もくもくと愛




※未成年の喫煙描写がありますが、それを推奨するものではございません。



筵山の高専へ続く長い石段の途中に、見慣れた人影があった。

「あれ、伏黒じゃん、今帰り?」
「はい。単独任務だったんで」
「ははっお互い忙しいねぇ」

学生の身の上なのにね。と言ってミョウジ先輩が笑った。
ひとつ年上のこの先輩は、今月から二年生になった。一年の終わりから二級術師として任務についていて、呪術においても体術においても実力のある先輩だ。
入学前に知り合い、組手の相手をしてもらったこともあるが、掴んだ瞬間いなされ、流れるように背を打っていた。合気道の動きが基本にあるのだと思う。

「っていうか、もうすぐ高専ですけど、いいんですか、それ」

指差す先にはもくもくと煙をただよわせる煙草。もちろんミョウジ先輩の口に咥えられている。

「いーのいーの。どうせバレてるしねー」
「そういう問題じゃなくて。百害あって一利なしって言うじゃないですか」

早死にしますよ。と言うと、先輩はあからさまに面倒そうな顔をして、口の端から煙を吐き出す。

「えぇ…でもさぁ、どうせ長生きしないんだし、こんなの誤差じゃない?」
「…それは…否定しませんけど…」

女性なんだから、とか、そういうありきたりな言葉は出てこなかった。このひとが一番嫌う言葉だと知っていたからだ。

ミョウジ先輩は、由緒正しい術師の家柄に生まれた女性で、しかも分家を含めても相伝の術式を持って生まれたただ一人の子だった。術式のことを聞いたことはないので仔細は知らないが、五条先生いわく「珍しくて危なっかしい術式」らしい。
呪術界は古い時代の風習を重んじるきらいがあるので、女に生まれたからには子を残せという考えが当たり前のように蔓延っていて、ミョウジ先輩の家も例外ではなかった。
術師として生きていくことは認められず、高専を卒業すれば遠からず家に呼び戻され、どこぞの格式高い術師の家と結婚をさせられるらしい。
全くもって前時代的な話だ。
高専までの石段を登る間、先輩は実に三本もの煙草を吸っていた。


「あれ、今日の任務伏黒となんだ」

数日後。伊地知さんの運転で到着した現場で、見慣れた人影が待っていた。ミョウジ先輩だ。
丁度一本吸い終えたのか、携帯灰皿に吸殻を突っ込んでいる。
今日の任務は二級呪霊一体と三級呪霊複数体の祓除。現場は住民の足の遠のいている公営団地で、住民の避難は完了。
事前の報告ではそう厳しい任務ではないと予測されているが三級呪霊の数が観測できず、二級術師二人の派遣に至ったと聞いた。

「よろしくお願いします」
「はいはーい、よろしくね」

買出しにでも行くかのような気軽さで帳の中に入っていく。実戦で先輩と組むのは初めてだ。呪具とかは使わないのだろう、彼女は手ぶらだった。
呪霊特有のどす黒い空気が団地を包んでいる。築四十年を超えるそれは、外壁のところどころに小さくヒビが入り、コンクリートも黒く汚れている。
空き部屋が多いのか、カーテンのかかっていない窓が沢山あった。

「ちょっと遠いな…上だね、五階か…屋上かってとこかな」
「はい。いるのはこの棟で間違いなさそうですね」

じゃあいこうか。その声と共に、呪霊の気配の一番強い棟に足を踏み入れる。
階段を登る間も三級の呪霊が顔を出し、それを祓いながら気配を辿って進んだ。五階まで到達すると、奥の部屋の中から妙な声が聞こえた。
子供の、泣き声のような…呪霊にしては生々しい、これは、一体。

「伏黒、まずい、多分一般人がいる!」

先輩の声に意識が弾かれる。先輩は駆け出していて、それをすぐさま追った。
一番奥の部屋、やっぱり妙な声の聞こえるその部屋の扉を開けると、廊下を進んだ先のリビングで、気を失っている幼ない少女と、その隣で泣くもっと幼い少年の姿があった。
そしてその隣で、口が肥大化し、膨張した体を引きずる髪の長い呪霊がにたにたと笑っている。
ドン、と呪霊が床を叩き、泣いていた少年は少女に覆いかぶさるように気を失った。

「なんでこんなとこに一般人が…!?」
「恐らく結界術に近いもんだね、ふたりを出られないようにしてる。外からは簡単には見えないし、呪力を探知しようとしてもこんなに雑魚がうろついてちゃ窓にも補助監督にもわかりゃしない」

この前同じようなの見たわ。ミョウジ先輩はそう言って臨戦態勢を取る。
見たところ目の前の呪霊は二級程度、子供を人質にとられていることを差し引いても二人なら祓える。
そのときだった。呪霊の近くに呪力の塊のようなものが集まり、吸収するようにして取り込むと、その呪力を強めた。
呪霊は髪を振りかぶり、勢いよく振り下ろす。その先に子供がいた。
ダメだ、俺の位置からは玉犬でも間に合わない!

「甘い!」

先輩は子供と呪霊の間に割って入ると、その髪を呪力で焼き切るように消失させた。
しかしまた呪力の塊のようなものを取り込み、その形を再生する。何だ、何が起こってる!?

「三級呪霊を取り込んでる。しかもこの団地、三級が腐るほどいるから最悪呪力が無尽蔵に上がるよ」

先輩に言われ、目を凝らすと、呪力の塊に呪霊らしき残骸が見えた。
三級呪霊複数体、いつもならなんてことない事前情報の文言が脳みその奥にフラッシュバックする。

「伏黒!その姉弟連れて君は一回離脱!」

ミョウジ先輩の鋭い声が飛んできた。出ることを阻む結界の類なら、外から破ることは容易いはずだ。予想通り手を差し出すだけでそれは立ち消え、俺は壁にもたれかかる子供を抱き上げるとちらりとミョウジ先輩をみやる。
その視線に気づいたのか、先輩は少しだけ振り返った。

「だぁいじょうぶ。そんな心配なら早く伊地知さんに預けて戻ってきてよ」

にひ、と軽薄そうに笑う。この人のこういうところが苦手だ。
くそ、と小さく吐き捨て、団地の外へと全速力で駆け出した。背後では派手な爆発音が響き、俺はスピードを加速させる。なんであんなふうに笑うんだ、あんたは。

帳の外に待機していた伊地知さんに姉弟を預け、安否確認さえ任せたまま俺は先輩のもとに走った。俺が出るときに上がったはずの帳はすぐさま下ろされ、伊地知さんに礼を言わなければいけないなと頭の隅で考える。
団地の上層階が崩れ落ちているのが外からでもわかった。呪力が立ち昇るように溢れている。間に合え、間に合え!

「間に合え…!」

鵺を使い、崩れた外壁を目指した。コンクリートから鉄筋がのぞいている。
呪霊を視認し、掌印を玉犬のかたちに取る。嘘だろ、さっきより呪力が上がってやがる。もうとっくに二級のそれじゃない。三級の雑魚を飲み込んでどんどんデカくなってるんだ…!
玉犬、と呼び出そうとしたところで、蠢く呪霊が動きを止め、頭の部分から黒く霧散した。
崩れ落ちそうな部屋のなか、頭からぼたぼたと血を流すミョウジ先輩が口元だけで笑う。

「よ、遅かったじゃん…ふし、ぐ…ろ…」
「ミョウジ先輩…!!」

鵺をそばに寄せ着地すると、急いで先輩のもとに駆け寄る。先輩はがくりと力を失い、その場に倒れた。動かさないように抱き起こして傷を確認し、自分の制服の袖を引きちぎると、一番大きな裂傷があった左側頭部を圧迫止血する。くそ、何が大丈夫だよ、くそ!

「死んだら殺しますよ…!」

俺は彼女を抱えあげ、鵺に掴まり一目散に帳の外を目指した。


「君が伏黒恵?」
「そうですけど…あなた誰ですか」
「ああ、ごめんごめん。私五条先生の教え子。ミョウジナマエよろしく」

およそ一年前、まだ中学三年だった俺は任務のために訪れた高専の中庭で突然声をかけられた。
制服姿で堂々と煙草を吸い、へらへらと笑っている。俺も褒められた中学生活は送っていなかったが、この人よりは不良ではない自信があった。

「ーーなんで、俺の名前知ってんですか」
「え?あー、名前と写真見せられたことあんの、君の」

五条さんが「僕の秘蔵っ子」などと嘯いて回っていることは知っている。まぁ俺や津美紀に対する牽制の意味合いを持ってやっているのはわかっているが、やっかみなんかも正直少なくない。その手合いか、と警戒したところでそれが相手に伝わったのか、違う違う、と手を振って否定した。

「結婚相手にこの子はどうだーって。術師の家って馬鹿みたいに血統残そうとするじゃん?候補一覧で君のこと見たからさぁ」

ま、私の実家が勝手に君のこと候補にあげてるだけで、禪院家に繋がってる男の子なんて実際声もかけらんないと思うけどねー。
中指と薬指の間に煙草を挟む特徴的な手つきでもくもくと煙をただよわせる。

「…前時代的な風習ですね」
「全くもってね。何時代だよってかんじ」

ざっと風が吹いて、先輩の長い髪とスカートをさらっていく。
煙草の火種がちりりと燃える力を強くした。
綺麗だと、思った。

「来年は高専入るんでしょ?」
「その予定ですけど」
「じゃあ後輩だ、楽しみにしてるよ」

へらへらと適当なことを言って、先輩は煙をゆっくり吸い込んだ。木々の隙間から弱い春の陽が射し、学生服で煙草を吸ってるなんていう俗物の塊みたいな彼女を、浮世離れしたおとぎ話か何かのように見せる。
煙草なんて見慣れているはずなのに、このひとが吸っているとなにか神聖な、特別な煙のようだった。
俺はこの頃から、このひとの奔放な振る舞いに目を奪われていたのだと思う。


「失礼します」

任務の翌日。高専の医務室に向かうと、デスクに向かって家入さんが書き物をしていた。

「ああ、伏黒。ミョウジならさっき出ていったぞ」
「はぁ!?あの人馬鹿なんですか!?」

まぁそう言ってやるな。と家入さんに嗜められる。
昨日運び込んだときには予断を許さない状況ではあったが、家入さんが特に焦っている様子もないところを見るに、恐らく出て行ったところで近く、しかも容態は安定しているのだろう。
だからって昨日あれだけ血を流して気を失った人間のすることじゃねぇよ。とひとりごち「探してきます」と断って医務室を出た。

先輩の行きそうなところならいくつか目星がついている。
校舎裏、倉の近くの桜の木、中でも特等席は寮の屋上だ。寮の下まで来て見上げると、ぷかぷかと暢気な煙がただよっているのが見えた。俺は大きく溜め息をついて、早足で屋上に向かう。
屋上に続く頼りない扉を開けると、やっぱりミョウジ先輩がそこにいた。

「や、伏黒」
「あんた馬鹿だろ。怪我人は医務室で寝ててください」
「安心してよ、元気ピンピン」

屋上の手すりにもたれかかり、相も変わらずぷかぷかぷか。
屋外なのでそこまで臭いはこもっていないが、そばまで寄ればもう嗅ぎなれてしまった煙草の臭いがいやでもわかった。
もちろんいい臭いじゃない。なのにこのひとからすると変に安心してしまう。

「…私の術式は術式を施した部分に受けた攻撃をそのまま返す捨て身のカウンターなんだよね」
「それは…」

随分と危うい術式だ。
まぁ、食らったダメージがどの程度私のほうに残るかは呪力差にもよるから、あんまり強い相手と当たったら勝てっこないんだけど、ある程度格上の相手でもそれなりにダメージ与えられるってわけよ。
先輩はそう続け、短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けると、すぐさま新しい煙草に火をつけた。

「珍しい術式だからさぁ、欲しいんだって。この術式。」

先輩は煙草を吹かせたまま言った。
血を残せ、胎を貸せ。優秀な術式を持って生まれた女の術師が実家や呪術界の古狸にそう詰め寄られるのは珍しい話ではない。
大事なのは血統で、術式で、そこに本人の意思もクソもない。
この自由なひとだって、そういうしがらみに雁字搦めにされて、呼吸が出来ないでいる。その呼吸をするために、煙草を吸ってなんとか息継ぎをしているのかとさえ思う。

「昨日実家から連絡があったんだ。ははっ笑えるよねー、危ないから今すぐ術師辞めて結婚しろってさ」
「なんで、そんな急に…」
「さぁ?なんか文句つけるきっかけが欲しかったんじゃない?」

だからこのひとはいつも自分の命を軽んじる。自分の命を手段のひとつとして考えている節がある。
聞いたことはないけれど恐らく、自分が戦闘中に死んでしまってもいいと思っているんだろう。術式を聞いて納得したし、この前の戦い方もそう思わせるに充分だった。
目を細め、彼女の吐き出した煙を追う。
白いそれは吐き出されたそばからかたちを失い、大気に揉まれて立ち消えた。

「呪術師の家に生まれて、危なくないことなんてないのにね」

生き方なんてそう簡単に変えられないでしょ。
唇の端からまた煙をすうっと吐き出す。煙は視界をすこし白ませるだけで、やっぱりすぐに消えてしまった。

「私の命は、誰の為でもないんだよ」

刺すような声だと思った。そして同時に、触れれば粉々に砕けてしまう危うさを感じた。
それじゃあまるで自分の命がどうでもいいみたいな言い方だ。違う。それは違う。
俺はこのひとを守りたい。美しいこのひとを、自由なこのひとを。

「ーーじゃあ俺と付き合ってください」
「は?」
「誰の為でもない命だってんなら、俺のためにしてください」

腕を掴み、引き寄せる。その力は受け流されることはなく、ミョウジ先輩の体が俺のほうへ傾いたから、逃がすまいと腕の中に閉じ込めた。
どくどくと心臓が脈打つ。くそ、こんなふうに伝えるつもりなんてなかったのに。

「好きです」

腕の中からミョウジ先輩が這い出し、真っ赤な顔でぽかんと口を開けながらこちらを見ていた。
むかつく。想像もしてませんでしたって顔だ。俺はこんなにもミョウジ先輩のことでペースを乱され、言う予定のなかった告白さえしてしまうほどなのに。

「え、まじで?」
「はい」
「私ヘビースモーカーなんだけど…」
「知ってます」
「私の家結構めんどくさいよ?あと術師はすぐ死ぬし」

ああもう煩い。すぐ死なせないように繋ぎ止めたくてこんなこと言ってんだろ、分かれよ。
その言い草に腹が立って、堪らず頬をすくいあげた。噛み付くみたいにキスをしたから、血と煙草の味がする。

「とりあえず…一本吸っとく?」
「結構です。こんな苦いの、今ので充分だ」

生き方が変えられないと言うなら、俺はこのひとのそばにいて、笑顔の裏に隠された涙を暴きたい。
自分だけの命じゃないって思えたら、きっとあんたは丁寧に生きてくれるんだろ。


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