捕食


「夏油!」

私はその日実習で、夏油は近場での任務だった。
珍しく硝子と組手をし、三回彼女を投げ飛ばして休憩をとっていたところだった。硝子は反転術式を使ったバックアップにあたる術師だから、原則前線に出ることはない。
それでも護身用にと近接戦闘を得意とする私にお呼びがかかり、こうして時々組手をしているのだ。
稽古場の向こうからひらりと夏油が手を上げる。
春だと言うの早くも暑さを感じるこの天候に涼しげな顔で、この男には汗腺がないのかとさえ思う。

「や、二人は組手?」
「そう、珍しくね。ちょうどいま休憩にしてたところ。任務はどうだった?」
「二級の祓除だったからね、すぐ終わったよ」

夏油の言うとおり、彼にとっては何てことない任務だったんだろう。制服に汚れのひとつも見当たらない。
その強さが時々妬ましくもなるが、彼が怪我を負ってしまうよりはよっぽどましだ。
報告に行ってくると言った夏油に、私はお疲れ、とだけ声かけた。

「わっかりやす」
「な、なにが…」

そのやりとりを見ていた硝子がにやにやとしながら言う。カッと顔が熱くなるのが自分でもわかった。

「さっさと告れば」
「いや、フラれたら立ち直れない」

ただでさえ狭い世界なのだ。しかも相手は同級生。フラれたあとの気まずさったらない。
私は溜め息をついて、夏油の背中を見送った。

「じゃあナマエは誰かに夏油取られてもいいんだ、ふぅん」
「…それは…イヤ」
「ワガママめ」
「わかってるけどさぁ…」

術師の家系じゃないとはいえ、夏油には呪霊躁術なんていう術師の家なら喉から手が出るほど欲しい術式を持っている。
それでなても、夏油は魅力的なひとなのだ。奇人変人の跋扈するこの呪術界で、いつまでも放っておかれるわけがない。

「いや、アイツも充分奇人変人の類だと思うけど」

いつの間にか漏れでていた声に、硝子がさっくりと突っ込んだ。


夏油のことを好きだと思ったのがいつだったか、正直覚えていない。
初めて会ったとき、老成したやつだな、と思った。
幼い頃からときに命の遣り取りを強要される呪術師にとってそういうやつがいるのは別段珍しくはないけれど、非術師系の家庭で育ったときいて、変わったやつだと思ったことをよく覚えている。
その印象を覆されたのはわりと早かった。なにせ同級生には煽りのプロである五条悟がいるのだ。入学して間もない自習時間、夏油と夏油が喧嘩をして高らかにアラートが鳴った。
飛んできた夜蛾先生に二人は拳骨をくらい、隣で爆笑してた私もなぜか一緒に拳骨をくらった。
大人みたいな顔をしているけれど、子供みたいにすぐ煽られる。五条と一緒に悪巧みをしたり、かと思えば二年に上がって出来た後輩には丁寧に指導をしてやって、早速慕われるようになっていた。
誰にでもいくつか顔があるのは当然だけれど、私は夏油の見せるまるでちぐはぐなそれがら目が離せなくなっていた。

「ミョウジ、ちょっといいかな」

夕飯を終えて食堂から自室に戻ろうとしていたとき、ふいに夏油から声をかけられた。
ちょうちょいと手招きをされて、私は夏油の傍まで寄る。

「どうしたの?」
「これ」

そう言って差し出されたのは私が見たいと言っていたアクション映画のチケットだった。
シリーズ三作目、絶対映画館で見なきゃあの臨場感は味わえないと先週か先々週か談話室で声高に主張し、五条と盛り上がった覚えがある。

「週末オフだろ?一緒にどうかなって思って」
「行く!これ見たかったやつ!」

そうか、あの時は何にも言ってなかったけど、夏油も気になってたんだなぁ。
夏油はあんまり映画を見るイメージがないから、想像もしてなかった。

「硝子と五条も来れるかな」

私はうきうきと食堂にまだ残っている硝子のほうを振り返った。
硝子、と声をかけようとしたところで夏油に手首を掴まれ、それを阻まれる。
びっくりして夏油のほうを見ると、細められた目が真っ直ぐ私を見ていた。

「私とミョウジの二人っきりでって意味だったんだけど」

夏油がそう言って、私の頭は簡単にフリーズした。
夏油が私の見たいと言っていた映画に誘ってくれた。五条はともかく硝子は地方任務なんて滅多にないから都合なら多分つくだろう。なのに夏油は、私と二人っきりで映画に行くと言う。

「だめかな」
「だ、だめじゃ…ない…です」
「よかった」

俯けていた顔を上げると、余裕綽々の笑顔を浮かべている。
きっと夏油は私がここで頷くことだってお見通しだったに違いない。

「デートだね」
「…そうなの?」
「好きな子と一緒に出かけるんだから、デートだよ」

おやすみ。と付け加えて、夏油は爆弾を落としたまま男子寮へ入っていってしまった。
私は呆気に取られ、結局硝子に声をかけられるまで動けないでいた。
理知的で、大人っぽくて、かと思えば悪がきのようないたずらをして大人に拳骨をくらう。
いくつもの顔を持つ夏油は、恋人になったらどんな顔を見せるんだろう。
とりあえず、週末着れる可愛い服があるかどうか、クローゼットの中をひっくり返さなくちゃならない。


「どうしよう硝子〜!!」

二日後、私は早くも硝子に泣きついた。
クローゼットの中を見れども着ていく服なんてこれっぽっちも決まらなかったからだ。

「何」
「夏油から…映画に誘われた…」
「よかったじゃん」

硝子は私のほうを見ることもなくカコカコとケータイをいじっている。
ちょっとくらいは興味を持って欲しい。

「ねぇ、夏油ってどんな服装が好みだと思う?」
「知らね」

取り付く島もない。
お出かけ用の服なら何着かある。それこそワンピースから流行のアゲ嬢系、果ては実家に呼ばれたとき用に訪問着まで揃っている。
なのにどれを着たって夏油とのデートには相応しくない気がする。

「全裸でいんじゃね?」
「硝子、真面目に相談乗ってよ」
「マジマジ。ナマエが着てりゃなんだっていいってこと」

そうかなぁ。私はちらりと教室の外を見やった。夏油と五条が呪力無しの組手をしている。
五条の大変便利な術式をもってすると組手なんて馬鹿馬鹿しくなるのだけど、呪力も使わないフィジカルだけの勝負だと五条は結構押されていた。
あのあと、夏油とは喋ることが出来ていない。
なんて声をかけたらいいのかもわからなかったし、隣には任務帰りの五条がべったりくっついているからだ。
私は昨日の夏油の言葉を反芻した。
好きな子と一緒に出かけるんだから、デートだよ。確かにそう言った。あれは告白だったのか、現実味がなくてイマイチ飲み下せないままだ。

それから更に二日。任務の都合があってろくに顔を合わすことも出来ないまま、デートの日はやってきた。
私は一周回って無難なストライプのシャツワンピを着て、ぺたんこのパンプスを履いた。
デートだっていう時にさえ機動性を重視した靴を履いてしまうの、本当に辞めたい。

「いいね、そのワンピース、似合ってる」

寮の前で待ち合わせた夏油は、会うなり私の格好を褒めた。ありがとう、となんとかくちをもごもごさせてお礼を言ったけど、蝉の声に掻き消された気がしてしまう。
夏油はTシャツに薄手のジャケット、それからブラックデニムのラフなスタイルだ。
背が高くて足も長いから、こんなにシンプルな服装でもモデルみたいに様になっている。
誘われたときから心臓はどきどきしっぱなしだったけど、いざこうして二人っきりで顔を合わせたら体ごと跳ねてしまうんじゃないかってほど心臓がうるさい。

「一応確認しておくんだけど」

今日一日もつかな、なんて考えていたら、夏油はじっとこちらを見て口を開いた。
春の麗らかな日差しが夏油のピアスに反射する。
ああ、かっこいいな、と見とれていると、夏油の大きな手が私に向かって差し出される。

「私、ミョウジのことが好きだから、今日は目一杯口説くつもりでいるんだ」

いいかい?なんて、私に選択肢なんて与えてくれないくせに。
夏油の手に恐る恐る自分のそれを重ねたら、まるで獲物を待っていた食虫植物のような予定調和の、けれど確実な動きで、私の手は捕らえられた。

「わ、私も、夏油のこと好き、です…」
「知ってる」

ひらりとかわすような笑顔が憎らしい。
悔しくてふいっと視線を逸らせば、くつくつと笑う声が聞こえる。

「…夏油ってこんなキャラだっけ」
「好きな子の前では特別だよ」

そう言って口元に人差し指を立てる。
柔らかい、見たことのないような眼差しで私を見ていた。
また夏油の新しい顔を見てしまった。
夏油はこんな顔するんだって、ずっとずっと誰にも秘密にしていたい。


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