男女の友情


私の誕生日に私に告白してきた男は、ご丁寧にも私のことを誕生日に振った。そんなに私の誕生日が憎いか、と言いたいが、そんなことを言ったところでどうしようもない。二人でよく利用していた全国展開しているファミレスで振られ、好きだったはずの安っぽい味のすべてが嫌いになった。

「……クソが…」

悪態が漏れてしまうのは、彼の別れを切り出した理由が「他の子と付き合いたいから」だった。それだけならまだいい。心変わりは誰しもすることである。問題はその女の子というのが、本人曰く「友達関係に戻った」元カノだったのだ。

「何がもう女として見てないから、だよ…ほんっと…」

信じた自分が馬鹿みたい。疑わしいその言葉を信じてしまう程度には付き合い始めたころ彼に対して浮かれていたし、自分の都合のいいものだけを見てきたんだと思う。今更後悔しても遅い。後悔先に立たずということわざがかたちになって私の前に立ちはだかっているような気分になる。
行動するだけの気力は残っていないが、それ以上にひとり暮らしの部屋に帰ってしまうともっと嫌になる気がして、当てはなかったけれどぶらぶらと街の中を歩いた。まぁもちろん、だからと言ってどこかで買い物をしようとか遊ぼうとかいう気分にもなれないのだから、本当にぶらついているだけなのだけれど。

「あれ、ミョウジさんじゃないですか」
「……ゲ…宇佐美時重…」

何も考えずに歩いていて、うっかり大学の近くを通ったのが悪かった。声をかけてきたこの男は宇佐美時重。同じ学部の学生で、私が物凄く苦手にしている男だ。

「ゲって、相変わらず失礼ですね。休日まで大学で勉強ですか?あはは、勤勉だなぁ」
「違う。たまたま近く通っただけだし」

この男は性格が悪い。今だって私が大学に来たわけじゃないだろうということまで分かっていてわざわざ小馬鹿にするようなことを言ってきた。丁寧なのは口調だけで、一言も二言も多いのが彼の常である。最初は綺麗な顔した紳士な男子だと思ったものだけれど、今となってはあんなもの幻想も甚だしい。

「宇佐美こそ休日の大学に何の用?」
「僕は鶴見教授のお手伝いです。フフ、今度の学会はお供に連れてってもらえるんですよ」
「はぁ、ソレハヨカッタデスネー」

思わず棒読みになりながら、全く興味のない情報を右から左で受け流した。鶴見教授とは、我が大学の客員教授のひとりである。どういう経緯かは知らないけれど宇佐美はこの鶴見教授に大層ご執心で、近づこうとする人間すべてを蹴落としているのだ。私は以前、普通に講義の内容で質問したくて話しかけたところを宇佐美に目撃され、それからしばらく目の敵にされていた。紳士な男子が化けの皮だと知ったのはこの時である。現在はそのときのような険悪さはないものの、特別仲良くしようという空気もない。
宇佐美が大きな目でジッとこちらを観察していた。視線が上下に一度動いたかと思うと、つんと尖った唇を開く。

「ファミレス行きましょ」
「はぁ?別にお腹減ってないし…」
「僕は減ってるんで」

こちらの事情も関係なしで宇佐美が勝手にそんなことを言って歩き出す。別にそんなん知らんし、と思いながら数歩先を行く彼をその場で見ていると、彼が目ざとく振り返った。

「行きますよ」
「いや、私は……」
「どうせ家帰ってもひとりなんでしょ」

ぐうの音もでない。全くもってその通りである。よりにもよってファミレスで、しかもお腹も減っていなければ彼と食事をする理由もないが、宇佐美の指摘の通り家に帰ってもひとりなのである。半ば諦めのようにため息をつき、宇佐美の三歩ほど後ろを歩いてついていくことにした。
宇佐美が私を連れてきたのは本当によりにもよって、店舗こそ違うが午前中彼と別れ話をしたのと同じチェーン店だった。ソファのボックス席に案内され、なんとなく向かい合うようにして座る。

「ハンバーグか定食か迷うなぁ。ミョウジさん何食べます?」
「私は別に……」

宇佐美はさっそくメニューを開いて注文を吟味し始める。宇佐美と二人で食事をするなんて初めてだ。だってそんな機会がない。どっちかというと仲は良くない部類だと認識しているし、そもそも接点もそう多くないのだ。
ファミレスに入店してなにも頼まないわけにもいかず、割高のドリンクバー単品を頼むかと少し考え、そのときにデザートメニューが目に入る。

「……ケーキにする」
「ケーキ?」
「うん。苺のショートケーキ」

本当は、彼氏と一緒にケーキ食べたりしようと思ってた。買って用意はしてなかったけど、デートの途中で買ってもいいと思ってたし、レストランで食べるのもいいと思ってた。結局まぁ、そのどちらも叶うことなく、私はどうしてだか全くもって苦手な男と顔を突き合わせながらファミレスのケーキを食べることになっているのだけれど。
ベルで店員さんを呼んで宇佐美がまとめて注文をして、なんかいつの間にか私のケーキにセットのドリンクバーがつけられていた。まぁいいや。紅茶と一緒にケーキを食べよう。誕生日だし。

「好きなんですか、ケーキ」
「好きっていうか……」

不意にそう聞かれて、私が口籠ったタイミングで彼の鯖の味噌煮定食が運ばれてくる。鯖の味噌煮って、なんかお洒落なもの好きそうな宇佐美とはちょっとギャップがあるな。ドリンクバーで淹れてきたあったかい紅茶を啜りながら、存外丁寧な箸使いの宇佐美の手元を何となく見る。

「で?」
「え?」
「だから、好きなんですか。ケーキ」

ああそうか。さっきの話が宙ぶらりんになってたからか。一瞬何を問われたのかわからなかったが、話の続きだということを補足で理解する。

「今日誕生日だから、ケーキでも食べよっかなって思っただけ」
「へぇ、今日誕生日なんですか」
「まぁ」

誕生日に予定も当てもなくぶらぶら街を歩き回る寂しい女だと思われただろうか。正確に言うと、予定はあった。まぁ、行った先であえなく振られることにはなったのだけど。そうこうしているうちに私の頼んだ苺のショートケーキが運ばれてくる。安っぽいけど、値段もお値打ちなのだから、それを考えればコスパそこそこの立派なケーキだ。

「いただきます」
「ハッピーバースデーの歌、歌わなくていいんですか?」
「お店で歌うわけないでしょ」
「ほら、よくサプライズとかで店内暗くしてケーキ持ってきてってあるじゃないですか」
「それとファミレスのケーキ一緒にしないでくれる?」

とんでもないものと比較してくれるな、と思いながらそう言うと、宇佐美は「はは、冗談ですよ」と悪びれもせずに笑った。去年の誕生日はまさに彼がそういうサプライズをしてくれたのだ。恥ずかしかったけど、そういうふうにお祝いしようって思ってくれてることが嬉しかった。
私の鬱々とした思考を割くように、宇佐美は鯖の味噌煮定食の味噌汁をずずずとすする。味噌汁美味しそうだな。

「ま、いいんじゃないですか?彼氏と食べても別れてひとりで食べても、ケーキはケーキでしょ」

けろりとそう言われて、ケーキにフォークを突きさしたまま私は硬直した。「別れて一人で食べても」って。

「…気付いてたの?」
「気付いてましたよ」

また悪びれもせずにさも当然のように宇佐美が言う。じろりとねめつけてみても、彼はどこ吹く風で鯖の味噌煮定食を食べ進めるばかりだ。元カレは同じ大学だし、別に付き合ってたのは隠してなかったし、彼氏がいるのは知っていてもおかしくない。だけどなんで振られたその日に言ってもないのに別れたと気付かれたのか。その疑問が顔にしっかり出ていたようで、宇佐美の方から説明を追加した。

「まぁ、明らかに泣いたみたいに目赤いし、嬉々としてつけてた右手の指輪もつけてないんで」

指摘がグサグサと刺さる。確かに別れ話のときに泣いたし、ペアリングも別れ話をしていたファミレスを出て早々に外して鞄の中に無造作に転がっている。そんなに分かりやすい自分に嫌気がさして、とりあえず誤魔化すために口の中を生クリームで満たしたくてケーキを放り込んだ。

「なんて言われて振られたんですか?」
「なんで宇佐美に言わなきゃいけないの」

友達ならまだしも、なんでこの男にそんなことを言わなければいけないのか。しかも振られたのはつい数時間前のことで、私だって全然飲み込めてないというのに。生クリームで甘くなった口の中を紅茶で中和していると「話せば楽になるかもしれませんよ」と追加の言葉がかかった。まぁ、元カレも同じ大学なんだから、いつか宇佐美の耳にも入ってしまうかもしれない。事実は変わらないくせにここで渋っても仕方がないような気持ちになって、結局私は話すことを選択した。

「……元カノとヨリ戻すんだって。友達に戻ったとか言ってたくせに」
「あはは、絶対付き合ってる間も浮気されてたやつですよ」
「そんなことわかってるし」

わかってるから腹立たしいのだ。元カノとは高校時代の同級生で、男女混合の六人の仲良しグループだったと言っていた。二人っきりで出かけないでとは流石にお願いしたけど、グループでならとキャンプもスキーも口出しをしなかった。今思えばそのとき浮気していたに決まっている。

「男女の友情なんか殆ど成立しませんよ」
「…それはひとによるでしょ」
「そうやって、都合のいいように信じてたんですねぇ」

なんでこの男はこういうふうに嫌味な言い方しかできないのか。嫌味を言わなければ呼吸困難にでもなって死ぬのか。そういえば、他の学部にいる宇佐美の友人もかなりクセが強かったはずだ。なんか見た目も近寄りがたいから喋ったこともないけれど、熊みたいにデカくてムチムチの後輩を嫌味ったらしく泣かせていたところを目撃したことがある。

「友達になるって、恋愛感情の第一歩だと思いますけど」
「だからそれは宇佐美の個人的な見解でしょ」

男女の友情が成立するかしないかは、それこそ人によるし場合による。自分がいくら成立すると思っていても、相手がそうじゃなければ結果としてそれは成立したことにならないし、逆もまた然り。成立すると思ってた人が実際自分がそういう状況になったら恋愛感情を抱いちゃったなんてこともあるだろう。

「恋愛は友情の上位互換じゃないし、その人が友情って言うんなら信じるしかないじゃない」

だから信じたのに。結局友情じゃなくて愛情になっちゃった。あーあ、馬鹿みたい。とどのつまり、私がその元カノに恋愛対象としての魅力で劣ったのだ。友達になったって嘘だったの、とか、浮気してたんじゃないの、とか、責める言葉はいくらでもあるだろうけれど、その結果だけは変わらない。

「でも、元々付き合ってた相手っていうのはまた話が違いません?」
「これ以上傷口に塩塗るならフォークで刺すよ、マジで」
「ふふ、それは怖いなぁ」

少しも怖がる様子もなく、むしろ少し愉快そうに宇佐美が言った。そのうえ「傷口って塩塗ると治りが早くなりそうですよね」という言葉のオマケ付きである。
彼も悪いと思ったのか、いや、多分それ以上興味をなくして、その話はそこで終わった。そこからは延々と宇佐美による鶴見教授の近況報告と賛美が続けられ、そこまで興味はなかったものの、聞いているうちになんとなく気がまぎれた。
宇佐美が定食を、私がケーキを平らげ、二人ともドリンクバーを二回ほどおかわりしたあたりでなんとなく良い時間になったな、という雰囲気になって店を出ることにした。自分の分を払おうとしたのに、宇佐美が勝手にキャッシュレス決済で会計して店を出てしまって、私は慌てて背中を追いかける。

「宇佐美、自分の払う。いくらだった?」
「いいですよ。ケーキとドリンクバーくらい」

いや、ドリンクバーは勝手につけられたんだけどね。とはいえ堪能はしたし、なにより宇佐美に奢ってもらう理由がない。私は「悪いよ。奢ってもらうの」と食い下がったが、宇佐美は「誕生日って聞いちゃいましたからね」と取り合ってくれなかった。

「…じゃあ、ごちそうさま」
「どういたしまして。とんだ誕生日でしたね」
「はぁ、ホントだよ。まぁ、でも宇佐美の言う通りなんか喋ってデトックス出来た気がする」
「あはは、単純」

相変わらず余計な一言を付け加えてくる彼を横目で睨むが、こんなことが彼に効かないのは百も承知である。宇佐美はどこ吹く風でゴソゴソとポケットの中を漁り、手をグーにして私の前に差し出す。

「誕生日なんで、これ差し上げます」
「え?」

受け取るように動きで促されたから、しょうがなく彼のグーのしたにパーを作ると、彼の拳が開かれて、私の手のひらの上には個包装のキャンディーがコロンと転がされた。

「じゃあ、僕の誕生日期待してますから」
「…飴ちゃん一個がプレゼントのつもり?」
「贅沢だなぁ」

まぁ、貰ったものに文句を言うのは良くない。今年唯一の誕生日プレゼントになるかもしれないのだし、丁重に扱わなければ。私が「ありがと」と礼を言うと、宇佐美は口角をにゅっと上げて大きな目を少し緩ませて笑った。

「オトモダチになった記念ってことで」

男女の友情は成立しない派のくせにまたいい加減なことを言ってくれるものだ。午前中嫌いになったファミレスが、午後には少しそうでもなくなった。ちょっと腹が立つけれど、ぜんぶ宇佐美のおかげである。


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