したごころお食事会



今日も任務で失敗をした。
死に至るような重大なものではなかったけれど、失敗は失敗だ。ツーマンセルを組んでいた猪野先輩がいなかったら、私は腕のかすり傷どころでは済まなかった。

「ミョウジちゃん?」

そもそもツーマンセルというか、私の任務に猪野先輩がついてきてくれただけどというか、猪野先輩ひとりならきっともっと早く終わっていたというか。
はぁ、なんで私はいつもこうやって足を引っ張ってばかりなんだろう。

「おーい、ミョウジちゃん聞いてる?」

私は高専を卒業しても準二級のまんまで、今は単独任務も許されてない。
それもこれも近距離に特化した術式だっていうのに私のメンタルが追いついてないせいだ。

「ミョウジちゃんってば!」
「はっはいぃっ!!」

不意に猪野先輩の顔が視界いっぱいに広がって、私は情けない声を上げて返事をした。

「さっきから呼んでたんだけど、ミョウジちゃんまたひとりで余計なこと考えてたっしょ」
「よ、余計なことじゃ、ないですよ…今日の任務また失敗しちゃったなぁって」
「失敗の反省は大事だけどさぁ、ミョウジちゃんの場合必要ない自己嫌悪まで始めちゃうじゃん」

うっ…猪野先輩鋭い…。
ちょうど反省から自己嫌悪に思考が切り替わったところだった。

「…メシ食いに行く?」

私が黙ったまま俯いていると、猪野先輩が頬を掻きながら言った。勢いよく顔を上げれば、学生時代と変わらない猪野先輩と目が合う。

「い、行きます!」



猪野先輩は、高専時代のひとつ年上の先輩だ。
来訪瑞獣という立派な術式を持っていて、強くて、優しくて、頼りになる。当時から面倒見の良い人で、出来の悪い私に根気よく指導をしてくれた。

「やっぱり私に術師なんて無理ですよぅ…」
「まーミョウジちゃんまだ二年だろ?焦らなくてもいいんじゃない?」
「で、でもぉ…私任務で失敗ばっかりで…」
「最初はそんなもんだって」

近接に特化した肉体を強化する類の術式にも関わらず、私は肝心の近接戦闘が大の苦手だった。
まず男の人と当たると根本的な力の差で押し負けるし、そこに呪力を込めると加減が出来なくて無尽蔵に辺りのものを吹き飛ばしてしまう。
その日も同行してくれていた猪野先輩を呪霊と共に吹っ飛ばして、怪我をさせてしまった。呪いを祓うどころか、仲間に怪我をさせるなんて術師失格だ。

「俺はさ、高専って呪霊を祓って誰かのためになることを学ぶ場でもあるけど、呪霊との戦い方を学んで身を守る訓練をする場でもあると思うんだよね」
「自分を、守る?」
「そう。呪いが見えるってだけで苦労することもあるだろ?そういうのと上手く付き合う練習だって思ってみてもいいんじゃね?」

猪野先輩のその言葉は、私にとって夜に射す光というか、蜘蛛の糸というか、そんな感じで。蜘蛛の糸はちょっと違う気もするけど、とにかくたったひとつの活路というか、そういうものになった。

「腹減らない?昼メシ行こうよ」

猪野先輩はとっても優しい顔で笑って、情けない顔をしていた私をラーメン屋さんに連れて行ってくれた。
食券を買うタイプのお店に初めて行った私は、券の買い方から注文の仕方まで全部を教えてもらった。猪野先輩には教わってばかりだ。

「猪野先輩、おいひいです…」
「誰もとんねーからゆっくり食えって」

がつがつあの日ラーメンを啜ったのは、美味しかったからとかお腹が空いていたからとかそういうことよりも、恥ずかしさとか情けなさとか嬉しさとか、そういう感情が溢れてしまいそうだったからだ。
隣でおんなじラーメンを食べる猪野先輩を見ながら、私はこの人が好きだなぁと自分の恋心を自覚した。



「今日はどんなお店に連れて行ってくれるんですか?」
「今日は七海サンに教えてもらった大衆中華の店。餃子が美味いんだって」

猪野先輩の後ろをついて歩き、今日の晩ご飯について思いを馳せた。
中華、中華か。楽しみだなぁ。麻婆豆腐とかエビチリとか食べたい。餃子…も美味しいって言われたら気になるけど、猪野先輩の前でニンニク使ってるの食べるのはなぁ。昔と違って気にする。

「ミョウジちゃん、麻婆豆腐好きっしょ、ちょっと辛いやつ。七海サンが麻婆豆腐も美味いって言ってたんだよね」

好物を見事に把握されている。そりゃもう何度も一緒にご飯を食べてるのだからしょうがないんだけど、こういうのはちょっと恥ずかしい。
歩いてそれから電車に乗って連れてきてもらったのは、巷にあふれる大衆中華料理屋さんだった。任務終わりにも行ける気軽な店構えで、看板に大きく載っている餃子は確かに食欲をそそるふっくら感と焼き目だ。ぐるぐるとお腹が鳴らないか心配になる。

「ミョウジちゃん、どうした?」
「お、お腹鳴っちゃいそうで…」
「ふはっ!いいじゃん、俺、美味そうに食べてるミョウジちゃん好きだよ」

えっ!と思った時には猪野先輩はお店に入っていってしまっていて、私は慌ててその背中を追った。
お店の端っこのテーブル席に腰掛け、メニューを私側に向けて開いてくれる。何にする?と聞かれて、私は麻婆豆腐を指差してこれがいいです、と言うと「やっぱり」と猪野先輩がにひひって笑った。

「猪野先輩は何にするんですか?」
「んー、俺は炒飯と餃子と…あ、エビチリも。ミョウジちゃん好きだったよね?」

またしても好物を把握されていることを気恥ずかしく思いながら、でもやっぱり私のことを覚えていてくれているのが嬉しい。
お料理を待つ間、この前行ったカフェの話とか、新作映画の話とか、任務とは関係のない他愛もない話をした。猪野先輩は任務が終わった後に任務の話を持ち出すことがあんまりない。多分萎縮してしまう私に気を遣ってくれているのだと思う。
ちょうど話が途切れたタイミングでお料理が運ばれてきて、私は思わず「わぁ!」と歓声をあげた。

「ミョウジちゃん喜びすぎっしょ」
「うっ…すみません、美味しそうだったんで思わず…」

ホカホカの料理を前に私たちは手を合わせて「いただきます」をした。猪野先輩は男の人だけど、礼儀作法がしっかりとしていて、お箸の使い方とか食事の仕方が綺麗だ。
ホカホカの湯気が漂う麻婆豆腐にレンゲを沈み込ませ、お豆腐を掬い上げる。香辛料がピリピリと鼻腔を刺激した。一口食べれば口の中にふわっと香りが広がって、そのあと舌にピリッと唐辛子の辛さが走る。はぁ、美味しい。
猪野先輩は私の食べる様子を確かめるように見て、それからやっと自分の炒飯に手をつけた。
エビチリのエビもぷりぷりで、餡の甘辛さが麻婆豆腐とまた違ってちょうどいい。どんどんと食べ進めていたら、向かいの猪野先輩が自分の炒飯を掬いながら言った。

「ミョウジちゃん、餃子食べないの?」
「えと、あの」

う、ニンニクが気になるからって言えない…。きょとん、とした顔だった猪野先輩は少し「うーん」と考えた後で、わかったぞ、とでもいうような顔に変わった。

「ニンニク気にしてる?」
「うっ…はい…」
「はは、気にしなくてもいいのに」

そりゃあ、意識なんてしてない猪野先輩はいいかもしれないが、私が気にする。好きな人の前でニンニク臭いのは、いくら餃子が美味しいからってそういう問題じゃない。

「ほら、俺も食べてるし、お揃いだからわかんねーって」

そう言って、猪野先輩は目の前の美味しそうな餃子をぱくりと口の中へ運んだ。
やっぱり美味しそう…。食べたい…。私のぐらつく考えを見透かしたように、猪野先輩が餃子のお皿を差し出した。

「いっいただきます…!」

やっぱり食べたい。見事に食欲に負けた私は差し出された餃子をひとついただく。
皮がカリッとしていて餡がお肉たっぷりでジューシー。ああ、ニラの配合がめちゃくちゃ絶妙で美味しい。

「美味しいです!」
「だよなー。さすが七海サンおすすめの店って感じ」

七海さんって結構グルメだって聞いたことあるけど、町中華まで網羅してるなんてすごいなぁ。お洒落なイタリアンとかのイメージが勝手にあって、こういう気軽なお店のイメージってあんまりない。
猪野先輩の勧めでもうひとつ餃子を頂いた。
私たちは注文したお料理を平らげ、猪野先輩がまとめてお会計をした。いつも自分の分くらい払いますと言っているけれど「先輩だから」「男だから」と毎度理由を付けられて成功した試しはない。

「ご馳走様です…」
「いーのいーの、俺が誘ったしね」

お店を出たところで、黒い革の二つ折り財布をポケットにしまいながら猪野先輩が言う。

「遅いし送るよ」
「えっ!いいですよそんな!」

私は猪野先輩の申し出にぶんぶんと両手を振った。申し訳なさすぎる。任務で迷惑をかけて、ご飯をご馳走してもらって、その上送ってもらうだなんて。

「ミョウジちゃん女の子じゃん。送らせてよ」

出来が悪いと言っても、私だって術師だ。その辺の一般人よりはよっぽど強いのに。
「ね」と押されて、私は「お願いします」とあっさり折れた。だって嫌じゃないんだもん。それどころか、めちゃくちゃ嬉しい。

「じゃ、行こっか」

猪野先輩と夜道を並んで歩く。バレないようにちらりと横目で猪野先輩を見上げると、こちらを向く気配がして慌てて前を向いた。バレたかな。
猪野先輩と私には珍しくあんまり会話がなくって、しばらく歩いたところで「ミョウジちゃんさぁ」と猪野先輩が切り出した。

「自分のことビビリだって言うけどさ、それも大事だと思うよ」
「大事、ですか?」

大事かなぁ。言葉を図りかねて言葉を反芻していると、猪野先輩が続きの言葉を話してくれた。
夜道は時折車が通り過ぎるだけで、あとは静かに風が吹いている。今日は新月だから、月明かりがないぶん星がクリアに見えた。

「ビビリっつーことは言い換えりゃ危機察知能力が高いっつーか、無茶しないってことじゃん?やっぱ好きな子には怪我とかしないでほしいし…」
「えっ…」
「あ…」

す、好きな子?いま、好きな子って言った?
勢いよく隣の猪野先輩を見上げると、決まりの悪そうな顔で視線を右に左に泳がせていた。まるで、恥ずかしがってる、みたいな。

「あー、気付いてたかもしれないけど俺さ、ミョウジちゃんのこと好きなんだよね」
「えっ、あの…」
「こんなふうに言うつもりなかったんだけど…俺が一級術師になったらまたちゃんと付き合ってって言うからさ、それまで考えててくんない?」

うそ、猪野先輩が、うそ。全然気付いてなんかない。うそ。私が動揺しているうちに猪野先輩が話を進めてしまって、しかも自己完結するみたいな方向で、私は慌てて猪野先輩の服の裾を掴んだ。
ぐんっと勢いづいて猪野先輩が止まって、びっくりした顔で私を見下ろした。

「そ、それまで待たなきゃだめですか…?」

せっかく猪野先輩の気持ちを聞けたのに。待つなんて嫌だ。私もちゃんと、言わないと。

「私も…好きです」

さっき餃子食べたなぁとか、任務のあとだからろくにお化粧できてないなとか、もうそんなことはどうでもよくなってしまって、私は必死に胸の奥でずっと燻っていた言葉を舌に乗せた。
好き、好き、猪野先輩、ずっと前から、猪野先輩のことが好き。

「マジ?」
「ま、マジです!」

猪野先輩が私の手に手を重ね、裾を引っ張っていた手を優しく解くと、そのまま腕を引かれてすっぽりと腕の中に収められる。

「マジか〜」

マジか、マジかぁ。猪野先輩がおんなじ言葉ばかり繰り返すのがおかしくって、思わず笑いをこぼすと、抱きしめる力をぎゅうっと強められた。

「餃子のあとにチューってのは何だしさ、やっぱ今度リベンジさせてよ」

そんなの、今更私は気にしないのに。今度は猪野先輩が気にするなんて変なの。
「じゃあ今度のオフの日教えてください」そう言えば、猪野先輩が「マジかぁ」とまた言って、そのあとやっと来週の予定を取り付けた。
デートに行ける服あったかな。買いに行った方がいいかも。猪野先輩はどんな格好が好きなんだろう。
中華料理屋さんのちょっと油っぽいにおいを残したまんま、私は猪野先輩の真っ赤な顔を見上げた。


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