ごめんね魔人ちゃん!




※ヒロインが願いを叶えてくれる魔人というトンデモ特殊設定です。



──願い事を三つ叶えてあげる。その代わりあなたが死んだらその魂をいただくの。安心して、私があなたを殺すわけじゃない。あなたが死んだときに魂をもらえるならそれで充分なの。悪い取引じゃないでしょう?


東京都立呪術高等専門学校は東京という都会的なイメージからはおよそかけ離れた山麓に所在していた。五条はその日、午前中に入っていた任務を終え、午後の任務のために高専の敷地内をブラついていた。もっとも、この時間だって報告書だなんだの事務処理をしなければならないから、ブラついていて良いわけではないのだけれど。

「お、一年生も元気に組手してるねぇ」

グラウンドでは一年生がそろって体術の訓練をしている。現在のカードは真希と狗巻だ。スピードとテクニックの光る一戦である。のんびりそれを観戦していると、数分でカードが変わった。今度はパンダと乙骨だ。

「はぁ、今日も呪術高専は平和でよろしいねぇ」

乙骨を高専で引き取ったのは我ながら良い手だったと思う。前途ある若者の未来を頭ごなしに奪ってしまうのは主義に合わないし、上層部の連中の言いなりになるのも癪だ。青春を謳歌するべき少年が願いも持てない世界なんてクソくらえだと思う。

「おい悟、何勝手に見てんだよ!」
「担任にその言い方ヒドくなーい?」
「担任らしいことしてから言えっつーの!」

グラウンドから大きな声を上げて抗議をされた。まったく遺憾である。そのままグラウンドをあとにして、寮の方へ向かい、あと少しで寮が見えるだろう、というところでふと、目の前に薄紫色の煙があがった。反射的に臨戦態勢をとって、その煙の中の気配を探る。
2メートル、いや、2.5メートルほどの大きさの物陰が煙を揺らめかせる。無下限呪術の遣い手である五条にとって煙の中に潜む敵というのは概ね脅威足り得ないが、万が一ということもなくはない。
二秒ほどでゆっくりと煙が晴れる。薄紫色の中から姿を現したのは、150から160センチ程の人型の生き物だった。2.5メートルほどに見えたのは、これが宙に浮いていたからだ。浮いていることとのほかには、殆ど人間的な特徴を持っていると思う。しかしその「浮いてういる」のが問題だ。

「……何者?」

五条が低い声でそう尋ねる。これが例えば呪霊の類いであればそう驚くことでもない。この異物に対して高専の結界のアラートが機能していないのはどういうからくりか。高専の結界は事前に登録している呪力以外を感知すると警報を鳴らすように出来ている。言わずもがな呪霊や呪詛師の侵入を防ぐためだが、いくら呪力量が少なくとも一般人も充分その警戒の範疇に入る。特殊な天与呪縛でもない限り、呪力が一切ない人間など殆ど存在しない。
それは閉じてた瞼をゆっくりとした調子で上げると、口元にゆるやかなカーブを描いて笑う。

「私は願いの魔人。あなたの願いを叶えてさしあげます」
「まじん?なにそれ」
「魔人は魔人です。私と契約を結んだ暁には、あなたの願いを三つ叶えてさしあげます」

魔人を自称し人語を話すそれは女の見た目をしていた。声は音ではなく、なにか特殊な音波のように頭の中に流れ込んでくるように感じる。願いを叶える魔人なんて千夜一夜物語のようだ。契約を結ぶというなら何かしらの代償は必要なのだろう。さぁ願いを言ってみろ、とばかりに堂々と女は両手を広げ、さも霊験あらたかな様子を装っていた。しかしまぁ、他人に叶えてほしい願い事なんてものはこれといって思い当たらない。

「いや、僕別に叶えてもらいたい願いとかないし」
「えッ!?」

女は霊験あらたかな雰囲気を一気に引っ込め、信じられないとばかりにこちらに向かって前のめりに驚いた。

「な、なんかありますよね!?お金とか!美女にモテたいとか!世界を支配できる力が欲しいとか!」
「いやぁ、残念ながら全部間に合ってるんだよねぇ」
「うそでしょ!?」

一般的に思いつくだろう欲望ベストスリーを捲し立てるように口にするが、生憎すべて間に合っている。金は腐るほどあるし、女も足りている。その上その気になればこの世界もどうこう出来てしまうだろう力だって持っているのだから、今更正体不明の魔人と契約してまで叶えてもらいたいことでもない。

「あの、なんかありません?何でも叶うんですよ?」
「でも契約が必要なんでしょ?」
「契約って言ってもそんなに負担になるものじゃないですよ?あなたが死んだら魂を貰うってだけで…あっ!でもすぐに死んだりとかじゃないんです!そのうち死んだときに頂きますよってだけで!!」

まるでどうにかノルマのために自社商品をアピールする訪問販売のようにぺらぺらと捲し立てる。霊験あらたかな魔人の様子はサッパリ残っていなかった。彼女はまだアレコレとアピールポイントを口にするが、そのどれもが全く五条には刺さらなかった。

「そんなぁ…困りますよぅ…」
「何が困るの?」
「だ、だって人間の願いを叶えないと私帰れないんです…」
「帰れない?」
「そうなんですぅ…上司から今日は死んでも一件契約取れって言われててぇ…」

これじゃあますます訪問販売の営業である。人間でもなければ呪霊でもなさそうな目の前の生物の正体が危険なものでもないらしく、数十秒前からもうとっくに警戒は解いている。さて、まったくもって彼女に協力しようなんて気にはなっていないが、これはうっかり面白いものを見つけてしまったかもしれない。

「僕は五条悟。君、名前は?」
「…ナマエです」
「ナマエね。まぁいいよ。なんか願い考えてあげるから、君が帰れるまでしばらく僕と一緒にいたら?」
「いいんですか!?」

彼女が五条の手を両手でつかみ「ありがとうございます!」と言ってブンブン上下に振った。無論、今も無下限を発動している状態であり、何者も五条には触れられないはずだ。それなのに当たり前に触れてきたということは、やはりこの世界の原理から外れた存在であることは間違いないらしい。
願いの魔人を自称する彼女の名前はナマエ。怪しげな契約をするつもりはないけれど、もう少しこの奇々怪々な状況を楽しんでみようかと思う。


ナマエは五条以外に見えないし声も聞こえない。五条とあまり離れることも出来ないらしく、五条のすぐ隣を四六時中ふよふよと漂っていた。魔人というものは食事も睡眠も必要としないらしい。五条自身もショートスリーパーではあるが、その五条を持ってしてもナマエが眠っているところを見たことはなかった。

「ナマエ、ホントに寝ないんだね」
「眠るのは人間だけですよ。食べたり寝たりしないと死んじゃうなんて不便ですよね」

こうして会話をしているとまるで人間と話しているような気分になるが、不意に飛び出てくる言葉の端々ではやはり彼女が人間ではないと思い知らされた。向けられる感情の種類が善悪入り交じっているとはいえ、普段から膨大な視線と感情を寄せられる立場である五条にとって、先入観を伴わないナマエと話しているのは少し心地よかった。

「五条さんはあんまり眠らない人間なんですね。死んだりしないんですか?」
「ショートスリーパーってやつ。短い睡眠時間で充分休息が取れるんだよ」
「へぇ、そういうひともいるんですね」

初登時の霊験あらたかな様子はこけおどしだったようで、この話し方が彼女にとっては通常運転のようだ。ナマエは五条の借りている高専の寮の一室に当たり前の顔で入り込み、五条の目覚めをベッドのそばで待っている。

「今日は任務だよ」
「えっ、今日もあの怖いやつですか?」

人間ではないくせに恐怖心は人間と同等に持っているらしく、五条の任務の際には隣で情けない声を上げながら震えている。この世界の原理の外側にいる彼女には呪術も呪霊も通用しない。攻撃が当たりそうになってもまるで幽霊か何かのようにすり抜けてノーダメージだ。だから怖がる必要もないのにと思うが、そういうことでもないらしい。

「今日は超怖いやつかもね」
「今まで以上に?」

本日の派遣先は雰囲気も増し増しの廃墟に出る一級呪霊の調査と祓除である。彼女の言葉を「今まで以上に」とオウム返しで肯定すると、さっそく情けない声を上げた。


それから身支度を済ませ、すでに車を回しているだろう伊地知のもとに向かう。伊地知を初めて見た時に「この人のほうがきっと願いさっさと言ってくれたと思います」なんてのたまうものだから「コイツあれで結構頑固だからムズいと思うけど」と返してやった。決して嫉妬じみた感情を理由にした発言ではなかった。

「出発しますね。五条さん、今日の任務の内容ですが問題ありませんか?」
「報告書はさっき目ぇ通したよ」

真面目な仕事人間というタチではないけれど、さすがに最低限任務は正確にこなしている。そうじゃないと非術師や他の術師の命に関わるパターンが多いんだから当然のことだった。

「こちらの件は先日一級術師が重傷になっています。充分に注意してくださいね」
「はは、僕にそんなこと言うのお前くらいだよ」

伊地知の言葉に笑った。自分を害せるほどの存在などもうずっとお目にかかっていない。伊地知は五条の隣にナマエが座っていることなんか見えていないから、どうして後部座席の助手席側に偏って座っているのかなんて見当もついていないのだろう。
現場につくと、ナマエは車のドアを開閉することなくするすると這い出て五条の隣に並んだ。これだけ物理法則を無視するのだからこちらにも触れられないのが道理だと思うけれど、これが五条にだけは触れられるのだから不思議だ。

「ねぇ、五条さんってそんなに強いんですか?」
「え?何を今更」
「だって私、五条さん以外が怖いやつ倒してるの見たことないし、比較できるものがないんですよ」

言われてみればそれもそうか。彼女には蹴散らしている呪霊の強さもわからなければ、非術師がどれほど容易に葬られるかも知らない。僕は最強だよ、とそのままのことを言ってみせると、人間の子供が同じようなこと言ってるの聞いたことあります、となかなか遺憾な言葉が返ってきた。

「ヒッ!ごごご五条さんッ!そこに怖いやついます!」
「あー、いるねぇ」

現場の廃墟に足を踏み入れれば、すぐに低級呪霊が襲い掛かってきた。知能がないからこちらの呪力も測れずに飛び掛かってくるのだろう。無下限を張る範囲を広げれば、低級呪霊は近づくことも叶わず消滅する。そのまま中に進んむと廃墟の畳のはがれたところから禍々しい呪力を感じる。

「え、なんかあの床やばくないですか?」
「あ、魔人でもそういうの分かるんだ」

ナマエが的を射たことを言うから少し驚いた。見えなくてもそういうものは感じることができるらしい。ズモモモ、と呪力が動く気配がして、次の瞬間、床下から般若のような顔をした呪霊が姿を現す。

「あー、あー、あー。随分いろんな怨念溜め込んじゃってぇ」

苦痛、怒り、辛酸、後悔、恨み。そういう人間の負の感情を随分と溜め込んで肥大化しているらしい。この廃墟は大戦中に軍事利用されていたと聞く。そののちに時間が流れ流れて旅館の建設計画が持ち上がり、数年で廃業した。その経緯を考えればこれほど見事な呪霊が発生するもの頷ける。

「五条さん、あの赤い光ばぁーんてするのやるんですか!?私あれめっちゃ怖いんですけど!」
「今日はやんないよ。伊地知にあんまり壊すなって言われてるから」

赫のことを「ばぁーんとするの」とはなんとも間抜けな言い方をしてくれる。しかし最近ナマエが怖がるのが面白くて乱用していたせいで、伊地知から控えるように泣きつかれているからご期待には添えない。
五条は呪力を手のひらに込めると、軽く飛ばして般若の顔にぶつける。さすがに一発では完全な破壊には至らず、そこからトンっと飛び出し、今度は呪力を込めた拳で般若の眉間の当たりを砕いた。鳴き声のような叫び声のようなものを上げ、真っ二つに避けていくその間に着地する。呪霊は右と左に引き裂かれながら分かれて倒れたあと、まるで霧のように散って消えた。

「ご、五条さぁん…無事ですかぁー?」
「大丈夫。僕、最強だから」

振り返りながらそう言えば、ナマエは安心したようにホッと胸をなでおろした。長いコンパスで彼女のもとまで戻り、サッパリ呪霊の気配のなくなった廃墟の中から出口を目指す。車のところには伊地知がいつも通り控えて待っていた。

「お疲れ様です。いかがでしたか」
「ばっちり祓って来たよ。怖いやつ」
「え?は?怖いやつ…ですか?」

伊地知は意味が分からないといったふうに首をひねり、五条はそのまま後部座席のドアを開けてシートに滑り込んだ。ナマエも車体をすり抜けて五条の隣に腰かける。もっとも、これも物理的に腰かけているわけではないのだけれど。「五条さん、なんだか機嫌が良いですね」と言う伊地知に「そ?」とだけ返して煙に巻き、車は高専に向かって走り出した。


夜中に寮に戻り、ようやくシャワーを浴びて部屋着に着替える。適当に紅茶を淹れて飲んでいると、ふいにナマエが口を開いた。

「はぁ、五条さんと一緒にいればいるほど、叶えてほしい願いなんてホントにないんだろうな〜って思い知らされますよ」
「まぁ、大抵のものは持ってるし、大抵の望みは自分で叶えられるしね」
「なんで私こんなことに…」

ナマエは目的の果たせない現状にフラストレーションを感じているようだ。そもそもなんで自分のところにきたのかと聞いてみたけれど、それは「上司」とやらの裁量で理由は知らないらしい。

「ねぇ、ナマエさ、このまま僕が願いを言わなかったらどうなるの?」
「え、どうなるんでしょうね?上司にはラストチャンスって言われてるから戻してはもらえないだろうし…ダメだったら消されちゃうかも?」
「案外厳しいんだねぇ」
「まぁ、私が千年に一度の出来損ないなんで」

魔人社会もなかなか厳しいようだ。それじゃあ自分が真面目に考えてやらないと、彼女は消滅してしまうかもしれないわけだ。まぁそれなら真剣に何か願いを考えてやらなければいけないわけだけれど、三つ叶えたら自分の前からいなくなるんだろうから、二つくらいに留めておこう。

「え、五条さん!願い事考えるのやめるとか言いませんよね!?」
「言わない言わない。ちゃーんと真剣に考えてあげるから」

例えばナマエに「人間になって」とかいう願いも叶ったりするのか。まぁ時間はあるのだし、もう少しこの魔人を困らせてみるのもいいかもしれない。


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