きみは太陽


「ねぇナマエ明日空いてる?」

任務帰りの昼下がり、僕は丁度高専の敷地内を歩いていたナマエを呼び止めて言った。

「明日ですか、オフなんで特に用事はありませんけど…」
「じゃあちょっと付き合ってよ」


ナマエは、僕の可愛い後輩以上恋人未満だ。伊地知の一個下で、高専のときはこれといって関わりは無かった。
たまたま苦戦しているという現場の応援に行っとき見た、ぼろぼろになってる姿があんまりにもそそられて、そこからどんどんアピールを始めたわけである。

「ナマエ、僕と付き合って」
「はぁ、どこにでしょうか?」

初めて告白をしたとき、漫画でしか見たことのないようなボケをかまされた。
学生時代だったら「なんでわかんねーんだよ」とブチ切れていたところだけど、今は幸い分別のある大人だ。僕は予想外のボケにもめげずに話を続けた。

「男女交際しましょって意味。僕、ナマエのこと好きなんだよね」
「え…あの、すみません…私そういう冗談に上手に返せなくて…」
「はぁ、そうくるか」

すみません。と彼女はもう一度謝った。相当告白され慣れてないのか、僕が冗談でしかこんなことを言わないと思われているのか。前者だと思いたい。

「あのね、僕もさすがにそんな性格悪くないから。本当にナマエのことが好きなの。そんなに信じられないならデートしよう。僕が本気だってことがわかるまでさ」

え、とか、あ、とか、煮え切らない言葉をぐつぐつさせるナマエを畳み掛けるように約束を取り付け、その時まずはと気安い映画デートに誘った。兎にも角にもナマエに僕を意識させるところから始めなきゃいけない。
この日をきっかけに、僕とナマエは先輩後輩以上恋人未満の関係になったのだった。


僕がナマエの住むアパートに車を横付けすると、丁度二階の玄関が開いてナマエがとことこと姿を現す。
その様子を観察していたら、僕の車に気がついて、ぎょっとした顔になってから慌てて階段を降りてきた。
ちなみに僕の車は広げた翼の真ん中にロゴが入ったエンブレムでお馴染みのメーカーのクーペ。シートと内装をちょっとだけカスタムしてる。

「や、ナマエ」
「お、お疲れ様です…」
「恋人たちの挨拶にお疲れ様ですはないでしょー。さ、乗って乗って」
「恋人じゃないんですけど…」

ナマエの言い分を無視して、助手席に座ることを促す。ナマエは促されるまま助手席に乗ったので、わざわざ体の前を覆いかぶさるようにして彼女のシートベルトを締めてやった。
ナマエはカチンと身体を硬直させて背もたれにべったりと張り付いている。怯えてるみたいで可愛い。

「意識しちゃう?」
「…なんかここまでされると介護のようだと…」
「何それ、心外なんだけど」

介護ってそりゃないでしょ、と言いながら、僕は自分のシートベルトを締めるとエンジンをかける。
キュルルとスターター・モーターの回る音がして、そのあとドッとエンジン音が轟いた。あまり車にこだわりがあるわけではないけれど、この男っぽい音は気に入っている。
なめらかな走り出して車を動かすと、隣でナマエが何か言いたげにしているのが目に入る。

「なに?どうかした?」
「…あの、すみません、近所の目が怖いんで私でも知ってるような高級車で来るの辞めてもらっていいですか…」

まぁ確かに高級車だとは思うけど。

「好きな子の前ではカッコつけたいのが男でしょ、そこは諦めてね」

視界の端でナマエが溜め息をつく。BGMはお気に入りの洋楽のプレイリスト。訂正。ナマエが好きそうな洋楽のプレイリストだ。

「カフェラテとミルクティー、好きなほう飲んでよ」

ドリンクホルダーを指差すと、ナマエは「うーん」と悩んだようにじっとカップを見つめた。
僕の調べによると、ナマエは炭酸が苦手で、コーヒーにも紅茶にもミルクと砂糖を入れるタイプ。どっちも同時くらい好きなはずだ。

「どっちが甘いです?」

僕はウィンカーを右に出しながら、ナマエの予想外の質問について考える。
ナマエの家までの道中、お気に入りのカフェに寄ってテイクアウトしてきたものだ。ちなみにここは、グルメの七海も認める美味いコーヒーを提供している。が。

「そうだなぁ、ここの店はミルクティーのほうが甘いかな」
「じゃあカフェラテで」
「あれ?甘いの苦手じゃないでしょ?」

てっきり甘いものが飲みたいという意味で聞いたのだと思ったのに。答えは全くの反対だった。
もうすぐ首都高の入り口に差し掛かる。

「甘いのは好きですけど、より甘いほうを五条さんに飲んで貰ったほうがいいなと思って」

はぁ、こういうの無自覚でやって来るんだよねぇ。困っちゃう。

「どこに行くんですか?」
「ん?知りたい?」

カフェラテのストローを咥えてナマエは流れていく景色を眺めた。
防音壁から除く高層ビルたちをぐんぐんと置き去りにする。

「そりゃあ…まぁ…」
「とってもいいところ」

僕の分取って、と言うと、ドリンクホルダーからミルクティーを差し出されたので「飲ませてよ」と追加の要望を唱えたら「自分でやってください!」と顔を真っ赤にして断られてしまった。


向かう先は郊外。首都高に乗ってすいすいと車を走らせる。途中何回かの乗り換えを経て小一時間でついたのは、一面に黄色がひしめきあうひまわり畑だ。
隣接する駐車場に車を停め、黄金色の海に近づいていく。
2メートル以上はあろうかというひまわりたちで構成されたそれは、中に入ってしまえばナマエがきっと埋もれてしまうほどよく育っていた。

「わぁ…すごい!」

車での移動中とは打って変わって、ナマエはキラキラとはしゃいだ声でひまわり畑を称賛する。僕よりも幾分も下にある彼女の瞳には、きっとこの満開のひまわりが映り込んでいるんだろう。

「あっちからひまわり畑に入れるみたいだよ」

整備された遊歩道が左手に見えた。
観光客用に開放されている場所ではあるが、平日の昼間でとういこともあり、僕らの他に観光客はいなかった。そもそも人の多そうな場所は選んでないつもりだったけど、二人きりとは嬉しい誤算だ。

「遊歩道行ってみる?」
「はい!行ってみたいです!」

僕らは歩幅を合わせながらその遊歩道へ向かい、二人で並んで泳ぐように進む。
ひまわり畑の真ん中ほどまで移動してみたが、やっぱりナマエはひまわり畑にしっかり埋まっていた。190センチ以上ある僕だって外から見えているのかちょっと怪しいくらい、このひまわり畑は迫力がある。

「すごいですね、こんなに立派なひまわり久しぶりに見ました」
「僕もこんなに大きいのは久しぶりに見たなぁ」

高専のまわりでもあんまり見ないですもんね、とナマエが笑った。じりりと太陽が地面を焼く。
太陽に向かってまっすぐ伸びているひまわりの花の裏側を、ナマエは確かめるようによく観察した。

「人が全然いなくて貸切みたいですね」

ナマエがそう言って、そうだね、と肯定するとサッと顔を青くした。

「ま、まさか…」
「いや流石にひまわり畑の貸し切りはしてないよ」
「そ、そうですよね…!」

あからさまにナマエが胸を撫で下ろす。別に貸し切りにしてもよかったよ?と言ったら、きっと面白いぐらい焦るんだろうな。
君を喜ばせるためなら、そんなことぐらいなんてことないのに。
ナマエは僕がそんなことを考えているなんて全然気づいていない様子で、またひまわりの観察を始める。
そうしているうち、ぽつりと彼女が言った。

「実家の近くに咲いてたんです」
「そうなの?」
「はい。ここと同じくらい背の高いひまわりで、こんなに広くはないですけど、祖父が手入れをしていて、毎年夏になるのが楽しみでした」

実家の光景を思い出しているだろうナマエは、いっそう表情を和らげた。
地面を焼くほど暑いはずなのに、彼女のまわりだけはどこか涼しげな空気が漂っているように感じる。ひまわりの落とす影のせいかもしれない。

「よかったら今度見に来ますか。他にもたくさん野の花が咲いていたりしてきれいなんですよ」

風にさらわれる髪を指先で捕まえながら、ナマエはそう言って僕のことを見上げた。
さっきまでひまわりでいっぱいになっていたはずの瞳に、今度は僕が映っている。

「へぇ、僕に実家まで挨拶しに来いって?」
「えっ、あっ、そうじゃなくて…あの、別に深い意味は…!」

からかってやると、それでようやく自分の発言の意味に気付いたのか、慌ててどうにか否定を試みだした。真っ赤になる顔が面白くてつい噴き出せば、今度は下を向き、拗ねたように唇を尖らせる。

「悪かったって、拗ねないでよ」

機嫌を取るようになだめて、僕は無意識のうちにナマエの頬に手を伸ばしていた。
触れる寸でのところでハッとその手を止め、行き場を失った僕の手は不恰好に宙に浮いた。

「ねぇ、ひまわりの花言葉って知ってる?」

ひまわりの花言葉は「あなただけを見つめる」というものらしい。
僕がどうして今日ここへ君を連れてきたのか、君は気づいているだろうか。きっと気づいてないんだろうな。なんて思いながら宙に浮いた手をなんとか下ろし、僕はナマエをじっと見つめる。

「…五条さんこそ…知ってたんですか」

そろりと顔を上げたナマエと、ばちん、視線がかち合った。

「もちろん」

僕が手のひらを上にして差し出すと、ナマエがおずおずといった様子で手を伸ばしてくる。今までの僕ならさっさと捕まえてしまうところだが、今日は彼女が自分から僕に触れるまで動かずに待った。
そうしてそのまま待っていれば、やがて指先が手のひらに触れて、まるで獲物を捕らえる肉食動物のような確かさで僕はナマエの手を捕らえる。

「もっと先に進んでみようよ」

ナマエとなら、どこまでも泳いで行ける気がするんだよね。大丈夫。僕の勘は結構当たるから、安心してくれて良い。
僕はナマエの手を引くようにして一歩前へと踏み出す。それに合わせ、ナマエも遅れて一歩を踏み出した。
ふいに強く風が吹いたから、ひまわりが波のように揺れる。僕らはふたりその真ん中で黄金色の海を漂っていた。


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