熱中症に気を付けて


毎日毎日暑さで溶けそう。繁忙期が終わってようやく開放されたと思えば今度はこんな暑さに見舞われるなんて、本当に呪術師という職業はどうかしてると思う。ナマエはでろりと教室のテーブルに溶け、級友の家入に向かって言葉を吐き出した。

「無理」
「何が」
「暑い」

暑さのせいで思考能力も落ちてきて、殆ど単語のみで意志の疎通をはかる。寒い地域は口をなるべく動かさないようにするために言葉がどんどん短縮されていくと聞いたことはあるが、夏だって極力動きたくないんだから暑い地方も同じだと思う。そうだ、奄美大島とかそうなんじゃないか。鈍る思考に任せて口が動く。

「奄美大島ってこんにちはのこと うがみんしょーらん って言うらしいよ」
「…何の話?」
「……ごめん」

あまりにも適当に口を動かし過ぎた。家入のツッコミに対してろくに何も弁明できない。逆の立場でも同じ反応をするだろうと思う。身体を冷やすためにアイスを食べようと思っても、食べ過ぎると太るし喉も渇く。なんかいい感じに暑さを逆手に取って利用できるような画期的な機会はないものか。

「硝子ー!ナマエー!」

と、そこまで考えたところでダァンと盛大な音を立てながら教室の扉が開かれる。任務に出ていた五条と夏油のお帰りのようだ。緩慢な動きでごろんと五条たちの方をみれば、五条がこの紋所が目に入らぬかとばかりの所作でチケットサイズのものを4枚ほど掲げている。
ナマエが机にぺったりと頬をつけたまま「なにそれ」と尋ねれば、フッフッフッという少々気味の悪い笑い声と共にその正体を明かす。

「プールのタダ券!」
「任務先で貰ったんだよ。4人分あるから一緒に行こう」

あまりにも説明不足の五条に斜め後ろから夏油が補足した。プール。プール?まさに暑さを逆手に取って利用できる画期的な機会じゃないか。ナマエは自分の思考が具現化したような感覚を得て、思わずガタンと音を立てて勢いよく立ち上がった。

「ふたりとも天ッ才じゃんッ!」

ナマエの珍しく手放しな称賛に二人ともパチパチと目瞬かせる。かくして三人は真夏のプールに繰り出すことになったのだった。


レジャープールの入場料くらい自分たちの貰っている給料をもってすれば安いものであるが、貰ったタダ券という点がお得なレジャー感が増していて胸が躍った。水着は初夏の繁忙期の際にストレス解消のために購入したビキニがあって、このままお蔵入りになるかと思っていたから着られる機会があって良かった。まぁ、想像よりも露出度が高い気がしてちょっと失敗したかな、と思わなくもないけども。

「硝子ォ、うしろ留めて?」
「ん」
「ありがと」

ビキニのトップスの後を留めてもらう。家入は黒いワンピースタイプの水着で、露出の少ないワンピースタイプだけど真っ黒だから大人っぽいし、すらりとした彼女のスタイルにぴったり合っていた。隣に並ぶのは気が引けると思ったが、まぁそんなことを言っていても仕方がない。女子更衣室から出て事前に決めていた集合場所を探そうとキョロキョロ見回せば、そんな必要は一瞬でなくなった。

「…やば。悟と傑のとこ、人が円になって避けてる」
「珍獣かよ」

ナマエと家入が口々にそうこぼした。集合場所には五条と夏油が立っていて、往来する人間がチラチラ見ながら二人を避け、円形になって距離を取っている。その周囲の人間のなかの女性の何人かは声をかけようかとばかりにそわそわしていた。

「…今から私たちあそこ行くの?」
「最悪じゃん。ナマエ、二人で向こうのプール行こうよ」
「え、ほっといて大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。夏油とかどうせ逆ナン慣れてるっしょ」

家入に「ハイハイ」とばかりに背中を押された。逆ナン、慣れてるのかな。と思ったらもやもやと胸の中がざわつく。確かに彼はかっこいい。隣に暴力的な美形がいるせいでかすみがちだが、涼しげな面立ちと鍛えられた躯体は見た目からして魅力的であるし、話せば彼の気さくで優しいところに魅了されるに違いない。

「おい、お前ら勝手にどこ行くつもりだよッ」
「……ゲ」

別のプールに行ってしまおうとして、背後から呼び止められる。家入があからさまに顔を歪め、二人揃って振り返ると、五条と夏油が別のプールに行こうとする二人の姿を見つけて追いかけてきたらしかった。

「アンタたち逆ナンされそうでめんどくて逃げようとしただけだけど?」

家入が開き直ってそう言った。ナマエは家入の斜め後ろから夏油を盗み見る。プールなのだから当たり前だけど、ボードショーツを履いていて上半身は肉体がそのまま晒されている。彼は男だから暑い日なんかはさほど抵抗なく五条と揃って水浴びなんかしていることもあって、綺麗に割れた腹筋も綺麗に筋の入った上腕二頭筋も知ってる。でもなんだか、こうして改めて見ると何だか少し意識してしまう。

「なんっでだよ、逆に助けろよ」
「いいじゃん。綺麗なおねーさんに声かけられとけば?」

五条と家入は引き続きいつもの調子で応酬を続けていた。一方ナマエは一度意識してしまったせいでいつもの調子を取り戻せないままだ。きょろきょろ視線を動かしていると、不意に上げたタイミングで夏油と視線がかち合ってしまう。

「ぁ……えっと…」
「どうかした?」
「いや、な、なんでも…ない…」

言葉が用意できなくてしどろもどろになってしまう。夏油は「ん?」と小首を傾げていた。

「ナマエ、水着可愛いね」
「そ、そうかな…どうせ着ないでしょとか思って買ってたんだけど、役に立ってよかった」
「似合ってるよ。いつもより大人っぽいね?」
「あ…ありがとう…」

二人のやりとりを見ていた家入と五条が無言で顔を見合わせ、まるでテレパシーでも使うかのように無言のまま意思疎通をはかり、最後にはこくこくと頷く。

「あーヤッベー、俺の驚きの肌の白さのせいでもうネッチューショーになったかもしんねー」
「おっとーそれはヤベーな!医師免許取得予定の私が診てやるよー!」

わざとらしい棒読みで次々とそう言って、最終的に「じゃ、そういうことで」「とりあえず2人で遊んできな」と夏油と二人で残されてぽつねんと立ち尽くした。男女で分かれるならまだしも、夏油とふたりで残されるなんてそんなの困る。

「…行こうか」
「え?」
「せっかくだし水に浸かってた方が気持ちいいだろ?どのプールから攻める?」

夏油にはナマエの緊張など想像も出来ないのだろう。至っていつも通りの顔をしてきょろきょろどこのプールに入ろうかと考えているようだ。このレジャープールはそれなりに大きいから、プールの種類もあれこれとたくさんある。流れるプール、波のプール、子供用の浅いプールに遊具が併設されているものから噴水まで。もちろんスライダーも何種類も用意されていた。

「スライダー行く?」

夏油が一番大きなスライダーを指さした。確かにレジャープールといえばスライダーを楽しみにする人間も多いだろうが、何を隠そうナマエは全く得意ではない。任務でもっとすごい状態になるだろうと言われようとも、それとこれとは話が別だ。夏油には申し訳ないが、ここで待たせて貰おうか。

「わ、私ここで待ってるよ」
「あれ、苦手?」

夏油が意外そうな声を出して、ナマエは仕方なく頷いて肯定する。かっこ悪いことをしてしまったかもしれない。無理をしてでも同行した方が良かっただろうか。

「じゃあ、スライダーやめて波の出るプール行こうか」
「いいよ、せっかく来たんだし傑行ってきなよ」

タダ券とはいえせっかくプールまで来ているんだ。なんだかわからないうちに五条と家入は別行動してしまっているし、夏油がスライダーに乗りたいなら彼も自由にすればいい。苦手だという自分に付き合うことはない。

「ナマエを一人にさせたくないんだよ。ほら、ナンパとか多いんだから」
「…私なんかナンパする人いないってば」
「ナマエは自分を低く見積もり過ぎだね」

夏油はくすりと笑って、ナマエの手を握って波の出るプールの方へと歩き出してしまった。体術の授業でなんならもっと密着するような体勢になったことだってあるはずなのに、たかが手のひらが触れ合っただけでどうしようもなく心臓がどきどき鳴ってしまう。
少し歩いたところに目的のプールがあって、海を模したそこにちゃぷちゃぷとつま先からゆっくりと入った。熱さに火照っていた身体がプールの水でひんやりと冷やされていくのを感じる。

「結構波おっきいんだね」
「うん。ほら奥のほう行ってみよう」

夏油に手を引かれ、ひとの間を縫って先に進む。進むにつれて水位はどんどん高くなっていって、あっという間にナマエの胸元まできているのに、夏油はまだ腹の途中というくらいだった。背が高いことは知っているけれど、こんなふうに比較するような機会はなかったから、彼との体格の差を視覚化されたような気になって顔が上げられない。

「わっ…!」

ちゃんと前を見ていなかったから吐き出される波の大きさに一瞬反応が遅れて、足元がふらつく。夏油がすかさず繋いだままだった手を引くことで波に飲まれることは免れたが、代わりにそのまま彼の胸元に飛び込むような格好になった。

「大丈夫?」
「ご、ごめん…」
「ナマエの身長だとここくらいでも結構深くなるんだな」

夏油が今気づきましたとばかりにそう言った。ここまでの水で冷やされていた身体が彼の体温で中和されていく。身体と身体のあいだの水はぬるくなるようにさえ感じた。

「もっと深いところ、行ってみる?」
「えっ?」

ナマエが答える間もなく夏油がぐっと腰のあたりを抱き上げ、ぐんぐんと波の発生装置のある奥へと進んでしまう。水に揺られるから不安定で、思わず彼の首元に腕を回した。一番奥まで来るとナマエの身長ではもう足りなくて、彼に頼らざるを得ないようになってしまった。

「け、結構深いね…」
「うん。ナマエの身長じゃ、もう逃げられないね?」
「逃げられないって…べつに逃げないけど、落とさないでよ?」
「じゃあ、落ちないようにちゃんと掴まってて」

夏油が少し意地悪く笑った。ざぶん、と波が発生する。夏油の首元までを水が覆って、浅瀬のほうに抜けていく。冷静なふりをしてみているけれど今の状況を理解するのに必死なだけで、こんなにくっついているんだから鼓動の速さまで伝わってしまいそうだ。

「ラッシュガードとか持ってこれば良かったな」
「え?陽射しキツい?休憩する?」

波をぼうっと見ていたら、夏油は脈絡もなく突然そんなことを言い出した。暑い中で彼も熱中症になりそうなんだろうか。それならこまめに休憩はとったほうがいいだろう。しかしそういうことでないのか夏油は「ああ、そうじゃなくて」と返してくる。また波がざぶんとふたりの身体を揺らす。

「ナマエの可愛い水着姿、あんまり見られたくなくてさ」
「えっ…!」

そんなことを言われてしまったら一体どんな顔をすればいいというんだろう。熱中症になってしまいそうなのはこっちの方だ。顔が真っ赤になるのを感じながら視線だけで五条と家入を探すと、遠くの日陰でかき氷を食べながらサムズアップをしていた。
ここから浅瀬に戻るまで、まさか彼は自分を抱き上げたまま行く気だろうか。隠しているはずの気持ちが波にさらわれて、自分の心臓から彼の心臓まで直接流されてしまいそうだ。


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