君はロックを聴かない


「さいあくだ〜!!」

今年既に二回目になるナマエの失恋に、僕は内心ほくそ笑んでいた。

「だから一般人は絶対ムリだって言ってんじゃん」
「いや、今回は、今回こそはって思ったんですよ…」

夏ごろから付き合いだしたという合コンで出会ったサラリーマンに浮気をされて振られた。非術師と付き合うときのナマエのいつものパターンだ。
不規則な生活リズムで連絡が取れない、急な任務でデートをキャンセル。その説明が出来なくてーーしたところで解らないというのもあるがーー理解を得られないために破局する、というのは、術師の中では珍しい話ではない。
職場恋愛職場結婚、結局そのあたりは理解のあるもの同士がくっついてうまいこといくほうが多い。

「でも…一般人がいいんです…」

だらだらと恥も外聞もなく涙と鼻水を垂らすから、ばっちいな、と言ってティッシュでずるりと拭いてやった。
都内にいくつか借りている僕のマンションの、やたら明るく設定したシーリングライトが昼間みたいに煌々と部屋を照らし、色気もへったくれもあったもんじゃない。
そもそも、ナマエに警戒されないように別に趣味でもない真っ白なLEDにしているんだ。
本当なら僕はもう少し光度の低いものが好みなんだけど。
男に振られて、ぐちゃぐちゃに落ち込んで、僕がそれを慰める。
高専時代からずっとだ。



一個下の学年は、皆非術師の家系の出身ばっかりだった。
七海、灰原、そしてナマエ。だから僕を馬鹿みたいに強い先輩だと遠巻きにすることはあっても、御三家だから、と敬遠することも媚びることもなかった。それが妙に心地よかったのを覚えている。
ナマエたちが入学した年の秋、ナマエに初めて彼氏が出来たのだと浮かれて談話室で話しているところにたまたま遭遇した。

「は?オマエみたいなちんちくりんに彼氏なんか出来たのかよ、ウケる」

びくりと大げさに肩を揺らし、ロボットみたいなぎこちない動作でこちらを振り返る。灰原はいじりがいがないし、七海は七海でリアクションが薄いからイマイチだ。僕が当時真っ先にいじり倒しに行くのは、いちいちリアクションの大きいナマエだった。

「だ、だめですか!別にいいじゃないですか!」

大体の場合、顔を真っ青にして逃げようとするのがナマエの僕に遭遇したときの初手なのだが、この日は珍しくキッと僕の顔を見上げて反論をしてきた。
まさか言い返されると思っていなかった僕はたじろぎ、隣にいた同期二人に口々にたしなめられた。

「五条ってマジでガキだよね」
「そうだぞ、悟。気になるからってわざわざミョウジに突っかかるな」
「はぁ?誰が気にしたよ、こんな色気もねーガキんちょと付き合うヤローがどんな変わり者かと思っただけだし」

はいはい、気になるんだな。嫌われても知らねーぞ。確かそんなことを言われ、僕は居心地が悪くなって、わざと大きな音を立てながら談話室をあとにした。
それから二ヶ月も経たないうちに、ナマエの人生初の彼氏は人生初の元彼になることになる。
夜九時過ぎ。学生たちは各々自室に篭ったり、談話室でボードゲームに興じていたりする中、ふと、あの小さい背中が足りないことに気がついた。
いないのか。そう頭の片隅に思いながら談話室を抜け、自販機まで甘い炭酸飲料でも買いに行こうと寮の外に出たとき、自販機のそばのベンチに見慣れた小さな背中を見つけた。

「何してんだよ」
「ご、ごじょ…ごじょうせんぱいぃぃぃ」


夏の暑さが抜けて過ごしやすくなってきたとはいえ、部屋着でうろちょろするような時間ではない。面倒くせぇな、と思いながら声をかけると、唸るような情けない声と共に、ナマエが顔を上げた。
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、目元は自販機の明りでわかるくらい真っ赤で、眉間に深くシワが刻まれている。悲しいとか、苦しいとか、そういう感情がむき出しになっていた。

「なにミョウジ、振られでもしたか?」
「………」
「マジかよ」

図らずも図星を突いてしまい、気まずい空気が流れた。あの時僕はひょっとしたらこうなることを期待してたのかもしれない。
居心地が悪く、でも立ち去ることも出来ずに、僕は自販機で水を買い、ん。と言ってナマエに差し出した。
「ありがとうございます」小さい礼が聞こえ、ナマエはパキ、と封を開ける。

「思ってたのと違うって…初デートの予定2回連続ドタキャンはねーわって」
「あー、任務か」
「…はい」

よくある話だ、と思った。急な任務や予定変更で振り回されることはザラにあるが、見えない側にとってはこちらのことは理解しようがない。しかもナマエは運悪く付き合い初めでそれが2回もあったのだから、向こうからしてみればそう思われるのもわからなくはない。まぁ、もう少し辛抱してみろ、と今なら思うが。
しかも別れ話はメールだった、とナマエがまた泣いた。

「ま、別に男なんかソイツだけじゃねーじゃん」

ぽん、と頭に手をのせ、やわい髪を軽くかき回す。
ナマエはぽかんとした顔で、今世紀最大の発見をしましたとでも言うような声音で言った。

「珍しいですね、五条先輩が優しい」
「あ?オマエ喧嘩売ってんの?」
「ちっ違います!わーっ!ごめんなさいごめんなさい!!」

頬を抓ってやろうと手を伸ばすと、大げさな動きでそれを避けようとする。
いつの間にかナマエは笑ってて、柄にもなく安心したことを良く覚えている。


学年が上がった春、またしても僕はナマエの失恋現場を目撃することになった。
その日は硝子が京都校に呼び出しを受けていて、傑は単独任務に就いていた。なにかと任務に引っ張られることの多い僕だけがたまたま高専に残り、暇つぶしを探して中庭をうろうろと歩いていた。
満開を少し過ぎた桜の根元に、小さな身体をさらに小さく丸めたナマエがうずくまっている。いい暇つぶし発見、と思って近づくと、ぐすんぐすんと鼻をすする音が聞こえた。

「…ミョウジ」
「ご、ごじょうせんぱいぃぃ…」

デジャヴだ。絶対また振られたな。
ナマエは気が弱く見えて、任務に関わることで弱音を吐くところは見たことがない。だから絶対これは任務どうこうとかそういう話ではなく、どうせ男関係だとすぐにわかった。

「で、次は何だって?」
「大学で好きな子出来たって言われました…」

今度の男は確かこの間の冬から付き合い始めて、相手が年上で高三だと言っていたと思う。
なるほど、環境が変わって目移りしたパターンね。
どうせ出会って半年も経ってない相手に、ナマエはいつも真剣だ。そういうところが馬鹿だと思ったし、そういうところが好ましかった。
僕はポケットに入れていた音楽プレイヤーを取り出すと、右のイヤホンをナマエの耳に無言で突っ込む。もう反対側を自分の耳にはめ、コードが届くギリギリまで近寄ったままプレイヤーを再生した。
一番に流れ出したのは最近お気に入りのUKロックバンドの新曲だ。

「…私ロック聴かないんですけど」
「知ってるけど」

どう見てもさくらんぼとか聴いてるタイプだろ、と言えば、何でわかったんですか?と不思議そうな声が返ってきた。
ドラムとギターのハードなロックは、気分を上げるには最適だと思うけれど、失恋したばかりの女の子が聞くには難解だろうと思う。歌詞も英語だし。

「なぁ、俺にすればいいじゃん」

2曲を聴き終わって、思わず漏れた言葉だった。
言っちまったな、とナマエのほうを見ると、信じられない、といったふうに口が歪んでいた。なんだよその顔、むかつくな。

「えぇ…私どっちかと言うと夏油先輩のほうがタイプです」
「こ、の、や、ろ〜!!」

その発言にもっとむかついて、こめかみをゲンコツでぐりぐりと攻撃してやった。
ギブギブ!ナマエは即座に声を上げて降参したけど、それから10秒は止めてやらなかった。
この日からなんとなく、ナマエが失恋すると僕のところにやってきて、どうという事もない話をして、ロックを流すのが恒例になった。
高専の中庭、お互いの寮の部屋、校舎の影、ファストフード店の隅…。ありとあらゆる場所でその秘密の儀式は行われ、ここ数年は僕の部屋がその現場になっている。



「で、今回は何だっけ?」

真っ白なLEDライトに照らされる部屋は、ほとんど使ってないようなものだった。
ダークブラウンのフローリングにグリーンのラグを敷き、ローテーブルとそれからソファ。テレビも一応置いてはいるが、つけたことは数回しかない。
壁際に設置したスチールのラックには最新のコンポがセットされていて、多分これが一番使用頻度が高い。
詰まるところこの部屋は、ナマエが失恋したときくらいにしか使っていないのだ。

「…浮気です。というか二股?ちなみに私がセカンド女でした」
「ウケるね」
「ウケないでください」

ナマエはひとしきり顔をぐちゃぐちゃにして泣くと、僕の質問に不機嫌そうに答えた。
浮気はナマエの失恋を観測し始めて最も多い理由だ。
浮気をする男を選ぶ見る目のなさを差し引いても、一般人とばかり付き合おうとするのだから、愛想を尽かされるというのはある意味当然だった。
昔は術師と付き合っていたことも何回かあったはずなんだけどなぁ。

「そもそもさ、なんで一般人にこだわるわけ?」
「それは…」

珍しくナマエが口ごもる。
もごもごと口を動かし、苦虫を噛み潰すような顔で続きを話し出した。

「昔付き合った術師の彼氏が任務で死んだんです。術師ってすぐ死ぬじゃないですか、だからもうそういうのは嫌だなぁって」

ああ、なるほど。そう言えばナマエが高専卒業してすぐに付き合った男、任務で死んだっけ。
驚いた。そんな健気な理由があったなんて。
僕はてっきり「普通の家庭を築きたくて」とか「術師は変わり者が多いから」とかもっと薄っぺらい理由があるものと思っていた。

「じゃ、問題ないね、僕最強だから」

理由を聞いて安心だ。
一般的な家庭が築きたいなんて言われたら、御三家のしがらみがあるからちょっと難儀なことだけど、死ななくていいなら幸い僕には簡単なことだ。

「そろそろ僕にしなよ」
「…五条先輩、それ昔も言ってましたよね」

ナマエは一切真に受けてませんという態度を全面に押し出し、ティッシュを一枚抜き取ると目元の涙跡をぐいぐいと拭う。
この部屋に来たときから取れかけた化粧は、先ほどから続く一連の流れですっかり剥がれ落ち、幼い素顔が無防備に晒される。

「僕は本気だよ、あの頃からね」
「…いやいや、五条先輩、そもそもなんで私のこと好きなんですか?というか本当に私のこと好きなんですか?」
「はぁ、おまえね、どんだけ僕が一途か知らないだろ」

やっぱりずっと冗談だと思ってやがった。僕は思わず眉間を押さえ、内臓が出るかと思うくらい大きく溜め息をつく。
「えっ、そんなにですか?ごめんなさい」と口先だけの謝罪が聞こえ、僕に怯えきっていた昔なら考えられない態度だな、と口元が自然と緩くなる。

「ナマエが初めて失恋したときにさ、おまえの泣き顔見て可愛いって思ったんだよね」
「うわ、ドン引きです」
「泣かすぞ」
「わー!ごめんなさい!嘘です、嘘!」

いつの間にかナマエは笑っていて、思いっきり泣いたあとでからりと笑うところも好きなんだよなぁと思ったが、それはまだ言ってやらない。

「ま、待つのなんて今更だからさ、ゆっくり考えてよ」

そう言って、コンポのリモコンに手を伸ばす。
お気に入りのUKロックバンドの最新アルバムが流れ出し、ああ、二人で初めて聴いたのもこのバンドだったな、と思い出した。

「五条先輩…だから私、ロック聴かないんですけど…」
「知ってるよ」

だけど、少しでも僕に近づいて欲しくてさ。
二人で過ごす為の部屋を用意したって、警戒されないように妙に室内を明るくしたって、何度僕の好きなロックを聴かせたって一向に気づいてはくれないけど、それでも僕は馬鹿みたいにナマエに夢中だ。

「…でも、五条先輩の好きなバンドはいくつか覚えましたよ」

目を泳がせてから真っ赤になった顔を俯かせる。前奏が終わり、軽快な歌が煌々と明るい室内を踊る。
ゆっくり考えてなんて言ったくせに、僕はたまらずナマエの身体を引き寄せた。
おまえはロックなんか聴かないと思うけど、僕はこうやって、いつもナマエに恋をしてきたんだ。




※タイトルはあい○ょんの歌より。歌詞から起想しました。
 とても好きな歌です。





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