月島基の場合


マッチングアプリ。それは出会いの減った現代人が効率よく好みの相手と出会うための魅力的なツールである。


ナマエには少し特殊な飲み仲間がいる。名前は月島基と言って、会社も違えば学校が一緒だったということもなく、年齢も出身地もなにひとつとして被らない男だった。どうしてそんな男と知り合って飲み仲間になったかというと、出会いのきっかけはマッチングアプリだった。

「お疲れさまでーす。月島さん、今日何食べます?」
「砂肝だな。あとはぼんじりとねぎまと…」
「あ、私ハツ食べたいです」

金曜日の夜、月に一度くらいの頻度で彼と一緒に居酒屋で飲んだ。小洒落た創作居酒屋とかではなくて、安くて美味い焼き鳥屋が多かった。炭火で焼かれる自慢の焼き鳥は秘伝のタレも塩もどちらも美味しい。この店を教えてくれたのは月島だった。

「…で、前言ってた鼻持ちならん上司がもうやりたい放題で!部署の空気サイアクなんですよ!」
「その上司、今度転勤になると言ってなかったか?」
「それがその話消えたらしくて。あーもうせっかく解放されると思ったのに」

ナマエがああだこうだと愚痴を言って月島がそれを聞いてやる。序盤はそういう構図が多くて、しかしアルコールが回り始めると徐々にその勢力図が反転する。最終的にはお互い「このクソみたいな社会で頑張って生きようね」なんていうしょうもないオチに辿り着き、23時過ぎに解散するというのがお決まりだった。


彼氏は欲しいが社内恋愛はしたくない。とはいえ友人と集まって合コンしよう、というのも上手くセッティング出来ずに、ナマエはマッチングアプリに登録した。アプリは学生時代に使ったことがある。その時は運よく気の合う相手と出会うことが出来て、1年4ヶ月ほど交際をした。今回も上手いこと良い人と出会えたらいいなぁと登録した翌日、イイネをくれを相手、それが月島だった。

「はじめまして、月島さんですか?」
「はい、よろしくお願いします」

身長は高くないし、顔も超イケメンというわけではない。ロシア語が喋れるなんてかっこいいなぁと思ったのと、メッセージのやり取りで食べ物の話が盛り上がったのが、彼に興味を持つきっかけだった。

「えっと、お店って東口でしたよね?」
「そうです。予約時間も近いですし、行きましょうか」

月島が予約をしてくれたのは、ビルの高層階にあるレストランで、お洒落なテラス席が売りだった。今日は暑いですね。オフィスの冷房がきつくって。この駅って良く来られるんですか?と、当たり障りのない会話をしながらレストランに向かう。
実際顔を合わせて話してみると、メッセージやプロフィールの堅い印象よりも気安さを感じた。話しているのも楽しいし、このひと結構いいな。そう思いながら到着したレストランのランチコースを待つ。

「月島さんって、どういう女性がタイプなんですか?」

ランチコースのメインが運ばれて来たあたりでそう切り込んだ。お互い交際相手を見つけようとしてアプリに登録しているのだから別に変な話ではないが、ちょっと緊張した。月島は少し考えるような素振りをして、口の中のものを咀嚼して飲み込んでから口を開いた。

「……あんまりこだわりはないですね…どんな人でも良いと思います」
「え」

引く、とまでは言わないが、予想だにしない返答に固まった。いや、こだわりがないってそんなことあるか?「ナマエさんはどうですか」と質問を返され「話していて楽しい人が好きです」と返答をする。
そこからぽつぽつとまた別の話題が広がっていく。月島はお喋りではなかったが、退屈をするようなこともなかった。メインの皿が下げられ、デザートを待つばかりという時にナマエはまた少しだけ踏み込んで話を振った。

「彼女出来たら行きたい場所とかありますか?」
「特には…どこでもいいですね」
「えーっと、こういうカップルって理想だなーみたいなのとか…」
「いや、あんまり」

いや、どれだけ主体性がないんだ。給仕がデザートの皿を運んできて一瞬の間が生まれ、逆におかしくなって来てしまった。話していて居心地は良いとは思うが、この回答は結構、いやかなり、問題だとおもう。

「あはは、月島さん、そのどんな人でもいいって言うの、この先マッチングする女の子に言わない方がいいですよ」
「え」

絶句、といったふうに月島が動きを止める。そりゃあそうだろう。彼に悪気はないのかもしれないが、そんな言い方じゃ「女だったら誰でもいい」とでも言っているようなものだ。月島は本当に何がいけないのかわかっていないようで「一体何が…?」と深刻そうな顔で聞いてきた。

「ふふ、こだわり強い人も大変だなーって思いますけど、さすがに何でもいいどこでもいいが連続するとこのひと誰でもいいのかなって思われちゃいますよ?」
「そうか…そういうものなのか…」

敬語か抜け落ちてフッと素に戻る。思わず言ってしまったが、まぁ知らないまま違う女の子とこの先のデートをするというもの可愛そうだったからヨシということにしよう。月島が少し口ごもって、それからおずおずと言葉を吐き出す。

「……正直、自分で登録したわけじゃないんです。酔ってるときに上司がノリで登録して、まぁこういう世界もあるのかと思ってやってみてただけで、恋人を探しているとかではなくて…あなたに失礼を働くつもりはなかったんですが…」
「私は気にしてないですよ。まぁアプリって色んな人いるし。月島さんと話してるの面白いですし」

ナマエが笑い飛ばすと、月島は少し恐縮したように小さくなった。誰でもいい的な発言が引っかかるので交際の相手としてはちょっとな、と思ったけれど、別に迷惑をするようなほどのことはない。それでも月島があまりに自己嫌悪に陥っているものだから、ひとつ提案をしてみた。

「じゃあ、友達になりません?飲み仲間。月島さん、お酒飲めるんですよね?」
「の、飲めますけど…」
「やった。私、飲める友達少ないんですよ」

ナマエに押され、月島が飲み仲間になることを承諾する。マッチングアプリの使い方として正しいかはさておき、こうしてナマエと月島の何とも言えない交友関係が始まった。


話によると、月島はずっと片想いをしていた相手がいて、その子が別の男と結婚するということを人づてに聞いたらしい。それで自棄になって親しい上司と飲んでいた時に愚痴をこぼしたところ「新しい出会いを探してみろ、月島」と言われ、勢いのままに登録をされたそうだ。この話を聞いたら、まぁ恋人を探すつもりがなかったというのは納得できた。失恋には新しい恋なんて良く言うけれど、流石に片想いの相手の結婚直後はやる気になれないだろう。

「豚紫蘇巻き美味しー!」
「ん、サッパリしてていいな」

恋人関係は成立しなかったが、美味しく酒を飲める相手は貴重だったし、変に気を遣わなくていいというのも居心地がよくて、月島との関係は途絶えなかった。いつの間にか彼の敬語はなくなって、ナマエの口調も流石に砕け、2、3ヶ月に1回だった飲みはどんどん頻度が増え、最終的に月1回のペースにまでなった。

「焼き鳥って無限に食べられる気しません?」
「己の胃袋を過信するなよ。この間のベトナム料理屋で頼み過ぎてただろ」
「だって、美味しかったしいけそうだと思ったんですよ。結局月島さんいたらなんだかんだ食べてくれるし」

悪びれもせずそう言うナマエに月島はため息をつくが、それがさほど本気でないことはおお見通しだ。皿からぎんなんの串を持ち上げてぱくりと口に運ぶ。

「月島さんとこ最近どうですか。ほら、例のお坊ちゃん新入社員」
「ああ、鯉登さんのことか。優秀だしやる気充分なんだが、いかんせん尾形と折り合いが悪くてな…」
「尾形さんって…ああ、猫ちゃんの人だ」

月島の話の登場人物の殆どをもうすっかり覚えていた。特に親しい上司だという鶴見部長と御曹司の息子の鯉登君という新入社員に関しては会ったこともないのに勝手に親密になったような気分でいる。顔は見たことがないので、容姿は想像するしかできないが。
月島は器用貧乏と言うかお人よしというか、なにかと仕事を任されてしまうタイプらしく、ナマエなら逃げ出しそうな量の仕事を抱えているようだ。

「月島さん、忙しいのに飲みに来てて大丈夫ですか?早く帰って寝たりとかした方が良くないです?」
「なんでだ。何のために月一の金曜意地でも定時で上がってると思ってるんだ」

月島の体調を気遣ってそう言えば、じろっと少し据わった目でそう言われた。そんなにこの飲み会がストレス解消に貢献しているのか。まぁ、彼のためになっているというのなら、気兼ねなく目の前のビールを飲むことが出来るが。

「そういえば、月島さんと初めて会ったのって去年の今頃でしたっけ」
「…ああ、そういえばもう一年か」
「ていうか、まだそんななんですね。なんかそんな短い付き合いじゃない気がしちゃう」

残り少ないビールを飲み干し、通りかかった店員に同じものを追加注文する。月島のジョッキも残りが少なくなっていたから、彼の分もついでに頼んだ。ジョッキが運ばれてきて、さて泡をいただこう、というとき、月島が少し聞きづらそうに口を開いた。

「見つかったか、相手」

相手、とは、と考え、なるほど恋人探しの話か、と頭の中で結論付ける。あいにく月島と会った後に三人ほどお茶をしてみたけれど、なんだか上手くいかなくなって誰とも交際に至らなかった。それどころか、アプリはもう半年前に退会している。

「あれ、言ってませんでしたっけ。もう退会しちゃったの」
「いや、聞いてない」
「そっか。言ったつもりでいました。なんか気の合う人いなくて、結局彼氏出来ないまま辞めちゃったんですよ」

まぁ、無理やりピンとこない相手と付き合うのもその気になれなくて、飲み仲間も出来てふんわり充実しだした生活に恋人を作るという魅力は薄れていった。ジョッキの上部にまるで表面張力のようにのっかる泡に口を付ける。月島は話を振ったわりにそこで黙ってしまった。

「……誰でもいいというか……そもそもどういう人がいいとか、そういう具体的な想像が足りていなかった」
「はい?」

黙ったかと思えば、月島がまるで脈絡もなくそう話し始めた。何の話だろうなぁ。いままで彼と交わしてきた会話の中のどこに繋がるのかと頭の中で探す。もしかして、と点と点が繋がりそうになったところで月島が続けた。

「付き合ったら、一緒に美味い飯屋を開拓しに行きたい。お互い無理せず言いたいことが言える関係が理想だ」

やっぱりそうだ。一年前のレストランのテラスで聞いた質問のことだと点と点が完全に繋がった。硬直していた腕をギギギと動かしてジョッキの飲み口からやっと唇を離す。目の前の月島の顔がさっきより赤くなっている気がする。

「…ミョウジさんが好きだ。その…今更遅いかもしれないが、俺のこと、候補にしてくれないか」

じ、っと、月島の瞳がナマエに一瞬向けられ、恥ずかしいとばかりにすぐに逸らされた。彼の頬の赤さに自分の顔まで赤くなっていくのを感じる。恋人探しなんて辞めてしまった。だって月島と飲みに行くほうが楽しい。彼と話しているのは居心地がいいし、食の好みも合う。たらりとジョッキ表面の結露が指先を濡らす。

「こ、候補者1名なんで…即採用なんですけど、いいですか…」

ビールの泡がどんどん減っていく。もごもごもごと決まりの悪い告白劇を行きつけの焼き鳥屋でしてるなんて、ムードがないにもほどがある。結果的にマッチングアプリの正しい使い方になってしまったな、と、熱くなる頭の片隅で妙に冷静に考えてしまった。


戻る








- ナノ -