かっこ悪いところが好き


「ミョウジさんって五条先生の奥さんだって本当?」

一年生の教室から漏れ出る声に聞き耳を立てる。中には多分恵と悠仁と野薔薇と、正真正銘僕の妻であるナマエがいるはずだ。

「うん、そうだよ。どうして?」
「だって、名字が五条じゃないから」
「ああ、なるほど。戸籍上は五条なんだよ。高専ではなんていうんだろう、通称?みたいなかんじで旧姓使ってるの」

僕は五条って名乗ればいいって何度も言ったのに、結局ナマエは頑なに旧姓を貫いている。理由は単純明快だ。其の一、同姓がややこしいから。其の二、弱いほうの五条と呼ばれたくないから。
他人の言うことをいちいち気にするなと言いたいところだが、こんなことで言い争いをするのも避けたい。というわけで僕は泣く泣く旧姓を許しているわけである。

「っていうか、あの五条のどこがいいわけ?」
「いやいや、釘崎さすがにそれはミョウジさんに対して失礼…だとは思うけど俺も気になる。伏黒は知ってる?」
「いや、五条先生からミョウジさんの話は死ぬほど聞かされるけど逆は全然ねぇな」

ドアの隙間からこっそり覗くと、フリーダムな一年生ズがナマエに詰め寄っていた。
野薔薇は「やっぱり顔に騙されたのよね?」と言い、悠仁は「先生かっけぇもんなぁ」と言って、恵は「それくらいしか思い当たらないな」と続ける。
野薔薇は失礼でしょ、悠仁はもうちょっとフォローして、恵はもっとなんかあるでしょ、とそれぞれに突っ込みたい気持ちを抑え、僕はナマエの回答を待った。

「やば、悟すごい言われようじゃん」

けらけら笑ったあとに「顔ではないかなぁ」と返したもんだから、三人はずいぶんと大きな声で「はぁ!?」と言ってこの世の終わりのような顔をする。

「ミョウジさん嘘でしょ、顔じゃないならどこよ」

野薔薇が眉を吊り上げて「ミョウジさんなら絶対もっと良い男いるでしょ!?」と失礼の上に失礼を重ねていく。いやいやいや、僕よりナマエに相応しい男なんてこの世にいないでしょ。
さて、ナマエはどう返すのかな、と観察していると、僕にとってはお馴染みの、きっと三人は聞いたこともないような台詞が飛び出る。

「ふふ、そうだね。かっこ悪いところ、かな」



まぁよくも飽きずに見合い見合いひとつ飛ばしてまた見合い。
最近はむしろ見合い写真というよりもカメラマンの腕前に着目しているといっても過言ではない。
だいたい俺はまだ学生だっつーの!暴れたい気持ちをなんとか我慢して、積まれた見合い写真をぺらぺらめくる実家の居間。お、これはカメラマンの腕がなかなかいいな。
任務だなんだと理由をつけて断ればいいものを、わざわざ実家に帰ってまで見合い写真を眺めているのには深い理由がある。

「五条ってさぁ、顔はめっちゃいいけど、性格が地獄のように悪いから、幸せな結婚って出来なさそうだよね」

同期に言われたこの言葉。それに対する俺の返事。

「ハァ?フザけんなよ、幸せな結婚すんに決まってんだろ!」

え、悟結婚する気あったの?と隣でケータイを弄っていた傑に言われた。
ンなもんない。でも今はカンケーない。ナマエに馬鹿にされて黙ってられるか!
と、そんなこんなで俺は実家に帰って興味もないお見合い写真をめくっているわけである。
最初に見合いをさせられたのは確か14のときだったと思う。いつもより堅っ苦しい着物を着せられるのが苦痛だったのと、出てくる料理が全部薄味だったことしか覚えていない。
俺が「気に入らない」と言えばそれ以上何かを強要されることはなかったが、何せその頻度が高すぎて15になる頃にはもう飽き飽きしていた。
俺は積まれたお見合い写真のうち、一番カメラマンの腕が良さそうなのを選んで見合いをすることを決めた。

結果を言うと、散々、の一言に尽きる。
まず顔がシュミじゃない。ばっちり化粧をキメて、可愛い私を演出って感じが癇に障る。そんで態度。五条家に取り入ろうってのをせめてもう少し隠せよと思うくらい分かりやすい。
極めつけは名前。ナマエと一文字違いだったから即却下だ。
俺は向こうの言葉に相槌も打たず出された料理を食べ、この話は受けない、とばっさり切って高専に戻った。

「クソ無駄な時間だった」

俺は色紋付のまま寮の談話室でだらけていた。
「おや、悟、戻ってたのかい」と、傑がちょうど現れたので、愚痴を言いながら冷蔵庫にストックしてあったプリンにスプーンを沈める。
傑は自分の分だけ買ってきた缶コーヒーをカシュっと開け、ちびちびと口に運んでいた。ブラック無糖と書かれたパッケージに、何が良くてあんな苦いもん飲んでンのかわかんねぇな、と言いがかりをつける。

「お坊ちゃまだって分かってはいるが、こう実際羽織袴姿だと迫力があるなぁ」
「あ?紋付くらい誰でも着るだろ」
「あのね、悟。一般家庭ではそうそう羽織袴なんて着ないんだよ」

そんなもん?
実家ではそもそも着物で過ごすことが多かったし、何かと行事ごとに参加させられるときは最低でも色紋付、だいたいは黒紋付を着せられていた。
傑と話していると、こういうふとしたことに気づきがある。だからどうするってワケじゃねぇけど。
そんな話をしていると、傑が何かを思い出したように「そう言えば」と口火を切った。

「ナマエも今日見合いだって言ってたな」

は?

「はぁ!?」
「え、悟、まさか知らなかったの?」

なんも聞いてねー。あいつも術師の家系だから見合いさせられんのはわかる。わけるけど俺に黙って行くか、フツー。
ていうかあいつの見合い相手可哀想すぎんだろ、どんな見合い写真使ったか知んねーけど実際会ってみたらあいつがくるとか、ウケる。――いや、違う。嘘。全部嘘だ。
なんで俺に黙って見合いなんかしてんだよ。

「クズの援護射撃なんて微塵もしたくないんだけど」

もんもんと考えていると、ケータイ灰皿片手に一服から戻ってきた硝子が談話室に入ってきた。クズと呼ばれることに関しては、最早抵抗する気力もない。

「今回の相手、結構良い家らしいから、ガチで決まっちゃうかもしんないってナマエ言ってたよ」

俺は硝子の言葉を聞き、だん、テーブルを叩いて立ち上がる。
結構良い家?上等じゃねーか。どんな格式高い家だか知らねーが、一瞬で黙らせてやる。この厄介な身の上に俺は初めて感謝した。

「硝子優しいね」
「いや、タラタラしてる五条がいい加減うざいだけ」
「おいオマエら言いたい放題言ってんなよ」

それから暮れ始めた中庭で、俺はナマエの帰りを待った。硝子によると、夕飯時には戻るらしい。
ざりざりと下駄が砂の上を歩く音が聞こえて顔を上げると、薄い黄色の訪問着を着たナマエが帰ってきた。贅沢に菊の花が裾と胸に描かれ、いかにもいいとこのお嬢様といった空気を醸し出している。

「あれ、五条じゃん。どうしたの紋付なんか着て。あ、そうか、今日お見合いだっけ」

俺に気がついたナマエが暢気な顔をして手を挙げる。
いつもみたいな締まりのない顔をしているが、見合い会場からそのまま帰ってきたんだろう、ばっちり化粧をしていて、それがまた癇に障った。

「…ナマエ…結婚すんのかよ」
「え?まだわかんないけど、一応?」

なんだよ、一応って。オマエも乗り気なのかよ、ムカつく。

「勝手にそんなこと決めてんじゃねー」

意味が分からないとばかりに小首をかしげ、ナマエは眉を下げる。
くそ、なんでいつもこうやって…。
俺は自分の気持ちさえいつも正しく伝えられずにいて、それに今は少しだけ嫌気がさす。脳内で傑が「たまには素直になったら?」と胡散臭い顔で言ってくる図を想像して、うるせーうるせーと隅っこに追いやった。
俺は深呼吸をしてナマエの肩を掴んで言葉を絞り出す。

「…俺がオマエと結婚する」
「はぁ?」
「わかれよ」

好きだ。
言いながら掴んだ肩を引いて、綺麗に塗られた口紅をすべて落とすように何度もキスをした。余裕もなくキスを繰り返して、10回を超えたところで回数を数えるのを辞める。
息を切らしながら顔を離すと、ナマエはぽかんとした顔をしていて、そのあと盛大に笑った。

「あはは、五条、唇真っ赤だよ」

付き合ってもない男にキスされたっていうのにこれでもかというほど笑うナマエにむかついて、もう一度噛み付いた。
なんでオマエそんなに余裕なんだよ。

「五条、かっこ悪」
「うるせー」
「でも私、かっこ悪い五条のほうが、好き」

16歳の冬、高専の中庭で行われたそんなやり取りが、俺とナマエが婚約するきっかけだった。


「はーい、そこまで。このグッドルッキングガイにかっこ悪いところなんてあるわけないでしょ」
「あ、悟」

遅かったね。と言ってナマエがへらりと笑った。
「なに僕らのラブラブエピ披露しようとしてんの?」と揶揄えば「あれってそういうエピソードだっけ?」と斜め上な回答が返ってくる。まったく、十年以上たっても未だナマエに手綱を握られっぱなしだ。

「なによ、今いいところだったのに」
「俺も先生のかっこ悪い話聞きたい!」
「まぁ俺も興味ありますね」

一年生三人は嬉々としてナマエから話を聞き出そうとしている。だが残念ながらそうはさせない。

「だーめ。夫婦の秘密ってやつ」

そう言って大げさにウインクをすると、ドン引きとばかりに三人そろって顔を歪める。その向こうでナマエがお腹を抱えて笑っていた。
かっこ悪いところ、と言われるのは非常に不本意だが、まぁナマエがそんなところを好きだというなら、彼女にだけは見せてもいいかとも思う。


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