級し、小忙しい日々を送っていた。
一級術師のいい点は何よりもそのお給料だが、悪い点は任務の危険度が爆上がりすることだと思う。
更に言えば私は同期に五条がいるせいで、そこそこ危険性の高い、かつ五条が出向くほどではない任務を回されることが多い。つまるところ、良いように使われている。
まぁ、あいつが高専の教員なんて柄にもないことをしているおかげでこうして生徒たちとも触れ合えるのだけど。

「一年生たち、お土産だよ」

今日は徳島に出張した際の土産をぶら下げて高専を訪問した。
五条に見つかると厄介なので、時間の問題とは知りつつも生徒のところへ一番に足を運ぶ。今日は残念ながら二年生は実習と聞いていたので、一年生三人組のところだ。

「ミョウジさん!えっ出張?」
「そう。今回は徳島だよ、ほい、なるときんときポテト」

出迎えてくれた虎杖くんに紙袋を渡す。五条は?と念のため聞くと、伏黒くんが午後から来るみたいです。と答えてくれた。
なるほど、五条の分は職員室に置いておけばいいかな。

「ミョウジさん、食べて良い?」
「どーぞどーぞ、五条に見つかんないうちに食べちゃいなさい」
「いただきまーす!」

三人とも個包装のビニールをピリッと破り、舟形のクッキー生地にかじりついた。
徳島名産の鳴門金時を使ったさつまいものタルト菓子で、沖縄の紅いものタルトに見えなくもない。

「うま!これ他のさつまいもと違うね」
「鳴門金時使ってるからかなぁ」

虎杖くんは早速一口で食べて、律儀に感想を言ってくれる。続いて釘崎さんがスイートポテトと違うのね、と言いながらぱくぱくと平らげた。
ミョウジさんの買ってきてくれるお土産っていつも美味いんだよなー、と言ってくれるから、よしよしまた買ってこようという気分になる。

「ミョウジさんのお土産が美味しいのは確かだけど、衛生観念キモいあんたに味なんてわかるわけ?」
「これは同感」
「ひっでぇ!何だよ!」

それまで黙っていた伏黒くんまで混ざって言い合いが始まった。確かに宿儺の指食べるってのはどうかしてると思う。
「別に宿儺の指が美味いと思って食ったわけじゃねぇかんね!?」とごもっともな主張をしている。
虎杖くんは身振り手振りで宿儺の指がいかに飲み込みづらく、不味いかを伝えようと必死だ。
それでも、そもそも呪いに味が在るかどうかの想像さえしたことのないだろう二人は一切取り合うことはなく、特に釘崎さんの口元はこれでもかと歪んでいる。
ふと、その時、傑のためらうような顔を思い出した。ああそっか、キスしたら味がするかもしれないって思ったんだ。呪霊の味、一瞬で消えちゃうのに。
それだけ傑にとっては口にも記憶にも刷り込まれている味だったんだろう。

「ねぇそれ、雑巾系?」
「えっ!なんでわかったの!?」
「昔ちょっと、ね」

傑、あなたは私を何処へも連れて行ってはくれなかったけれど、私だってずっとあなたを蝕む味を忘れることはないんだよ。
あの最低なキスは、いまでも私の唇に刻まれている。


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