恋は指先


ナマエは一年の頃から二年になった今までずっと、飽きもせずに俺を好きだと言ってくる女だった。
自慢じゃないが俺はモテる。まず顔がいいし、最強だし、家柄も良くて金持ち。術師、非術師問わずより取り見取りだ。
適当にとっかえひっかえ遊んでいると、傑や硝子には「女の敵」と言われて、まぁ特に否定はしなかった。
女と別れる度にナマエは「いつか刺されそう」と言って、少しホッとしたように笑っていた。その顔を見ると少しだけ優越感を感じて、俺は気分が高揚した。


「見てよこれ、めちゃくちゃ綺麗な色でしょ?」

教室でだらだらと夜蛾を待っているとき、隣から硝子とさっきまで喋っていたナマエが手の甲をひらりと見せてきた。
何が、と思って注視すると、爪が青く塗られている。

「別に」
「ええぇ、五条の目の色に似てるって思ったんだけどなぁ」
「はぁ?フザケんなよ、もっと輝いてるっつーの」

色の違いは正直そこまでよく分からないが、気軽に似ていると言われたことが少し癪で、そう言って突っぱねると「だめかぁ」と分かりやすくナマエが肩を落とした。
それがナマエの何かに火をつけてしまったようで、それからナマエは度々俺に青くした爪を見せびらかすようになったのだ。

「どう、五条。この色は結構いい線いってるんじゃない?」

そう言って、新しく見つけてきたというカラーを爪に乗せ、俺の目の前に差し出す。
これで既に5回目だ。よくもまぁ青いマニキュアばっか買ってんな。と思ったが、買わせているのはほとんど俺のせいのようなものだ。

「色暗すぎ。俺の目はもっと宝石みたいなわけ。わかってねーな」
「自分で宝石とか、自意識過剰すぎでしょ」

そう言って笑って「また目星いの探してくる」とナマエは踵を返した。まだ探すのかよ、馬鹿だなぁ。
あいつ、最近爪ばっかり見てる。

「悟、素直じゃないな」
「傑…お前見てたのかよ」

いつの間にか傑が隣に立っていて、にやにやとこちらを見ている。なんだよ、素直じゃないって。

「硝子が、ナマエの部屋には青いマニキュアのボトルばっかり置いてあって気持ち悪いって言ってたよ」

なんだそれ、あいつ馬鹿じゃねーの。とは思ったけれど、ナマエの部屋を「俺の色みたいだ」と思った色で占領されていくのは存外気分がいい。
ふーん。そう気のない返事を返したつもりが傑にはくすくす笑われて、腹が立ったので肩パンしようとしたら軽々避けられた。

「素直になりなよ。私たちはいつまでもずっと、生きていられるとは限らないんだから」



数日後、借りていた漫画をナマエの部屋まで返しに来てノックをすると「今手が離せないから勝手に入って」と返ってきた。
その言葉の通りにドアを開け、ずかずかと部屋に踏み入る。女子の部屋だが、何度も行き来したことがあるから今更だ。
入った瞬間シンナーの臭いが立ち込めている。どうやらマニキュアを塗っているらしい。

「ありがと。その辺置いといて」
「ん。何それ、新しい色?」
「そう。ラメとパールがいい感じなの。次こそ五条の目に似てるって認めさせてやるから、楽しみにしててよ」
「全然期待できねー」

どすっと隣に座り、その作業を眺める。小さい爪に、これまた小さい刷毛で青色が塗られていく。
ふと部屋に設置している棚を見ると、硝子の言うとおり10本を超える青いマニキュアの瓶がずらりと並んでいた。俺が見たのは5回だけだから、それを含めても倍は買っているらしい。

「オマエさぁ、青ばっか飽きねーの?」
「飽きないよ?だって五条の色じゃん」

何か問題でも?と言いたげな様子でナマエは作業を続ける。この女は普段から俺のことを好きだ好きだと言っているが、恥ずかしがったり照れたりというところを殆ど見たことがない。
裏表のない好意は心地いいが、イマイチ実感が沸かない。

「見て、五条。今回のどう?」

どうせどんなに似ていたって肯定なんかしてやらないのに、ナマエは嬉々として爪をこちらに向ける。どんなもんだと確認してやろうとすると、手がマニキュアの瓶に当たってしまって、それを拾おうとして体勢を崩した。
いつもなら避けられるはずのナマエもナマエで、乾いてない爪を庇うために避け損ねて、どん、とぶつかる俺を真っ向から受け止める形になる。
まるで押し倒すかのような姿勢になり、頭が一瞬シンと思考を止める。唇にふにっと柔らかいものがあたった。
ふにっと?

「んぅ…!」

あろうことか、俺はナマエとキスをしてしまっていた。おい、嘘だろ、マジか。
慌てすぎて逆にゆっくり体勢を戻すと、ナマエに向かって指をさし「その色だと薄すぎ、やり直し」と言って立ち上がる。
マジか。ナマエと。

「ごっ、五条!?」

やばい、どうする、マジか。ナマエと。
焦ったようなナマエの声を無視して、頭のなかのぐちゃぐちゃな思考とは裏腹に俺はすたすたとナマエの部屋をあとにした。


はぁぁぁぁ。肺の底からずべての空気を吐き出す。もう肺が萎んでなくなったんじゃないかとさえ思う。いや、多分もう萎んでなくなってると思う。

「うっとうしいよ、悟」
「…うるせー」

ナマエにキスをしてしまった。事故チューだ。漫画で見るやつ。いちご100%かよ、いや、TO LOVE るか?ええい、どっちでもいい。
あのあと急いで傑の部屋に退避して、この通りずっと頭を抱えている。

「一応聞いてあげるけど、何かあったのか?」

傑が読んでいた文庫本を閉じ、面倒くさそうに言った。なんだよ、親友の一大事だぞ。もっと心配そうにしろよ。
とは思ったものの、こんなことを言える先なんて傑しかいないので、俺は潔くさっきの出来事をゲロッた。

「…さっきナマエとキスした…」

傑は目をかっ開いて、はぁ?とデカめの声で言う。耳が痛い。

「悟、ついに告白したのかい?」
「ちっげーよ、事故?みたいな感じでうっかりっつーか…」

まぁそんなとこ。傑は額に手を当てて「頭が痛い…」などとのたまった。頭がいたいのは俺のほうだ。

「ナマエのこと好きなんだろ、認めろよ」
「…それは…」
「ファーストキスってワケでもないのに、事故でキスしてそんなに焦ってる理由は?」

傑にそう畳み掛けられ、俺はついに返せる言葉を失った。
散々ナマエに好きと言わせてきた。「オマエ俺のこと好きだもんな」と言えば、臆面もなく「そうだよ」と返されて、その言葉の裏に他の女が持ってるみたいなどろどろした打算や利己的な感情がないことも知っていたから、ナマエの好意が心地よかった。
事故でキスして逃げて、それでこのあとどうするって言うんだ。やることなんてひとつしかないだろ。

「これは悟の嫌いな正論なんだけど、男ならさっさと覚悟決めてこいよ」

項垂れた姿勢から見上げる傑が、とんでもなく悪い顔で笑ってる。
うるせーうるせー。分かってるわ、ばーか!


ナマエが任務で怪我をしたのは、それから一週間後のことだった。
弱っちいくせして格上相手に撤退をしなかったらしい。高専に運び込まれたときは相当の出血だったようで、任務から帰った俺はすぐさま治療室に走った。
馬鹿、本当に馬鹿だ。どうせ撤退しなかった理由は一般人がいたからとかそんなオチだろ。すぐそうやって自分を犠牲にしようとする。俺がそのたびどんな思いでいるかも知らないくせに。

「オイ、ナマエ!」

治療中は原則出入り禁止なのも無視して重い扉を開くと、治療台の上に身体を起こしているナマエとそのそばで恐らく反転術式を使ったであろう硝子がいた。

「反転術式でだいたい治せたけど、細かいとこまでは出来なかった。ごめん」

硝子はナマエに向かって言ったけど、まるで俺にも同時に言っているように聞こえた。
「ちょっと倒れる前に休んでくる、また様子見に来るから」そう言ってナマエの指を撫でると、硝子は俺に安静にさせろよと釘を刺して治療室から出て行った。
ナマエの手は、これでもかというほど包帯でぐるぐる巻きになっていた。

「オマエ、なんで撤退しなかった」
「…一般人の…子供がいて…」

はぁ、やっぱり。ンなことだろうと思った。

「傷は?」
「硝子ちゃんが治してくれたから、背中と太股は傷も残ってないよ。ただ、おっきい傷に集中して貰ったから剥がれた爪が治んなくて」

ぐるぐるの両手を、いつも爪を見せるような動作で挙げる。剥がれた、ということは、指が切断されたとかそういうことではないようだ。念のためぐるぐる巻きになった指の長さを一本一本確認したが、どれもいつもと変わらなかった。

「あはは、これじゃしばらくネイルできないなぁ。せっかく新しい色買ったのに。次こそ自信あったんだよ」

痛いくせに強がってそんなことを言って。ほんと馬鹿だろ、オマエ。
俺はもうここが治療室だとかナマエが怪我人だとかどうでも良くなって、か細い肩を引き寄せると、まだ痣だらけの顔をじっと見つめた。

「言っとくけど、いまからすんのは事故じゃねーからな」
「えっ、うん、えっ?」

何がなにやら分からないといった様子のナマエを無視して、まだ物を言いたげなその唇を塞いでやった。
目ぐらい閉じろっつーの、と的外れに八つ当たりをして、震える睫毛と目元の細かな傷をじっと眺める。
角度を変えて何度も何度も唇を重ねていると、呼吸が苦しくなってきたのか薄く唇が開かれた。その隙を見逃さず、舌を侵入させ、怯えるように引っ込むナマエのそれを引きずり出して絡めとる。
ひとしきりそうして息が上がるほど貪って顔を離すと、ナマエの口元がてらてらと二人分の唾液で汚れていた。

「…好きだ。爪の青ばっか見てねーで本物見ろよ、馬鹿」

ナマエの顔が真っ赤になっていて、やっぱりコイツ、俺のこと好きだなと再確認した。
嫌って言うほど本物を見せてやって、オマエの部屋にある青色すべてが、足元にも及ばないってわからせてやる。


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