ヴァージンコンプレックス




※下品。五条がクソ野郎なので注意。



「猪野、私はもうダメかもしれない」

私は任務終わりの高専で缶コーヒーを飲みながら、同期の猪野相手に深刻な相談を持ちかけていた。
高専の入り口付近にある自販機のそばは学生時代から何かと私たちが溜まり場にしていたところで、任務が一緒になると未だにここでダラダラする習慣がついている。
関係ないけど微糖ってメーカーによって甘さ違いすぎるくない?

「はぁ?何が」
「七海さんに嫌われてしまう…」
「なんで」
「それは…」

七海さんと私は、三ヶ月前からお付き合いを始めた。年上で強くてかっこよくてスマートな七海さんが一体私のどこを好きになったかは甚だ疑問だが、今はどうでもいい。

「私、処女だからさ…」
「ぶっ!おま、何言って…!」

猪野は盛大にコーラを噴き出した。汚いな。
ポケットからティッシュを取り出し、汚れた口元を拭っている。ポケットティッシュ常備の男とか私より女子力高いな。

「男の人って面倒だから嫌なんでしょ?」
「どこ情報だよ」
「ネットと五条さん」

限りなく信用に値しない情報源だが、それでも情報は情報だ。

「つーか、それ七海サン本人に確認しろよ。なんで五条サンとそんな話になってんの」


話は一週間前に遡る。
任務の報告に立ち寄った高専で、私はとくにこれといった当てもなく散歩をしていた。
今日は午後からオフだし、気になっていたベーカリーカフェに行くのもいいかもしれない。美味しかったら七海さんを誘おう。七海さんはグルメだから、デートのときはいつもお店選びを任せっきりにしてしまっている。たまには私も美味しいお店を紹介したい。
ぼやぼやしながら考えていると、後ろから不吉な声がした。

「アレ、ナマエじゃん」

うわっ。五条さんだ。
五条さんとは、五条悟と書いて天敵と読みたくなるほどの要注意人物だ。エンカウントしたら最後。何か嫌がらせを受けるまで逃れることは出来ない。

「あからさまに最悪だみたいな顔しないでくんない?流石の僕も傷つくって」

絶対嘘だ。五条さんがこんなことで傷つくもんか。
五条さんは言わずと知れた現代最強の呪術師なわけで、本来なら私のようなボンクラ術師が会話をする機会さえないはずなんだけど、たまたま任務のときに増援にきてくれたことと、私が七海さんと交流があることで恐れ多くも立ち話をする仲になった。

「あの…何か御用ですか…」
「警戒しすぎでしょ、ウケる」

立ち話をする仲、とういよりは、ていの良いおもちゃ、と言う方が正しいかもしれないな…。
いつもの怪しい目隠しではなく、今日はサングラスに私服だ。どうやら今日はオフらしい。珍しいこともあるもんだな。

「僕これから最近オープンしたカフェに行くんだけどさ、ナマエもついてくる?」
「え、何でですか」
「七海に美味しい店、紹介したくない?」

な、なぜそれを…!と思ったら「声に出てたよ」と普通に言われた。めちゃくちゃ恥ずかしい。
そんなこんなで連れてこられたのが表参道にあるとんでもなく敷居の高そうなカフェだった。カフェの敷居が高いってどういうことだよ、とセルフツッコミをしたが、実際私一人ではお店の前を通る気にもならなかっただろう。大通りから一本中に入った決してがやがやはしていない場所に、看板はどこだ?というほど小さい看板が掲げられたお店だった。
お高いお店と言うのはなぜ総じて看板が小さいんだろうか。ちなみに、ここに至るまで五条さんは7回スカウトマンに声をかけられている。顔が良いのも大変そうだ。

「どれにする?僕はねぇ、ガトーフレーズとモンブランとザッハトルテと…あ、あとフルーツタルトと季節限定パフェにしよっかな。ドリンクはショコラショーで」
「嘘でしょ、え、全部甘いじゃないですか」

絶対味覚死んでる。おっと危ない、口に出しそうだった。

「出てるよ」
「えっ…」

またやってしまった。五条さんの甘い物好きはもちろん承知だが、ここまでやばいのを目の当たりにするのは初めてだった。七海さんが「五条さんとは食事に行きたくない」と言っていた理由がよくわかる。

「ナマエは?何にする?僕の奢りだから好きに頼みなよ。あ、ケーキメニュー全種類いっとく?」
「勘弁してください」

私はケーキ全種類という拷問を回避し、ベイクドチーズケーキとストレートティーを注文した。もちろん店員さんは五条さんの顔面に釘付けだった。
ほどなくして運ばれてきたケーキにより、ただでさえ小さいおしゃれなテーブルがケーキで埋め尽くされた。五条さんは早速ザッハトルテにフォークを突き刺している。

「で、最近どうなの、七海とは」
「どう、とは…」

始まった…。カフェに着いたあたりから頭の隅にチラついていたことだが、五条さんがそもそもただの厚意で私をお茶になんか誘うわけがない。
今更ながら背中にヒヤッと汗が伝う。

「もうヤッた?」

紅茶を噴き出しそうなのを我慢して飲み込むと、げほげほと盛大にむせた。何、いまこの人なんて言った?
こんなおしゃれなカフェでする会話がこれか?いや、だからと言って何を話せばいいかは分からんけど。

「下品ですよ、五条さん。こんな白昼堂々と…」
「んな良い大人なんだからさぁ、初めてでもあるまいし、そこまで焦ることなくない?」

五条さんの言葉に、私はぐっと押し黙った。そう、小慣れていればこんなセクハラさくさく流してしまえるんだろう。小慣れていれば。
生憎と私は小慣れていない。小慣れていないどころかそういうことをしたこともない。ハタチ超えて嘘だろって?うるさい、こういうのは年齢じゃないんだ。

「まじ…?」

驚いた顔をしながら、それでもケーキを食べる手は止めずに五条さんが私のことを「ふーん、へー」と観察する。驚いた顔をするなら食べながらじゃなくてもっとちゃんと驚いて欲しい。
私は魔が差した。冷静に考えれば五条さんに相談して解決することじゃないのは一目瞭然だ。それをどうしてだか五条さんに相談を持ちかけてしまった。

「あ、あの…男の人は初めての子は面倒だから嫌いって聞いたんですけど…本当ですか…?」
「どこ情報だよ」
「…ネットで」
「ふうん。人にもよるだろうけど僕は嫌だね。処女って痛がって面倒だし」

がーん、と見事に私は石化ののち粉砕された。そうか、これが生の男の人の意見か。五条さんと七海さんを一緒にするわけでは断じてないが、同意見の男性を見つけてしまった以上、これでネットの戯言だという線は断たれてしまった。
私は心臓を粉々にしながらベイクドチーズケーキを食べた。美味しかった。



「と、いうわけなんだよ」

ずずずず、とコーヒーを最後の一滴まで見事に啜り、私は空き缶をゴミ箱にホールインワンした。
横目で見ると、猪野が白けた目でこちらを見ている。七海さんに見せていたあのキラキラお目目はどうした。

「なんで白昼堂々五条サンとそんな話してるのか信じらんねぇけど、だからマジで七海さん本人に確認しろって」
「どうやってよ。私処女なんですけど大丈夫ですかとても聞けってか。その瞬間別れ話になったらどうしてくれんのよ」

私は猪野に八つ当たりをしながら、なんとか対策を考える。
十代後半は必死に高専で術師の勉強してきたんだ。恋愛にうつつを抜かしているヒマなんぞ微塵もなかった。七海さんが初めての彼氏だっていうのに初体験なんてよそで経験しようもない。

「万が一嫌だって言われたところで今更どうしようもねぇじゃん」
「それなんだよなぁ、やっぱプロ?女性向けのそういうお店ってあるの?」
「知らね。おい調べようとすんな」

脱処女のために浮気するわけにもいかないし。へぇ、女性向けの風俗ってあるんだ…。でもなぁ、こういうのもちょっと怖いしなぁ。
なんとかこう、信頼できて今後も問題ないような相手で…。

「猪野ならノーカンになんないかな。ほら、同期だし、任務の怪我で内蔵まで見せ合った仲じゃん?」
「ねぇわ。恐ろしいこと言うなよ。てか、ミョウジは気抜きすぎだと思う」

は?気抜きすぎって何が、と言おうとしたら、背中にビリビリビリと視線を感じた。
ブリキの人形がごとくぎこちない動きで振り返ると、顎を少し上げて大きく溜め息をつく七海さんがいた。

「七海サンお疲れさまです。俺なんもしてないんで、ほんとに、後はよろしくお願いします」
「わかってますよ、手間を掛けさせましたね。お疲れ様です」

猪野の裏切り者!あいつはさくっと立ち上がり、七海さんに挨拶をするとすたこらさっさとこの場を立ち去ってしまった。
やばい、どこから聞かれてたんだろう。

「五条さんにカフェに誘われたあたりからですね」
「ほとんど全部じゃないですか!えっ、ていうか私いま口に出てました!?」
「口には出てませんでしたが、全部顔に出てましたよ」

さようで…。
あれ、ていうか五条さんと行ったカフェでケーキしか食べてなくない?食事系どんなふうかもわからないのに七海さんに紹介できなくない?
現実逃避をしていたら、ずんずんと七海さんが目の前まで迫ってきていた。

「で、私が処女が嫌いかどうかと言う問題ですが」

七海さんからそんなワード聞きたくなかったな…。と思っていると「聞いていますか」とお叱りが入った。これは結構怒ってるやつだ。
目を合わせるの怖いなぁ。などと日和ったこと考えているのが伝わったらしく、顎をぐいっと持ち上げられて、強制的に目を合わせる姿勢にされた。いつの間にやらいつものサングラスを取っていて、青とも緑ともつかない綺麗な色をした瞳に見つめられる。

「相手がアナタであれば、どちらでも構いませんよ」

ギュン、と胸が鳴った。キュンなんて可愛らしいものじゃない、これはギュンだ。やばい、心臓が爆発するかも。

「ほ、ほんとに…?」
「私がこんなことで嘘をつくとでも?」

私はぶんぶんと全力で頭を振って、違います違いますと両手も振った。
「髪が乱れますよ」と七海さんに言われてやっと止まって、嬉しいやら恥ずかしいやらの気持ちをかみ締める。
そうだ、そうだよね、ソースがネットと五条さんなんて情報を信じた私が馬鹿だった。

「とはいえ、五条さんと二人きりでカフェに行ったことも、猪野君ならノーカンにならないかと言ったことも許しているわけではないので」
「そ、それはなんというか、その…」

やばいぞ。言い訳を試みるが、そんなものが七海さん相手に通用したためしはない。あれこれ並べたてようとして、事態の悪化を避けるために私は両手を挙げて降参した。これが最善策だ。
七海さんはフゥーッと大きく溜め息をついて、整った顔を私の目の前まで持ってくる。え、うそ、まさか、キス?

「今夜ベッドで存分に証明して差し上げますから、そのつもりで」

キスよりももっと強烈なことを言われて、びくりと震えた身体が燃えてるみたいに熱くなる。やっと離れてくれた七海さんは平然とした顔をしていて、慣れた動作でサングラスを掛けた。
今の私は顔が赤いんだか青いんだかも分からなくなってるだろう。真ん中をとって紫かもしれない。
馬鹿なことを考えていたら、行きますよ、と七海さんに呼ばれた。慌てて背中を追ったけれど、あれ、ちょっとまってこれってこのまま七海さんの家に行くパターンなんじゃないの?




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