幸運の男


金塊争奪戦も大詰めだという五稜郭での戦いを経て、私たちは函館近郊に身を潜めた後にキラウシさんのコタンに身を寄せることになった。村の男が初老のおじさんと異人のおじさんと小娘を連れて戻ってくる姿はさぞ奇妙だっただろう。それでもキラウシさんのとりなしがあり、門倉さん、マンスールさん、私の三人は元々キラウシさんの使っていたというチセを使わせてもらえることになった。

「一応は話を通してあるが、変な行動はしてくれるなよ」
「あーハイハイ」
「門倉、お前のことだぞ」
「なんで俺ぇ?」

門倉さんとキラウシさんは馬が合わないように見えて実はかなり相性がいい。年の差もかなりあると思うし、そもそもアイヌと和人だ。ちょっとだらしない門倉さんとそれをぎゅっと絞るキラウシさん、といった具合で、掛け合いも長年一緒にいるみたいな友人のように見えるのだから面白い。 

「キラウシさん、お手伝いできること少ないかもしれないですけど、なんでも言いつけてくださいね」
「ああ、頼りにしてる」

キラウシさんが深く隠れた目元で笑う。その表情が私は何より好きだった。


私はもともと家出娘で、小樽の街で通辞として細々と生計を立てていた。そんな中で出会ったのが土方さんだった。もっとも、出会ってすぐのころは内藤大和と名乗っていたけれど。これでもいい女学校に通わせてもらっていた身分だったから、私は他の人よりも英語を上手く話すことが出来た。勉強の甲斐もあってロシア語もそこそこ会得し、現地の人には遠く及ばないが意思の疎通をとることは出来る程度だった。

「多言語話者か。それは魅力的だな」
「え?」

言われた言葉が初めは意味が分からなかったけれど、彼に壮大な目的があり、しかも死んだとされていた「あの土方歳三」であると分かれば、言っている意味もなんとなく理解をすることが出来た。
どうせ家とも勘当している身だ。先のこともよくわからないし、彼に「協力してほしい」といわれれば迷いなく首を縦に振った。そんな始まりだった。
私の役目がある程度終わったころ、土方さんと永倉さんからは「これ以上危険な旅には付き合うことはない」と手切れ金のようなものを受け取ったけれど、中途半端に投げ出すのも嫌だし、それにもうこの人たちの行く末を見届けなければいけない、という気持ちになって、無理を言って旅に同行した。キラウシさんと出会ったのは去年の秋。まだ一年も経っていない。それでも彼の人柄を知ればすぐにその魅力の虜になったし、一方的な思いだったとしても傍にいることを許してくれるならそれでいいと思っていた。

「キラウシさん、何かお手伝いできることありますか?」
「今日は村のみんなと狩りに出てくる。その間に他の食材の支度をしてもらっていいいか」
「わかりました」

傍でお手伝いしたいけれど、流石に狩りとなれば私にできることはない。大人しくコタンで他の仕事をすることにして、キラウシさんから言いつかった仕事を頭の中で確認していく。

「ナマエは本当に働き者だな」
「働かざる者食うべからずですよ」
「それはその通りだな」

キラウシさんがくすくすと笑う。普段は声も渋いし、かっこいいという印象の方が強いけれど、笑うとちょっと幼くなる。流石に大のおとなの殿方に向かって可愛いですねなんて言えないけれど。

「じゃあ、行ってくる」
「はい。お気をつけて」

猟銃を背負ったキラウシさんを見送った。行ってくる、気をつけて、なんて、ちょっと新婚さんみたいじゃない?なんちゃって。馬鹿なこと言ってないで早く任された仕事をしなくては。

「よし、マンスールさん呼びに行こう」

マンスールさんは函館の戦いで右手を失くしてしまったから、私と一緒に軽作業をすることが多い。チセの近くを確認しに行くとマンスールさんが木陰で休んでいて、声をかけて二人であれこれと細かい作業に勤しんだのだった。


珍しく町に出かけた日、私は蚤の市で面白いものを見つけた。今日は門倉さんと私の二人組だ。こうして町に出るときは、なかなかマンスールさんを連れて来てあげることが出来ない。片手のない異人さんなんて目立つに決まっているから、あらぬ誤解を招かない為の対策だった。

「あ、これ四柱推命の本ですね」
「本当だ。珍しいもん売ってんなぁ」

私は思わずちょこちょこと寄っていって、並べられているその本を手に取る。懐かしい。小遣い稼ぎをしているときに見よう見まねでちょこっと占い師の真似事なんかをしていた時期があった。

「ナマエちゃんわかるのかい?」
「ちょこっとだけ。異人さん相手にお小遣い稼ぎしてたんです」
「お嬢ちゃんも案外強かだよなぁ」
「まぁ、先立つものがなくてはなんとやらですから」

そこまで古い本ではないようだが、内容はかなり難しそうだ。少なくとも興味本位の一般人向けというわけではないだろう。私がペラペラめくっていると、門倉さんが横からにょきりと首を出して尋ねてきた。

「買うかい?」
「いえ、今は商売できる相手もいませんし」
「でも興味あるんだろう?」

それは確かにそうだ。いろんなことが始まってしまう前の、あの小樽での生活を思い出す。あれからいろんなことがあった。小樽で生活しているだけじゃ絶対に出来ない経験をして、いろんな人に出会っていろんな場所に行った。土方さんのおかげで今の私がある。そこまで考えていたら、なんだか途端に寂しいような気持ちになってしまった。もう会えない人がたくさんいる。

「……じゃあ俺が買ってやるよ」
「え、そんな悪いですよ」
「いいのいいの。その代わりコタンに帰ったら一番に占ってくれよ」
「…はい。ぜひ占わせてください」

門倉さんがポンと私の肩を叩く。なんだか気を遣わせてしまって申し訳ないな、と思いながらも、買ってもらった本を抱え、私たちは思わぬ収穫を得てコタンに帰ることになった。
コタンに戻っても、キラウシさんは何か用事に出ているみたいで不在にしていて、私と門倉さんは早速とばかりに四柱推命の本を開いた。マンスールさんも輪の中に加わる。

「えっと、門倉さんの生年月日と時間ってわかりますか?あ、あと出生地も」
「七月七日の…たしか正午あたりだっておふくろが言ってたな。丁度産婆さんが昼飯食べてて到着が遅れたって」

門倉さんは凶運の持ち主だけども、生まれた瞬間からすでにということはものすごい筋金入りだ。流石だなぁと思いつつ、四柱推命の本を読み込みながら占っていく。まずは先天的資質。それから与えられた使命と課題。そしてこの先一年の運勢…。それらを導き出して私は絶句した。

「か、門倉さん……」
「おう、わかってる。俺ぁそういう星の下に生まれてんだ」

本人も自覚があるようだが、結果としてはかなり散々な占い結果になった。こんなに悪いひとなかなかお目にかかれないんじゃないだろうか。特に恋愛とか結婚の運が最悪だ。

「……門倉さんって…独身でしたっけ…?」
「いや、バツイチ。やっぱそっちの運も悪い?」
「はい。もうご縁がございませんとしか言いようが……」

チーン。とばかりに合掌すれば、マンスールさんも真似て両手を合わせる。一回結婚出来たのは奇跡かもしれない。いや、奇跡だろう。離婚しちゃってるけど。

「占いにまでお墨付き貰っちまったなぁ」

占った立場でなんと言えばいいのかもごもご迷った末に「まぁ…その、占いは占いですし。ね?」とそんな適当なことを言って、門倉さんは慣れているとばかりに「ははは」と軽く笑って手を振った。
なんとも微妙な空気が流れる中でチセの入口に影がかかった。姿を現したのはキラウシさんだった。

「ナマエ、戻ってたのか?」
「あっ、キラウシさん。おかえりなさい!」
「ただいま。ん?なにか買ってきたのか?」

キラウシさんはとことこと中に入りながら私たちの手元を見る。私は本を閉じ、ひょいっと表紙を見せた。非識字のキラウシさんに表紙だけを見せても内容は伝わらないので、私は「四柱推命っていう占いの本なんです」と付け加える。

「シチュウスイメイ?シサムの占いか?」
「和人も古くからやってるものですけど、もともとは大陸で発祥したものです」
「大陸の…」

キラウシさんはしげしげと本を眺めた。四柱推命が生まれたのは700年ほど前とかに生まれたという占いらしい。日本でも古くは占いにいろんなことを頼って決めたりしてきた。ふっとキラウシさんが顔を上げ、私をじっと見つめる。

「俺も占ってみてくれ」
「えっ?」
「シサムの占いに興味がある。本を買ってきたってことはナマエはシチュウスイメイが出来るんじゃないのか?」
「た、多少は……」

ずいっとキラウシさんが私との距離を詰める。異文化だからなのか何なのか、キラウシさんは時々妙に距離が近い。ひゅっと喉から変な音がして、心臓が自分でわかるくらいどきどきと激しく鳴っている。

「え、と、あの…じゃあ生年月日と、生まれた時間と…生まれた場所を、教えてください…」

私がどうにかそう口にすると、キラウシさんは「いろいろ細かい情報が必要なんだな」と感心しているようだった。その間になんとか心臓を落ち着かせて、きちんと占いが出来るように深呼吸をする。

「……XX年の2月4日だ。時間は…わからないと思う。場所はこのコタンだ」

キラウシさんは寒い時期の生まれのようだ。私はてっきり彼のことを春の生まれかと思っていた。あたたかい雰囲気がそう感じさせているのかもしれない。私が「寒い時期の生まれなんですね」と言えば、キラウシさんは「俺の生まれた年では一番寒い日だったそうだ」と返した。ますます想像と違う。

「えーっと、まず先天的な資質は……真面目で義理堅い。それから芯が強くて周囲からも頼られるような存在。けれど一方で少し頑固なところがあって…他人と意見がぶつかることも多い、と出ています」

先天的資質の部分は概ね当たっているように思える。それから与えられた使命と課題の面は、他者の才能を引き出すこと、そして生まれ持った資質を生かして絆を結び、人と人とを結んでいくこと。しかし責任感の強さゆえに相手の不誠実を許せず見切りをつけたくもなるが、長い目で見なければならないこと。と、そう出ていた。

「後半は門倉のことか?」
「えぇ、俺ぇ?」
「そうだろ。貧乏無職ジジイ」

キラウシさんの言葉に門倉さんが反応して、やいのやいのといつものやり取りを始める。私はその隣にいるマンスールさんと目が合って『いつものことですね』とロシア語で言えば、マンスールさんもにこにこと笑顔を返してくれた。

「ちょっとナマエちゃん!こいつの結婚運とか占ってよ!」
「なんでそんな話になるんだ!」
「だって俺より悪いかもしれねぇだろぉ?」

いぎぎぎ、と二人がいがみ合うような真似ごとをして、私は「まぁまぁ」なんてなだめながら恋愛や結婚の部分を読み取っていく。うん、悪くない。むしろ人生の全体においてはいいほうに出ていると思う。

「キラウシさんはいい相手に巡り合えると思います。結婚もするし、子宝にも恵まれると出ていますね」
「ほら見ろジジイ」
「くっそォ……」

キラウシさんがどこか得意げで、門倉さんが悔しそうな顔をした。本人に結果を伝えた後で「ああ、キラウシさん誰か素敵な人と結婚するんだな」と気が付いて、勝手に心の中がもやもやしていくのを感じる。そりゃ、いままでになにか機会を逸しているとかそういう理由で、キラウシさんみたいな素敵な人に相手がいないなんてそもそもおかしいのだ。

「あ、すみません。私ちょっとご不浄に……」

ちょっと不自然だったかな、と思いつつも、未だああだこうだとじゃれ合うキラウシさんと門倉さんを置いてチセを出る。茂る草木のにおいが瑞々しい。すうはあと大きく深呼吸をした。
キラウシさんの相手はやっぱりアイヌの女性だろうか。それとも釧路の町かなにかの和人だろうか。きっと美人で、気立てが良くて、賢くて勤勉なひとなんだろう。ああ、占わなかったらよかったな。そうすればこんなこと考えなくて済んだのに。勝手に占って勝手に落ち込んで、馬鹿みたいだ。

「……ナマエ」

そもそも告白もしていないくせに偉そうに。告白する勇気もない人間にこんなこと思う資格なんてないだろう。ああ、でも、キラウシさんが誰かのものになってしまう瞬間は見たくないな。

「ナマエ」

だって私、面と向かっておめでとうって言える自信がない。最低だ。大切な人だって思うならそれこそ「おめでとう」って言うべきなのに。結局私は自分のことばっかりだ。

「ナマエ!」
「ひゃいっ!!」

後ろから急に肩を掴まれてびくんと跳ねあがる。振り返るとキラウシさんが私を追って出てきたようだった。「どこか悪いのか?」と聞かれ、私は黙って首を横に振った。心配させるようなことをしてる場合じゃない。キラウシさんは少し口ごもったあとに「えーと」「その」と更に口ごもってから続けた。

「……お、俺と一緒に行動するようになってから、門倉の不幸が減ったらしい。あと俺がいる日の狩りは大物が獲れることが多いし、天候にも恵まれがちだ」

突然一体何の話だろう。矢継ぎ早にそう捲し立て、私はその真意も読めないままキラウシさんをこっそり見上げた。キラウシさんは私へ向き直ると、私の両肩をぎゅっと掴んでその距離を縮める。

「いや、その。俺は幸運な男だから、ええと…隣にいても損はないと思うんだ」
「へ…?」
「……さっきのシチュウスイメイの結婚運の話」

気が付けば、キラウシさんの顔が赤くなっていた。どうしよう。私が考えているのは正しいのかな。でもそんなの私に都合がよすぎる。ああどうしよう。でも。
私はおずおずと、肩を掴むキラウシさんの手にそっと自分の指を重ねた。私の考えているのが正しいといいな。違ったらその時は、門倉さんとマンスールさんに笑ってもらおう。


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