ブリリアント


化粧水をしっかり肌に叩き込み、美白美容液をのせる。しっとり潤った肌に乳液でフタをして、馴染むのを待ってから化粧下地を広げる。紫外線対策効果があって長時間崩れないと口コミのプライマーだ。そこからコンシーラーで頬の赤みや目元の隈をカバーし、リキッドファンデーションを丁寧に乗せる。プレストパウダーも某有名ブランドのロングセラーの名品。

「うーん、最近結構気温下がってきたからなぁ…やっぱディープな色がいいかも」

今日の主役は何と言っても購入したばかりの新作リップである。それをメインにしたいから、あまりアイメイクは派手過ぎないほうがいいだろう。このごろ急激に気温が下がってきているし、もうメイクだって秋色だ。
ナマエはペンシルタイプのアイブロウで眉を整えると、ドレッサーの中から先月購入したアイカラーパレットを取り出す。四色が行儀よく並び、それはいずれも秋らしい深くダークな色合いである。

「あー、やっぱり最高。見てるだけでアガる…」

メインカラーのルビーレッドを瞼全体に薄くのせ、バーガンディでグラデーションをつける。瞼の真ん中にはゴールドパールをのせて立体感を出し、ブラウンのアイライナーで目尻を控えめに跳ね上げる。ビューラーで睫毛を上向きにしたら、流行りのカラーマスカラで抜け感のある目元の完成だ。
チークにはベージュとピンクの絶妙に混ざったマットなものを使って、さていよいよ本日のメインである。

「待ってました!私のブラウンリップちゃん!」

四角く光沢のあるケースをぱかりと開ければ、中から深いレッドブラウンが姿を現す。これはナマエが愛用しているコスメブランドの限定品で、昨日手に入れたばかりの代物だ。
リップブラシを使って丁寧に唇に乗せていく。結構深い色だから、あまり濃くなりすぎるとただの厚化粧になってしまう。それにそのまま塗ると唇の輪郭がボヤけた印象になってしまうので、やはりリップブラシは必須である。

「んー……こんな感じ、かな?」

唇をくすぼませたり笑わせたり、それから瞬きをしたりしてメイク全体の仕上がりを確認する。顔を軽く左右に動かし、顔の隅々まで綻びがないことを確認する。

「よし!今日もカンペキ!」

まるで自分に言い聞かせるように鏡に向かってそう言えば、やっとナマエの朝の儀式が終わる。時計はもうすぐ始業時間を指していて、ナマエは急いで教室に向かった。
こうして朝食を抜くことも割と日常茶飯事で、教室についたら鞄の中に常備しているゼリー飲料でやり過ごすようにしている。教室と言っても敷地内だから、これは寮生活のとても大きな利点だ。

「おはよー」
「あ、ナマエオハヨ。今日も朝抜き?」
「うん、時間なくってさぁ。新しいアイパレット試してたから」

三人いる同期のうち、教室にいたのは家入だった。家入はナマエのメイクアップされた顔を見て「めちゃ似合ってるじゃん」と誉めそやす。生来の美人である家入にメイクの出来を褒められるというのは何とも複雑な気分ではあるけども、彼女に言葉以上の他意がないことなど百も承知だ。

「はぁーあ、でもこの努力が全部あのクズのためっていうのが悔しいわー」
「クズって。硝子だって夏油のいいとこ知ってるでしょ?」
「それにしても男としてはナイでしょ」

相変わらずの暴言の友人をくすくすと笑う。こんな物言いではあるが、もちろん彼の人格の全てをクズ呼ばわりしているわけではない。仮にそうだとしたら家入が夏油に構うわけがないのだ。

「そう言えば夏油と五条は?」
「中庭。五条の術式の発動のうんたらかんたらに付き合うって」
「へぇ。乱闘にならなきゃいいけどねぇ?」
「まぁ無理っしょ」

言っているそばからけたたましくアラームが鳴り響く。これは事前に登録されている呪力以外が探知されたときの警報であり、通常であれば予期せぬ呪祖師や呪霊の侵入を意味する。しかしここ最近ではまったく違う機能と化していると言っても過言ではなかった。

「……夏油、呪霊出したね」
「だね」

一瞬間をおいて中庭のほうからドォンと大きな音と土煙が上がった。どうせそこでは懲りずに乱闘を繰り広げる夏油と五条がいるのだろう。


ナマエは同期の夏油傑のことが好きだった。きっかけはよく覚えていない。任務で助けてもらったとか、高いところのものを取ってくれたとか、体調不良の時に気にかけてくれたとか、そういうありふれたことの積み重ねだったように思う。
この事実を知っているのは家入だけのはずではあるが、察しのいい夏油にどこまで隠すことが出来ているかは分からないところではあった。

「おはよう、夏油」
「おはよう、ナマエ」

しかしだからといって簡単に打ち明けることが出来るはずもなく、その事実確認は宙ぶらりんのまま今に至るところである。話しているだけでふわふわと浮つく気持ちをなんとか押さえつけながら世間話に興じていると、不意に夏油が言葉を止めてナマエをじっと見つめた。なんだろうか、と必要以上に身体を硬直させる。

「あれ、リップ変えた?」
「うそ、わかる?」
「うん。ブラウン系のしてるの見たことなかったから」

女子でもそうそう分からないことを簡単に当てて見せ、こういうところに嬉しさを感じる反面、女慣れしているところを実感させられるようで少し気分が下がる。まったく他人の経験をどうこう思うなんてわがままなことである。

「最近寒くなってきたなぁと思って。だから秋の新作なの」
「いいね、すごく似合ってる」

いったい何人の女の子に同じようなことを言ってきたんだろう。つい二年前まで中学生だったのだから普通ならそんなに経験豊富ではないのではないかと思うところだが、現実問題17歳とは思えない色香を醸しているのだからそう思ってしまうのも仕方がないと思う。ついでに言えば彼は2月が誕生日だから、まだ16歳だ。

「ナマエ、毎日メイク頑張ってて偉いね」
「だって……すっぴんが全然ダメなんだもん。」
「そんなことないと思うけど…って、これは化粧しない男の私が言っちゃダメか」

机にとんっと肘をつき、そのままその手を頬に添える。頬杖をついているだけでこんなにも絵になるなんて、神というものがいるのならどうにも不公平なものだ。

「そう言えばナマエのすっぴんって見たことなくね?」

ずけずけと無遠慮に会話に割り込んできたのは五条だった。そろそろ親友を返せとでも言いたいのだろうが、そもそも夏油は五条のものではない。しかしそんなことを言ったところで揉めごとになることは明白で、ナマエはそのままぐっと押し黙って会話を譲る。

「お前いつも化粧してるよなぁ。朝飯んときも厚化粧で来てんじゃん」
「厚化粧って、そんなに濃くないし」
「厚化粧だろ。目とか原型ねぇんじゃねーの」

五条に図星を突かれ。ナマエはぴくりと眉を動かした。そりゃあカラコンにつけまつげに盛れるものをすべて盛っている自覚はあるが、そもそも五条に言われる筋合いはないし、この顔面だけが取り柄のような男にナマエの苦労が分かるはずがない。

「うるさいなぁ。私がすっぴん晒してなくても五条に迷惑かけるわけじゃないでしょ。ほっといてよ」
「はぁ!?可愛くねー!」

思わずツンとした態度をとると、売り言葉に買い言葉とばかりに五条が突っかかる。最悪なのは五条の登場から黙っていた夏油に対し「傑もそう思うだろ?」と話を振ったことだ。夏油の前なのだからもう少し可愛げのある態度をとるべきだっただろうか。夏油の反応を緊張しながら待った。

「はは、悟ってナマエのことよく見てるよね」

この反応はいいのか悪いのか。内心微妙な顔をしつつも、それを悟られないようにリップで綺麗に整えられた口元を笑わせた。


好きな人に可愛いと思ってもらいたい。そう思うのは恋をする女の子であれば当然のことだと思う。だから食事や睡眠時間を削ってでも可愛くなる努力は惜しみたくない。その意気込みが祟った。季節の変わり目の気候の変動もあいまって、風邪をこじらせた。さすがに今日は「可愛い」もおやすみだ。

「は…やばい…浮腫み…ていうか肌荒れ…」

なんとかベッドを這い出してなんとかゼリー飲料を飲み込み、そのついでにドレッサーの鏡に映る自分の顔を見つめる。調子が悪いんだから仕方ないけれど、スキンケアもメイクも満足に出来ていない顔は当社比でもう酷いありさまだった。

「洗顔だけ、しとかなきゃ…」

だるい身体を引きずりながら洗面所にむかって、疲れきった顔を洗う。このままだと肌がつっぱるからと化粧水と乳液だけを雑に叩き込んで、それからまたズルズルとベッドまで戻る。布団に滑り込んで口元まで引き上げ、体力の回復に専念する。それから眠気というよりはだるさの限界みたいなものに襲われ、数分も経たないうちに意識を手放したのだった。
気を失うようにして眠ってどれくらい経ったのか、コンコンと寮室の扉をノックする音で目を覚ました。家入が来てくれたのだと思ってガラガラの声で「あいてるよぉ」と声をかける。

「ナマエ、寮室でも鍵はかけといたほうが良いと思うよ」

がさがさというビニール袋の音と共に聞こえてきた声は家入のものではなかった。え、と思ったときにはもう遅くて、目の前にはスウェットでラフな格好をしている夏油が立っている。熱でぼんやりしていた頭がサッとさめていって、勢いよく起き上がったら眩暈がして体勢を崩した。

「わっ…急に起き上がったら危ないよ。熱あるんだろ?」
「ご…ごめん…」

夏油が慌ててナマエの肩を支える。距離が近くなったことで自分の顔がすっぴんだったことに気が付いて思い切り顔を背けた。

「大丈夫?気分悪い?」
「あ、だ、大丈夫……その…寝てたから回復、してきたし…」
「そっか。とりあえずスポドリとかゼリーとか買ってきたんだ。」

夏油ががさりと提げていたビニール袋を掲げる。透けた白の向こうにお馴染みのメーカーのスポーツドリンクが見えた。わざわざ調達して届けに来てくれたのか。それを見るのも横目でなんとか確認したくらいで、顔は未だにそむけたままだった。

「ありがと…あの…ごめん、わざわざ……」
「いや、私が好きでしただけだから。ナマエが風邪って珍しいね」
「うん……ちょっと不摂生が祟ったって言うか…」

ナマエは髪で顔を隠すように角度をつけて俯く。夏油は何かを不審に思ったように黙り、それからカーテンにしていたナマエの髪をそっとかき上げる。ナマエは反射的に手を払いのけてしまった。

「やっ…み、見ないで……」

夏油の驚く丸い目と目が合った。その目にたじろいで、何か言い訳をしなければいけない気持ちになって、とにかく必死に頭の中で言葉を練りだして口にする。

「ご、ごめん、あの、すっぴんだし、浮腫みとかヤバくて、その…見られたくない、っていうか…」

ナマエの言い訳めいた台詞に「ああ、そういうこと」と納得した。そう納得したうえでナマエの髪をもう一度掬いあげる。今度はもう払いのけることもできなくて、覗き込む夏油と真正面から目を合わせるしかない。

「可愛いよ」

え、と言葉に詰まっている間に彼はかき上げた髪をナマエの耳にかける。夏油の手がそっと離れていって、彼の発した言葉の意図をどうにかこうにか噛み砕こうと今度はそっちに必死だった。

「お見舞い、硝子が持っていくって言ったのを無理やり私が引き受けてきたんだ」
「な…んで……」

なんとか絞りだした声はガラガラで、数秒前なら恥ずかしいと思ったはずなのに今はそれどころじゃなかった。目の前にさらけ出された情報を理解するのに精一杯で、そのあいだに夏油がさらにナマエを追撃する。

「そりゃ、好きな子が風邪ひいたっていうんなら、お見舞いに行きたいって思うのは、普通だろ?」

柔らかな視線に捕まる。また夏油の指先が伸びてきて、今度はアイシャドウもマスカラも施されていない、腫れぼったいままの目元をゆっくりと撫でる。

「化粧頑張ってるナマエも可愛いけど、化粧してないナマエだって世界一可愛いよ」

こんな歯の浮くような台詞を大真面目に言ってのけて、しかもそれが様になってしまうのだから恐ろしい。こんなふうに乗せられてしまったら、きっとこれからも負け越すに決まっている。下がり始めた熱がまたぶり返すのを感じた。


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