09 な じ み



がたがたがた。オフロードとまでは言わないが、23区の道に比べればいくらも走りづらいその道を既に二時間近く揺られている。車酔いをしないのが幸いだ。
運転をするのは尾形で、車内にはふたりきり。昔馴染みたちとは現地で集合するらしい。

「キャンプ場ってどこなんですか?」
「焦らなくてももうすぐ着く。それともなんだ、俺がこのままお前を誘拐しようとでもしてるってか?」
「そんなこと言うわけないじゃないですか」

だいたい尾形が自分を誘拐したところで何の得があるというのか。
今日のナマエは非常に身軽で、最低限の荷物だけを持ってくるように言われていて、キャンプに必要と思われる様々な道具は尾形の昔馴染みが用意してくれるという。

「尾形さんの昔馴染みの方って、どんなひとなんですか?」
「あー、顔に傷があるオオカミみてぇな男と万年働かねぇエロ坊主と、その二人の手綱握ってるガキだな」
「えっ、全然わかんないんですけど…」

ガキって口が悪いな、と思ったが、それよりも顔に傷があるオオカミみたいな男と万年働かないエロ坊主というのは果たしてカタギなんだろうか。
尾形の勤め先に関しても初めはヤのつく自由業かと疑っていたほどだ。

「まぁ、お前はすぐに馴染むだろうよ」
「だといいんですけど…」

何の根拠があるのかそう言って、尾形はウィンカーを右に出した。どうやらキャンプ場に到着したらしい。


車を降ると、すたすた歩く尾形について行く。しばらくで管理棟のような場所にたどり着き、そこに三人分の人影が見えた。男が二人と女の子がひとり。

「あっ、尾形が来たぞ!」

そのうちの女の子が尾形を見つけ、ぶんぶんと手を振った。ほどなくして三人に合流し、ナマエは「今日はよろしくお願いします」と頭を下げてから三人を見る。
ひとりは顔にカタカナの「サ」のような形で大きな傷が出来ていて、もうひとりは坊主頭、そしてもう一人がぶんぶんと手を振った十代前半くらいの女の子だ。

「お世話になります、ミョウジナマエです」
「ナマエは尾形よりしっかりしてるな!私は小蝶辺明日子だ」

明日子と名乗った少女が手を差し出し、ナマエはそれに応える。この年で随分肝が据わっているというか、尾形本人を前にしてこの物言いは中々の大物だ。

「杉元佐一だ。宜しくな」
「白石由竹。ナマエちゃん今彼氏いんの?いないんだったら俺立候補しちゃおっかなー」

口々にそう言い、白石の首根っこを尾形が掴んだ。ナマエはそこで「あ」と、コインランドリーでの会話を思い出す。なんだよ金なら貸さねぇぞ。ギョっとしたからよく覚えている。あの時尾形は「白石」と言っていた。電話の相手はこの人だったのか、と車の中の説明も合わせて妙な納得をした。

「よし、テントを張るぞ!」
「おい明日子、ロッジじゃねぇのか」
「当たり前だろう、キャンプの醍醐味といえばテント泊だ」
「チッ…なんでこのご時世にそんな面倒なモンを…」

明日子という少女は随分と尾形の扱いにも慣れているようだ。舌打ちをしながらも尾形は明日子に言われた通りテントを張れるブースへと移動し始めた。曲者のように思える尾形をたやすく扱うとは、先ほど「二人の手綱を握っている」というのもあながち大袈裟な話ではないようだ。
杉元と白石と尾形がカチャカチャと準備に取り掛かる。勝手のわからないナマエは少しだけきょろきょろして、どこにどう手を出していいかもわからずに明日子に尋ねることにした。

「小蝶辺さん、私に手伝えることはありますか?」
「明日子でいいぞナマエ。敬語もいらない。テントの設営は杉元たちに任せればいいから私たちは一緒にバーベキューの準備をしよう」

明日子はナマエを手招き、調理場のようなところでガサガサと食材を取り出した。随分年下なのにてきぱきと作業を進めていて、きっとキャンプにも料理にも慣れ親しんでいるのだろうということは聞かずとも分かった。

「ナマエは今何してるんだ?」
「私は大学生だよ。今年入学したばっかりだけど」
「そうかそうか。尾形とはどこで出逢ったんだ?」
「尾形さんはバイト先のお客さんなんだ」

ぽんぽんとキャッチボールをしながら会話が進む。年下のはずなのにあまりそれを感じさせないというか、どこか話しやすい雰囲気があった。まるでいままで何度もこうして話していたかのようなーー。

「ナマエが尾形のそばにいてくれてよかった」
「え…?」

にこにこと明日子が笑う。妙な胸のざわつきを感じた。
自分は本当に、今日初めてこの少女に出逢ったんだろうか。


尾形たちはテントの設営を進めていた。ひょいひょいとテントを張る部分の地面にある小石を取り除いていく。極端な凸凹がないかも確認しておかないと、いざ寝ころんだ時に寝心地が悪くていただけない。

「いやぁ、マジでナマエちゃん覚えてないんだね」

小石を隅に避けながら白石が言った。杉元がそれに「さっぱりみてぇだな」と返事をする。
彼らには、前世の記憶とも言うべき100年以上前の記憶があった。そのなかで彼らは出逢い、別れ、すれ違い、途方もない命のやり取りを繰り返していた。

「第七師団の連中とも顔を合わせたが、全く覚えてなかった」

尾形が二人にそう返す。
生まれてからずっと記憶を持っていたり、不意なきっかけで前世のそれを取り戻したりと、前世の記憶を得るための方法は正確には明らかになっていない。尾形は前者で、生まれ持って前世の記憶を有し、それらに折り合いをつけながら現代を生きていた。
次第に当時の顔見知りに不思議と出逢うようになり、杉元や白石、アシリパーー今は明日子というがーーそれから第七師団の面々とも何かに引き寄せられるようにして必然の如く出会った。
だからいつか、彼女にも逢えるだろうと信じていた。

「ナマエちゃんって今いくつ?」
「あー、今年で大学一年だ」
「エッ!尾形ちゃん犯罪は駄目だよ!?」
「うるせぇ、まだ何にもしてねぇよ」

まだって、そのうちどうにかしようとでも考えている口ぶりに白石はじとっと尾形を見る。尾形はどこ吹く風でテントの整地を進めた。

「で、ぶっちゃけどうなの。尾形ちゃん的にはやっぱり思い出して欲しいの?」
「…どうだろうな」

ずっと探していた女だった。
ひとりの人間の器が抱えるには重すぎる前世の記憶を背負い、ずっとずっと彼女を探していた。

「思い出して欲しいからわざわざ今日連れてきたんじゃないの?ほら、俺らといると何か記憶を取り戻すトリガーになるんじゃないか的な」

白石の言葉に尾形は押し黙った。そうだと言われればその通りな気もするし、違うと言われれば違う気もする。実のところ、尾形にも判断のついていないところだった。
自分は生まれ持ってこの記憶を有しているが、突然思い出した人間に何の負担もないわけがない。
現代に生まれ生きる彼女が、あの血なまぐさい100年前のことを思い出して、果たして平気な顔をしていられるのだろうか。

「…思い出さなくても、俺にとってあいつはたったひとりの女だ」

尾形は立ち上がり、ばさばさとインナーテントを広げる。黙ったままの二人に「お前ら手伝えよ」と言いながら見下ろすと、二人そろって目を丸くして驚いている。
尾形は何なんだと言わんばかりに眉を顰め、すると杉元が「いや…」と口を開いた。

「尾形お前、そんな顔も出来んだな」
「ア?」

指摘されたところで一体自分がどんな顔をしているのか確認しようもなく、尾形は足元に転がっていた小石を杉元に向かって蹴ると「馬鹿なこと言ってねぇでさっさと手伝え」と言ってポールをインナーテントのスリーブに通していった。


小一時間ほどでテントの設営もバーベキューの準備も整い、いよいよ温められた網の上に野菜やら肉やらを乗せていく。
香ばしい匂いが漂っているなか、網の上の番をしているのは杉元と明日子だった。昔馴染みと言っていたけれども、尾形と杉元と白石はわかるとして、そこになんで年端も行かない明日子が混ざっているのかは少し不思議だ。

「…ナマエ、明日子になんか言われたか?」
「明日子ちゃんですか?特には…」

尾形がナマエのそばまで寄ってそんなことを尋ねる。片手には金色の星のマークが入ったビールの缶を持っていた。
明日子には確かに尾形との出会いを尋ねられたが、別に世間話の範疇を出ることはない。「ナマエが尾形のそばにいてくれてよかった」と言われたそれは、とてもじゃないが尾形本人には言うことができなかった。

「しっかりしてますよねぇ、明日子ちゃん。私が同い年くらいのときとは大違いです」
「ああ、あの娘は昔からそうだ」

ごくり。尾形が缶を傾けてビールを飲む。昔から。昔からというのは、それだけ明日子が小さいころからの付き合いということだろうか。それとも。

「ナマエさーん、お肉焼けたよー!」
「あ、はーい!」

妙な間は杉元の一声でうやむやになり、ナマエは弾かれたようにバーベキューコンロの方へと向かった。
プラスチックの皿に盛られた肉と野菜を受け取って、ひとつをぱくっと口に入れる。至って一般的な肉に至って一般的なタレを絡めただけなのに、屋外で食べているという特別感が何倍にも美味しく感じさせた。

「んんっ!お肉柔らかい!タレに漬け込んでたから奥までじっくり味が染みてて美味しいです!」

毎度おなじみの食レポまがいのことをしてもう一枚肉を食べようとしたら、背後からぐっと腕をつかまれた。そのまま箸で持ち上げた肉が尾形のくちに収まり、ナマエが「えっ!」と声を上げる。

「ん。普通だな」
「ちょっと尾形さん!食べたいなら自分で食べてくださいよ!」
「ははぁ。せいぜい意識しとけよ」

今のは別に意識とかそう言うことでなく、行儀が悪いという意味で注意をしたのだが、言われてしまうと先日のストロー横取り事件のことを思い出してしまって、カッと顔が熱くなった。
バーベキューコンロのそばで白石が「イチャつくのやめてぇ?」と遠い目をしている。

「べっ…別にそういうつもりじゃ…!」
「ほらナマエ、こっちの肉も焼けてんぞ」
「えっ、あ…ありがとうございます…?」

結局いつもの通り尾形のペースに乗せられ、ナマエは訳も分からないまま指さされた肉を皿に取る。食レポに関してはナマエより上級者の杉元と明日子がいたので今日はあまり目立たずに済んだ。


日が沈んで夜が更けて、管理棟の中にあるシャワー室でシャワーを浴びたナマエがテントの方へと戻ると、テントの向こうの河原に尾形がぽつんと座っている。ナマエは暗い中を転んでしまわないように慎重に移動し、隣に座り込んだ。尾形はナマエが近づいて来るのなんてお見通しだったのか、驚くこともなくちらりと顔を見て「おう」と声だけで応える。

「今日、誘ってくださってありがとうございます。キャンプ初めてだったんですけど、すごく楽しかったです」
「そりゃ良かったな」
「明日子ちゃんもいい子だし、杉元さんと白石さんも親切だし」
「言ったろ、すぐ馴染むって」

確かに、尾形はこのキャンプ場に辿り着く前からそう言っていた。それはあの三人の人柄のことを思ってそう言っていたのか、それとも何か他に思うところがあるのか。
目の前でちゃぷちゃぷと川の水が流れていく音がする。

「明日子ちゃんたち、まだ管理棟のところでお喋りしてるみたいです」
「そうか」
「尾形さんは行かなくていいんですか?」
「俺は別に」

お前こそ行かなくていいのか。と今度は尋ねられて、ナマエは背中を丸めて膝を抱えなおした。

「私は尾形さんのところがいいです」
「…そうか」

短い言葉だったけれど、どことなく温かい温度で発せられた気がした。
別にこれは他意があったわけではなくて、いくら馴染んだからといってあの三人は今日初めて会った人たちで、尾形のほうがよっぽど仲が良くて。と、そこまで頭の中で並べ立ててみたけれど結局のところすべて言い訳だ。

「今日はたくさんはしゃいだからよく眠れそうです」
「お前が眠れないなんてところは想像もつかないけどな」

なんですかそれ。と言おうとして、それより先に大きなあくびが飛び出した。こんなにも外で動き回っていたのは久しぶりだから、そう遅くもない時間だというのに徐々に眠気が襲ってきているのだ。
遠く背の向こうの管理棟から「明日子さぁん!」と杉元が困ったような声をあげたのが聞える。そこそこの距離があるけれども、水の音と風の音以外に何も聞えてこないここでは充分に届いた。

「…ねぇ尾形さん、前世の恋人って、なんなんですか」

こぼれ出た言葉は暗がりのなかに溶けていく。囁くような声でも、すぐそばまで響くには充分だった。それはずっと、ナマエの心の柔い部分をちくちくと刺しているちいさな棘だ。
尾形はどうして自分に声をかけてきたんだろう。初めて会った日に言われた「前世の恋人」という言葉になにか関係があるのだろうか。関係があるとして、関係があるから尾形は自分に優しくするのか。

「尾形さんは、どうして優しく、してくれるんですか」

あなたは私の向こうに、誰を見ているの?そうはっきり尋ねてしまいたい。けれどその答えが自分の望むものでなかったらと思うと恐ろしくて、口にすることができない。

「ナマエ、俺はーー」

彼が好きだ。
ナマエと呼ぶ低く優しい声も、じっと見つめる猫の目も、ときに強引にナマエを連れ出す無骨な手のひらも。いつの間にかこんなにも好きになっていた。
尾形はいとも簡単にナマエの生活の中に入り込み、そうあるべくしてあるような自然さで心の中に居座った。それがどうしようもなく心地よくて、今更なくすことなんて想像できなかった。

「ナマエ?」

答えを聞こうとしていたのに、ついに眠気に耐えきれなくなったナマエはその場で尾形に肩を預けて眠ってしまった。すぅすぅと小さく寝息が聞こえる。

「…お前が優しくねぇって言ったからだろ。馬鹿たれ」

尾形は溜息をつきながらナマエの肩を抱き、柄にもなく夜空を見上げる。あの日の北海道のほうが、星は綺麗だったように思う。





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