ノンフィクション


がさがさとコンビニの袋の音をさせながら石段を登る。
カナカナカナと蝉の声がすぐそばで聞こえている。夏も終わりのヒグラシの声だ。
隣の女はだらしなくTシャツの首元をぱたぱたとさせ、夏が何故こんなに暑いのかとたらたら文句を垂れていた。
やがて階段の終わりにたどり着き視界が開けると、縦長の石が区画を分けられ整然と並んでいる。霊園だ。

「あー、お盆のあとに来ると草むしりも終わっててスッキリしてんねー」

きょろきょろと首を振ってあたりを確認する。二人でここを訪れるのは、四回目だった。
整理された格子状の道を進み、奥から二番目の通路を左へ。数メートル歩いた先にある四角い石の前で立ち止まり、彼女は声を掛けた。

「よっ、灰原。久しぶり」

隷書体で書かれた「灰原家之墓」という字を視線だけでなぞって、彼女はその前に跪いた。
ここは同級生の眠る墓だ。

「やっぱお盆か命日に家族でお墓参り来てくれてんだね、すごい綺麗になってる」

灰原雄というひとは、私たちが高専二年生のときに喪ったもうひとりの同級生だ。
なんてことない任務のはずだったそれは土地神絡みの一級案件で、灰原は命を落とした。呪術師が簡単に死ぬと言うことは当時から知っていたはずなにに、私は理解が出来ていなかった。
灰原の遺体を見たときに「遺体残ってよかったね」と言ってへらへらしていた彼女を、本気で殴った。軽薄の裏側に何があるかも知らずに。

「おーい灰原〜、おにぎりとコーラだぞ〜」
「アナタ、それ持ち帰って下さいよ」
「わかってるって」

私たちは、命日より少しあとに墓参りをすると決めていた。理由は簡単だ。あわせる顔がなかったから。
呪術師についてロクな説明も出来ず、家族を前に「友達です」と言うことなんて出来るはずもなかった。
私たちは手入れされて間もないためにそう汚れてもいない墓石を丁寧に磨き、ろうそくに火を灯して線香をあげる。
ミョウジはいつも通り灰原が好きだったおにぎりとコーラを供えて、私たちは跪いたまま手を合わせた。

「ねー、灰原。七海、呪術師辞めて一般企業に就職すんだってさ」

ミョウジは折りたたんだ両膝の上に頬杖をつき、まるで任務前に雑談をしていたようなトーンで話しかける。目の前の墓石から灰原の相槌が聞こえてきそうだった。
カナカナカナと蝉は鳴き続け、じりじりとした陽射しが私たちを焼いた。

「まぁ確かに、七海みたいにしっかりしてたらどこでもやっていけそうだよね」

灰原がどう応えたのかは知るところではないが、ミョウジはそう言って言葉を続けた。

「アナタもいっそ就職したらいいんじゃないですか」
「私ぃ?ムリムリ。私みたいな馬鹿は呪術師やってるくらいが丁度いいんだって」

確かにそうですね。と同意をしながら、彼女のような優しい人間なら、きっと一般社会で生きていくことなど容易いことなのだと、むしろそのほうが適正があるのだと、口に出すことは出来なかった。

「また来るね、灰原」

それからしばらく灰原とのお喋りをして、彼女は立ち上がった。残暑の厳しい時期だというのに、灰原と話している間だけはいつも暑さを忘れているように見える。
帰り道、ミョウジはおにぎりを平らげ、ぬるくなったコーラを二人で分けた。


それから季節が巡って高専を卒業した私たちは、一緒に墓参りをすることを辞めた。
と、言うより、彼女からの連絡が途絶えた。
私は証券会社に就職し、金のことばかりを考える生活を続けていた。高専の関係者とは誰とも連絡をとっていなかった。
取ることだって出来たのにそれをしなかったのは、私の臆病さで彼女の優しさだった。
呪術師に出戻ると決めても、最初に連絡を取ったのは五条さんで、ミョウジには連絡をすることが出来なかった。一度逃げた私が言える言葉などないと思ったからだ。

術師に戻ることを灰原に報告しにいこうと霊園の石段を登ると、薄手のワンピース姿のミョウジが立っていた。
霊園を見渡し、そのひとつひとつの輪郭をじっと追っているように見えた。袖からのぞく腕にも、裾からのぞく足にも、昔より傷が増えている。
やがて彼女がこちらの気配に気づき、くるんと振り返った。

「あ、七海じゃん」

よっ、と気安い様子で片手を挙げる。もう片方の手にはコンビニの袋がぶら下がっていた。
命日も近いわけじゃないのに、なんでまた今日に限って。

「…よく、来るんですか?」
「いや、そーでもないよ。灰原と話したいなぁって思ったときにフラッとくるかんじかな」

その口ぶりだと、そうでもないとは言ってもそこそこの頻度で来ているに違いない。ミョウジはそういう人間だ。
灰原家の墓の前まで移動すると、自然に役割分担をして墓の掃除をした。春先の空気は柔らかく、陽射しは心地良い。高台に位置するこの場所からは、住宅地が遠くまで見渡せた。

「ねぇ灰原。私一級になったんだよ、凄くない?ばっちり高給取りの仲間入り。でもさぁ、五条先輩にすっごいこき使われそうでめっちゃ怖いんだよね」

四年ぶりに、並んで手を合わせた。相変わらずミョウジは灰原に話しかけていた。会わずにいた四年間、灰原のほうがよっぽどミョウジのことを知っているのかもしれない。
一級術師になったこと、五条さんから無理難題を吹っかけられていること、伊地知君と被害者の会を設立しようと盛り上がったこと、家入さんが禁煙を始めてそれがまだ続いていること。
ミョウジは灰原に向かって話をしていたけれど、ひょっとすると私のためでもあったのかもしれない。
ひとしきりお喋りが終わると、ミョウジは「また来るね、灰原」とお決まりの言葉を口にして立ち上がる。私はその隣に並んだ。

石段を下る道のり、昔と同じようにミョウジがおにぎりを平らげ、コーラを分け合う帰り道、私はぼそりと術師に戻ることを告げた。

「…五条さんから聞いているかもしれませんが、術師に、戻ることにしたんです」
「えっ、そーなの?ああ、ああ、そういうことかぁー」

ごくん、とコーラを飲み干して、びっくりしたような顔で相槌をうつ。
何かを納得したとでもいうような素振りだった。「聞いてなかったんですか」と聞けば、「全然」と返ってきた。
てっきりミョウジにはもう伝わっていると思っていたが、違ったらしい。

「でも五条先輩がさ、オマエ近々サプライズあるから覚悟しとけよって言ってたんだよね。何されるかと思って戦々恐々としてたんだけど、安心した」

確かに、あの五条さんのことだから何か悪戯を計画していてもおかしくないな、と途端に学生時代のような思考回路が戻ってきてくすぐったくなった。
一度逃げた私が決めた格好のつかない選択を、ミョウジはさも自然なことかのように受け止めた。逃げたくせにと責めたっておかしくはないのに。
私の隣にいつもミョウジがいて、だから灰原が死んだあとも、卒業まではなんとか高専に居続けることが出来た。
私はふと、今言わなければならないと思った。今言わなければ、きっと一生後悔するとさえ思った。

「アナタが好きです」

私は、ミョウジが好きだ。

「…七海、女の趣味悪くない?」
「何言ってんですか、この上なく良い趣味でしょう」

おなかを抱えてひとしきり笑って、人が真剣に言ってるのに相変わらずだなと思っていると「私も好き」と、私の好きな気の抜けた顔で言った。
住宅街を見下ろす霊園の帰り道、ロマンもなにもない日常のような場所で、私たちは恋人になった。


こんこんと靴の音を鳴らしながら、通いなれた石段を登っていく。
もう十年近く足を運ぶ霊園は、なんなら自分の家の墓よりよっぽど足繁く通っている。
今日も隣の彼女はコンビニのビニール袋を提げ、あちいねぇ、と文句たらたらだ。
石段を登りきると、整理された碁盤の目の道を進み、奥から二番目の通路を左へ。数メートル歩いた先にある四角い石の前で立ち止まり、彼女は声を掛けた。

「灰原、久しぶりー」

伸びるのが速い雑草を摘み取り、墓石を磨く。ろうそく立てに残った蝋をかしかしと削り取って、新しいろうそくを立てた。
今日はお供えの前に線香に火をつけ、二人で並んで手を合わせる。一分間ほどそうして、ミョウジが顔を上げた。

「ねぇ灰原聞いてよ、七海がついに馬鹿なこと言い出してさ、私と結婚するんだって」

ウケるでしょ。と言ってへらりと笑った。
何もウケませんよ、と返してやると「五条先輩に言ったら大爆笑だったよ」と言われた。何勝手に言ってるんだ。
彼女はいつもより重いビニール袋からおにぎりをひとつとコーラを三本取り出した。一本を墓の前に、もう一本を私に、残りの一本を自分で持って、彼女は朗々と言った。

「そんじゃ、私と七海の結婚を祝してかんぱーい」

プシュ、と炭酸の抜ける音と共に蓋を開き、ごくごくとコーラを流し込んでいく。私もそれを真似て流し込んでいけば、あのシナモンとかバニラとかそういうものが混ざり合ったコーラの甘みが口内を刺激する。
良い飲みっぷりでコーラをどんどん減らしていく彼女を見ると、アルミ缶を持つ手の薬指がきらりと反射した。
昨日受け取りに行った、オーダーメイドのシンプルなマリッジリングだ。

「ねー、術師ってさぁ、基本五体フルセットで死ねないじゃん?時計と指輪で腕とか上半身が残るのはオッケーとしてさ、下半身だけ残ったときは目印なくなっちゃうよね、どうする?」
「何もオッケーじゃないですけどね」
「やっぱアンクレットとか?ほら、私のほうが弱いし、目印多いほうが良くない?あ、せっかくだからアンクレットもペアにしようよ、七海かっこいいから男でもアンクレット似合うって」

何でアナタが先に死ぬ前提なんですかとか、結婚報告の日になんてこと言い出すんですかとか、言いたい小言は山ほどあるのに、こういう姿を見て彼女を好きになったんだと思うと、大した言葉は出てこなかった。

「…検討しておきます」

別に、何の目印もなくたってきっと私も彼女もお互い見分けることが出来る。
わかっているのに目印が欲しいなんて、ナマエにしては随分と可愛らしいわがままだな、とへらりとした顔を見つめた。

「それよりも。アナタも七海になるんですから、そろそろ呼び方直してくださいね」
「…け、検討しておきます」

カナカナカナとヒグラシが鳴いていた。陽射しはじりじりと私たちを焼く。
灰原はいない。ナマエはいる。私も生きている。高台から見下ろす住宅街では、今日も人々が生活を続けている。
私は目の前の取り留めのない現実をいくつも思い出して、指輪の光る彼女の左手を掬い上げた。

「アナタを、誰より大事にします、ナマエ」

幸せにするとは言ってやれない。これが精一杯の言葉だ。
繰り返して繰り返して、それでも変わり続ける夏を、これからも二人で生きていく。


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