メルト・キス・フレンド


まず悟がジュースを買いに行く、と言ってコンビニに向かった。硝子は歌姫先輩から電話だといって自身の寮室に戻っていった。
残った私はナマエとふたり談話室のソファに座り、地上波初放送の映画を見ていた。
ナマエはバニラアイスをちまちまと掬い、小さい口にせっせと運んでいる。悟もナマエもよくもまぁ毎日こんな甘ったるいものを食べれるな、といっそ感心するような心持で、私はブラックコーヒーをずずずと啜る。

「ねぇ夏油はキスってしたことある?」
「は?」

いきなり何を言い出すんだ、と思ったら、案外本気だったらしく、ナマエは真剣な顔をしてこちらを見ていた。
視線をテレビ画面に向ければ、なるほど主人公とヒロインのキスシーンが流れている。

「どんな味なのかなって思って。ほらファーストキスはレモンの味っていうじゃん?」

また古典的な…と頭を抱えそうになって、それより先にむくむくといたずら心が頭をもたげた。私は手にしていたマグカップをことりとテーブルに避難させると、ナマエの肩を素早く掴んで唇を奪う。
何度がやわい唇の感触を確かめて、惚けて半開きになっているそこに舌をねじ込む。蹂躙するように内側を荒せば、やっと意識が追い付いてきたナマエが遅い抵抗を始めた。
残念。そうはさせない。

「んっ!んんっ…!!」

押し戻そうとする彼女の腕は基本的に私に効果はないのでそちらは放っておいて、口を閉じられてしまわないように顎に手をかけてそれを阻止する。
次第にどうしようもなくなった唾液がはしたなく音を立て、ナマエの背中が震える。
私は充分にその唇を堪能したところでナマエを開放してやった。

「どんな味だった?」
「コーヒー、牛乳…?」

顔を真っ赤にしながらそんな間抜けなことを言うものだから、思わず笑った。ナマエは不服そうに口を尖らせている。
この日の出来事をきっかけに、ナマエと私の間にキスをする友達、という奇妙な関係が成立してしまった。


「あ、夏油、いたいた」
「ん?何か用だった?」
「うん、明日の任務の資料だって夜蛾先生から預かってきたの」

そう言ってペラ紙一枚の資料を差し出すナマエの手首を掴むと、彼女は顔を上に向けて目を閉じる。
私は頬に手を添えて、その小さな唇に口づける。

「今日は何味?」
「うーん、コーラ?」
「当たり。さっき悟に賭けで勝ってさ、その戦利品」

私は後ろ手に隠していたコーラの缶をひらりと取り出して見せた。
夏油が甘い飲み物って珍しいね、と言われたが、私だってたまにはコーラくらい飲む。

「夏油と五条の賭けっていつも何で勝負してんの?」
「色々だよ。今日は普通に灰原と七海どっちが先に食堂に来るか賭けてた」
「めちゃ普通じゃん」

一体どんなことで勝負していると思われていたのか、ナマエはそう言って笑った。


その日の夕飯を終えた午後9時。悟の部屋でゲームをしていると、藪から棒に悟が尋ねた。

「なぁ、傑ってナマエと付き合ってんの?」
「いや、付き合ってはないけど」
「はぁ?この前キスしてただろ?」

見られてたか。この前、はてさて談話室でのことか、自販機の前でか、それとも寮の廊下でのことか。どれだろうな、と考えていると、悟が「どれのことかわかんねーくらいしてんだろ」と言った。大正解だ。

「何回か見たもん」
「ああ、なるほどそういう」

やけに察しがいいな、と思ったが、どうやら実際何度も目撃されていたらしい。

「傑ってナマエのこと好きだろ?コクんねーの?」
「それはそうだけど、今のままでも結構楽しいんだ。ナマエ、いつもキスの味を当てるつもりなのか、何味?って聞くと律儀に答えるんだよ。可愛いだろ」
「おえっ、傑シュミ悪〜」

悟はそう言って心底気持ち悪そうな顔で舌を出す。
ナマエは多分、私のことを好きでいるのだと思う。嫌いな人間と二度も三度もキスが出来るような性格ではないだろうし、今日だってキスするって解ってたはずなのに逃げなかったし。

「アイツ真面目だし、1週間以内にやめにしない?って言ってくるにアイス1週間分」
「へぇ、負け確の賭けに随分大きく出たな。私は1週間以上流されてくれるのに缶コーヒー1週間分」

それはない。このまま私がちゃんと告白するまで、彼女はこの関係に流されるだろう、と思っていた。が、それは見事に外れた。


翌々日。
自販機の前でナマエに出くわし、奢るよ、と言って彼女の好きなココアを買って渡すと、「ありがとう」の言葉に続けて彼女はもごもごと言いづらそうにして、それからすぅっと大きく息を吸って言葉を吐き出す。

「げ、夏油、もうこういうのやめにしない?」

ピシリ、と音を立てたんじゃないかと思うくらい見事に固まった。
は?いま、なんて?

「…こういうのって?」
「だからこういう…キス、するの…」

平静を装ってはぐらかしたところで、言われたことが変わるわけではない。
ナマエは両手でアルミ缶をぐっと持って、もう顔をあげていられないとばかりに俯いた。

「わ、私がファーストキスはレモンの味とかそんなこと言い出したからっていうのは分かってるんだけど…付き合ってもないのにこういうの、やっぱり良くないと、思う、から…」
「ナマエ」

私は咄嗟に俯く彼女の顎を親指と人差し指で持ち上げ、がっちりと固定すると、ぽかんと開いた唇に自分の唇を重ねる。逃がしたくない、逃げないでくれ。
次の瞬間、パチン、と頬に衝撃が走った。ナマエの平手が私の頬を打ち、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけていた。

「や、やだって、言ったのに…!」

ナマエはそう言って踵を返すと、引き留める隙さえ与えることなく立ち去った。
私は隣接するベンチに腰を掛け、遠ざかる足音を聞きながら、くそ、と情けなくひとりごちていた。


「おい夏油、オマエの歪んだ性癖にこれ以上ナマエを付き合わせんな」

夕方、なんとかナマエと接触を試みようと男子寮と女子寮の間にある談話室で張っていると、先に現れたのは硝子だった。
不機嫌を隠さない目つきで腕を組み、指でいらつきを表現するように二、三度自らの腕に打つ。
硝子はどこまで聞いているんだろう、と考えていると、硝子が先に口を開いた。

「突然キスされて、それから夏油の気まぐれでキスするだけの友達になったって聞いたけど、オマエそういう遊びはよそでやれ。ナマエを巻き込むな」
「…ナマエは?」
「目ぇ真っ赤に腫らして私の部屋」

そうか、そうだよな。咄嗟だった。最後にキスしたのは。
辞めようと言われて、なんとか彼女を引き留めたくて。でもこんなのはすべて言い訳だ。

「正直、そういう関係を楽しんでたのは否定しないけど、ナマエのこと遊びだっていうのは違う」
「は?夏油まさか…」

硝子の言葉は続かなかったが、何を言いたいのかは充分解る。
硝子は大きくため息をついて額を押さえると、今度は盛大に舌打ちをした。

「…恋愛下手かよ」
「そうみたいだ」

私も昨日まで知らなかったんだ。ナマエの優しさにあぐらをかいていた。本当はもっとちゃんと言うべき言葉があったんだ。そんなこと、ガキでもわかるはずだろ、と頭の中のどこか冷静な自分が嘲笑した。

「ナマエのこと傷つけてんだから協力はしてやんねー。けど、私の部屋っていうのは嘘。腫れた目冷やすために医務室行ってる」

協力しない、と言いながらしっかり硝子はナマエの居場所を教え「二度目はないからな」と言って踵を返した。
私はその背にありがとうと声を投げ、ナマエを見失ってしまう前に医務室に走る。
木造の古い床板がぎいぎいと大きな音を立てるのも構わず、寮を出て医務室のある校舎へ向かった。
校舎の左、職員室とは反対側。任務の時よりよっぽど早いんじゃないかと思うほどのスピードでたどり着いた医務室の戸を開けると、がたんという大きな音に驚いたのであろうナマエが大きく目を見開いてこちらを振り返っている。
ナマエの名前を呼べば、わかりやすく肩をびくつかせた。

「君にその、本当は言いたいことがずっとあったんだ」
「な、なに…ほっぺ叩いたのは謝らないからね」
「え?ああ、違う。そんなことじゃない」

そんなことで君に謝らせたりなんかするわけがない。
私が一歩寄るとナマエが一歩下がり、また一歩とすると同じようにされて同じ距離が開いたまんまだ。
私はそれ以上近寄ることを諦めて立ち止まると、依然困ったような顔をする彼女を真っ直ぐに見据えて言った。

「ナマエが好きだ…初めから、やり直させてくれないか」

こんなに情けない告白をするくらいなら、あの日キスなんかしなければ良かった。
ナマエの優しさに付け込まずに、ちゃんと一言「好きだ」と言ってしまえば良かった。
私は彼女から視線を逸らすと、頭の中で考えていた言葉をすべて吐き出すようにして言った。

「本当は初めてキスした日に言うべきだったんだと思う。それを私はナマエの反応が可愛いからって理由でしなかった。私はナマエが好きだ。あの日だって好きだからキスしたし、それからもずっと君にキスしたかったからしてた。それに――」
「ちょ、ちょっと待って。げ、夏油って私のこと…好き、なの?」

ナマエの待ったの声に顔を上げると、2メートル先でさっきよりもよっぽど驚いた顔をしたナマエと目が合う。

「私、その、夏油のこと好きで…でも夏油の気まぐれなんだって、あの、私のこと飽きちゃったら終わりなんだろうなって…」
「それは違う」

私が一歩足を踏み出すと、今度はナマエはその場に留まったままで、距離が少し縮まった。もう一歩足を踏み出し、それを更に詰める。
三歩目で、ついにはナマエに触れられるほどの距離まで近づいた。

「私と付き合って。それでまた、キスしよう」

ナマエの正面に立ち、決して触れない距離で彼女に言った。
ナマエは目を潤ませながら真っ赤な顔のまま頷いて、私はそれを確認するとナマエの肩に手を添え、そっと顔を近づけた。
長いまつげが震えて、引き結ばれた唇が薄く色づいている。そっとそれに触れるだけのキスをして、私は唇を離した。

「好きだよ。これからずっと、私だけとキスをして」

唇の触れてしまいそうな距離のままそう言えば「私も、好き」と小さな声で返ってきた。
それがいじらしくて、私は肩に添えていた手を背に回し、ぎゅっとナマエを抱きすくめた。

「味を当てるのは…ナシがいい」

だって、いつもキスに夢中で、ろくにわからないんだもん。腕の中で発せられた思いもよらない追撃に、私は思わず頬を緩めた。きっと見せられないような締まりのない顔になっている。顔が見えなくて良かった。

「レモンの味はもういいの?」
「…いじわる…。嫌いになるよ?」
「えっ、ごめんごめん、冗談だって」

彼女から飛び出た嫌いになるよというセリフに焦って弁明すると、抱きしめられたままのナマエがくすくすと笑った。

「夏油のキスなら何味でもいいや」

ほら君はまたそうやって、私を素で煽ってくれるんだ。
私はナマエの頬に手を添えて、逃げられるようなゆっくりとした速度で顔を近づける。もちろんナマエは逃げることなんてしなくて、本日三度目になる私のキスを甘く受け止めた。
恋の味というものがあるのだとしたら、私にとっては君の味なんだろうな、と、どうしようもないことを考えながら、私は柔く震える唇のかたちをなぞった。



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