はんぶんこする恋
寒いね、と言って悠仁をコンビニへ連れ出した。誘い文句は夏になれば暑いね、に変わるし、春のうちはあったかいね、になる。
言葉なんて何でも良くて、悠仁はそーねと適当に同意をして私についてきてくれる。
「悠仁、今日もおでんにする?」
「どうしよっかなぁ、あ、そうだ期間限定の肉まん出てなかったっけ?」
「あ、あれだ、チャーシューまんでしょ、あとキャラメルクリームまん」
「そう、それ」
「どっちも美味しそうだねぇ、迷っちゃうなぁ」
高専から麓まで続く暗い道を並んで歩く。都内とは言ってもこのあたりは随分寒く、また吹き降ろす風が冷たい。コートはもちろん着てきたけれど、これは多分マフラーも要るやつだったな、と歩き始めて五分ほどで後悔した。
「ナマエ、寒い?」
「うーん、ちょっとだけ…マフラーしてこればよかったなぁ」
「俺の上着貸すよ」
「えっいいよ!いい!いい!悠仁風邪引いちゃう!」
献身的過ぎる恋人に、私は両手を全力で振って辞退の意を伝える。
「俺なら大丈夫だって」と食い下がる悠仁をなんとか丁重にお断りすれば、じゃあ、と言って手を握られた。
「ちょっとあったかくなる気しない?」
「…する」
悠仁は驚くほど自然に他人の心に入っていくことが出来る。それはもう、我が目を疑うほどの速さで。
それが悠仁の底なしの優しさのためであることはもちろん知っているけれど、助けた一般人の女の子にまで発揮するのはちょっとやめてほしい。
今日は久しぶりのに二人揃ってお休みで、一緒に映画を見ようと計画をたて、済ましておきたい用事があったから悠仁とは映画館の最寄駅で待ち合わせることにした。
約束の時間の二分前、悠仁から着信があり、少し遅れるなんて連絡かな、とそれを取った。
「もしもし悠仁?何かあった?」
「ごめん!さっき駅最寄り駅ついたんだけどそこででひったくり捕まえてさ、駅長室でおまわりさん待ってなきゃいけなくて」
「えっ怪我はない?大丈夫?」
「うん、俺は大丈夫」
そう言って通話を切って、そのまま待ち合わせ場所で待っているのもなぁと思い私は駅長室のほうへ移動した。
駅長室の出入り口正面の壁にもたれて悠仁を待っていると、ものの数分で扉が開かれる。悠仁、と声をかけようとしたら、後ろから呼び止められたようで、こちらを向かないまま振り返ってしまった。
「別にお礼なんていいって、オネーサン怪我なくてよかったよ」
姿は見えないけれど、悠仁が助けたひとが女の人で、そのひとが悠仁にお礼をしようとしているのは確認しなくてもわかった。
私は思わず眉間にぎゅっとシワを寄せ、口をつぐんだ。
「あ!ナマエ!」
お待たせ、と言いながら悠仁が駆け寄ってくる。ダメだ、ちゃんとしなきゃ。
「ナマエ、なんかあった?」
「ううん、何にも」
「本当に?」
ほんとだよ。悠仁の観察眼というか、人の機微を感じ取る力には恐れ入る。
だけど私はここで何も言うわけにはいかない。そんなの情けなさすぎる。悠仁が女の人を助けて、その人に好かれちゃったかもしれないって想像だけで嫉妬してるなんて。
「うん、大丈夫」
「うーん…そう?」
「大丈夫だよ」
だって悠仁は何にも悪くなくて、むしろ良いことをしていて、それをどうこう言うなんてお門違いにもほどがある。
「どうしよう野薔薇ちゃん…私、さいていだぁ…」
映画を見終えて、いつもなら二人で寄り道をするけれどその日はまっすぐ高専に戻ってきた。悠仁はまだ少し何か言いたげな顔をしていて、私は気づかないフリで「また明日」と女子寮に駆け込む。隣室の野薔薇ちゃんに泣きついて、今日の顛末を聞いてもらっていた。
「まぁアンタが過剰反応なのは否めないけど…虎杖よ?あいつがそんなモテるわけなくない?」
「そんなことないよ、だって悠仁優しいし、カッコいいし、強いし、体も鍛えてて、頼りがいだってあるし…」
「とんでもないフィルターがかかってることはわかった」
フィルターって…本当にそんなことないのになぁ。私は目の前のマグカップをいじいじとなぶり、大きく溜め息をついた。
野薔薇ちゃんが入れてくれたキャラメルラテは残り半分のところですっかり冷めてしまっている。
「彼氏にモテてほしくないって言うか、余所見しないでほしいって思うのはフツーのことでしょ。言えばいいのよ、本人に」
「そりゃあ…そうなんだけど…悠仁の場合は人助けして好かれてるから…好かれないようにって言っても無理あるでしょ?」
「まぁ、それはそうね」
あいつの人助けはライフワークみたいな自然さだもんね。と野薔薇ちゃんが言った。
そう、そうなのよ。ごく当たり前のように、わけ隔てなく自然に人に優しくできる。それが悠仁の良いところで、大好きなところで、私が初めに好きになったところなのに。
「そんな善意の塊に嫉妬するなんて…やっぱりさいあくだぁ…」
私はなんてひどい女なんだろう。はぁ、ともう一度肺の底から根こそぎ空気を吐き出した。
野薔薇ちゃんは自分のキャラメルラテを呷るように飲み干し、勢いよくマグカップをテーブルに置く。大丈夫?割れない?
「あんたがウジウジしてるのイライラすんのよね、さっさと仲直りしに行きなさい!」
ばしん、と結構いい音で背中に喝を入れられ私は「野薔薇ちゃあん…」と涙目になりながら勘弁してくれと懇願する。が、それもむなしく首根っこを摘みあげられるようにして部屋を強制退去させられたのだった。
気が重い。どんな顔して悠仁に会えばいいんだろう。はぁ。
とぼとぼ歩いていると、談話室から悠仁の声が漏れ聞こえてきた。ちょっとまって、早い。心の準備が出来てない。
一緒にいるのはパンダ先輩かな、とこっそり覗くとばっちり目があってしまって「じゃあな、悠仁」と声をかけてから席を外してしまった。
話の途中だったんじゃないのかな…悪いことしちゃった。「ナマエ、どったの?」という悠仁の声で、私はハッと意識を談話室に向けなおす。
「ゆ、悠仁、寒いね」
「えっ、うん。そーね」
「コッ、コンビニ行かない?」
今日お昼に出かけたばかりと言うのに不自然だっただろうか。コートだけを引っ掴んで私と悠仁は寮の玄関を出た。
そして冒頭に戻るわけだ。
「今日、やっぱりなんか調子悪かった?」
「ち、違うの、違うんだよ、悠仁」
私が悪いの。覗き込まれて、その視線から逃げるように目を逸らす。
悠仁にこれ以上心配をかけるわけにも行かなくて、私は泣く泣く今日のデートで助けてあげたお姉さんにモヤモヤしてしまったことを打ち明けた。
「嫉妬しちゃった感じ?」
「しちゃった感じ…」
「あのさ、嫉妬してくれてんのめっちゃ嬉しいんだけど、助けたの、おばちゃんなんだよね」
「は?」
「俺が息子と同い年なんだって。お礼にお米あげるって言われてさ、流石に重いし断った」
「でも悠仁オネーサンって言ったじゃん」
「うーん、おばさんとは呼びづらい空気だったから?」
それは…なんとなくわかるけど。え、じゃあ私の勘違いだったってこと?どうしよう、単純に嫉妬してるよりよっぽど恥ずかしい…。
私が気まずそうにしていると、隣で悠仁が「へへっ」と笑う声が聞こえた。
「ナマエが嫉妬なんかするなんて珍しーね」
「珍しくないよ…いつもしてる」
そうなん?コテンと小首をかしげて悠仁が言う。そうだよ、私はいつだって悠仁が優しくする女の子に嫉妬してる。
さわさわと風の渡る音がして、私は二、三度もごもごと唇を合わせてから、悠仁がいかにかっこいいかを思い浮かべながら言った。
「だって悠仁はかっこいいから。優しくされたらみんな好きになっちゃうよ」
悠仁はうーんと唸って繋いでないほうの手を顎に当てる。考える素振りのあと、頬をぽりぽりと掻きながら視線を空に投げた。
私はそれを横目に見てから、コンクリートに視線を落として自分のつま先ばかり見つめる。
「そんなこと言ったらさ、ナマエだってこの前ナンパされてたじゃん。俺いつもヒヤヒヤしてんだよ?」
ナンパ?そんなこと…あれはナンパだったのかな?そう言えば二週間前に道を聞かれた気がするけど。
今の今まで忘れてた。悠仁も嫉妬なんてするんだ。思わずぽけっとした顔で悠仁を見ていると、「なんか言ってよ」と決まり悪そうに唇を尖らせる。
嬉しい。太陽みたいな悠仁も、そんなこと思ってくれるんだ、私に思ってくれるんだ。
「私には悠仁だけだもん…」
「俺だってそうだよ」
「おそろい?」
「おそろいだね」
手を握る力が強められた。きつく、でも決して痛くはない心地よい拘束だ。さっきまで寒いと思っていたはずなのに、手を繋いで、悠仁と話していたら寒さなんてすっかり忘れてしまった。
「ナマエキャラメルクリームまんにしなよ。俺がチャーシューまんにするから、それならはんぶんこできるじゃん」
「いいの?」
「うん、ナマエとは何でもはんぶんこしたいし」
それがただ期間限定まんのことを言っているわけじゃないことは、一目瞭然だ。
だって悠仁の顔が耳まで真っ赤になっている。私は悠仁の腕にぴったりくっついて、賛成、と返事をした。悠仁の誰にでも優くできるところが好き。私に一番優しくしてくれるところが、もっと好き。
コンビニまであと十分。キャラメルクリームまん、美味しいといいなぁ。
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