五条悟の場合


マッチングアプリ。それは出会いの減った現代人が効率よく好みの相手と出会うための魅力的なツールである。

ほうっておいてくれ、という言い分がこの男に通じるわけもあるまい。ナマエはひとりもくもくとスマホを操作した。
勤務時間が終わり、一緒に飲みに行こうと話をしている家入が来るのを待つ間、アプリに来ている通知を確認していたら絡まれた。五条悟。およそ手元のアプリとは一生縁のなさそうな男。

「ナマエ、マッチングアプリなんかやってんの?」
「なんかとはなによ、なんかとは。全マッチングアプリユーザーに謝れ」
「だってさぁ、出会いないからやってるってことでしょ?」
「そうだよ、こんな業界にマトモな出会いなんてあるわけないでしょ」

こんな業界、とは言わずもがな呪術界のことだ。人ならざるものと対峙し、その上命がけで戦うなんてマトモな神経で出来るはずがない。ということはつまり、マトモな人間というのはごくわずかであるということだ。この男のことはその筆頭だと思っている。

「でも、だからってマッチングアプリ?変な業者につかまりそう」
「先週の私の話してんの」
「ウッソ、もう引っかかってんじゃん」

五条がけらけらとナマエをせせら笑う。非常に腹立たしいが、これがまた事実なのだ。まだ笑ってくれた方が浮かばれるかもしれない。
メッセージのやり取りののちにカフェでお茶をした男は、自分より少し年上の、不動産関係の会社で営業をしているという男だった。事前のメッセージのやり取りは好感触。返信もマメで心地がよかった。写真の印象もなかなかだったし、これはもしかして早速のいい出会いなのでは、と思って向かった都内のカフェ。

「めっちゃ新築マンション勧められた」
「あははは!テンプレすぎるでしょ!」

五条がついに腹を抱えて笑い出す。ちくしょう。笑いたければ笑え。残念ながら、アプリには業者の類いも少なくない。サクラ、業者ゼロ!なんて謳い文句は所詮謳い文句である。それも会ってみるまでは結構上手に隠してくるものなのだ。やたらとメッセージの返信が早いやつは結構要注意だ、と自分の中で教訓を得る。

「はぁー笑った笑った。アプリとか超チョロそうじゃん」
「私、五条はイイネ30も行かないと思うよ」

仕返しとばかりにじろっと五条を見てナマエが言った。五条は笑顔をカチコチに固めたあと、物凄い剣幕で「ハァ!?」とつんざくような大声を上げる。「うっるさ」と耳を塞いでみたが音速に敵うわけがなく、キーンと脳みそを声が駆け抜けていく。

「ナマエさぁ、自分がオトコ見つかんないからってンな言いがかりはみっともないでしょ」
「言いがかりじゃないっつーの。事実を言ったまで」

五条のこめかみがひくひくと動いた。これはマジ切れのやつだろうなと思うも、こちらも既に臨戦態勢である。五条はナマエからスマホを取り上げるとマッチングアプリの名前を確認し、そこからすぐに自分のスマホに同じアプリをダウンロードした。

「見てな、ナマエ。グッドルッキングガイの本気を見せてやる!」

びしりとナマエを指さし、鼻息荒く五条は去っていった。別に誰も競おうなんて言っちゃいないが、売り言葉に買い言葉を今更どうすることも出来ない。アプリに一件通知が来ている。流石に20歳以上年上の男性はちょっと無理だな、と、そのイイネをスキップした。


その後、別の男性と食事行った。その彼はサクラでも業者でもなかったが、イマイチ会話が盛り上がらなかった。沈黙が痛いタイプの時間を過ごしてしまい、これは流石にもう一度会うことはないだろうと思う。相手はそう思っていないのか「またお食事行きましょう」とメッセージが入っていて、それを既読スルーし続けている。

「はぁーあ。なっかなか上手くいかないなぁ」

ボディのサイドにあるボタンを押してスマホの画面を落とす。嘆いても仕方がないが、相手なんて簡単に見つかるものでもない。平均どれほどでマッチングアプリで相手が見つかるものかは知らないけれど、仕事もそれなりに忙しいしそれほど短い期間というのは難しいだろう。

「アッ!いた!ナマエ!!」

いきなり校舎の方から名前を呼ばれ、びくりと肩を震わせる。声の主は五条で、何の用だと顔を向けるともう数メートルのところまでツカツカと歩み寄ってきていた。とくにこれといって用はなかったはずだ。
あっという間に距離を詰め、ナマエの目の前で足を止めるとポケットからゴソゴソとスマホを取り出し、ばんっと画面を見せつける。

「これ!意味わかんないんだけど!」
「はぁ?」

一体何のことか、と思って画面をのぞき込めば、そこには例のマッチングアプリのプロフィール画面が表示されていた。決め顔すぎて笑える。背景がまるでスタジオだけれど、これが彼の自宅のひとつであると知っていた。

「あ、結局やったんだ」
「ナマエが言うからでしょ!」
「いやなんも言ってないけど」

とんだ記憶の改竄だなとは思いつつ、さて何にそんなご立腹なのだろうとよくよく内容を読み込む。すると何のことはない。イイネが29件しかついていなかった。ろくにイイネがつかないだろうなとは思ったが、数までニアピンとは我ながら流石というところだろう。

「やっば!爆笑なんだけど!」
「ありえねー!僕だよ、僕!なんでこんなにイイネつかないわけ?」

先日とはまるで立場が逆転した。これは愉快とばかりに腹を抱えて笑う。五条は随分ご立腹で「僕がこんな低評価なわけなくない!?」「バグってんじゃねーの!?」とわなわな文句を垂れ流し続ける。そんなの原因はひとつに決まっている。

「五条、どうせあんた年収とかそのまんまマジの入力したでしょ」
「え、うん。普通に」
「だからに決まってんじゃん」

五条のスマホをひったくり、プロフィール欄を改めて確認する。職業:自由業、年収:3,000万円以上。なにがおかしいんだとばかりに五条は首を傾げた。自由業というのは少し違うが、呪術師と書くわけにもいかないし、年収だって嘘じゃない。写真も間違いなく本人で、しかも尋常じゃなく写りのいいこれはスマホのノーマルカメラである。

「普通この年収でこの顔面の男が出逢えないわけないでしょ。あんたサクラか業者だと思われてんのよ」

五条の顔面と家柄と年収をもってして出逢えないのならこの世の男の大半は出逢えないことになる。そんな男がマッチングアプリに転がっているわけがないし、万が一転がっていたらそんなものはおさわり厳禁の事故物件に決まってる。つまるところ、五条はイイネを押す気にもならないくらいのサクラだと思われているのだ。

「なにそれ!」
「このアプリ割と真面目な婚活やってる層多いし」
「はぁぁぁマジで時間の無駄!金の無駄!」
「男は月額かかるからねぇ」

五条にとっては端金だろうに、それでも金の無駄という概念があったのかと思って少しおかしかった。五条はナマエから自分のスマホを取り返し、そのままタプタプと操作をする。退会手続きをしているに違いない。
もっとハイクラスな人たちが遊び相手を見つけるためのアプリもあるにはあるが、それをわざわざここで教えてやることもないだろう。

「ていうかさぁ、ナマエ、なんでマッチングアプリなんかしてんの」

五条は退会手続きを終え、スマホをポケットにしまった。苛々した様子でそんなことを聞かれても、サクラや業者ではないのだから答えはひとつしかない。というか、マッチングアプリをやっているという話をした日に言っていたはずだ。

「いや、だから出逢いないからだって」
「そんなに出逢いたいわけ?」
「そりゃね。わざわざアプリ登録しようって思うくらいには」

結婚相談所を使うほどの気合の入れようではないが、何か新しい出逢いはないだろうかと模索する程度には情熱がある。そもそもそうでないとそれらしい写真を撮ってみたり面倒なプロフィール欄を埋めようとも思わないだろう。
何を今更言い出したんだと五条を見上げれば、五条は「それさー」となにかまだ物言いたげだ。

「ナマエはもう超最高物件とマッチングしてんだからいらなくない?」
「なによそれ。どこよそれ。まったく身に覚えないんだけど
「だぁっかっらぁー!」

地団駄を踏む子供が如くキリキリと貧乏ゆすりをして、それからナマエの両肩を掴むと半ば無理やりに視線を合わせる。サングラスの向こうでキラキラ青い瞳が反射している。

「僕でいいじゃん!顔ヨシ!年収ヨシ!サクラの疑いもナシ!」

もしかして、この男は初めからこれが言いたくて突っかかってきたのか。だからわざわざナマエがマッチングアプリに登録していることにあれこれ口を出したがったのだ。出だしがいつも通り過ぎて全くそんな意図があるとは気が付かなかった。

「でもなぁ、中身に超ド級の難アリなんだよねぇ」

冗談めかしてそう言ってやれば、五条はまた「ハァ!?」とつんざく勢いで声を上げる。いつも余裕ぶっているこの男が自分のためにまるで子供みたいな反応をするのは、なかなかどうして悪くない。

「ナマエが納得するデートプラン考えてやるから!覚えてろよ!」

まるで宣戦布告だろうそれは間違っても意中の女性にかける言葉じゃないだろうが、それも結局悪くないと思ってしまうんだからまったく大概だ。さて、マッチングアプリの退会手続きはどこでやるんだったか。自分で調べるよりも今しがた手続きをした五条に聞いてしまった方が早いかもしれない。


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