美しく青き春




※加茂くんの幼少期を捏造しています。
※設定の都合上名字固定です。



御三家の跡継ぎには、多種多様なお役目がある。
本家で行われる節目の催しはもちろんのこと、外部から招かれてパーティーに参加するということも少なくない。
私はその日、財界のお歴々の招かれる親睦会に呼ばれていた。

東京都内の一等地にある一流ホテルは、アプローチに沿って両側にライトアップされた噴水が並び、エントランスの天井には豪華なシャンデリアが吊り下がっていた。
料亭での食事会にはそこそこ慣れているものの、こういうホテルで行われるパーティーには慣れていないから気が重い。
ホテルマンの案内でロビーの人々の視線を巧みに避け、VIPの利用するエレベーターに案内を受ける。上昇する小さな箱の中で私はもう一度自分の身なりを確認した。

「何度着ても慣れないな」

ホテルでのパーティーが嫌いな理由のひとつに、このタキシードがあった。
黒紋付で向かわせてくれれば良いものの、時々こうして、家の言いつけでタキシードを着ていくようにと申し付けられることがある。大方、先方の要望なのだろうとは推察されるが、こういうときは大概ダンスをする前提なのが、私の気持ちをいっそう沈ませた。
呪術師にダンスを踊らせようなんてやつの気が知れないな、と文句を頭の中で思い浮かべていると、りん、とベルの音がしてエレベーターが到着を知らせた。
どうこう文句を言ったところで仕方ないのだ。

「加茂憲紀様、お待ちしておりました」

天井まで続く重そうなドアの前に立つ案内係に受付をして、会場の中に足を踏み入れた。
絨毯にオペラシューズが沈み込む。煌びやかな室内には所狭しと花が飾られ、女性物の香水の臭いと混ざって強烈に異空間だ。
早速帰りたい。帰って鍛錬していたほうがよっぽど有意義だ。
零してしまいたい溜め息をぐっと堪え、会場のなるべく隅を歩く。立食パーティーの形式になっているが、生憎食べる気にはならないな。
そんなことを考えていると、不意に背後から声をかけられた。

「あ、憲紀じゃん」

振り返ると、青い印象的なドレスを着た女性が立っていた。布をたっぷりと使っているスカート部分はずいぶんと歩きづらそうだ。
まるで絵画から飛び出したような美しさだが、はて、誰だったか。じっと考えてみたが、思い当たる節がない。しかも私を憲紀と呼び捨てにするような女性なんて。

「…失礼ですが、どなたですか」
「え、うそ、わかんないの?五条ナマエですけど」

飛び出た名前は、よく知ったものだった。
五条ナマエ、御三家の一角、五条家の分家で、東京校の三年。少し御幣はあるが、幼馴染のような存在だ。

「すまない、普段とあまりにも様子が違うから分からなかった」
「まぁね。綺麗でしょ?」
「確かに、いい生地だな」

素直にドレスに使われている生地を褒めると、目の前の彼女は大きく溜め息をついた。何か気に障ることでもあっただろうか。

「君も呼ばれていたのか」
「呼ばれたっていうか、付き添い?」

ナマエは行儀悪く手に持っていたフォークでちょいちょいと会場の真ん中を指す。なるほど、人ごみの真ん中でひとつ飛び抜けた白い髪が見えた。

「付き添いなら五条さんのそばにいなければいけないんじゃないのか」
「え、もう面倒になっちゃって。本当に嫌になったら悟くんも勝手に出てくるでしょ」
「君ってやつは…」

五条の分家という立場にありながら、彼女は昔から自由奔放だった。一度聞いたことがあるが、幼少期彼女に術式の訓練やら何やらを施していたのは五条さんらしい。師に似たな、というのは聞かずとも分かった。

「憲紀、食べないの?」
「…よく君は食べられるな」
「え、だって美味しいよ?」

ナマエの持つ皿の上にはショートケーキにチョコレートケーキ、それから名前のわからない色とりどりのデザート類が所狭しと並べられている。
立食パーティーでそんなに沢山、しかも甘いものばかりを食べるやつがあるか。と言いたくなったが、言うだけ無駄なので辞めた。

「憲紀、タキシード似合わないね」

ぱくりとケーキを口に運びながら、ナマエはひとが気にしていることをずけずけと言った。「着られてます感がやばい」と追い討ちまでかけて。
似合わないことは百も承知だ。しかも彼女のそばにはあの五条悟がいたのだから、あんなのと比べられたらひとたまりもない。
なにか言い返してやろうと口を開けば、私が言葉を発する前にナマエが続けた。

「私、黒紋付着てる憲紀の方が好き。あ、でも高専の制服着て戦ってるところも好きだよ」

ぱくり。また一口ケーキを口に放り込む。
出鼻を挫かれた私は、すっかり何を言うつもりだったかも忘れてしまった。


ナマエとの付き合いは、もう十年を超える。
加茂家の嫡男として迎えられることになったすぐ、御三家の集まりに連れ出されたときのことだった。
名高い五条家の跡取り息子のとなりに豪奢な振袖を着てつまらなそうな顔で座っている。
禪院の家にも同じくらいの年の子供がいると聞いていたが、この集まりには来ていないようだった。
大人がにこにこと笑いながら酒を酌み交わした。その笑顔が人形みたいに見えて気味が悪いと思ったことをよく覚えている。

「ねぇ、あなた名前は?」

配膳だなんだと人がごちゃごちゃ動き出したとき、隙を見計らったようにして振袖の少女が私の袂を引いた。

「加茂、憲紀…」
「ヒマでしょ?こんなとこ抜け出しちゃおうよ」

え、と抵抗する間もなく、私は座敷の外に引っ張られていた。彼女は嬉々として廊下を進み、振袖であることもお構いなしの大股歩きだった。

「き、君は?」
「私は五条ナマエ」

名前を聞いて、私はこの少女が、事前に聞かされていた許婚候補の筆頭であるとようやく知った。
五条の分家の娘、相伝ではないらしいが、鍛えれば良い術師になるだろう。当時は話の半分も理解できていなかったが、ナマエは加茂の人間からそう言われていた。

「屋敷の裏の山にね、大きなびわの木があるの。お座敷で出る料理より絶対美味しいから、いまからそれを食べに行こう!」

まさかこのままの格好でそんなところに行くつもりだとでも言うのか、唖然としたまま私は縁側から庭に出て、そのまま屋敷の裏の山なるところに連れて行かれた。
山と言っても手入れが行き届く範囲の規模ではあったが、子供二人には充分探検になり得る広さだった。
桃色と金色とで綺麗に模様の描かれたナマエの振袖はもうすっかり泥だらけだ。
びわの木の根元にたどり着くと、ナマエはどこから出したのかも分からないたすきで振袖をたすきがけにした。

「ナマエちゃん、やめようよ、危ないよ」
「平気よ。いつも登ってるもん」

見上げるびわの木は随分と立派だった。木登りなんてしたことのない私には、もうそれが途方もない高さに見えた。
ナマエは下駄を脱ぐと、足袋のまま器用に木を登っていく。言わずもがな、もう着付けは見る影もなく崩れていた。

「ほら、憲紀もきて。ここから見下ろす景色、とってもきれいなんだよ」

平気な顔をして、1メートルほど上から私を見下ろす。普段ならきっとこんな誘いに乗ることはなかった。どうしてだかこのとき、能天気に笑う彼女の隣に立ってみたいと思ってしまった。
私は木登りなんてろくにしたことがないのに、下駄を脱いで見よう見真似で木を登った。途中何度かずり落ちながらようやく登った木の上は、当たり前だけれどいつもと違う目線で、見えていなかったものが見える気さえした。

「はい、憲紀の分ね」
「あり、がとう」

私はナマエと並んで、びわの太い枝に腰掛けた。彼女の言うとおり、屋敷の敷地がすべて見渡せるほどの高さで、遠くには薄く山陵が見えた。

「春になるとね桜がきれいなの。ほら、あそこに川があるでしょ?それに沿ってずっとピンクの線が続いてくの」

彼女の指差す方には、青々と葉を茂らせる並木が見えた。どうやらあれは桜の木らしい。
手渡されたびわは、よく熟れて甘かった。加茂家の嫡男として迎えられてから、きっともっといいものを食べさせられているはずなのに、どうしてだかこのびわが一番美味しいもののように感じられた。

「美味しいでしょ?」
「うん」

二人して二つ目のびわを食べ始めたときだった。不意に風が吹いて、ぐんっと木の幹が揺れた。目の前のナマエの体がぐらりと傾く。

「あっ…!」

危ない、と思ったときにはもう手が届かなかった。伸ばした手を擦り抜けて振袖がひらひら落ちて行く。
どうしよう、と思っていたら、木の根元のところでぽすりと誰かが受け止めたのが見えた。

「あっぶね」

白い髪の、長身の、あれは五条家の跡取り息子だ、とすぐにわかった。
私はナマエに大事がないことにほっと胸を撫で下ろした。

「あ、悟くん」
「座敷抜け出したと思ったらやっぱりここかよ」
「憲紀にびわを食べさせてあげたかったの」
「憲紀ぃ?ああ、加茂ンとこのガキんちょね」

私も結局五条さんに手伝ってもらって、なんとか木から下りることができた。そういえば登ることばかりを考えていて、下りるときのことは考えていなかった。
気がつけば私もナマエも着物がボロボロになっていて、けれど不思議とそれを父上から咎められることはなかった。
後から知った話だが、ナマエが私の義母に頭を下げたのだという。その隣に五条さんまでいたものだから、何も言えなかったという顛末だった。


初めて会ったときから、こうして彼女に振り回されている。
小学生のときは家出をしたといって京都まで一人で来たり、中学の修学旅行ではホテルをこっそり抜け出したといって夜中に加茂の家まで来た。あまつさえ観光案内してよ、とのたまって、深夜の鴨川を二人で歩いた。
高専に入ってからは京都限定の菓子があるからと1ヶ月に1回は京都校に顔を出している。こんなに京都校に顔を出す東京の生徒はナマエ以外見たことも聞いたこともない。

「あ、ワルツが始まるね」

ナマエとは、実のところつい先週会ったばかりだった。
東京の店舗限定の化粧品だとかなんとかを西宮と真依と三輪に届けに来ていて、それくらい宅配便を使えばいいんじゃないか、と言ったら思い切り溜め息をつかれた。理由はよく分かっていない。

「憲紀、踊ろっか」

何を思ったのか、皿を給仕に渡したナマエは唇に弧を描いて言った。
照明が切り替わり、前方の壇上のオーケストラは揺れる三拍子のリズムを刻む。

「こういう踊りは門外漢なんだ」
「なによ、ケチ」

口先を尖らせたナマエはそのままこつこつと私に近づく。目の前では男女がペアになり、三拍子に合わせてくるくると踊っていた。
ちょんと手の甲に触れる感覚がして、何を、と思えばあっという間にナマエに右手を握られていた。

「ほら、憲紀。手を掴んで、もう片方を私の腰に回して」
「だから私は踊れないと…!」
「いいからいいから」

無理矢理私の手をホールドの形にしていく。それからナマエは私の肩に手を添えると、抱き寄せる格好になっている私の左腕に体重をかけた。
どうして君はいつもそう強引なんだ。

「…恥をかいても知らないぞ」
「大丈夫でしょ、憲紀と一緒ならなんでも楽しいもん」

この能天気な顔に結局絆されて、私は柄にもなく木登りをして、深夜の無断外出をして、挙句ワルツまで踊らされることになる。
何度もお互いの足を踏む不恰好なワルツのあと、感想を求められたから「青いドレスがくるくると回ってかざぐるまのようだと思った」と述べれば、ナマエはひとしきり笑って「憲紀らしくて好き」と言った。
いつの間にか、ホテルに着いたときに感じていた気の重さは、すっかりなくなってしまっていたのだった。


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