七海建人の場合


マッチングアプリ。それは出会いの減った現代人が効率よく好みの相手と出会うための魅力的なツールである。


先輩の呪術師である七海はどこか浮世離れしている、と思う。もちろん、容姿端麗、御三家当主特級術師、六眼無下限呪術の要素を特盛にした五条ほどではないが。
博識だけれど妙なところで庶民的なことを知らなかったりしそうだ、と言うのがナマエの七海に対するイメージだった。

「七海さん、マッチングアプリって知ってます?」

補助監督の迎えを待つ間、ナマエは何の気無しにそんな話を振った。先日テレビでマッチングアプリの特集をしており、すごい世の中になったものだな、と感心しながらそれを見ていたのだ。
こんな俗っぽいもの、きっと七海は知らないだろう。あれは出会いを求める男女が使うものであって、放っておいても相手が寄ってきそうな七海には無用の長物である。

「ええ、知ってますよ。利用したこともあります」
「えっ…えぇえ!?」

思いもよらぬ返答に思わず大声を出してしまった。隣で七海がうるさそうに片目をひくつかせる。
知っている、どころではなく、彼は今「利用したこともある」といった。根拠もなく「絶対嘘だ」という言葉が頭の中を駆け巡る。

「マッチングアプリですよ?男女が出会う、恋活とか婚活とかに使う…マッチングアプリですよ?」
「わかってますよ、なんで2回言ったんですか」

そりゃあ2回言いたくもなる。マッチングアプリのプロフィール画面に表示される七海の図を思い浮かべた。これはひどい。完全にサクラの類である。

「七海さんの顔写真載っててニックネームがケントだったらもはや冗談ですよね」
「アナタ、相変わらず失礼ですね」
「いや、だって七海さんがマッチングアプリって…」

まだ言いますか。と七海のツッコミが飛んできた。いくら突っ込まれたところで信じられないものは信じられない。ここ10年で一番信じられないことではないかとすら思う。

「サクラとか疑われませんでした?」
「実際に会った女性から半信半疑で来たと言われたことはありますね」
「ばっちり疑われてるじゃないですかぁ…」

やっぱりだ。自分が利用者だったとしても七海の容姿とスペックで一般ユーザーだと思うわけがない。というか、七海はいつ頃登録していたのだろうか。ここ数年だった場合、職業欄はなんと書いていたのだろう。

「七海さん、いつやってたんです?」
「証券会社に勤めていたときです。会社の面倒な先輩に絡まれて仕方なく始めました」

この顔面で職業欄に会社員(金融系)と書かれていたら役満だと思う。それにしても、七海の身の回りにはいつも面倒な先輩がいるものだ。

「結局マッチング出来たんですか?」
「ええ、交際することになりましたよ。まぁ、それほど長くは続きませんでしたが」

サクラを疑わずにマッチングした相手女性に乾杯というところだろう。こんな人材はマッチングアプリにホイホイと転がっていていい人材でないことだけは確かである。
ついでに当時のことを根掘り葉掘り聞いてやろうと口を開くと、ちょうど迎えが到着してしまった。流石に任務終わりの後部座席でそんな話を振る度胸はなく、会話は有耶無耶になってしまった。


そんなやり取りがあって、ナマエは半分興味本位でマッチングアプリに登録をした。これは中々面倒だ。登録した初日は特に、とんでもない勢いでイイネが飛んでくる。これは後から知ったことだが、新着ユーザーとしてアプリ内で表示されるため、単純に人の目に触れる機会が多くなるためらしい。
いろんな男性の写真とプロフィールを見ていると、もはや何を基準に判断してよいものやらもわからなくなってくる。イイネを返した異性とマッチングをした後は、何を話せばいいのかわからないメッセージ地獄の始まりだ。

「……私、なんでマッチングプリなんか登録したんだ…?」

狭い自宅アパートの一室でひとりごちる。マッチングアプリというものはこんなにも気合のいるものだったのか。正直ちょっと、いや、かなり面倒だった。途中でメッセージが返ってこなくなるのもザラだし、逆にこっちから「これはないな」となることもある。そうしてメッセージのやり取りが終わってしまえば、また「初めまして」からやり直しになるのだ。

「はぁぁぁ、世の中のひと偉いなぁ」

なんだかんだと三か月続け、こんな感想しか出なかった。ひとり「趣味が合うかも」と実際に会ってはみたものの、メッセージの印象と違って極端な口下手で、しかもアプリで出会っているのだから共通の話題も少なく会話の広げようもなく、カフェのテラス席は地獄絵図だった。

「ん、あれ、メール…」

マッチングアプリを始めてからというもの、スマホに対面している時間が長くなった。そのため、いつもより早くそういった連絡に気が付く。メールの相手は家入だった。
なんでも、彼女行きつけの居酒屋で珍しい日本酒が手に入ったらしい。「常連の硝子ちゃんだから」と店主が振る舞ってくれていて、ナマエも来ないかという誘いだった。

「えっ!行く!絶対行く!」

ナマエはすぐに「行きます!」と返信をして、慌ただしく外出の準備を始めた。化粧は落としていなかったから、さささっと直すだけ直してものの30分程度で身支度を整える。少し小洒落すぎかとは思ったが、先日の沈黙の顔合わせのために用意したモノトーンの上品な形のワンピースを着た。
アパートを出て大通りでタクシーを広い、店の住所を告げて一目散に駆けつける。のれんをくぐると、そこには家入だけでなく七海も同席しているようだった。高専の酒豪ツートップである。

「お疲れナマエ。随分今日は可愛らしい服装だな」
「家入さん、七海さん、お疲れ様です。この前アプリで出会ったひととお茶したんですけど、もう箪笥の肥やしになりかけで。結構いい値段したんで着なきゃなと思って」

奥から家入、七海、ナマエの順で腰かける。掘りごたつ風のカウンター席だった。お猪口が運ばれてきて、彼らには二度目になるだろう乾杯をした。心なしか七海の視線を強く感じる。
美味い酒はどんどん進んだ。珍しい日本酒云々はわりと序盤に忘れ去られ、結局おすすめの銘柄やらボトルキープの銘柄やらを口にしていく。酒の肴といえば愚痴であるが、この三人だからやはりすぐに最近受けた五条からの仕打ちの話で盛り上がった。
そうしてわいわい時間を過ごし、酔い覚ましにとグラスに水を注いでもらった。ついでにタイミングだからとお手洗いに立ち、戻るとあからさまに七海がじっとこちらの様子を気にしていて「七海さんどうかしましたか?」と声をかけた。

「なんでアプリなんてやってるんです?」
「え?」
「そんな可愛らしいワンピースまでわざわざ揃えて」
「で、出会いがないから…?」

ずい、と詰め寄られ、自分のことなのにそうやって言い淀んだ。改めてなんでと言われても、まぁ半分は興味本位で、もう半分はここまで来たからにはという謎の貧乏性のようなものなのだ。

「私がいるのに、出会いなんてまだ必要ですか?」
「え?え!?はぁ!?」

予想外の言葉に思わず語気が荒くなる。よくよく見れば、七海の目が完全に据わっていた。酒に強い彼がこんなにもべろべろになるのは珍しい。七海越しに家入がお猪口を傾けながら笑っている。そうだ、そうだった。上には上がいるのだ。七海は充分酒に強いタチだけれど、家入はその上を行く。家入に潰されたのだと思えば納得の結果である。み

「ちょ、七海さん、酔っぱらってますよ。水飲んで」
「酔ってません」
「ほら、酔っぱらいはそう言うんですってぇ…」

水の注がれたグラスを勧めても、七海は一向に受け取ろうとしない。それどころかフルフル可愛らしく首まで振って、これではいつもの紳士も台無しである。

「出会いならあるじゃないですか、そんなものに頼らなくても」
「いや、さっきから話が見えないんですけど…」
「いいでしょう、初めから説明して差し上げます」

こほん、と息をつき、体勢を戻した七海は教師然とした語り口で話し始める。その後ろにいる家入に助けを求めたけれど「面白いからまぁ待て」と言って取り合ってくれない。二人がこそこそ話していることはもう目に入っていないのか、七海の話は続いた。

「マッチングアプリとは、出会いを求める男女が普段出会えない相手に出会ったり、より交際の条件が近しい者同士を文字通りマッチングさせるものですね」
「はぁ、そうですね…」
「どうしてアプリを利用するのか。それは実生活のみではそういった相手に巡り合えないからです。実生活で出会えるなら、わざわざどこの誰とも知らない異性とゼロから関係を築くこともないわけです」
「まぁ、それは…」

概ね七海の言っていることは正しい。必要だからみんなあれほど面倒なやり取りを根気強く続けているのだ。しかしまるでアプリ紹介動画のようなことを言われてもチュートリアルをやっている気分になるばかりで、まったく意図は読めてこない。

「つまり、アナタには必要ないんです」
「え?どっからそんな話になりました?」
「アナタはすでに好条件の私と出会っています。家事全般は出来ますし、経済的な心配もない。それに私ならアナタを一生愛することもすでに保障出来ますから、これ以上の条件の男を見つけるのも難しいと思います」
「いや、なんかとんでもないこと保障しちゃってません?」

ぱっと家入を見ると、彼女はすでにムービーを撮り始めていた。これは明日七海が非常に肩身の狭い思いをすることになるだろう。

「どこの馬の骨ともわからない男はやめて、私にしませんか」

七海が思いのほか真剣なトーンでそう言って、じっとナマエを見つめる。酔っぱらいの冗談?それにしては七海らしくない。いずれにせよ酔った人間の言うことを真に受けるなんて馬鹿の所業であるが、こうも見つめられては身体がカッと熱くなってしまった。

「な、なみさ…」
「好きです」

ひゅっと息をのんだ。ついに茶化すことも出来なくなり、どうしたらいいのかと狼狽える。
すると、不意に七海の頭ががくんと下がり、ナマエの太ももにそのまま完全に突っ伏してしまった。驚く間もなくすうすうと健やかな寝息が聞こえ、眠りこけているだけなのだということがわかる。

「酔うと人間は本音が出ると言うが…ミョウジはどう思う?」

にやにやと家入が笑う。ぴろん、と音がして、ムービーの撮影が終わったことを知らせた。

「…とりあえず退会します」
「ははっ、それがいい。この男は存外しつこいと思うよ」

ナマエはアプリをぽちぽちぽちと操作して手早く退会処理を進めた。まだメッセージのやりとりの途中だった相手がいたが、もう致し方ない。いい相手に出会ってくれよ、と意味もなくスマホに念を込める。
翌日、ムービーをきっちり見せられた七海が菓子折りを持って謝りに来た。あんなに無遠慮に詰め寄ったこと、それから太ももにべったりと寝落ちたこと。
もちろん告白についての謝罪はなかった。その代わりにもう一度やり直させてほしいと申し出があった。二回も愛の告白を聞けるのは、なんだかお得な気分である。


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