番外編 となり
年を越して1月。目下最大級の悩みがナマエの頭の中にぐるぐると渦巻いている。
「はぁ、どうしよ…」
来たる22日。恋人は誕生日を迎える。付き合い始めて初の誕生日であり、前世ではそもそも祝う風習がなかったから通算でも初めての誕生祝いだ。友人の誕生祝ならそれこそ今まで何度もやったことがあるけれど、恋人となると初めてのことで、ましてや年上の恋人がどんなものを欲しがってるかなんて皆目見当もつかない。
「冬、冬、冬…マフラーとか?手袋…はしなさそう…」
ぽつぽつ独り言をこぼしながら開店準備をする。季節限定メニューもそろそろ春の装いを見せるころだろう。防寒具をプレゼントするには少し遅い気もするし、そもそも冬生まれは防寒具を貰いがちというのはあるあるだ。
「うーん。あーもうわかんないなぁー」
「何が?」
「プレゼントですよ。男のひとが貰って嬉しいものなんて見当もつかな──って宇佐美さん?」
「おはよう」
盛大な独り言に侵入者があり、誰かと思えば宇佐美だった。今日は土曜日なのに休日出勤ということだろうか。
「で、だいたいわかったけど何に悩んでんの?」
「だいたいわかったなら聞かなくてよくないですか?」
「そんなこと言わずに」
にんまりと笑みを深める。良いおもちゃが見つかったとでも思っていそうな表情である。どうせ勘の良い宇佐美だから「男のひと」が誰であるかも「プレゼント」が何のためかも気付いているに違いない。
「……尾形さんの誕生日プレゼントです。何あげたら良いのかさっぱりわからなくて」
降参とばかりにナマエが白状すると、宇佐美は悪びれもせずに「そんなことだろうと思った」と返してきた。そんなことだろうと思ったなら聞いてくれなくても良かった。と少し腑に落ちないものを感じながらも、ナマエはそこで妙案を思いつく。宇佐美は通算しても尾形との付き合いがナマエよりよっぽど長いはずだし、彼と同じ「成人男性」だ。ヒントくらいはくれるんじゃないだろうか。
「宇佐美さん、なんか良い案ありませんか?」
「なんで僕が協力しなくちゃならないのさ。百之助の彼女は君でしょ」
「そこをなんとか!だって私より宇佐美さんのほうが付き合い長いですよね?」
宇佐美は「はぁ?」と言いかけて、途中で黙って悶々と思考を回した。彼らがいつからの付き合いかは知らないが、少なくとも日露戦争から数えて決別するまで三年。今生だって同じ会社に勤めて数年は経っているだろう。
「そんなに短かったっけ。ナマエちゃんと百之助」
「はい。みなさんが小樽にいらしたのが明治39年の夏くらいで…尾形さんが逃亡兵になったのが40年の春でしたから、そこから五稜郭まで1年と少しで、あっでも途中で離れ離れになってるからその半年を引いて──」
「あーもう細かい計算はいいよ。まぁ2年もないってことね」
面倒な計算を始めるナマエを宇佐美が止めて簡潔にまとめる。仰る通り尾形との付き合いは前世で1年9ヶ月ほど。そこに今生での付き合いを含めてもプラス1年弱。宇佐美に及ばないことは火を見るよりも明らかである。
「人付き合いなんて時間の長さじゃないでしょ」
「それはそうかも知れませんけど…だって宇佐美さんと尾形さん仲良いじゃないですか」
「眼科行きな」
ケッと吐き捨てるように宇佐美が悪態をつく。なんだかんだと言って仲が良いくせに、随分な態度だ。
「プレゼントなんて何を貰ったかじゃなくて誰に貰ったかでしょ。全く気色悪いことだけど、君から貰ったらなんでも嬉しいんじゃないの」
「そ、そうですかね」
「だって君も百之助から貰ったらやっすいチョコレートとかでも嬉しいんでしょ」
例えば、と頭の中で1個20円のチロリチョコを手渡してくる尾形を想像してみる。やばい、普通に嬉しい。ほらよ、なんてぶっきらぼうに言って、ちょっと照れたみたいに視線を外すんだろう。
「誕生日にチロリチョコでも嬉しいですね」
「いや、安すぎでしょ。仮に誕生日にチロリだったら即刻別れた方が良いと思うけど」
「チロリ美味しいですよ?」
「そうだけどさ」
大真面目に言うナマエに宇佐美が呆れ交じりでため息をついた。自分から言い出したくせに随分な反応である。そんなことを改めて思い知ったところで根本的に問題は解決していないが、背伸びをしてまであれこれと考える必要はないのだと少しだけ肩の荷が降りたような気がする。
「まぁ現実的なアドバイスをするなら、ボールペンとかどう?仕事で使うし、名入りのやつでも特別感ある割に結構手ごろな値段で買えるし」
「なるほど」
ボールペンとは盲点だ。考えたこともなかった。尾形の具体的な仕事内容は知らないけれど、宇佐美が「仕事で使う」というのならあって困るものではないのだろう。財布なんかの小物類をあげようにも自分の財力では大したものをプレゼントできない。ちゃちなものを使わせるくらいならプレゼントの定番のそれらは諦めて現実的なボールペンにした方が良策だろう。
「ありがとうございます。ちょっと自分で調べてみます」
「ん。じゃあ仕事頑張って。面白いことになったら協力料として絶対教えてね」
いや、そんなことをしようものなら尾形が黙っていないと思うが。いずれにせよ相談に乗ってもらった手前ぺこりと会釈をするだけ会釈をして、エントランスホールに足を進める宇佐美を見送ったのだった。
来たる1月22日。日曜日だったがシフトは入れずに、朝から尾形と二人で映画デートに出かけた。尾形はあまり映画に興味がないくせに映画デートが存外多く、どうしてだろうなぁと考えた末に辿り着いた結論が「彼はデートのレパートリーが少ない」だった。
指摘したら拗ねそうだし、そもそもナマエは映画デートが嫌だというわけでもないので現状を維持している。
「難しくて最後わかんなかったんですけど、最後のペガサスってどういう意味です?」
「あれはペガサスじゃなくてユニコーンだ。角あっただろ。ユニコーンっていうのは処女性の象徴なんだよ。そのユニコーンの角が折れたってことは言わずもがなだ」
「あ、なるほど」
映画のラストシーンで部屋の置物のユニコーンの角が折れたのだ。何かの暗喩だろうということは理解したが、その内容までは理解できなかった。尾形に尋ねてみると納得の答えが返ってきた。
「ユニコーンにそんな設定あるんですね」
「ユニコーンは処女好きなんだと。普段は獰猛なくせに処女の香りを嗅ぎつけて大人しくなるんだ」
「え、それって処女性っていうより処女厨の間違いじゃ…」
「知らん。俺に言うな」
反論ごもっともである。よそ様の国の逸話だからどうと言うべきことでもないだろうが、処女を好むなんてちょっと気持ちが悪い。せっかく神聖でキラキラした架空の動物だと思っていたのに、と勝手にがっかりした。
手を繋ぎながら示し合わせたように尾形の部屋に行き、もはや定位置となりつつあるソファにちょこんと腰かける。この後は部屋でまったりしようというのが本日のバースデープランである。
「あの、尾形さん。一応プレゼント用意したりとかしてまして…」
おずおず、という調子で紙袋を差し出す。実用的だと評判の文具メーカーのもので、名入れのサービスを使って尾形の名前を入れてみた。黒に赤いワンポイントの入ったそれは好みも何もないシンプルなデザインのものだが、気に入ってくれると嬉しい。
尾形は受け取った紙袋から包装された化粧箱を取り出し、そっとリボンを解いていく。
「ボールペンか。いいな」
「はい。あの、いろいろ考えたんですけど、会社でも使ってもらえる実用的なものがいいかなと思って」
宇佐美さんに相談したんです、と喉元まで出かかって何とか飲み込んだ。経験上、ここで宇佐美の名前を出すと面倒なことになるに決まっている。尾形は「まあまあだな」なんて口先で言いながらも、随分とボールペンをお気に召した様子だ。致命的に外すなんてことにならなくてホッとした。
「明日から持っていく」
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです。尾形さんのお誕生日の祝いするのって初めてだったから選ぶの緊張しました」
「まぁ、昔は誕生日祝うような風習もなかったしな」
風習もなかったし、出会ってから初めての彼の誕生日は良い仲というわけでもなかった。2度目の誕生日は樺太と北海道で離れ離れになっていたから、恋人として迎える誕生日は正真正銘これが初めてだ。
「ボールペンっていうのはよく思いついたな。俺がお前くらいの年の頃なら思いつきもしなかったぞ」
尾形が感心したように言う。いや、ナマエだって思いつかなかった。宇佐美のアドバイスありきのチョイスである。黙っているものなんだろうかと思いつつも、トラブルを避けようとするなら言うのは得策ではない。適当に笑ってその場を流した。
「ガキの頃から家に親がいることは少なくてな。誕生日っていうのも昔からただの日常だった。別にどうでも良いと思っちゃいたが……はは、悪くねぇな」
尾形は口元が緩むのが我慢できないといった具合だった。そう言えば、彼の今生での生い立ちは聞いたことがなかった。前の世では、お世辞にも親の愛情を受けて育ったとは思えなかったけれど、今生はどうなのだろう。立ち入ったことだ。尋ねて傷つけてしまうことになってしまうだろうか。
「その…尾形さん、今生でお母さまとは…」
「ははぁ。別に前みたいに悲惨なことはねぇよ。母子家庭で水商売で生計を立てるような家だったから、いつでも忙しそうにしてたってだけだ」
返ってきた想像よりもありふれた答えに胸を撫で下ろした。母子家庭というだけで大変なのは大変だろうが、前の世のことを思えばいくらもマシというものだろう。
「まぁ、何の因果か勇作さんとは今生でも腹違いの兄弟に生まれちゃいるが、あの頃みたいに母親が狂うってことがなかったのが幸いだ」
「あ、勇作さんにももう出会ってるんですね」
「まぁな」
尾形から勇作という名前を聞くのは久しぶりだ。明治時代のあのころはそこまで早々踏み込ませてくれなくて、それがあったから今だって聞くことは避けていた。それを尾形から口にして、しかもさほど悪くないと思っているふうなのだから、人間というのは変わるものである。
そうだ、記憶を有してもう一度生まれて、巡り合ってあの頃のように恋をして、それでも同じじゃなかったし、同じである必要もない。積み重ねて、崩して、また積み重ねて、そういうものの上に今日の自分がいる。
「いつか勇作さんにもお会いしてみたいです」
「駄目だ」
ナマエの言葉をピシャリと断ち切る。噂の勇作さんにくらい合わせてくれてもいいじゃないか、と思うも、尾形にそう言われてしまってはこれ以上反論するすべもない。まぁ、家族に会わせるのは少し気恥ずかしいと思うし、ナマエ自身も叔父叔母に会わせるとなれば緊張するに決まっている。仕方がないと肩を落としていると、尾形が言いづらそうにして口を開いた。
「……お前が惚れたら…困るから……」
「え?」
「勇作さんはいい男なんだよ。美形だし、長身だし、紳士だし、甲斐性もある。うっかりお前が惚れちまうかもしれねぇだろ」
尾形は髪をナデナデと撫でつけ、ちろりと視線を逸らす。そんな試すようなことを言わなくたって答えはひとつに決まっているのに、彼は昔からこうして他人の愛情を試したがるのだ。ナマエはくすりと笑った。
「私、尾形さんのこと完璧人間だと思って好きになったわけじゃないのに」
あの時は何と言ったんだったか。小樽の寒い夜だった。雪解けを間近に待つ春の始まり。尾形が初めて心の底を覗かせてくれた日。とんでもない悪人だとしてもついてきたことを後悔しないのかと、そう聞かれた。
「はじめから尾形さんのこと、別に善人だなんて思ってないですよ。優しくないし、すぐ嫌味言うし…」
大人っぽく見えるけれど口下手なせいで存外子供っぽいだけなのだ。ずっと答えは決まっている。それでも何度も聞きたいのなら、何度だって変わらない答えを口にする。
「尾形さんのこと善人だなんて思ってませんけど、小樽でついてこいって言われて、ひょっとしてもう会えないかもって思ったらすごく嫌だったんです。あの頃からずっとずっと、私の帰る場所は尾形さんの隣だけ」
もしも最後に何も残らなくても、彼とならいいと思った。文字通りあの頃の二人には何も残らなかったが、それを後悔したことはただの一度もない。ナマエは行き場をなくして投げだされた尾形の手をぎゅっと握る。
「尾形さん、生まれてきてくれてありがとうございます」
「…お前は変な女だな」
尾形がそう言って、愛おしそうにナマエの頬に手を伸ばす。そう言えば、前の世でも今生でもナマエの初めてを捧げた相手は尾形だけだ。可愛くて、獰猛で、神聖で。尾形さんってユニコーンみたいですよね、なんて言おうもんならきっと特大の舌打ちが返ってくるに違いない。愛おしい人をたぶらかせるならおぼこも上等だ、と、誰に言うでもなく心の内で笑った。