悟セレクション金賞受賞


いつもの任務帰り、僕は恋人と暮らす都内のマンションの扉を開いた。
リビングに明りがついている。今日は恋人が随分と夜更かしをしているらしい。

「お誕生日おめでとう、悟」

ナマエにそう言われ、初めて今日が12月7日なのだと認識した。
時計はてっぺんを回っていて、丁度僕の誕生日になって一時間が経過している。

「ナマエありがとう。こんな時間まで待っててくれたの?」
「うん。悟、今日は帰ってくるって言ってたから顔見てちゃんと言いたくて」

リビングのソファで毛布に包まってへにゃりと笑った。ローテーブルにはコーヒーの少し残っているマグカップが置かれていて、夜更かしの苦手な恋人がカフェインに頼って睡魔と戦っていたことが手に取るようにわかる。

「ハァ…ナマエ好き…」
「えっ、唐突…」

僕はたまらずナマエのことを抱きしめて、ぎゅうぎゅうとそのやわい首元に顔を埋める。
くすぐったい、とナマエが笑うから、もう一回ぎゅうぎゅうとしてやった。
唐突なもんか。僕はいつだってナマエのことが好きなのに。

「もう遅いしケーキは朝か…それか今晩のほうがいいかなぁって思ったんだけど、ちゃんと用意はしてあるからね」
「やだ、今すぐ食べたい。食べる」
「うそ、もう夜中の一時だよ?」

いいのいいの、と言えば、ナマエは「しょうがないなぁ」と笑った。
ナマエが毛布から抜け出してキッチンに行くのを、後ろからついて歩く。最近変えたというシャンプーのホワイトローズの香りがふんわり漂った。


ナマエと出会ったのは、僕が高専四年生だった頃だ。
とある女子高で行方不明者が多発する事件が起こり、誘拐かと警察の捜査が行われたが、蓋を開けてみれば隠し神の一種による被害であることがわかった。
神殺しなんて大層な任務を任せられる術師が当時高専には特級の僕しかおらず、現地には僕が派遣された。
12月、原生林に近い山深いそこには雪が積もっており、被害者の生存はまずないだろうということが伺えた。

「ったく何でこんなさみーところにわざわざ…」

崩れ落ちそうな社が現場だった。淀んだ呪力があたりを包み、吹雪も相まって視界がすこぶる悪い。
隠し神ということもあり術式を使うことにはなったわけだが、もちろん僕に少しの傷もなく祓除は終わった。舞い上がった埃か雪かも曖昧な塵を手で払う。
ふと、被害者の女子高生たちが閉じ込められていた社の奥から呻き声が聞こえた。呪霊の気配はもうない。まさか生存者か、と足を運ぶと、幾人もの倒れたセーラー服のひとつがもぞりと動く。

「うっ…」
「マジ…?」

どうやら相当開悪運が強いらしい。すっかり人間の形ではなくなっているセーラー服たちのなかでひとりだけ、擦り傷程度の外傷で倒れている女かいた。

「おい、生きてるかー?」

しゃがんで息があるかを確認する。問題ない。
傷もなさそうだしな、とあまり動かさないようにそっと抱き起こすと、緩慢な動きでまぶたが開いた。ぼうっとしていた視線がそのうちにはっきりしたものになり、ぴたりと目が合う。

「あ、あれ…私ここで化け物に…」
「あー、それ俺が祓った」

頭の上にハテナマークを飛ばしているのが良くわかるが、それに構ってやる気はなかった。
生存者はこの女ひとりらしいし、とっとと補助監督に連絡をとって迎えに来させよう。
ケータイをパカリと開けて連絡を取り、生存者の女を見下ろす。
ぱちぱちと周囲を見渡している。破壊された社や転がる死体のなかで、肝が据わっているのかそれともまだ混乱しているだけなのか、泣き叫んだりすることはなかった。

「まったくさー今日俺誕生日だっつーのにこんな山奥まで行かされて最悪だよ」

泣き叫んだりしたら面倒だから気絶させようかと思ったけれど、この分ならまぁいいか、と僕は適当な愚痴を口にする。
別段なにか祝う予定はなかったが、だからといってこんな雪深い山奥で任務なんて災難にも程がある。任務を言い渡した学長のことを思い浮かべながら、帰ったらどんな悪さをしてやろうか考えを巡らせた。

「おめでとうございます…?」
「は?」
「え、お誕生日なんですよね?」

きょとん、とした顔で女がこちらを見ている。
この状況でそんな間の抜けたことを言われたのがおかしくって、僕は笑いが止まらなかった。

「オマエ、名前は?」

それがナマエとの出会いだ。
結局彼女は遡れば呪術師の家系と繋がっている限りなく一般人に近い人間で、事件の影響から呪いを視認できるようになってしまい護衛だなんだと僕が面倒を見ることになった。
ナマエのそばは心地良い。術師のしがらみを忘れ、僕が最強の五条悟ではなく、ただの五条悟でいられる最後の砦だ。


「今年のケーキは何?」
「今年はねぇ、手作りしてみたの。フルーツたっぷりのタルトだよ」

ナマエはそう言って、大きなフルーツタルトを得意げに取り出す。大きな皿に直径20センチほどのタルトが乗っていた。
色とりどりのフルーツと、その上にてかてかと光る透明なナパージュがかかっている。
ナマエは昔から何かと料理が上手だか、こんな本格的なケーキは初めてお目にかかる。しげしげと見つめていると「お料理教室で勉強したんだよ」と恥ずかしげに言われた。
ナイフがすっとタルトの中心を通り、綺麗に等分していく。

「お店のも良いなぁと思ったんだけど、なんだか今年は手作りしたくなっちゃって…あっ、嫌だったら明日お店に買いに行ってくるよ」
「嫌なわけないじゃん」

そう言い、僕はタルト生地を手で掴んで口に放り込む。「お行儀わるいよ」と咎める声が聞こえたけれどお構いなしだ。
バターの香りがしっかりとする生地にチーズクリームが塗られていて、その上にいちごとキウイと桃とみかんとブルーベリー。随分と欲張ったラインナップだ。
チーズクリームと、フルーツのさっぱりした甘酸っぱさと、ナパージュのとろとろした甘さが口の中でとろけてほどけた。

「はぁ〜?美味っ!これは悟セレクション金賞受賞でしょ」
「あはは、なんか受賞しちゃった」

隣でナマエがくすくす笑うのがわかった。
ナマエが作ったってだけで僕にはどんなお店のものよりも価値があるということを、果たして彼女が正しく理解しているのかは甚だ怪しい。
しかも「でもその名前だとモンドなんとかみたいでお金で買えちゃいそうだね」とのたまうものだから、僕は甘いケーキの味がする唇でナマエの小さいそれを塞いでやった。

「なに言ってんの、プライスレスに決まってるでしょ」

ぽんっと音が聞こえそうなくらい大げさに赤くなって、ナマエの目が見開かれる。
変な女だなとしか思わなかったあの日から、いつからこんなにも彼女を愛おしく思うようになったのか、自分でも良くわかっていない。
ただこうして毎年変わらない顔で、僕の誕生日におめでとうと言ってくれることにひどく安心して、やわく華奢な手を放すまいと柄にもなく必死になって繋ぎとめてきた。

「ナマエの誕生日にはどんなプレゼントが欲しい?」
「悟にはいつもたくさん貰ってるからなぁ。これ以上欲しいものって言われてもぴんとこないかも」

全く欲のないことだ。もっと欲張って、僕にたくさんのものを強請ればいいのに。
ナマエの肩を抱き寄せてまた首元にぎゅうぎゅうと顔を埋める。するとナマエの手が僕の頭に伸びてきて、まるで小さな子供にするように頭を優しく撫でられた。

「じゃあナマエの誕生日には特別に、僕の両眼をあげよう」
「ええぇ…いくら綺麗でも人の目はいらないかなぁ」

そんなこと言うの僕の身の回りじゃ君くらいなものだよ。と、言わずに喉だけで笑った。
この六眼をどうということもないただの蒼い目として見つめる。君が浮世に僕を繋ぎとめていてくれる。

「ナマエ、ありがとうね」

だから僕は、この地獄でも、迷わず歩いて行けるんだよ。


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