結局論


なんで私この男と付き合ってるんだっけ。そう思ったのは一度や二度ではない。
私より優先すべき事項が発生すればデートのドタキャンなんて当たり前だし、なんならデート中でも必要な呼び出しがあれば中断してすっとんでいく。
これが仕事ならまだ許せるかもしれないが、まったくのプライベートの話なのだからどうしようもない。

『明日のデート見送りで』

送信者は宇佐美時重。前述の私の恋人である。
私はスマホのディスプレイを前に二回ほどメッセージの文面を確認し、はぁ、と項垂れて画面を消灯した。
始めの頃は「どうして?」と理由を尋ねたものだが、もうこのところそんなこともしていない。何故なら聞いたところでどうせ同じ理由だからだ。

『篤四郎さんのお誘いだから』

一体何度この言葉を聞いたことか。
篤四郎さん、とは、時重がこの世で最も尊敬している大学の教授である。一度だけ会ったことがあるけれど、細面の随分な美形だったことをよく覚えている。
時重はとにかく篤四郎さんが好きで好きで仕方なくって、一にも二にも篤四郎さんのことを優先する。これは何も私との約束にだけ発動されているわけではないということは、時重とも篤四郎さんとも旧知の仲である月島さんに教えてもらった。


別に時重が好きにするなら、私もそこそこ自由にしてても良くない?それが開き直った最近の感想だ。
なにも別に浮気しようってわけじゃなくって、デートすっぽかされたりしたら落ちこまずに自分の予定入れちゃえばいいじゃんってこと。その方が「予定が潰れた」って思わずに済むし。

「久しぶりー」
「おひさー」

と、言うことで、私は高校時代の同級生と連絡を取って一緒に買い物に出かけていた。流石に直前とかだとこうやって遊んでくれる人を探すのは難しいが、今回は幸か不幸か一週間前に連絡があったから約束を取り付けることが出来た。いや、幸か不幸かで言ったら絶対不幸なんだけど。

「ナマエ、最近彼氏とどう?」
「うーん、変わんないよ。社会人ってこんなもんなのかなぁみたいな」
「わかるー。大学の頃ってもっと会わなきゃ気が済まないって思ってたけど、実際働いてるとそんな時間とれないよね」

友達に振られた話を適当に返し、彼女の言う「大学時代」がどうだったかを思い浮かべた。確かにもっと大学の頃って彼氏とべったりだった気がするな。あの頃もし時重と付き合ってたら1か月で破局した自信がある。
まぁ私の話なんてしても仕方がないか、と思って友達に「そっちはどうなの?」と尋ねると、少し恥ずかし気にもごもごと口を動かしてから「実は」と切り出した。

「プロポーズさたの、先週…で、次の私の誕生日に入籍しようって…」
「えっ!うそ!ほんとに!?おめでとう!」

私は驚きのあまりその場で友達の両肩を掴んで言った。彼女の恋人…というか今は婚約者になっただろう彼とは私も面識があった。不動産関係に勤めているという爽やかイケメンだ。そうかそうか。今回は長いなぁと思っていたけれど、彼と結婚するのか。

「披露宴まだいろいろ決まってないんだけどさ、やるつもりだから、ナマエも絶対来てね」
「行くよ、行くに決まってる!」

私は友人の手を握ってぶんぶんと振った。彼女は少し照れたように笑いながら「痛いってば」とこぼしていた。
それから私たちはウィンドウショッピングに興じ、あれこれとお店を見て回った。彼女と彼の新居にどんなインテリアがいいかなんて気の早いことをああだこうだと言い合う。彼女よりむしろ私のほうが積極的にだったのじゃないかと思う。
頃合いを見てカフェに入って休憩しようという話になり、私はカフェオレを、彼女はミルクティーを注文した。

「プロポーズとかってさぁ、どういうタイミングだったの?」
「えー、普通だよ。記念日だったからデート終わりにちょっといいレストラン行って、そこで指輪渡してもらって…」
「最高じゃん。結局ベタが最強だよねぇ」
「分かる。人の話で聞くと微妙って思ってたんだけど……いざ自分がされるとやっぱり嬉しいもん」

記念日にちょっといいレストランで食事、そこで指輪を差し出されて、なんてめちゃくちゃ古典的だとは思うけど、結局自分がしてもらったら嬉しいに決まってる。ベタってやっぱり最強なのだ。

「ナマエは?」
「え?」
「え、じゃなくて、ナマエのとこはどうなの?」

変わんないよ、とは今日会ったときにすぐ言っていた。だからこれは「結婚」について尋ねられている。結婚、結婚か。
時重ってどう思ってるんだろう。私と付き合ってて楽しいのかな。そりゃ、付き合ってて大事にされてるなぁって思うことがないわけじゃないけど、そういうこと考えてくれてるかっていうと、かなり怪しいと思う。だってデートだってドタキャン多いし、そもそも今日だってそうだし。
そう考えると本当になんで私この男と付き合ってるんだっけ、と、思ってしまう。

「ない…んじゃないかなぁ…」
「そうなの?結構相性良さそうなのに」
「そうかなぁ」

まぁ確かに、時重と一緒にいるのは楽だ。時重は嘘をつかないしお世辞を言わない。だから言われた言葉は本当だろうと思えて安心できる。前髪切りすぎちゃった時くらいお世辞でも「似合ってるから大丈夫だよ」とか言えよって思わなくもないけど。私の声のトーンが落ちてしまったせいか、彼女がフォローするように口を開く。

「まぁ、今は籍入れずに事実婚みたいなカップルも多いし」
「あー、確かに。結構聞くかも」

結婚というものにこだわっているわけでも、その形に収まりたいと思っているわけでもない。けれど象徴的なその儀式を乗り越えていくことに憧れがないわけではないし、仲のいい友人が結婚すると聞けば多少は羨ましくもなる。でも。

「結局さ、時重と一緒にいられるならなんでもいいのかも」

何もかも篤四郎さん最優先と言われると妬ましくなる気持ちはもちろんある。けれど時重は本当に面倒くさいならさっさと別れてしまうタイプだから、そうしないというのはそれなりに私と一緒にいるのが心地いいと思ってくれてるんじゃないだろうか。

「愛だよねぇ」
「愛かな?」

彼女が感慨深そうにそう言うから、オウム返しのように言って笑った。
私だって嫌だと思ったらずるずる付き合わずにさっぱり別れてしまうタイプなのだ。なのにこうして篤四郎さんのためにドタキャンしていく時重と別れようともしないのは、つまりなんだかんだ言ってそういうことなのだと思う。


友達と駅前で別れ、そのままひとりぼっちの家に帰るのもなんだかなぁと近くのカフェに入った。スマホを確認するとメッセージアプリの通知がひとつついていて、何だろうと思って開くと時重からだった。今日の篤四郎さんのお誘いとは学会の手伝いだったそうで、その帰りにホテルのおしゃれなラウンジに連れて行って貰ったらしい。嬉々として報告してくるのが可愛いなって思っちゃうし、私は結局そうして自分に正直な時重のことが好きなのだ。

「ふふ…可愛い」

やっぱり好きなんだよなぁ。
篤四郎さん第一で、お誘いとあらばデート中でも出て行っちゃう。自由奔放。自分に正直なひと。そういうところが───。

『好きだよ』

気が付くとらしくもなくそんな言葉を送ってしまっていた。ヤバ、と思うもすぐに既読がついてしまい、送信の取り消しも出来そうにない。
まぁいっか。嘘じゃないし、別に付き合ってるんだからこのくらいアリでしょ。いきなりキモいんだけどとかは言われそうだけど。そんなことを適当に考え、私は本日二杯目になるカフェオレに口をつけた。

「返信ないなぁ」

速攻で既読ついたし、すぐに「キモいんだけど」というメッセージが来るかと思いきや、返信はなかった。少し気になったけれどカフェオレ一杯でそこまで長居出来るはずもなく、私はすごすごと電車に乗って帰路についたのだった。


最寄り駅で改札を通り抜け、駅前のコンビニで期間限定のチューハイを買った。このあとは予定もないし、早めにお風呂に入ってお酒を飲もうという魂胆だ。

「あのー、すんません」
「はい?」

コンビニを出たところだった。二人組の若い男が声をかけてきて、私は反射的に返事をした。あー、無視したほうが良かったなぁと思うも、後の祭りである。これはいわゆるナンパというやつだ。こんな繁華街でもない駅前で声かけるのか。

「お姉さん超キレーっすね。今日お仕事休み?」
「あの、すみませんけど急いでるんで」
「いやさすがにそれは嘘でしょ。コンビニでチューハイとか絶対宅飲みコースじゃん」

いやその通りなんだが。男の片方がへらへら笑ってそう言ってみせて、このナンパをしている癖に媚びる様子のないところに嫌な予感がした。ナンパというものは女の子をその気にさせて連れていく必要があるから、時に歯の浮くくらいの台詞を言うのが常套手段である。
そうしないのは何故か。それは恐らく「合意じゃなくても連れていける」と思っているからだ。

「てことでお姉さん一緒に遊ぼうよ、ね、ぜってー楽しませるから」
「いや、だから困ります!」
「はは、怒っててもカワイー」

男の片方が私の肩を掴み、もう片方が逃げ場を塞ぐように反対側に立つ。これはまずい。非常によろしくない。もっと大きな声で周囲に助けを求めなければ、と思った時だった。

「おい、僕の女に触るな」

不意にそう声が聞こえて、私の肩を掴んでいない方の男がいとも簡単に宙を舞う。気が付くと男は背負い投げられ地に伏していて、その向こうにグレーのジャケットを羽織った恋人の姿が見えた。時重だ。なんでこんなところにいるんだろう。

「お前ッ!なんだよいきなり!!」
「そこの女の彼氏」
「はっ、マジなにイキッて──」

私の肩を掴んでいる男は最後まで言葉を発することは出来なかった。時重が素早く背後に回り込み、その頭をゴキゴキと固定して締め上げたからだ。そう言えば時重って柔道強いんだよなぁ、とどこか現実逃避めいて考え、いつの間にか私は解放されていた。

「さっさと消えればこれで見逃してやる」

時重は聞いたこともないような低い声でそう言い放って、地面に転がる男が「ひぃッ」と情けなく悲鳴を上げる。締め上げられている男はもう何も言えない様子だった。半分意識がない。
時重が腕を解いて地面にどさりと転げ落ちると、意識のある方の男が仲間の男の腕を引き上げ、半ば引きずるようにして慌ただしく去っていく。時重は大きい目をキョロりと私に向けて、何か言いたげにじとりと見つめた。

「で、ナマエ、なんでこんなところでナンパされてるわけ?」
「デートの予定なくなっちゃったから友達と買い物して…家帰ったら飲もっかなって」
「お前いつも危機感ないんだよ。だからあんな変な連中に絡まれんの」

危機感と言われてもなぁ。そもそも論としてああいう連中がまず悪いのは確かだけど、返事をしてしまったのは良くなかった。だけど見た目でそこまでわからなくない?
私がふむ、と自分の行動を省みていると、時重はどこか苛立たしげだった。ああ、心配してくれているんだな、ということが手に取るようにわかる。

「時重、ありがと」
「……のん気だよね、相変わらず」

呆れたようにため息をつく。時重は面倒なことが嫌いなので、なんでもない相手を助けたり注意をすることは少ない。それを知っているから、こんな一見憎らしい口調も愛おしく感じることが出来る。私は時重の隣に立ち、グレーの上質な生地に包まれた腕に抱きついた。

「時重、今日は綺麗めな恰好なんだね」
「篤四郎さんの学会の手伝いだったからね…なに、ナマエこういう恰好が好きなの?」
「ううん。時重に似合うなぁって思っただけ」

私と会う時はもっと砕けた格好のことが多い。だからこういう格好を見るのは久しぶりだった。時重はスタイルがいいから大体なに着てても似合うんだけど、セミフォーマルなこの格好も例にもれずばっちり似合っている。

「あのメッセージなに」
「えっ、あ…好きだよってあれ?」

そんなことすっかり忘れていた。そうだ、そもそもどうして時重は私の家の最寄り駅に来てるんだろう。彼の家はこの線とはまったく掠りもしない場所で、学会終わりに連れて行って貰ったというあのおしゃれなラウンジのホテルも全然近くない。

「時重のこと考えてたらその…つい送っちゃって。既読ついちゃったし取り消しも出来ないなぁって…」
「ったく…なんか思いつめてんのかと思って焦った。紛らわしいなぁ」
「ご、ごめん…」

普段とあきらかに毛色の違うメッセージを送ってくる私を不審に思ったのだろう。それでわざわざホテルからすっ飛んできてくれたのだ。そう気が付いて勝手に頬が緩んでいく。

「時重……わざわざ来てくれたんだね」
「当たり前でしょ」

当たり前。そうか、当たり前なのか。時重が照れたように顔をふいっと逸らす。時重は嘘をつかないしお世辞を言わない。自分に正直なひと。だから私を心配してくれたのも、ここまですっ飛んで様子を見に来てくれたのも、全部忖度なしの本当のこと。

「…来週デートするよ。予定空けといて」
「どこ行くの?」
「今日篤四郎さんに連れて行ってもらったホテルのラウンジ。ああいうところ、ナマエ好きでしょ」

もしかしてそれで報告してくれたの?なんてそれは流石に都合よく考えすぎだろうか。
とにもかくにも、来週のデートが無事実現するかどうかは篤四郎さんの予定にかかっているのだった。


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