引きの悪さの集大成


宇佐美と私の関係は腐れ縁というかなんというか、曖昧で形容し難いものだ。女友達よりよっぽど気安くて、でも恋愛関係には発展することがない。大学のゼミが一緒だった宇佐美は卒業後も何かと集まっては飲んだりして、お互いの愚痴を…というより主に私の愚痴を聞いてもらうような、そんな仲だった。

「まじでありえないんだけど」
「今度はなに?」
「浮気」

私は手にしていたジョッキを傾けてぐっとビールを飲み干した。宇佐美は隣でにやにやと笑っている。

「二年ぶり五度目?」
「残念。一年半ぶり五度目」

私は男運が悪い。というか男を見る目がない。なので付き合ってみたら浮気されたとか、そもそも本命彼女がいたとか、最悪の場合実は既婚者だったなんてこともあった。
交際は大体長続きせずに、二年と経たず別れるのがお決まりだ。彼女がいるのはまだいいが、いやよくないが、既婚者だけは本当にご勘弁願いたい。民事裁判は御免だ。

「相変わらずの引きの悪さだよね」
「引きが悪いってレベル?これどう見ても呪われてない?」

毎度毎度悲惨な結末を終える私の恋愛の顛末を聞いてくれるのが宇佐美だった。
破局すると宇佐美に声をかけ、今回はどんな男でどんなふうに破局したのかを報告するのだ。

「マジで今回はシンプルに浮気っていうのが腹立つ上に面白くもなくて最悪だった」
「面白きゃいいってもんでもないと思うけど」
「そりゃあそうだけどさぁ」

私だって好いて好かれてという普通のちゃんとした恋愛がしたい。でもどうせだめだろうということはもう悟っちゃってるっていうかなんていうかそんな感じで、だからせめて面白くあれよというのが精一杯の強がりだ。

「はーあ、私一生結婚できない気がしてきた」
「え、結婚しようとか思ってたの?ウケるね」

隣でまたニヤニヤ笑う宇佐美を私はじとっと睨みつける。それから大きい溜息をついて、ビールをおかわりするべく店員さんを「すみませーん!」と呼び止めた。


宇佐美時重という男のことはよくわからない。
同級生の中でもちょっと浮いていて、顔は美形だけど雰囲気がどこか近寄りがたくて女子からは遠巻きにされていた。

「すみませーん!電車の遅延で遅刻しましたー!」

大学一年の夏の前。そう言いながらゼミの教室の扉を開いた。机の並ぶそこにはいるはずのゼミ生が誰もおらず、私は教室を間違えただろうかと首をひねる。

「今日、教授の出張でゼミ休みだけど」
「えっ、そうなの?」
「連絡来たでしょ?」

誰もいないと思っていたら、隅の方にひとりゼミ生がいたらしい。坊主頭でほっぺの左右対称の位置にほくろがある。あれ誰だっけ。

「ていうか、その顔で電車の遅延は嘘だってバレるでしょ」
「え、うそぉ、バレた?」

その日の私の顔は湿布を貼っても隠しきれないほど腫れあがっていて、たぶんこれは数日間続くだろうという予感さえする始末だった。彼の指摘の通り電車の遅延というのは嘘で、私はさっきまで彼氏の本カノを名乗る女と口論の末取っ組み合いの喧嘩をしていたのだ。

「はぁ、休みなんだったら急いで来なきゃよかったぁ」
「ごくろーさま」

同じゼミでもあんまり関りなくて、現に名前だってピンとこない彼が失礼な調子でそう言う。教室には彼だけで、彼だって私と同じで間違えて出席しに来たんではないと疑問が浮上した。

「っていうか君だって来てるじゃん。間違えたんじゃないの?」
「残念。僕は別件で来て昼ご飯食べてただけ」
「あっそう」

彼が手にしていたサンドウィッチをひらひら振ってみせる。そう言えば取っ組み合いの喧嘩のせいで昼を食べ損ねていたとそこで初めて気が付いた。
ぐるぐるぐるとおなかが鳴って、予想以上に大きな音が教室にこだまする。やばい。超恥ずかしい。

「音デッカ」
「だって朝も昼も食べてなかったんだよ!しょうがないじゃん!」

認識としてはほぼ初対面の男子におなかの音を聞かれて最悪だと思って、もうかあっと熱くなった。痣は青いから私の顔はいまさぞ妙ちくりんな色合いをしていることだろう。
彼はちょいちょいと私を手招いて、私はまさかお昼を分けてくれるのだろうかとわくわくしながら歩み寄る。失礼かと思ったけど、案外イイ奴じゃん。

「えっ!」

期待に胸を膨らませるも束の間、彼は残っていたサンドウィッチをひとくちでぱくっと平らげてしまった。
うそ、なんかこの流れは分けてくれるっぽい流れだったじゃん!

「なに?」
「うそでしょ、今のはしょうがないからひとつ食べる?って分けてくれるやつじゃないの!?」
「は?何で僕が自分の昼ご飯君に分けなきゃいけないの?」

それは…そうですね。私は彼の前の席に座り、がくーんと項垂れた。項垂れるくらいなら購買にでも学食にでも行けよって話なのだが、もう本カノとのバトルで私のライフはゼロなのだった。

「はぁー、もうだめー、動けないー」
「みっともないな」
「しょうがないじゃん。朝から大変だったんだよ。ご飯食べ損ねるし、彼氏の本カノらしき女は乗り込んでくるし、取っ組み合いになるし…」

もうどうでもいいやとばかりに本日の顛末を吐き出すと、彼は大きな目をぱちぱち瞬かせたあとに「盛りだくさんだね」と笑った。笑い事じゃない。

「君、人の男寝取ろうとしてたの?」
「違うよ。彼女がいるって知らなかったんだよマジで…」
「で、結果は?」
「私が浮気で向こうは元さや」
「はは、当て馬じゃん」

じろっと彼を睨んでみるも、そんなことで怯むような人間ならそもそもこうやってからかいにくるわけがなくて、私の睨みなどさっぱり意に介していないようだった。
ちょっとここで休んだら購買行くかコンビニ行くかしよう。流石に糖分足りなくて頭が回らない。

「はい」
「え?」
「本命だと思ってたら自分がセカンドで見るも哀れな顔面になってる君に僕からの慈悲」

やたらと長い口上で差し出されたのは購買で売ってるパックのオレンジジュースだった。糖分!と一瞬心が揺れたものの、さっきせせら笑った顔がフラッシュバックして私はノーとでも言わんばかりに手のひらを向ける。

「施しは受けない!」
「さっき僕の昼ごはんたかろうとしたくせに」
「それは…」

ぐるるるる。また盛大にお腹が鳴った。背に腹は変えられない。私はオレンジジュースの誘惑に負け、差し出されたパックを恐る恐るとでもいうように受け取った。

「いただきます」
「ん」

ストローで飲み口のアルミの部分をさくっと刺し、オレンジジュースをごくごくと飲む。甘味がいつもより何倍にも感じられて、本当に糖分って大事なんだなぁと変に関心しながらその味を堪能した。

「はぁ、ありがとう、生き返ったぁ…」

いつの間に見られていたのか、彼はじっと微動だにしない瞳で私を見つめていた。なんか妙に圧の強い男子だな。と思うも、まぁ命の恩人なのでそんなことは言えない。大げさだけど。
何か言わなきゃいけないような間が広がって、私がどうにか共通の話題でも捻りだそうとしていたら、先に口を開いたのは彼だった。

「宇佐美時重」
「え…?」
「僕の名前。知らなかったんでしょ?」

彼…宇佐美くんはそう名乗って、私は頭の中でそういえばそんな名前の生徒いた気がするな、と無責任に答え合わせをした。私も彼に倣って名乗ろうとしたら「いい。ミョウジナマエでしょ。知ってる」と言って言葉を遮られた。
どうして関りもなかった私の名前を知っていたのかは、それからずっと聞いたことがない。


ビールって何で無限に飲めるんだろう。同じ炭酸でもコーラとかサイダーはこうも無限に飲めない気がする。私は何杯目かもわからないジョッキをカラにした。

「で、ミョウジのその変な引きはいつまで続くの?」
「今すぐ辞めたい」
「馬鹿だよね、お前」

オレンジジュースを恵まれた日以来、なんとなく宇佐美と話すようになって、なんとなく一緒に行動するようになった。同級生たちから遠巻きにされるだけあってまぁよくわかんない奴だけど、悪い奴じゃない。多分。
その証拠に卒業してからも私の駄目な恋愛の話を聞き続けてくれている。

「どうせわたしはばかですよー」
「そろそろ懲りた方がいいんじゃない?」
「わたしだって好きでこうなってるわけじゃないし」

ビールがぐるぐる頭の中を回る。いい感じに気持ちよくなってきた。明日は土曜だし、このまま終電まで飲み続けてやる。自棄酒上等、二日酔い上等だ。

「あと今日ピッチ早いよ、飲みすぎ」
「だってさぁ…こんどこそだいじょーぶだっておもったのにさぁ…」

宇佐美が隣で店員さんに水を頼んでた。やだよー。水なんか飲まないよー。
ぼんやりする中で抗議してみたけど、声になっているかは甚だ怪しい。ふわふわする。あー、ちょっとこのまま寝たいかも。

「ちょっと、ミョウジ、オイ、ここで寝るなよ」
「うしゃみぃ…」
「あ!こら!」

ごちん。なんか頭痛いかも。へんなおと、し、た…。


ぼんやりした状態から徐々に意識が浮上する。やけに背中がふわふわしてる。私んちのベッドってこんなにふわふわだっけ?
瞼の向こうに光を感じて、緩慢な動作でゆっくりと目を開く。シャンデリア、ゴテゴテのロココ調の壁紙、安っぽい光。当然私の部屋ではなくて、しかし類似する部屋にかなりの見覚えがあり、私の意識は急速に覚醒した。

「こ…ここ…」

どこのか分からないがどう見てもラブホテルだ。なんで私こんなところにいるの?
ぱっと自分の衣服を確認すると、辛うじて下着をつけている状態だった。これどっちだ、というか一緒に来てるの誰だ。いやそんなのひとりしかいない。

「あ、起きた?」
「う…宇佐美…」

部屋の向こうから顔を出したのは上裸の宇佐美だった。え、宇佐美ってこんなに鍛えてるんだ。知らなかった。見たことなかったし。当然と言えば当然なんだけど。
私の思考は散漫で、決定的なことをどうやって聞くべきかまで中々辿り着かない。えっと、どっからどう見てもラブホテルで、宇佐美と一緒で、私は下着で、宇佐美は上裸で。
宇佐美は混乱する私などお構いなしでベッドの隣のソファに座って、テーブルの上に投げ出していた煙草を手に取ってジュっと火をつける。

「ミョウジのクソみたいな男運を簡単に改善する方法を教えてやろうか」
「え、そんなこと出来るの?」

宇佐美は何がおかしいのか、にやにや笑いながら細く煙を吐き出した。ていうか、そんな方法あるならもっと早く教えてくれてもよくない?あと普通に話に乗っちゃったけど私と宇佐美はその、あの、一線越えちゃったわけ?

「鈍いミョウジ泳がせてるのも面白かったんだけど、そろそろ飽きちゃったからさ」

そんなことを言いながらまだ煙の上がる煙草を指に挟み、立ち上がると私に逃げる隙を与える間もなく間合いを詰める。目の前の左右対称の整った顔が広がる。そう、そうなんだよ、宇佐美ってかっこいいんだよなぁ。
そう思っている間にもっと顔が近づいて、ついには唇にチュッという音とじんわりとした体温が残された。

「僕と付き合えばミョウジの男運の悪さも万事解決だけど、どうする?」
「は!?え!?」

宇佐美と付き合う?私が?
突然投げられた提案に思考が少しも追いつかず、私は目を白黒させた。

「つ、付き合うって…私と宇佐美が…?」
「そう言ってるじゃん。あ、これ断るとか無理だからね。断ったらこれ流すから」

そう言いながら、宇佐美は画面に何やら写真を表示したスマホを私にずいっと見せた。そこには下着姿で寝っ転がる私が写っていて、いやこれ脅しじゃんと思ったところで何か最早いろいろ手遅れな気がした。

「あのぉ、結局私たちってその…しちゃった感じなの…?」

私が恐る恐ると言った具合に尋ねると、宇佐美は煙草の火種を灰皿で揉み消し、私の下着の肩ひもをなぞる。

「今からするんだよ」

とんっと肩を押され、ベッドに改めて転がされた。
宇佐美の手に縫い留められて、抗うすべをなくした私は噛みつかれるみたいなキスを受け入れる。「キスのときくらい目閉じなよ」という宇佐美の声を聞いて、従順にも瞼を下ろした。
告白の流れで下着の写真使って脅すとか、なんかその辺の男よりよっぽどヤバい男を引いた気がしてならないけど、実は大学のころから好きだったなんて言われたら、もうなんか、なんか全部全部許してしまった。


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