夜明け




※五条と傷の舐めあいから始める。あんまり明るくないです。


ろくでもないな、とつくづく思う。呪術師というものは。
百鬼夜行と題された未曾有のテロの翌日、深夜というのに五条は私の部屋のベルを鳴らした。

「…こんな時間になによ」

不機嫌なことを隠しもせずそう言えば、五条は一言も発さないまま私のことを抱きすくめた。冷たい。まるで雨に打たれたように、体の芯から冷え切っていた。

「ナマエ、抱かせて」


五条と私の爛れた関係が始まったのは、高専三年生のころだった。
初夏の繁忙期が終わって本格的な夏が始まった8月、私が当時付き合っていた先輩が任務で死んだ。優秀な準一級術師として任務にあたっていた彼は、帳を破って逃げ出した呪霊を追い、補助監督を庇って傷を受けたらしい。
傷の深さ自体は浅く、致命傷ではなかったものの、そこに受けた呪いが被呪者を道連れにする類のもので、結果として先輩は死んだ。

「ナマエの彼氏死んだんだって?」

私が高専の倉の裏で泣いていると、デリカシーの欠片もない言葉選びで五条がやってきた。
寮も教室も人がいて、やっと独りきりになれる場所を見つけたのに、この男はわざわざそんなことを言う為に私を探しに来たのだ。

「帰って」
「はぁ?慰めにきてやってんだろ?」
「いらない。帰って!」

私の声は思いのほか大きく響いた。ジワジワと蝉の鳴き声だけがあたりに響いて、煩いはずなのに冷たく感じるほど静かだった。

「飯ぐらいは食えよ、オマエ何も食ってねぇだろ」

五条はそう言ってコンビニで買ってきたであろう菓子パンがぎっしり詰まった袋を投げて寄越した。
飯を食えって言うわりに菓子パンってどういうことよ、と、五条らしくて腹が立っていたはずなのに不覚にもちょっと笑った。

「甘いのばっかじゃん」
「うるせぇ。嫌なら食うな」
「嘘。食べる」

普段不遜な態度ばかりの同級生の、こちらを気遣うような視線がおかしかった。こんなふうに私の心配をしてくれるなら、かける言葉くらい選んでくれれば良かったのに。

「…俺も食う」

寄越せ、と言われて袋のまんま渡すと、メロンパンだけを抜いてまた私に戻してきた。
私は袋からチョコレートデニッシュを取り出して、バリッと封を切る。チョコレートの甘ったるい匂いがして、お腹がぐぅ、と鳴った。

「こんなに悲しくてもさ、お腹って減るんだね」
「当たり前だろ。三大欲求なくなったら人間終わりだっつーの」

まぁ確かに、それはそうかもなぁ。
私は平気な顔をしてメロンパンをかじる五条の隣で、泣きながらチョコレートデニッシュを口に入れた。
甘いはずなのに少ししょっぱくて変な気分だ。
私がわんわん泣きながらチョコレートデニッシュを食べ終わるまで、五条はずっと、私の頭を乱暴に撫で続けていた。


五条が親友を失ったのは、その一月後のことだった。
任務で山間の村落に派遣された夏油と連絡がつかなくなり、五日後、住民112名の死亡が確認された。調査により、夏油の呪霊操術と断定され、夏油は高専を追放されて追われる身となった。
数日後に夏油は私と硝子と五条それぞれの前に姿を現した。私には「悟をよろしく」と言っていたけれど、他の二人に何を言ったのかは聞いていない。

「五条?いるの?」

こんこんこん、寮の薄い扉をノックする。元気がなくてもいい。飯ぐらいは食えよって言ったのはあんたじゃん。
もう一度ノックをしようと手を挙げると、不意に扉が開かれた。
ごじょう、と声を発しようとしたところで手首をぐんと掴まれて、部屋の中へ力任せに引きずり込まれる。
そのままずるずると引き回されて、気がつくとベッドの上に転がされていた。

「ごじょ、五条、痛い…!」

勢いが凄かったもんだからベッドに打ち付けたっていうのにぎしぎしと背中が痛い。
はっと目を開くと、私に覆いかぶさった五条が泣きそうな顔で私を見ていた。なによ、泣きたいのはこっちだ。心配して見にきてやったのに、突然引きずられて投げ飛ばされて。

「ナマエ…」

擦れた声が私の名前を読んだ。目の前で惜しげもなく晒される蒼い瞳がまるで宝石のようだと、陳腐な喩えだけが浮かぶ。
私は五条の真っ白い頬に指を滑らせ、その蒼を絡めとられたように見つめる。
五条はこんなに寂しい目をする男だっただろうか。

「…いいよ、五条」

いつの間にか、私は五条にそんなことを口走っていた。すると五条が私の首筋に噛み付いて、私は痛いと声を上げそうになったけれど、唇を引き結んで必死に耐える。
私は大切な恋人を喪って、五条は大切な親友を失った。
私も五条も、ふたり一緒に独りぼっちになった。

「俺ひとり強くても駄目なんだってさ」

お互いの身体を貪っているあいだは、何も考えずにいられた。私は先輩のことを忘れたし、五条も夏油のことを忘れた。いや、本人を忘れていたかというと少し違うかもしれない。
大切な人を救えなかった、己の無力さを忘れるためだった。
力任せの行為はひとつも気持ちよくなんかなくて、セックスというより自傷行為に近かったと思う。身体のあちこちが痛かった。痛いくらいがよかった。


初めて傷の舐めあいのような行為に及んでから、私と五条には特に名前の無い身体だけの関係が生まれた。
セックスフレンドというほどそればかりでもないし、かといって恋人などではもちろんない。友人にだってもう戻ることも出来なかった。
五条は昨晩、二回目の喪失をした。18のときに失った親友を、その手で殺したのだ。
私は五条が夏油を殺した瞬間をずっと離れた場所から見ていた。右腕を失い、壁にもたれかかる夏油の心臓を、五条の呪力が貫く瞬間を見ていた。

「…ナマエ、こっちにきて」

シーツの擦れる音がして、五条が動いたのが分かる。指示の通りに身を寄せれば、後ろからすっぽりと抱きすくめられた。肌の触れ合う感覚が心地いい。
初めてセックスしたときとは違って、今はずいぶんと気持ちよく思えるようになった。今だって独特の気怠さはあっても、痛みはちっともない。
「あったかいね」と言われたから「そうだね」と考えもせずに肯定をする。
ふと、この前映画館で流れた近日公開という映画の予告を思い出した。結婚を控えたヒロインに難病が見つかり、二人はすれ違い、お互いを思う強さで困難を乗り越えていくらしい。キャッチコピーには「愛がすべてを救う」と書かれていたと思う。

「愛がすべてを救えるって言うならさ、私の生きてる場所は地獄だよね」

ぽつんと、零すように吐き出した。
私たちは癒えない傷を誤魔化す為に、お互いの柔らかい部分を傷つけ続けてきた。もう十年もだ。
愛が何かを救うところを、私はついぞ見たことがない。

「救われたいの?」
「どうだろう」

口に出してはみたものの、救われたいのかどうかなんて実際のところ考えたこともなかった。地獄で生きていくことの方が、私には似合っている。
笑う五条の吐息がくすぐったい。はじめのうちは少なくともどきどきしていたこの吐息に安らぎを感じるようになったのはいつからだろう。

「愛はなんも救ってくれないけどさ、僕はナマエと地獄で生きていきたいと思うよ」
「五条と一緒なら地獄も楽しそう」

そうでしょ。と言って、五条が私の首元に顔を埋める。
素肌に感じる五条の体温は、つい先ほどまで動いていたせいかずいぶんと熱く感じる。冷たいと不安になるから、熱いくらいがちょうどいいのかもしれない。
私のお腹の前でクロスされた骨っぽい手に、少しだけ力が込められた。

「ナマエ、すきだよ」
「…えっ…?」
「僕と結婚して」

心臓を掴まれたと思った。十年間一度もそんな素振り見せたことなかったくせに。どうして。

「今更…」

そんな風に名前をつける関係になろうだなんて。

「何よ、五条が家庭持つ覚悟なんか出来てると思えないんだけど」

この男は誰のものにもならない男だ。
こんな関係になってから何度かちゃんとした関係に正そうと努力したし、それが出来ないとわかって何度も清算しようとも思った。どちらも出来なかったのはこの男がひとつところに留まれない男だからで、そして私がすべて棄てられるほど潔くなかったからだ。

「僕はもうずっと、ナマエと結婚しようって思ってたよ」

覚悟が出来てないのは、ナマエのほうでしょ。そう言って五条は抱きすくめた姿勢のまま背後から私の左手を掴み上げると、薬指に勢いよく噛み付いた。
痛い、と声を上げて引っ込めて噛み付かれた場所を触れば、結構深く痕がついている。

「こんな物騒な指輪御免なんだけど」
「僕んちにちゃんとした指輪あるよ、今度持って来るね」
「いや、プロポーズするつもりなら持って来なさいよ」
「今日言うつもりはなかったんだよ、なんか急に、したくなっちゃって」

親友を殺した次の日にプロポーズをしたくなるなんて、この男は全くイカれていると思う。
そしてそれを嬉しいと思う私も、たぶん同じくらいイカれてる。

「私、自分より先に死なない男と結婚したいの」
「じゃあ僕がぴったりだね」

そう言って、五条は私の身体を腕の中でくるりと反転させると、頬をすくいあげてじっと目を合わせた。
あの日と同じように惜しげもなく晒される蒼い瞳に、私がくっきりと映っている。

「すき。僕が死ぬときは、一番近くで見届けてよ」

五条、あんたの目にはどんな世界が視えてんの。そう言おうとしたけれど、どんな世界が視えていたって関係ないことだな、と思った。
違う世界が視えていて構わない。
願わくばあんたには、私が見えているものより、少しでも美しいものが視えていれば良い。


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