宇佐美時重の場合
マッチングアプリ。それは出会いの減った現代人が効率よく好みの相手と出会うための魅力的なツールである。
マッチングアプリを使っていることが親にバレたときには流石に少し怪訝な顔をされた。今でこそ健全な出会いのツールとして一般的になってきているが、上の世代からすれば出会い系の類いじゃないのかと思われるのも致し方ないし、出会ってもいない現状で認めてもらおうとも思っていない。
「問題はそこなんだよね…」
そう、マッチングアプリを初めて早三か月。未だにナマエは出会えていなかった。マッチングしたとか実際会ったという意味では出会えているのだろうが、結局「付き合いたい」と思える相手には未だ出会えないままである。
「このひとは……いや、プロフィール欄の情報少なすぎでしょ。このひとも…うーん、チャラそう……」
人を見た目で判断してはいけないという意見には概ね同意だけども、名前も知らないような人と出会うマッチングアプリでは見た目の印象というものもかなり重要である。顔のタイプもそうだが、明らかに遊んでいますという印象の写真をプロフィールに登録している時点でかなり解釈違いである。こっちは短絡的な出会いを求めているわけではない。
「あーもー…一生出会える気がしない…」
そんなことはないだろうけどそんな気になる。自分からイイネを送った相手からは中々イイネが返ってこない。結局自分の良いと思った男性からは相手にされていないということを嫌というほど思い知らされる。
「なにひとりでブツブツ言ってるんですか?」
「ヒョワッ…!」
後ろから声をかけられてスマホを落としそうになり、慌ててキャッチする。危ない。スマホの本体破損の保障プランには加入していない。ドッドッドッと激しく鳴る心臓を押さえながら振り返れば、そこにはコーヒーか何かの紙カップを持った同僚が立っていた。
「う、宇佐美さん…お疲れ様です……」
「お疲れ様です。独り言エグイですね」
些か、というかかなり失礼なこの男は宇佐美時重という名前でナマエの隣の部署である営業部の社員である。ナマエ自身は資材部で、業務上関わりがあるといえばあるが大してやり取りのあるような部署ではない。営業よりは製造や開発の方と関わりがある。しかし宇佐美とはなんとなく社内で出くわす回数が多く、なんだかんだと他部署のくせに関わりがあった。
「なにしてたんです?」
「いやぁ…べつに大したことでは…」
今日も社員食堂の端っこで運悪く捕まり、盛大な言い訳を考える羽目になった。運悪く、というのは、この宇佐美という男が苦手だからに他ならない。宇佐美は断りもなくナマエの左側の椅子に腰かけ、じっと大きな目でナマエを見る。
「出会える気がしないって、何とですか?」
「それは……」
友人や母親ならまだしも、知人以下の同僚にマッチングアプリをやっているなんて知られたくない。社員食堂で盛大な独り言を漏らしたのも悪かったかもしれないけれど、そもそも今は昼休憩なのだから何をしても自由じゃないか。宇佐美がつんと尖った唇をにゅっと笑わせる。
「もしかしてマッチングアプリですか?」
ぎくり、と表情が硬くなってしまったのがいけなかった。もうこれは肯定していると言っているようなものだろう。宇佐美は観察眼が鋭いから、図星を突いたということもお見通しなはずである。
「へぇ、ミョウジさんってそういうのやるんですね」
「だ、だって内勤だから出会いとかないですし、その……」
「あ、やっぱりマッチングアプリなんですね」
返ってきた言葉を聞いて「しまった」と思った。口車に乗せられて結局自分から白状するような流れになってしまった。もう仕方がない。どうせ言い逃れは出来なかっただろう。別に悪いことをしているわけでもない。今は男女の出会いのきっかけとしてかなりの割合でマッチングアプリが占めているような世の中である。
「彼氏、どれくらいいないんですか?」
「……い、一年くらい…」
「わぁ、確かに一年は長いなぁ」
言い方がいちいち失礼で癇に障る。そりゃあ彼のような男であれば一年も異性関係が切れることはないだろう。宇佐美はかなり遊んでいるらしい。話は半年前に遡る。
その日、慣れないクラブなんてものに足を運んだのは、久しぶりに会った同級生の付き添いだった。高校で同じようなグループに属していたはずの友人がいつの間にやらかなり陽キャの部類に変身していて、いつも行くとこ行こ、と言う台詞に何も考えずに付いてきた結果が陽キャを煮詰めて固めたようなクラブだった。日和ったものの、まぁ経験者も一緒なのだし、一度くらい経験しておくのもいいだろうと足を踏み入れたが、フロアを揺らすようなクラブミュージックにもご陽気な客のステップにも結局馴染めないままバーカウンターの近くで小さくなっていた。
「……酔いそう…」
どちらかと言えば酒は強いほうだが、この場合の酔うというのはアルコールではなく人酔いの方だ。隣で話している人の声まで聞こえないくらいの爆音が耳に痛い。同級生には悪いがそこそこのところで帰らせてもらおう、と決め、フロアを眺める。こういうところにいる人間というのは間違いなく自分とは住む世界が違う。
女の子の「えぇー!」という大きな声がふと耳に入り、何とはなしにそちらを見て驚いた。そこで会社の同僚である宇佐美が数人の女の子に囲まれていたのだ。
「え、あれ営業の宇佐美さん?うっそぉ…」
それまで宇佐美に良くも悪くもなんのイメージもなかったが、女の子に囲まれているその姿はチャラい意外の何者でもなく、一気にナマエの中で「苦手」とラベリングがされた。
「…あれ」
宇佐美がふっと顔を上げる。まずい、見ているのがバレた。ナマエは咄嗟に顔を背けると、そのまま出口に向かって急ぐ。後から考えればなにも逃げる必要はなかっただろうと思ったけど、この時はとにかく見つかってはならないという思考が勝った。
クラブを飛び出し、とりあえず同級生には人に酔って気持ち悪くなってしまったため先に帰る旨を連絡する。宇佐美が追ってくるかと思ったがそんなこともなく、ナマエは事なきを得たことにホッと胸をなでおろして帰路についた。
翌日。社員食堂の隅でいつものように昼食をとっていると、目の前がぬっと暗くなった。誰かが来たのだと思って顔を上げて、そこで言葉を失った。あろうことか、目の前に現れたのは宇佐美だった。
「ミョウジさんお疲れ様です」
「お、つかれさまです…」
「ここいいですか?」
「は、はい…どうぞ……」
ほかにいくらだって椅子は空いているのに、宇佐美はわざわざナマエの左側に座った。手にはサンドウィッチを持っていて、それなら別に食堂で食べることはなかったのじゃないだろうかと思われる。
悪いことをしているわけでもないのになんだか気まずいな、と思いながら定食を口に運んでいると、不意に宇佐美が口を開いた。
「ミョウジさん、ああいうところ行くんですね」
「えっ…」
「意外だなぁ。クラブとか苦手なタイプがと思ってましたけど」
いや、断じてそういう話ではない。足を踏み入れたのだって昨日が初めてだし、なんならロクに良さも分からないまま飛び出してきた。というかやはり昨日女の子に囲まれていたチャラい男は宇佐美だったのか。
「えと、昨日友達に連れてかれて…ああいうところって今まで縁がなかったので…」
「ああやっぱり。通りで借りてきた猫みたいになってましたもんね」
宇佐美はにっこり笑ってそう言って、借りてきた猫だとわかっていたならそんなことわざわざ言ってくれるなと内心ささくれ立つ。こちとらもう彼のことを「苦手」とラベリングしているのだから早速気まずいのに、宇佐美はテーブルに肘をついて大きな目でナマエをジッと見つめた。
「僕が遊び方教えてあげましょうか?」
「いや……」
「友達に連れてきてもらってって、オトコ探しに来てたんじゃないんですか?」
なんともまぁ宇佐美が偏見に満ちた失礼なことを言い放ち、顔がカッと赤くなるのを感じる。これ以上揶揄われてたまるかとナマエは残っていた味噌汁と白米をかき込むと、勢いよく椅子から立ち上がった。
「結構ですっ!」
トレイを持って返却口に急ぎ、宇佐美を振り返ることなく資材部のフロアに急いだ。同じ会社の人間だが彼は営業だし、さほど関わりもないのだから後のことなんて知るもんか。
「あれ、攻め方間違えたかな……」
宇佐美のそんな独り言など、耳に入る訳もなかった。
それからというもの、なんだかんだと宇佐美に絡まれるようになって半年が経つ。「もうあのクラブ行かないんですか?」と何度か聞かれたが、そもそも自発的に行ったわけではないのだからもう用などあるはずがない。
「マッチングアプリって…ミョウジさん、やっぱりあの時オトコ探してたんですね」
「だから違います。クラブは本当に友達の付き合いで……探すにしたってあんなとこで探しません」
「あはは、あんなとこって」
確かに偏見の塊のようなことを言ってしまったが、宇佐美相手に訂正する気なんてもう起きない。ああいうところで出会って真剣な付き合いに発展するカップルもいるだろうけど、そうじゃないパターンが普通の出会いより多いのは明らかだし、ああいうところで遊んでいるような男はタイプじゃない。
「アプリもたいがいだと思いますけど」
「そ、そんなこと…」
「僕の友達とか壺売りつけられそうになったって。フフ、ウケますよね」
まったくウケない。その友達とやらはご愁傷様すぎる。幸いそんなあからさまな業者には遭ったことがないが、この先そんなのに出会ったらもう速攻で心が折れる自信がある。そう思うと実際会うのも億劫になってきた。
「まぁ、アプリで出会うって最近結構定着してる感じですけど、結局身元も分かんないしプロフィールだって嘘かも知れないわけですから、ある程度リスクは覚悟の上ですよね」
宇佐美の言うことはごもっともである。いくら一般化してきたといっても、実際会ったら業者の勧誘だったってことはあるわけだし、プロフィールの情報だって身分証で確認できない範囲は嘘か本当かわかったものじゃない。
「……気が重くなること言わないでくださいよ…」
はぁ、とため息をつく。考えだしたら仕方ないけど、今やり取りしてる相手だっていい感じだと思いきや何かの勧誘かもしれないと思えてきてしまった。ちらっとスマホの画面を見ようとしたら隣から手が伸びてきて、持っていたスマホを取り上げられた。勿論その手は宇佐美のものだ。返してくださいよ、と言おうと彼のほうを見れば、つんと尖った唇が二ッと笑う。彼は取り去ったスマホをテーブルに伏せてからナマエに差し出す。
「僕にすればいいじゃないですか。身元も割れているし、ミョウジさんのことも、アプリで出会うような連中よりよっぽど知ってますけど」
「えっ」
言われたことを飲み込もうとしているうちに宇佐美が立ち上がって「そろそろアポの時間なんで」と答え合わせも出来ないまま踵を返した。
「え、宇佐美さんご飯は!?」
「僕、別にお昼とりにきたわけじゃないんで」
じゃあここに何をしに来たんだ。食堂は食事をとる場所のはずなのに。いろんな考えの中で一番うぬぼれに近いと思われたものの可能性ばかりが濃くなっていく。ああどうしよう。全然好みのタイプじゃない、はずなのに。
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