ピアス



※未来捏造


高専を離れて暮らすような歳になってもう数年が経つ。なんだかんだで加茂家もクソもなくなって、今はなんてことないマンションで平和な暮らしだ。
今日は仕事が休みで、溜まった家事をこなしてしまおうと朝からあくせく働いていて、それを見つけたのは掃除が寝室に差し掛かった時だった。

「あ」

掃除機をかけようとしたらベッドの下に光るものがころりと転がっていた。ゴールドの台座に小さなダイヤモンドがつっくいているピアスで、憲紀の持ち物ではない。憲紀は屈んで隙間に身体を滑り込ませてそれを摘まみ上げると、光に透かしてじっと眺める。彼女が失くしたと言っていたのはこれだったのか。


京都高専の寮の談話室は閑散としていた。連休のために学生が帰省なりなんなりで外出していたのだ。

「ねー加茂。ピアス開けてくれない?」

藪から棒にそんなことを言い出したのは、高専二年の春のことだったように思う。非術師の家系に生まれた同級生のミョウジナマエという女は、驚くほど女らしさというものを欠いているように思われた。がさつで片づけが苦手で口が悪く、足癖も悪くて何度注意しても膝を揃えて座らない。

「何故だ」
「え?ああ、ペンで印付けて、そこに合わせてピアッサーでがちゃんってやんの」
「やり方を聞いてるわけじゃない」

いつもこうして彼女との会話は噛み合わないことが多くて、今だってやり方がわからないという意味で言ったわけではないのにピアスを開けるための手順を説明してきた。噛み合っていないことを主張すれば、彼女は顔に「じゃあ何がわからないんだ」と書いて首をかしげる。

「…何故私がそんなことをしなきゃいけないんだと聞いている」
「え?ああ、そういうこと。だって明後日まで桃ちゃんいないんだもん。東堂と加茂の二択なら加茂かなと思って」
「明後日まで西宮を待てばいいだろう」
「今日がいいの」

にべもなくそう返され、加茂は思わず閉口した。やってもらうなら同性の同級生である西宮にでも頼めばいいものを、何故二日が待てないのか。東堂と加茂の二者択一で加茂が選ばれたらしいが、加茂とナマエはとくにそこまで仲が良いというわけでもない。

「そもそもどうしてわざわざ自分の身体に穴を開けるんだ?」
「うわ、まじそこから?加茂ってそういうこと言いそうだけどマジで言うんだね」
「理解できない」

宗教上の理由や文化的な側面からピアスを開けるのならまだしも、十中八九彼女のそれはそういうことではないだろう。ファッションとしてピアスを開ける人間が多いのはわかっているけれど、その動機を理解できるかはまた別問題である。

「べつに理解とかいいから。ほら、ガチャーンってやっちゃってよ」
「いや、身体に傷を付けるんだから、それこそどうして私にやらせるんだ」

生憎と女性の身体に傷をつける特殊な趣味は持っていない。ナマエは案の定「たかがピアスで何を言ってるんだ」という顔をしたけれど、家族でも友人でもない相手にピアスを開けてくれと頼む方が変な話だと思う。

「任務でいくらでもボロボロになるのに」
「任務の負傷と意図的な傷は違うだろう」
「傷って大袈裟だなぁ」

ごねているうちに諦めてくれないだろうか。加茂はそう思いながらピアッサーを片手に「えー」と不満を漏らすナマエを見下ろす。ナマエはつんっと唇を尖らせた。

「じゃあ東堂にやってもらおうかなぁ」
「は?」
「東堂だったらなんかさっさとやってくれそうだし」

いや、二者択一の候補に上がっていたのだから、加茂が断ればお鉢が東堂に回っていくのは当然の流れだろう。東堂がナマエに向き合って彼女の耳に触れ、狙いを定めてピアッサーを構えている姿を想像する。理由はよくわからないが、それはかなりもやもやする。さっさとやってくれるかどうかは別にして、もしもナマエの申し出を快諾したら想像の通りになってしまうということだ。

「……わかった。どうやってやればいいんだ?」
「よっしゃ」

加茂が折れ、ナマエは小さくガッツポーズをした。東堂にやらせるくらいなら自分がやった方がまだマシだ。まずは消毒をして、それから耳たぶの左右の均等な位置に水性ペンでマーキングをする。そしてそれに狙いを定め、ピアッサーでがちゃんと穴をあける。
ナマエに説明された手順を頭の中で復唱し、手のひらに納まってしまうピアッサーを受け取る。

「い、いくぞ…」
「うん、ばしっとやっちゃって」

ナマエが髪を耳にかけて加茂の差し出し、普段はあまり見えないそのラインにごくりと生唾を飲み込む。緊張しながら加茂は手を伸ばして、柔らかい耳たぶを消毒したあとで鏡で確認をさせながらマーキングする。ピアッサーを当てる。
迷うと逆にズレてしまうような気がして、加茂は一思いにピアッシングをした。がちゃん、とピアッサーが思いのほか大きな音を立ててナマエの耳たぶに穴を開けていく。

「んっ…」

ナマエが少しだけ眉間に皺を寄せて声を漏らし、自分の心臓がどくんと鳴ったのを感じた。鼓動がどんどん速くなっていく。ナマエは加茂の心臓がそんなことになっているとは思いもしていないようで、鏡で位置を確認したあとに今度は反対側の髪を耳にかけて差し出した。「今度こっちね」と平然とした様子だ。

「や、やるぞ…」
「うん。あはは、てか、なんでそんな緊張してんの」

ナマエがくすくす笑う。緊張しているのが何故かなんて自分でもよくわかっていない。加茂は一回目よりも緊張しながら耳に触れ、マークにピアッサーを宛がう。どくどく心臓が脈打つ。構えて、ひといき、という瞬間だった。

「ね、なるべく痛くして」
「ッ……!」

思いもよらないことを言われ、手元が狂った。マークよりも少し上にズレてピアッシングしてしまった。最悪だ。反転術式ならなんとかなるのか、いや、使い手は東京校だしそもそも傷痕は治らないんだったか。そもそもこんなことで頼めるかという普段の彼なら真っ先に思うだろう真っ当なツッコミは追いつかず、頭の中はズレた穴の位置でいっぱいいっぱいだった。

「ミョウジ!すまない、手元がずれてしまって……」
「ん?あ、大丈夫だよこのくらい」
「しかし……」

加茂の動揺とは裏腹にナマエは鏡を確認しても涼しい顔をしていて、右と左についたファーストピアスを交互に鏡に映している。

「可愛い。ありがとね」

にひ、と歯を見せて笑った。多少上下にズレたピアスが彼女の耳たぶで光る。


加茂はピアスを手にリビングに戻り、コーヒーを淹れているナマエに声をかけた。このマンションは二人暮らしだ。呪術界が上から下への大騒ぎになったあと、高専を出て自然と一緒に暮らそうという話になった。提案したのは加茂のほうだ。交際を始めたのは三年生の終わるような頃だった。

「ナマエ、ベッドの下に落ちてたぞ」
「え、あ、探してたやつ!」
「端に転がってたから見つからなかったんだな」
「探してたの夜だったしねー」

ナマエが手のひらを向け、摘まんだそれをそこに転がす。あの時開けたピアスは時期が春先だったせいで少し膿みかけてしまってなんだか大変なことになっていた。傷口が膿まないようにピアスはなるべく冬に開けるのがいいのだと、毎日ひいひい言いながら消毒をするナマエに教わった。

「……もう開けないのか、ピアス」
「え、なんで?」

加茂の言葉にナマエがこてんと首をかしげた。両耳のピアスはあの頃のまま少しだけ上下にずれている。あの時の得も言われぬ興奮は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。

「もう両耳も軟骨も開いてるしなぁ」
「他にもいろいろ開けられるんだろう。鎖骨とか、首の後ろとか。ネットで見た」
「その他もろもろの場所に開けるなら絶対病院で開けるやつだからね!?ていうか憲紀何見てんの!?」

彼女の耳にはあのあともいくつか穴が開いていて、どれも憲紀がピアッサーで開けたものだった。ピアスを開けるというのは二人にとって秘密の儀式めいていて、お互い指し示したわけではないが他の同期や後輩には話したことがなかった。もっとも、西宮あたりには察されてしまっていたかもしれないが。
加茂は手を伸ばし、ナマエの鎖骨にそっと触れた。ここにちくりとピアスを開けるとしたら、彼女はどんな顔をするのだろうか。

「任務の負傷に比べてばなんてことないだろう?」
「ぜんっぜん違うッ!」
「はは、冗談だ」

加茂がそう笑うと、ナマエはじとりとした目で加茂を見上げる。加茂はナマエの隣に立ち、抽出されているコーヒーをポットからカップに二人分注ぐ。なみなみコーヒーの入ったそれをもってソファに向かうと、ナマエも後ろをトコトコとついてきた。定位置になっている右側に加茂が座り、左側にナマエが座る。

「……憲紀ってばちょっと変な性癖に目覚めちゃったよね」

ナマエがまだじとっとした態度を声に残したまま隣でため息をついた。変な性癖とは何の話しだろうか。そのまま「なにがだ?」と尋ねれば、ナマエはもったいをつけるようにひとくちコーヒーを含んでからまたくちを開く。

「だって前はピアスのことなんでわざわざ身体に穴開けるのか理解できないみたいなこと言ってたくせに」

まぁ確かに、それは否定しない。ファッションとしてピアスが「可愛い」といわれてもピンとこないし、ピアスを開けるナマエが好きというだけでその後のピアスのデザインにこだわりを持っているわけではない。そもそもそんなにこだわりがあるなら自分が先にピアスを開けているだろう。

「ナマエにピアスを開けたいというだけで、他の女性にピアスを開けたいってわけじゃないんだが」

ナマエのピアスを開けた瞬間の表情にぞくぞくしたことを当時はよくわかっていなかったし、わかったとしても「そんなこと」と認められなかっただろうが、流石にこの歳になれば認める。しかし別に他の女性のそういう顔が見たいというわけではないし、その場合性癖と呼べるのかは謎である。

「他の女でもいいとか言ったら別れる」
「だから言わないと言ってるだろう」

他の女性と、なんて想像する気にもならない。ナマエの髪に隠れた耳を探し出し、そっとふちをなぞる。ここに開いているピアスはすべて加茂の手によって開けられたものだ。流石に鎖骨や首の後ろ…ネイプなんかは素人に開けられないから仕方ないが、あの日ひょっとして自分がピアスを開ける役目を承諾していなかったら他の男が開けていたかもしれないと思うとゾっとする。

「初めてピアスを開けたとき、なんで西宮を待たずに私に開けさせたんだ?」
「そっ……れはぁ……」

ふと疑問をくちにした。長年の疑問のひとつである。今日がいいの、と譲らなくて、加茂がごねたら「じゃあ東堂に」と言い出して、それが面白くなくて結局引き受けた。結果的にはいろんな歯車の動くきっかけになったわけだが、譲らなかった理由というのはそう言えば聞いたことがない。
ナマエは珍しく言い淀み、カップを持ったまま視線を左右に泳がせる。

「す、好きな人に開けてもらいたかったっていうかぁ…」
「は?」
「もうっ!だから言いたくなかったの!絶対呆れられると思って!!」

ナマエの顔が真っ赤になっていく。ということは、つまりあの日、あの時からナマエはずっと、ずっと自分に好意を寄せていたということだ。加茂が自分の気持ちを理解したのはあの事件がきっかけで、むしろ彼女と自分は性格的に相性が悪いだろうと思っていたくらいで、まさかナマエがそんなふうに思っていたなんて知らなかった。

「初耳なんだが」
「初めて言ったもん」

ナマエはカップをおいてソファの隅のクッションを抱えて顔を埋めてしまう。けれど逆に髪が持ち上げられて耳元が晒されていて、加茂の開けた不器用なピアスがきらりと光る。ああ、やっぱり、あの日彼女にピアスを開ける役目を誰にも譲らなくてよかった。

「ナマエが私に頼んでくれて良かった」

耳たぶに手を伸ばし、付けられているピアスを外すと落としてしまわないようにテーブルに置く。無防備にピアス穴が姿を現して、かつて自分のつけた傷を確かめるように撫でる。ナマエの腰を引き寄せると、そのままそこへキスをしてかぷりと噛みついた。

「んっ」

このまま傷が残り続けるように、似合いのピアスを沢山贈ってやろう。ひとまず近いうちに、二人でアクセサリーショップへ見に行こうか。


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