インスタントナイト、ラブ




※未成年の飲酒、喫煙描写がありますが、それを推奨するものではございません。


同期が犯罪者になったのは、高専三年のときだった。
2007年9月、派遣された村で百を超える一般人を呪殺し逃走。呪術規定九条に基づき、夏油傑は呪詛師として処刑対象になったのだ。
三人の同期の中で一番可もなく不可もない関係だった。
なんでも、指名手配されてすぐ五条と硝子のもとには姿を現したらしい。あたしのところには全然。それがちょっと残念だったような気もするけど、まぁ妥当だな、とも思う。
五条が馬鹿みたいに荒れたり、なんかいつの間にか子供二人の後見人になったり、硝子は硝子で医大に進んじゃって、皆が皆ぐちゃぐちゃに変わっていく中で、あたしだけがどうということもなく何の変化もないまま高専を卒業した。
あのときキスをしたくせに。一回きりのそれを、あたしはずっと根に持ったまんま大人になってしまった。


あたしは男運が悪い。と、いうか多分男を見る目がない。絶対。
付き合った男は浮気したり、二股かけられたり、実は既婚者で修羅場に巻き込まれたり。変な男に引っかかってしまう要因は、主にあたしの見た目や素行にあるとはわかっている。
派手な髪色、煙草、お酒、それから夜遊び。任務がないときは寮を抜け出して夜な夜な繁華街に出向き、朝帰りなんてしょっちゅうだった。
もちろん、任務に支障をきたすようなことはない。なんせ失敗したら死ぬからね。
こんなことをしていて出会える男なんて同じ穴の狢だ。だからホスト崩れだったり、奥さん騙して遊んでるようなやつばっか。
それでもこんなことを辞められないのは多分、術師なんて胸糞悪いものをしているからだと思う。
呪いにとっては善人も悪人も関係ない。不条理に、平等に、呆気なくその命をさらっていく。非力なものを圧倒的なまでに打ちのめしていく。あたしは凡庸で無力で、この不条理を正すことができない。
だからこうやって、なんにも関係ないとばかりに遊んでいるひとに紛れているあいだは安心できた。あたしはまるでここにいる非術師たちと一緒で、無力でも構わないと思える。

眠い。散々クラブで遊んだ重たい身体を引きずってタクシーで筵山まで戻ってきた。
正面からでなく、あたし専用に開拓した隠し通路から山道を登り、寮の外壁がぼんやりと見えてきた。
深夜とも早朝ともつかないあわいの時間。部屋に着いたらちょっと仮眠して、そしたら日中は全然大丈夫。二時間くらい寝よう。
今日は座学と午後から組手だっけ。五条だったらやだなぁ。あいつ容赦ない上に術式のせいで絶対当たらないんだもん。最近は後輩とペアになることも多いから、もしかしたら灰原や七海かもしれない。

「やぁ、ナマエ。朝帰り?」
「うわ、夏油じゃん」

ぼんやり考えていると、寮の前に夏油がいた。こんな時間に何をしているのかと問えば「外の空気を吸いに来ただけだよ」と言った。こんな時間に?

「煙草の臭いと香水の臭いがすごいな」
「香水はあたしのじゃないよ」
「確かに、メンズっぽいね」

へぇ、そんなのわかるんだ。
真面目そうな顔をして実のところ五条とガキのように悪巧みをする夏油がいい子ちゃんなわけはないのだが、香水に言及されるのはなんとなく意外だった。まぁそうか。夏油モテそうだもんな。

「男?」
「まぁ、さっき別れたけど。クラブで遊んでる女なんて暇つぶしだってさ」
「ナマエで暇つぶしなんて根性あるな」
「だよね。呪ってやろうかな」

ケラケラと笑う。別に執着していたわけじゃない。
遊びとまでは言わないが、あたしの恋はいつだってインスタントなその場しのぎであることは間違いないのだ。
夏油の顔を見てたらなんだか眠気がいっそう濃くなって押し寄せてきた。もう早く部屋に戻ろう。

「ふぁあ、眠いや。授業まで寝てくる。おやすみ」
「おやすみ」

もうすぐ朝日が昇るってのに、あたしと夏油はそう言い合って別れた。



「ナマエさ、別に夜遊びが好きってわけじゃないんだろ」
「…は?」

数週間後。夏油に突然そんなことを言われたのは、深夜のクラブでのことだった。
人ごみの中で突然腕を引かれて、新手のナンパかよ、と思ったら至近距離にあったのは見知った同期の顔。
黒いサルエルパンツにボートネックのトップス、いつもひとつにまとめている髪をハーフアップにしていてチャラさが倍増だな、と思った。

「なに、夏油もクラブとかくんの?」
「いや、今日は君を探しに」

ふうん。適当に相槌を打ってバーカウンターまで移動すると、スクリュードライバーを注文する。後ろから着いてきた夏油はカミカゼを注文した。嘘つけ、絶対クラブ慣れしてるだろ。
グラスを受け取ってカウンターチェアに体重を預けると、真横で同じように腰掛けた夏油はDJブースを眩しそうに見ていた。

「で、なんで?」
「ん?言葉の通りだよ、ナマエを探しに来たんだ」
「また変な男引っ掛けると思って?」
「まぁ、そんなとこかな」

切れ長の目をさらに細めて、夏油はカミカゼをごくりと流し込む。
夏油の考えていることなど一度もわかった試しはないが、今日は一層何を考えているのかわからない。去年の夏ごろから、何度かこんな、まるで自分がここに存在してません、とでもいうような透明の顔をする。
チカチカするライトが夏油のピアスをさまざまな色に光らせた。

「ナマエはさ、卒業したら何したい?」
「あたし?うーん…あ、車の免許取りたい」
「免許?」
「そう。良くない?自分の運転でドライブすんの」
「彼氏の運転じゃないんだ?」
「別に自分の運転でいいよ、好きなときに行けるし、好きなサービスエリア寄れるじゃん」

サービスエリア好きなんだ?と言って夏油が笑った。なんだよ、サービスエリアには限定の食べ物とか、あと限定の食べ物とか…それから限定の食べ物とかあるんだぞ。
口にしたら「食い意地が張ってるな」と笑われそうなのでやめた。

「そういうのじゃなくてさ、何ていうか…例えば将来なりたいもの、みたいな」

ないの?と尋ねられ、へんなことを聞くなぁ、と思った。
卒業したってどうせこのまま術師を続けるに決まってるのに、将来なりたいものなんて。
あたしは凡庸な術師なので、うまくいけば死なないし、ちょっとしくじれば死ぬだろう。夏油みたいにすごい術師は、何か違うものが見えているのだろうか。

「あ、あたしお嫁さんになりたい」
「へぇ」
「優しくて、かっこよくて、あたしのこと一番好きって言ってくれるひとと結婚するの。子供は二人くらい欲しい。女の子だといいなぁ」
「ずいぶん可愛いこと言うね」

指折り数えてそう言えば、夏油はまたくすくすと笑った。
いいじゃん。夢くらい見たって。
ドラマで見るような幸せが手に入らないのは、術師なんて胸糞悪いことしてるんだからわかってる。
あたしは口を尖らせて、ぷい、と顔を逸らした。
すると夏油のおっきい手が頬を包んであたしの顔を真っ直ぐ誘導する。
あ。と思ったときにはもう夏油の唇が触れていて、二回三回と角度を変えてキスをされた。
カミカゼのライムの味がじんわり広がる。

「うえぇ、あたしライム苦手なんだけど…」
「そうなの?じゃあ覚えとくよ」

夏油の熱が離れていく。クラブの喧騒の中に夏油とあたしのキスは少しの動揺を与えることもなかった。



あんなやり取りをしたくせに、夏油は離反後、あたしのところに姿を現すことはなかった。
そうだ。あの夜がちょっと特別だっただけ。
夏油とあたしは同期で、しかもそんなに仲いいわけでもなくて、ましてやお付き合いなんかしていない。ただあの日、気まぐれで一回キスをしただけの相手。

あたしは疲れた体を引きずってマンションの鍵をかちゃりと回した。
学生時代と違って任務はひっきりなしだし、夜更かしするより眠りたいという欲が勝ってしまって最近はクラブにとんと行っていない。
あーやばい、メイク落としたら秒で寝る自信がある。最近付き合ってる男はもう三週間連絡のひとつもない。またこのまま自然消滅だな。
卒業してから一年、ずっとこんなかんじだ。

「や、ナマエ」

背後から気配もなく声をかけられ、勢いよく振り返る。
安っぽいマンションの外灯のなかで、大仰な袈裟姿の同期が立っていた。あの日とおんなじチャラいハーフアップで。

「夏油?え、本物?てか何してんの?」

「迎えに来たんだよ、今はちょっと宗教団体の教祖やっててね」

ちょっとでやる職業かよ、と思わず笑ってしまった。
「会いにも来なかったくせに」と言ったら、悟や硝子と違って君は連れて行く予定だったから、と返ってきた。

「お嫁さんになりたいって言ってただろ?迎えに来る前に色々準備してたら少し手間取ったんだ。待たせてすまないね」

まるであたしが当たり前についていくみたいな言いかただ。なに、あたしと結婚するつもりなの?
むっとして顔を歪ませても、夏油は涼しい顔のまんま。
夏油がいなくなってから知らず知らずのうちに夜遊びが減ってたり、真面目な男と付き合おうとしたり、その男が揃いも揃って切れ長の目の優男ばっかりだったり、そういうことを全て見透かされているみたいでちょっと、結構、かなりむかつく。

「あたしさぁ、男運悪いんだよね」
「じゃあ、私でやっと当たりだね」

なんてことない顔して言うのがおかしくって、むかついていたはずのあたしは堪え切れない笑いを思いっきり吐き出した。

「あはは!まさか!今世紀最大のハズレでしょ」

呪詛師で殺人犯で怪しい宗教団体の教祖様が当たりなら、あたしの歴代彼氏はもれなく当たりだっつーの。

「あたし、車の免許まだ取ってないの。だから一ヶ月くらい待ってくんない?」
「合宿免許?」
「そ。だって夏油犯罪者だから免許取れないでしょ、二人で出かけるとき不便じゃん」

確かに。と夏油は納得したように言った。
呪霊に乗ってどこにでも行けてしまうことは知ってるけど、それだとあたしの好きなサービスエリア寄れないもんね。

「免許取ったら海いこ、助手席に乗せてあげる」
「いいね」

こんな男に心を奪われるなんて、やっぱりあたしの男運は死んでいる。

「じゃあ、これからはいつでも会いに来るから」
「明日も会いたい。来てくれる?」
「もちろんいいよ」
「待ってる」

ナマエは寂しがりだね、と言ってあたしの頭を優しく撫でた。そうなの、あたしも知らなかったけど、あたしって寂しがりなの。
だから好きでもない夜遊びばっかして、好きでもない男と付き合ったりもする。
夏油は撫でていた手をするりと頬まですべらせ、親指を数回往復させる。そのまままるで予め決められているかのような動作であたしにキスをした。
久しぶりにスクリュードライバーが飲みたい気分だ。


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