火花


日中のえげつない暑さにやられてグダグダの脳みそで田舎然とした町内の掲示板のようなものに貼られた「盆踊り」の文字を見る。16時と書かれた開催時間に「いや、4時なんてまだクソほど暑いでしょ」と関係ない癖に悪態がナマエの頭の中にのっそり姿を現した。

「どうかしましたか?」
「えっ、あ、いや。盆踊りあるんだなぁと思いまして…」
「ああ、そんな時期ですね」

今日のナマエの担当呪術師、七海がしげしげと掲示板を見る。脳みそがグダグダになって絡んでしまっていただけで、別に何の変哲もないただのポスターだ。七海は任務のあとだから白いジャケットを脱いで手に持っていて、そのせいで鍛えられた分厚い肉体までの防御力が少し下がっているような気がする。

「盆踊りとか、むかーしむかし小学生のころ行ったっきりですよ」
「夏祭りの類には?」
「高専の時に行ったっきりですかねぇ…」

自分の記憶を辿ってみるが、出店の並ぶような祭りの類にはとんと行っていない。ようやく最近少し余裕が出てきたものの、高専を卒業してからは激務続きの毎日だったし、そもそも祭りに行こうなんて話をするようなタイプの友人もいないし、随分と足が遠のいていた。

「七海さんは去年とか行きました?」
「行ったというほどではないですが、一昨年五条さんに連行されましたね」
「ああ、五条さん……」

ナマエはここにいない傍若無人のことを思い浮かべる。あの人はブルジョアのくせに妙に庶民的なものが好きで、同じ補助監督である伊地知が連れ回されているのを見たことがある。ナマエは京都高専で補助監督のいろはを学んだ身であるが、学年的には伊地知と同じなこともあって、五条の噂は轟いていた。もっとも、学生時代に比べるとアレでも驚くほど丸くなっているらしいが。

「…行きますか、夏祭り」
「え?」
「ここじゃ遠いですからなんですが、高専のそこそこ近くで花火大会があるんですよ」

あまりにもシレっとした顔で言うものだから頭が追い着かなかった。七海とはそこそこよく話す仲ではあるけども、二人きりで出かけるような間柄ではない。それが二人で花火大会なんてまるでデートみたいだ。

「気が乗らないなら無理にとは…」
「い、行きますっ!」

提案を撤回されてしまう前に前のめりで応じた。あまりの勢いに七海が少し驚いた顔をしてくすりと笑う。約束の日は来週の日曜日。確か日曜日は13時までの勤務のはずである。何としてでも仕事を定時で終わらせて目一杯準備をしなければ。


そういう約束がある日ほど、仕事というものは舞い込むものである。13時までの勤務のはずだが、緊急で一件ピックアップに向かった。幸い怪我等もない呪術師の送迎であることにホッと胸を撫で下ろしつつ、期限間近で出された経理系の書類に白目を剥いた。結局退勤できたのは18時前のことで、ろくに身支度も出来ないまま待ち合わせ場所に走る羽目になった。

「な、七海さん!お待たせしました…!」
「ミョウジさんお疲れ様です」

待ち合わせ場所の神社では、しっかりと身支度を整えた七海が待っていた。白いパンツに紺色の半袖シャツを合わせていて、パンツの裾を少しだけロールアップしているから足首がちらりと覗いている。髪も普段のセットよりは多少ラフな感じで、あの特徴的なサングラスではなくメガネをかけていた。

「随分急いで来られたんですね。ひょとして残業でしたか?」
「は、はい…退勤間際で仕事が増えてしまって…すみません。ちゃんと仕度もできなくて」
「構いませんよ。急いで来てくださってありがとうございます」

七海は少し笑うと「行きましょうか」と言って祭り会場の中へと入っていく。本部らしきテントのスピーカーからは賑やかな音楽が流れて、そこかしこで子供たちがはしゃいでいた。りんご飴、フライドポテト、風船釣り、わたがし、射的。様々な種類の的屋が並び、夕暮れの街を煌々と照明が灯る。この夏らしさの塊みたいな状況に制服の黒いスーツで来ている自分はかなり場違いだった。

「どうかしましたか?」
「あ、いやー…なんか私の恰好だいぶ空気読めてないなと思って…」
「仕方ありませんよ。さっきまで仕事だったんですから」
「それは…そうなんですけど…」

ごねたってしょうがないのはわかっているが、ばっちり休日お出かけスタイルを決めている七海が隣にいると思うと余計に気になる。このお祭りを楽しみにしてこういう恰好をしてきてくれたのだろうか。それとも普段からこのレベルで決まっているのか。彼と休日に二人で出かけるなんてしたことがないから、比較材料はないのだけれど。

「何か食べますか?」
「うーん、あ、私たこ焼き食べたいです」
「いいですね。私は焼きそばにします」

数メートル先にたこ焼きの屋台があって、間にイカ焼きの屋台を挟んで焼きそばの屋台がある。まずたこ焼きと、そのあとに焼きそばと、と屋台に並んで、当然のように代金を出されてしまって、自分の分は自分で、と言ってみるも後ろに列も出来ているのだからと大人しく奢られた。
近くに設置されている仮設のテーブルとベンチに向かい、プラスチックの容器を広げていつもより少し早めの夕食をとることにした。

「いただきます」

七海の行儀のいい振る舞いに続いてナマエも「いただきます」と口にしてから箸を手に取る。専門の店のものの方が概ね美味いだろうに、それでも的屋のたこ焼きには的屋のたこ焼きの美味さがあると思う。

「的屋さんの食べ物って独特の美味しさがありますよね」
「確かにそうですね。暑い中で食べているこの雰囲気も私は好きです」

意外だ。勝手なイメージだが、七海はもっとお洒落で都会的な場所が好きなのかと思っていた。的屋の焼きそばを食べているのもさまになってしまうというのは流石である。たこ焼きの生地に穴を開けて冷まして、さらにふぅふぅと息をかけて冷まして、の二段構えで適温にした球体を口の中に放り込む。ソースの濃い味が鼻から抜けていく。

「……フフ」
「え?な、何かおかしかったです?」

突然目の前の七海が笑って、妙な挙動をしてしまったかと心配になって慌てて尋ねた。今日は七海が一緒なんだから普段以上に気を付けていたのに。眼鏡越しの七海の視線がゆっくり向けられ、薄い唇が弧を描く。

「いえ、猫舌なのかなと思ったら可愛らしくて」

驚いて反応できなくて、ソースがついたままの割り箸を持ち上げて硬直した。可愛らしくて、の言葉を噛み砕いて理解しようと頭をフル回転させる。

「ソース、垂れますよ」
「あっ…!」

思考に割り込んで七海の声がして、自分がソースのついた割り箸を落としそうになっていることに気が付いた。それを慌てて持ち直せば、また七海が小さく笑う気配が伝わってきた。
ソース系の次は甘いものが食べたい、とナマエが言って、りんご飴を買うことにした。めちゃくちゃ美味しいというわけではないと思うが、お祭りの風物詩というか、懐かしさと特別感が上乗せされてついつい食べたくなってしまう。

「それを食べたら少し移動しましょうか」
「移動ですか?」
「ええ。花火が良く見える場所を知っています。少しだけ歩くので、早めに移動しておきましょう」

なるほど、そういえばこの祭りの目玉は何と言っても打上花火である。隅田川のような豪華で大規模なものとはいかないだろが、生で打上花火を見る機会なんて減っていたから楽しみだ。りんご飴を平らげて割り箸をゴミ箱に捨て、七海おすすめの花火鑑賞スポットに移動することになった。人波に乗りながら、逆の流れには乗ってしまわないように的屋の間を歩いていく。不意に子供が飛び出してきて、それを避けたせいでよろける。ヤバい、と思ったらぶつかった先は七海で、がっしりとした胸板に抱き止められていた。

「怪我はありませんか?」
「すみませんっ」
「人が多くなってますから、気を付けて」
「は、はい…」

七海の胸元から飛び退く勢いで遠ざかり、ぺこぺこと頭を下げる。心臓に悪い。思わず触れた胸板の体温を意識してしまってドクドク心臓がうるさいくらいに鳴った。
いつまでも立ち止まっていたら邪魔になってしまう。顔が赤くなっているのを隠すために視線を下に向けながら歩みを再開した。しかし前を向いていないと人がぶつかりそうになってしまって、結局前を向くことになった。

「…すご」

飛び込んできた眼前の光景に思わず声が漏れる目の前を行く若いカップルがべったりとくっついてイチャつきながら歩いていた。男が女の腰を抱いて、二の腕同士がぴったりとくっつき、耳に唇を寄せて囁き合うように会話している。人目をは憚らずとはこういうことかと、チラチラ思わず見てしまう。ときおり終電間際の改札でベタベタしているカップルを目にすることはあるが、それの数倍は威力があると思う。

「…ミョウジさん、どうかしました?」
「エッ…あ、いやぁ〜」

小さく声を上げてしまったのを不審に思われたのか七海に声をかけられてどもる。ナマエの視線の先を勝手に七海が追って、その先の強烈なカップルに辿り着いた。ああ、と小さく納得するような声が漏れてくる。

「さ、最近の若い子は熱烈だなと思いまして……」
「若い子って、アナタそう年齢は変わらないでしょう」
「そうかもですけどぉ…」
「年齢というより性格なんじゃないですか」

ご指摘ごもっともである。まぁ若いというのが拍車をかけているにしろ、根本的には個人の問題だ。自分は真似できそうにないな、と思いながら、七海の「行きますよ」の声に従って後ろをついて歩いた。
的屋の並ぶ祭りの中心から離れ、少し静かな中を歩く。神社の裏山のような場所までは流石にあの賑やかな音も子供の声も届かない。山というよりは丘と表現した方がいいだろうそれを上りきると、足元に祭りの明りが見えた。

「そんなに高くないかなって思ったんですけど、結構下に見えますね」
「ええ。あのあたり少し土地が低いんですよ。だから余計に高低差を感じるんでしょうね」
「なるほど…」

街の明かりが遠くまで見渡せる。この神社の存在は知っていたが、裏山からまるで展望台のようにこんなにもよく街が見えることは知らなかった。生ぬるい夏の風が吹いて、青々と茂る森の木を揺らした。

「もうすぐ始まりますね」

七海が時計を確認してそう言った。確かに眼下のお祭り会場も人がにわかに動き出し、視界の開ける土手のほうへと移動している。数分と立たずになにかアナウンスのような声がかすかに聞こえ、ひゅるるるる、と音が響き、次の瞬間どぉんという轟音と共に火花が空に飛び散った。

「わっ…!すごいっ…!」

花火とはこんなに迫力のあるものだったか。もっと凄い轟音も現場で聞くことはあるが、それとはもちろん比べ物にならないくらいの風流さと迫力である。花火が次々と上がり、赤だったり、黄色だったり、青だったりと色とりどりの火花が夜空で躍った。
複数の色が広がる花火、黄色く小さな火花が広がる花火、小さなものがいくつか一気に弾ける花火、といくつかの種類が上がり、今度はピンク色の火花がハート型に上がった。

「七海さん!今の見ました!?綺麗なハート型の───」

七海のほうを見上げながらそう言おうとして、こちらを見下ろしていた彼とばっちり目が合ってしまって思わず言葉を打ち切った。気が付くと、自分の身体が七海の方に引き寄せられていて、彼の手が自分の腰を抱いているのだと一拍遅れて理解する。

「ぁ……え、と……」

もつれて言葉が出てこない。あの七海が自分のことを見つめていて、引き寄せられた身体はすぐそばで、二の腕がぴったりとくっついてしまうような距離で。ななみさん、と唇の動きだけで呼ぶ。彼の手がナマエの頬に触れて、いよいよ視線も逸らせなくなった。

「…すみません、私も祭りに浮かれてしまうタイプの男のようです」

どぉん、と打上花火が上がる。七海の瞳に火花がチカッと燃え上がった。


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