命中


成り行きで一緒に旅をすることになった尾形百之助という男は、今まで出会ったどんな猟師よりも銃が巧かった。
私は永倉先生のところの貰われっ子で、おさんどんのようなことをしながら剣術の稽古をつけてもらい、近所の道場に通って柔道を習った。
幼いころは近所で変な目で見られたものだけど、それも慣れてくるとあまり気にならなくなって、気にせずにいたらそんな視線自体も減っていった。

「尾形さん、射撃ってどうやったら上手になるんですか?」
「あ?」

尾形さんはじっと私を観察するように見て、私はその瞳が吸い込まれそうだなと思った。
くっきりとした形の目につやつやした黒色の瞳が浮かんでいる。鋭いわけではないのにどこかそれ以上の迫力があった。

「なんだ急に。兵隊に興味でも湧いたか?」
「えっと、そうではなくて鳥撃ちに…」

彼は先日ヤマシギを三羽もほいほいと撃ち落としていた。アシリパちゃんによると、銃で複数羽を撃ち落とすのは困難だと言われていたのにも関わらず、だ。
私も永倉先生のところでお世話になっているときに何度か鳥撃ちをさせてもらったことがあるけれど、さっぱりだめだった。

「ふん。そんなもの得意な人間に任せておけばいいだろ。女の仕事じゃねぇ」
「男とか女とかそんなの関係ないです。自分の食い扶持は自分でなんとかしないと」

尾形さんは私を黙って見下ろし、それから「ついてこい」と言って踵を返した。
やった、これを機に私も鳥撃ちが出来るようになったらもっと永倉先生のお役に立てるかもしれない。

「よし、この辺でいいだろ」

尾形さんが連れてきたのは山の中でも少し木々の開けた場所だった。トドマツとミズナラの間から灰色の空が覗いている。
尾形さんは静かに空を観察してひらひらと木々の間を飛ぶヤマシギを見つけると、こっちへ来いとばかりに私を手招いて呼んだ。

「今からあいつを撃ち落とす。俺がどうやって撃つのかよく見ておけ」
「はい」

そう言って、右肩に銃床をつけて空に構えると引き金に指をかける。私は斜め後ろからそのさまをよく観察した。
しん、と一瞬風が止んで、尾形さんの指が引き金を引いた。銃口から弾丸が発射され、空を悠々と飛ぶヤマシギの首を真っ直ぐに撃ちぬく。

「すごい…!」

私が感嘆するのにも構わず、素早く遊底を起こして後ろに引き、前に戻してまたパンッと銃弾を発射した。群れは一羽目が撃ち落とされたところで逃げようとしていたにも関わらず、尾形さんの弾丸はまたヤマシギを撃ち落とした。

「まぁ、こんなもんだな」
「えっ!何もわからなかったんですが…」
「こういうのは感覚と繰り返しだ。教えてわかるもんでもねぇよ」

ハッと笑う尾形さんに、私は思わず大声でもう一度「えっ!」と叫んでしまった。てっきりついてこいって言うもんだから教えてくれるのかと思ったのに、ただ自分がヤマシギを撃ち落とすところを見せたかっただけだというのか。

「何してる、行くぞ」
「は、はい…」

当てが外れて残念だが、尾形さんがヤマシギを二羽も獲ってくれたから今晩のごはんはきっとチタタプとやらをするに違いない。汁物に入れて肉団子にしてもらうととても美味しかった。
尾形さんについてヤマシギの落下しただろう地点まで進むと、綺麗にぽとぽととヤマシギが墜落していた。尾形さんはそれをひょいっと掴んで私に差し出し、私は二羽の首をまとめて引っ掴む。

「さっき撃ったばかりだからここではしばらく獲れんだろう。少し西に移動するぞ」

尾形さんはまだ獲るつもりのようで、確かにあの面子の夕飯を賄うならもう二、三羽いたほうがいいかもしれないと私もその背を追った。
尾形さんについてまたトドマツとミズナラの間を進み、倒木とごく小さな小川のようなものを飛び越えて、しばらくで森の余白のような開けた場所へとたどり着いた。

「ほら、構えてみろ」
「えっ!」

尾形さんは肩にかけていた銃を先ほどのヤマシギのような気軽さで私に差し出す。ここで撃ってみせろということだろう。
私は少し逡巡してから持っていた二羽のヤマシギをすぐそばに置くと、差し出された三十年式歩兵銃を受け取った。

「あ、思っていたより少し軽いです」
「なんだ、普段銃を使っているのか?」
「永倉先生のところで少しだけ…払い下げの村田銃を何度か撃ったことがあって」

永倉先生のところで触らせてもらったのは陸軍払い下げの村田銃。民間に下げされる時に着剣装置を取り外して施条を半分ほど削り取ったものだ。

「ふん、おぼこかと思ったが、経験があるとはな」
「こういうのにもおぼこって使うんですか?」

おぼこの意味を知らないわけではないが、銃を使ったことがあるとかないとか、そういうことにも使う言葉なんだろうか。
私が首を捻っていると、尾形さんは何も言わずに髪をナデナデと撫でつける。特に続きは飛んでこなかったので、私は三十年式歩兵銃を持ち上げると先ほどの尾形さんの体勢を思い出しながら空に向かって構えた。

「よし、北から飛んでくるぞ」
「はい」

視線でちらりと北を確認して、遊底を起こして後ろに引き、前に戻す。それからしっかりと照準を定める。ヤマシギは鉄砲の弾が飛んでくるだなんて思ってもいない優雅さで空を舞った。
いち、にの、さん。

「あっ…!」

引き金を引いたが、発射された弾はヤマシギの少し下方を通過して空を切った。銃声に驚いた群れはバサバサと南に向かって移動していく。
やっぱりだ、全然だめ。村田銃よりも精確に撃つことが出来たと思ったのに、掠りもしなかった。

「おいおい、そりゃ施条もしっかり刻んである軍の正規品だぜ?」
「私てんでだめなんですよ、だから尾形さんに教えてもらいたかったのに」

ははぁ。と尾形さんが馬鹿にしたように笑って、私はつんと唇を尖らせた。
だって村田銃より小さいんだもんとか、村田銃より軽いんだもんとか、そういう言い訳も通用しないお粗末な結果である。

「撃てる場所を探すぞ」

私に教えてくれるつもりがあるのかないのか分からないが、尾形さんは私から銃を取ると代わりにヤマシギを差し出す。私はまたヤマシギの首根っこを掴んで尾形さんの後ろを歩いた。
少し先の高台に着いて、また先ほどと同じようにヤマシギと三十年式歩兵銃を交換する。先ほどと違ったのは、尾形さんが受け取ったヤマシギをぽいっとそばに置いてしまったことだ。

「尾形さん?」
「姿勢を見てやる。さっきと同じように構えろ」
「えっ、は、はい…!」

どうやら射撃を教えてくれるらしい。私は慌てて銃を担ぎ、銃床を右肩につける。銃身を左手で支えながら構えると、背後から覆いかぶさるような気配を感じて身体をびくりと震わせた。驚きで思わず銃がぶれる。

「しっかり支えてろ」

覆いかぶさってきたのは当然尾形さんで、私の手を上から包むようにして左手を伸ばし、右手は私の肩に置かれていた。
すぐそばに体温を感じ、軍服の上からでもその下にたくましい身体が隠れていることを容易に想像することができた。

「いいか、よく獲物を見ろ。狙撃手の良し悪しはまず目で決まる。獲物の動きを正確に予測しろ」
「は、はい…」

尾形さんの、身体の奥まで揺らしてしまいそうな声が右の鼓膜を揺らした。心臓がどくどく脈打って、体温が上がっていくのを感じた。
尾形さんの顔は触れてこそいないものの、少しでも動けばぴとりとくっついてしまいそうな距離にあって、それを意識してしまったら動けなくなってしまった。

「来るぞ、一時の方向だ」

銃口を三十度右に向ける。村田銃より軽いと言っても一貫以上はゆうにあるため、そんなに長時間掲げた体勢を保つのは難しい。今からくる一羽を撃たなきゃ、と思うのに、そばで聞こえる吐息に気が散ってしまって中々思うように集中できない。
低い声で「撃て」と言われて反射的に引き金を引いたけれど、全くもって集中出来ていなかったから弾はヤマシギとほど遠い場所に吸い込まれるように消えて行ってしまった。

「おいおい、集中しろよ」

からかうようにぐらぐらとした声で尾形さんが言って、私は下ろした銃を抱えて距離を取ると振り返って抗議をした。
近すぎやしないかと思っていたが、やっぱり確信犯だったらしい。

「しゅ、集中なんて出来ません…!」
「…ほう、そりゃ何でだ?」

キッと睨み上げると、尾形さんが余裕綽々の笑みを浮かべて私を見下ろしていた。口角を上げ、また整えた髪をナデナデと撫でつける。
黒々とした瞳は勿体をつけて少し下ろされた瞼に隠され、それが一層色っぽく見えて、私は顔が赤くなっていくのを感じた。
私の様子を愉快そうに眺めた尾形さんはずんずんと距離を詰め、あっという間に目の前に来ると私の後頭部を抱えるように引き寄せ、耳元に唇を寄せる。

「ナマエ、そんなに煽るな」
「ヒッ…!」

ぞくっと背筋が粟立つ。悲鳴だかなんだか分からない声を上げるが、そもそも間合いを詰められて逃げることなどもう出来なかった。
尾形さんの指がそのまま後頭部から私の右耳へ移動し、耳たぶをふにふにと摘まんで弄ぶ。言いようもない羞恥で心臓が鳴る。

「ははぁ、お前が俺の声が好きだったとは知らなかった」
「わ、わかってるなら辞めてください…」

口先だけで抗議をしてみたがそれも尻すぼみで、全部このひとの思うつぼなんだろうと分かってしまっていたたまれない。
いつの間にか抱えていたはずの銃は尾形さんに取り去られて肩の定位置に納まっていて、私は行き場をなくした手をぎゅっと胸の前で握った。

「もっと近くで、名前を呼んでやってもいいぜ」
「もっと近くって…」

もう充分近いのにこれ以上近くってどういうことなんだ、そう思っておうむ返しをすると、尾形さんが耳元で「今夜にでも」と囁いた。

「なっ…!」
「ほら行くぞ。あまり遅くなって牛山たちが探しにきても面倒だ」

尾形さんは屈めていた上体を元に戻すと、呆気なく私から離れて行ってしまった。徹頭徹尾からかわれていることに気が付いた私はただでさえ赤くなっていた顔にもっと熱を集めて、足元に置いたまんまになっていたヤマシギを引っ掴むと置いて行かれないように慌てて背中を追った。

「ちょっと!尾形さん!待ってくださいよ!」

結局鳥撃ちの成果は尾形さんの仕留めた二羽だけになってしまったが、それでもアシリパちゃんは喜んでくれて、やっぱり夕飯にはチタタプなるものを用意することになった。
チタタプと言わないことを尾形さんはまた杉元さんに責められて、それを笑ったらじろりとした目で睨まれる。

「ナマエ、いい度胸だな」

この時私は「もっと近くで呼ばれる名前」とやらの威力を完全に見くびっていた。


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