忘れ物お届け便


同棲している恋人の潔高くんは、几帳面で真面目だ。
どのくらいかというと、家に複数の胃薬が常備されている程度には。

「わっ!こんな時間!?」

朝、ベッドの隣で潔高くんが飛び起きる気配がした。
ううん、と眠い目をこすっていると、慌ててベッドから降りた潔高くんがシーツに足を取られて転んでいるのが目に入る。

「だいじょうぶ?」
「ナマエさん、寝坊してしまったようで、ちょっと急ぎます。夜には帰ってきますが時間が分からないので先に寝ててくださ、アッ!」

あ、今度はテーブルに足打ってる。
パンツ一枚の格好からインナーを着てワイシャツを引っ張り出して黒いスーツをハンガーから外して。ちょっと猫背気味の背中がどんどんと準備を進めるのを眺めていると、昨晩の情熱的な姿はさっぱり姿を消し、お仕事モードに早変わりだ。
そのまま朝食も取らずに出て行こうとする潔高くんを呼び止めて朝ごはんにする予定だったサンドウィッチを手渡すと、お礼もそこそこに出発してしてしまった。相当急いでいるらしい。

「あれ、忘れものだ」

昨日夜遅くまで作成していた資料がテーブルの上に残っている。確か「明日使うから終わるまで待っててください」なんて言ってたはずだけど。
うーん、と私は頭を捻って、潔高くんにメッセージを送った。

『昨日作ってた資料テーブルに残ってたよ。届けに行くね』

幸いにも、私は今日休日出勤の代休を取っている。自分のほうが頑張っているくせに、いつも甘やかしてくれる優しい恋人に少しは恩返しをしないと。
急いで身支度をして、潔高くんが働いている職場まで足を運ぶことにした。


潔高くんは、少し特殊な仕事をしている。
じゅじゅつこうせん、という学校で事務員みたいなことをしているが、ざっくり聞いた職務内容は全く持って事務員の内容じゃなかった。
そもそも、じゅじゅつこうせん、についてあまり一般人に公表さされることはないらしい。私は昔事件にがっつりと巻き込まれ、仕方なしにその存在の説明を受けていた。
現場への送り迎え、配車手配、スケジューリングエトセトラエトセトラ。それに加えて、潔高くんは「五条さん」のお気に入りらしく、何かにつけては呼び出しを食らっている。
まだ見ぬ「五条さん」は私の最大のライバルである。

私がじゅじゅつこうせんのある筵山に来たのは、事件に巻き込まれた時以来だった。しかも前後の記憶は曖昧で、麓まで来たはいいもののここからどうしたらいいかわからない。
どうしたものかと考えていると、既読もついていなかった潔高くんからようやくメッセージの返信が来た。
忙しかったんだろうな、潔高くんのレスポンスが遅いなんて珍しい。

『高専には来ないでください。取りに向かうので、家の最寄駅まで来てもらえますか』

えっうそ、来ちゃだめなかんじ?もう来ちゃってるのに…。
来ないでくださいってきっぱりした言い方、潔高くんにしては珍しいなぁ。
どうあれ、もう完全に麓まで来てしまっている。今更帰ってすれ違っても嫌だな、と思ってとりあえず『もう筵山の麓まで来ちゃってるんだけど』と返信をすると、すぐに着信が入った。

『ナマエさん!そこで待っていて下さい!私が下まで受け取りに行くので…わっ!』
「大丈夫?ゆっくりでいいよ、待ってるね」

電話口でガタンと音がした。またどっかにぶつけたのかな。
見上げた筵山は鳥居がずっと山頂まで続いていて、なんだか学校というより神社みたい。ここで潔高くんは働いてるんだなぁと思って観察していると、後ろから声をかけられた。

「あれ、こんな所に何の御用かな、お嬢さん」

振り返ると、丸いサングラスをかけた白髪の男の人が立っていた。めっちゃ背が高い。
じゅじゅつこうせんの人だろうか。

「あの、潔高く…伊地知さんの忘れ物を届けに来て、今本人と連絡が取れたので待っているところなんですが…」
「伊地知の?」

ハイ。と肯定をすると、ずいっと顔を近づけられてじろじろと見られた挙句「へぇ」とか「ふぅん」とか品定めするような相槌を打たれた。なに、この人。

「あなたはここの…」
「ナマエさん!」

関係者の方なんですか。と続ける前に、潔高くんの声がそれを遮った。
息を切らした潔高くんが階段を駆け下りてくる。そんなに急いだらまた転びそう。私のすぐそばまで近づいて隣にいる男の人の姿をみとめると、潔高くんが悲鳴みたいに声を出した。

「ひぃ!五条さん!!」

えっこの人があの「五条さん」なの?想像してたより随分若い…。
五条さんはぐんと覗き込んでいた体勢を元に戻すと潔高くんに向き直り、一歩、二歩、大きなコンパスで私の横を通り過ぎる。
なんとはなく横顔を眺めていたら、垣間見えるそれだけで随分と顔が整っていることが分かった。スタイル良いし、モデルさんみたい。

「伊地知の彼女?」
「えっ、ハイ…そうです。資料を届けに来てくれて…」
「へぇ、優しいね。いい子じゃん」

私に言ったのか、潔高くんに言ったのか、イマイチ分からなかったけれど、特に返事は求めていないみたいで「じゃあ僕は先に戻ってるから」と階段のほうへ歩いていってしまった。
私は鞄から資料の入った封筒を取り出して胸を撫で下ろすみたいに息をついている潔高くんに差し出す。

「潔高くん、あの、これ」
「すみません、助かりました」

潔高くんに資料を渡すと、来ないでくださいと言われた手前引きとめるのも悪いな、と思ってすぐに筵山をあとにする。
時間が分からないから先に寝ているように朝は言っていたけど、お詫びついでに晩御飯をちょっと豪華にしよう。あ、でも、胃に優しいもののほうがいいかな?


その日の夜、潔高くんは21時に帰宅をした。
日付が変わる頃かと思っていたから、予想より随分早い帰宅にちょっと驚く。玄関まで迎えに行くと猫背が加速した潔高くんが脱いだ靴をきっちり揃えていて、隣の脱ぎっぱなしの私のパンプスまでついでに揃えてくれている。ちょっとこれは恥ずかしい。

「おかえり、潔高くん」
「ただいま戻りました」

仕事帰りのヨレヨレの潔高くんをとりあえずお風呂に押し込んで、用意していたうどんつゆをあっためてからおうどんを湯がく。
本当は豪華な料理を用意したいところだが、潔高くんの胃腸の様子を優先した。
しばらくすると、潔高くんがお風呂から上がってきたので「ごはんできてるから座って待ってて」と声をかけて最後の仕上げにかかる。
おうどんは私の好きな稲庭。おつゆには野菜をたっぷり使った、ミョウジ家直伝の野菜うどんである。

「お待たせー」
「ありがとうございます、いい匂いですね」

潔高くんはお行儀も育ちもいいので、お箸を手に取る前に手を合わせて「いただきます」を欠かさない。私はそれに召し上がれ、と相槌を打って向かい側に座った。
お風呂に浸かったからか、昼間よりは顔色が良い気がする。あと、普段は真ん中できっちり分けられている前髪がラフに広がって、少し子供っぽく見えた。と、いうか年相応?

「ごめんね、今日勝手に職場まで行っちゃって」
「いえ、いいんです。一般の方は敷地内には入れませんが、麓までは業者も来ますし、問題はないんですが…」

私が昼間のことを謝ると、潔高くんは歯切れ悪くそう言った。
問題ないのに「来ないでください」なんて、なにか理由でもあるんだろうか。彼女が忘れ物届けに来るってそんなに恥ずかしかったかな。だとしたら悪いことしちゃった。

「ナマエさんを…五条さんに…会わせたくなくて…」

気まずそうに視線を逸らして、潔高くんが言う。
じゅじゅつこうせんの組織編制は知らないけれど、五条さんは聞く限り潔高くんの上司のような存在であることは予測できる。だとしても五条さんを名指しで?と思って考えたけど、特にこれといった答えが思いつかなくて結局私は聞きなおした。

「なんで五条さん?」
「…あのひと…その…かっこいいですから…」

ナマエさんがもし目移りしたら、嫌だなと…。と蚊の鳴くような小さい声で続けられた。なにその理由。可愛い。
言葉にしてしまって余計恥ずかしくなったのか、潔高くんは耳が真っ赤になっていた。

「たしかに五条さんはモデルさんみたいだったけどさぁ」

潔高くんと出会ったとき、事件に巻き込まれた私を「もう大丈夫ですよ」と安心させてくれた手のひら、一緒に暮らして気心知れた人にしか見せないちょっとドジなところを見せてくれるようになったところ、それからいつも何があっても、自分より私のことを優先してくれるところ。
私はそういう、潔高くんのどうしようもなく優しいところが好きなんだよ。

「私は潔高くんがいっちばん好き」

真っ直ぐ見つめてそう言えば、今度は首まで真っ赤になって潔高くんが私を見た。
なんだかんだ言いながら、潔高くんが五条さんのことを信頼して、凄いひとだと言っていることを知っている。
だからやっぱり私の最大のライバルは、五条さんなんだと思う。


戻る






- ナノ -