理由を教えて


私は来店を心待ちにしているお客さまがいる。
名前は宇佐美さん。北鎮部隊の兵隊さんでほっぺの左右対称の位置にほくろがある。いつもお茶屋さんに来てお団子を食べ、二回か三回に一回お土産にといくつかお団子を包んでいくうちのお得意さま。暖簾の向こうに軍服が覗くたびにチラチラと気が散って何度かお盆を落としそうになった。お茶をひっくり返してしまわなかっただけよく頑張ったと思う。

「宇佐美さんこんにちは」
「ああ、どうも」
「今日もお茶とお団子でいいですか?」
「うん、よろしく」

宇佐美さんは月に数回お茶屋に足を運んでくださる。私はいそいそとお団子とお茶を用意して宇佐美さんの腰掛ける簡素な椅子へと足を向けた。

「今日はお休みですか?それともお勤めのご休憩中?」
「今日は休みだよ。明日からしばらく留守にするからここの団子も食いだめしておこうと思って」
「まぁ、そんなに贔屓にしてくださって親父さまも喜びます」

留守にするということはどこかに任務につかれるのだろうか。でも部外者の私が何か聞くわけにもいかないし、そこには言及せずにおくと、宇佐美さんは「はぁ」とため息をついた。どこかおかしいところでもあっただろうか。
「ゆっくりしていってくださいね」と言って奥へと引っ込もうとすると、ちょうど親父さまがひょっこりと顔を出す。

「ナマエちゃんこないだの見合いの話だけどねぇ」
「えっ!あっ!親父さま!?」
「ああごめんごめん、お客さんまだいらしたんだねぇ」

親父さまは宇佐美さんの姿に気がついていなかったようで、視界に入れるや否やペコペコと頭を下げながら「また後でねぇ」と言って店の奥へ引っ込んでいった。お恥ずかしいところを見せてしまった。

「見合いするの?」
「えっと、その…お話を頂いているというか…」
「ふぅん」

お見合いのお相手は二つ隣の町の郵便局員さん。そろそろ私も年頃だろうという親父さまの計らいだ。
年頃というと些か語弊があって、私はもうすぐ行き遅れと呼ばれておかしくない歳になる。本当はそんな私を心配してくださった親父さまの口利きだった。

「受けるの、その話」
「それは…」

受ける、と即答できないのは、お相手に不満があるからではなくて私自身のせいだった。
昔は、いつか私も当然のように親に決められたひとの元へ嫁ぐことになると思っていた。それが当たり前で、それが幸せなのだと。でも今は。
頭だけでくるぐると考えていると、宇佐美さんの男の人らしからぬすらりとした指が目に入った。私がお見合いの話に首を触れないのは、この人のことを好いているからだ。

「…宇佐美さん、あの私、その…宇佐美さんが、好きです…」

宇佐美さんはことも無げに「そうなんだ」と言ってお団子を食べた。別にいい返事を期待していたわけじゃない。それでもあやっぱり胸の奥がちくりとささくれ立つように痛んだ。


私と宇佐美さんが出会ったのは今から大体半年くらい前。
私は元々旭川の生まれで、十歳にならいないうちに火事で家族と住む家を無くした。それからは親戚の叔父さんに引き取られて小樽に住むことになった。
ここを第二の故郷にと暮らし始めて数年、今度は引き取ってくれた叔父さん夫婦が立て続けに亡くなった。
それから流れ流れてこのお茶屋さんの親父さまに拾ってもらい、行く当てがなかった私は住み込みで働かせてもらうことになった。

「お嬢ちゃん可愛いねぇ、どうだい一緒に」
「あの、すみません、仕事中ですので…」

お団子の配達を頼まれてお使いに出た帰り、あともう少しで帰り着くというところで二人組の男に声をかけられた。一緒に、の先をいくら濁されたって、碌でもないことだろうということくらいは小娘の私にもわかる。
狭い道を通せんぼされるように行く手を阻まれ、私は途方に暮れた。大声でもあげて助けを呼ばなければと思ったけれど、声なんて全然上手に出ない。

「ねぇ、そこ邪魔なんだけど」

ぽんっと落とされるような声にハッと顔を上げると、二人組の向こうに詰襟シャツを着た坊主頭の男の人が立っていた。軍袴を履いているから、兵隊さんだということはすぐにわかった。
二人組は「ア?」と柄悪く声の方を振り向き、彼らも私と同様一瞬遅れて声をかけてきたのが兵隊さんだということに気がついたようだった。

「あんまりこの街で悪さをされると面倒なんだ。抵抗するようなら一番手っ取り早い方法をとる。まぁ僕は警察じゃあないからお前たちを拘束する権利も義務もないわけだけど…どうする?」

兵隊さんはニッコリと笑って、口元の左右対称な位置にあるほくろがキュッと上がる。
二人組はもちろん行きずりの私に気まぐれで声をかけただけだったから、兵隊さんと喧嘩をしようなんて気はもちろんないようで「いやぁ、俺たちはそのぅ…」「なぁ?」と早速弱腰で逃げる準備を始めた。

「で、そこの道、退くんですか?退かないんですか?」

まごついている二人組に兵隊さんがずいっと一歩近寄り、二人組は「ヒィッ」と声を上げると踵を返し、一目散に駆け出した。隣を通り抜けられた私がばびゅんと風を感じるくらいに。

「あの、ありがとうございました」
「怪我はありませんか」
「は、はい…お手間をおかけしまして…」

兵隊さんは「礼には及びませんので」とだけ言ってにっこり笑い、元来た方へと歩いて行った。
なんて素敵な人だろう。私はもう一目惚れも同然だった。きっとここにいるから北鎮部隊の方に違いない。でも北鎮部隊といっても大勢の兵隊さんがいるはずで、私はどこの所属の方なのかを尋ねておけばよかったと猛烈に後悔した。


それから私は兵隊さんを見るたびにあの方じゃないかしらと期待に胸を膨らませてそっとお顔を盗み見た。けれど偶然というものはそう転がっていない。

「ナマエちゃん、最近あんまり元気がないねぇ」
「いえ、あの、そんなことは…」

働いている間も顔に出てしまうなんて情けない。親父さまに指摘されて私はひょこっと鏡を見ると、親父さまの言う通りしょんぼりした自分の顔が写った。

「そういえば、最近うちを贔屓にして下さる将校さんがいるだろう。今日はあの方から団子を10本頼まれているんだ。もう少しで取りにみえると思うから、包んで用意しておいてくれないかい」
「はい、わかりました」

最近うちを贔屓にしてくださる将校さんとは小樽に駐屯なさってる鶴見中尉さまという方で、いつも額当てで傷をお隠しになられている。お忙しい方だからご本人はあまりお見えにならず、大抵の場合どなたかお使いの方がお団子を引き取りにいらっしゃる。
お団子を包んで待っていたら暖簾の向こうに軍服がのぞいた。

「いらっしゃいませ」
「すみません、第七師団の鶴見中尉から依頼している団子は出来ていますか」

私は「あっ」と声を上げそうになった。暖簾から顔を覗かせたのは口元の左右に特徴的なほくろのある、あの日の兵隊さんだった。

「あの…?」
「えっ、あっ、すみません、お団子ですよね、もう用意してありますよ」

黙った私へ兵隊さんは不思議そうに首を傾げ、私は慌てて奥へと引っ込んでお団子の包みを持って戻る。
私が「お待たせしました」と言って包みを差し出すと、兵隊さんはお代と引き換えにそれを受け取る。

「どうもありがとう」

兵隊さんはあの日のようににっこり笑って、私はやっぱり端正なそのお顔に見惚れてしまった。

「あのあたりはあまり治安が良くないですから一人で歩かない方がいいですよ」
「えっ…!」

絶対あの日のことはお忘れなのだろうと思っていたのに、兵隊さんは私のことを覚えてくださっていた。「では」と立ち去ってしまいそうな兵隊さんを私は咄嗟に呼び止める。

「あ、あの…!お名前を…!」
「…第七師団の宇佐美です」

今度こそ兵隊さん…宇佐美さんはぺこりと会釈をしてお店を出て行ってしまった。私はもうぽうっとなってしまって、親父さまに「どうかしたかい」と声をかけられるまですっかり動けないままでいた。これが私と宇佐美さんの出会いだった。
それから宇佐美さんは月に何度かお茶屋に立ち寄ってくださるようになった。その度に私は胸を躍らせてお迎えした。そのうちにいくつか変わったように感じることがあって、その中でも一番大きなことは、本当はあまり丁寧な言葉遣いがお好きでないことだったように思う。


宇佐美さんと出会って半年、つまり私が片想いを初めて半年。お隣のひとつ年下のお嬢さんが結婚した。相手は隣町の商家の男の人らしい。
実の娘のように可愛がってくださっている親父さまはあれから何度も縁談を持ってきてくださった。
まだ結婚には早いから、私にはもったいない、そんな言い訳を続けてその度にお断りをしてきたけれど、もういよいよそうもいかなくなってきた。

「ナマエちゃん、そろそろお前さんも結婚しねぇと行き遅れちまうよ」
「親父さま…」
「どうだい、この前のひとなんか。少し年上だが稼ぎもしっかりしていて甲斐性もある」

もう断る言葉が浮かんでこなくて私が黙りこくると、親父さまはハァと大きいため息をついた。こんなに世話を焼いていただいて申し訳なくて私はぐっと唇を噛んだ。

「あの兵隊さんだろう?」
「…はい」

私はあまり器用な方ではないので、宇佐美さんを慕う気持ちも親父さまに見透かされてしまっていて、色々と言い訳を並べ立てたところで本当の理由はそれだと言うこともすっかりわかってしまっていた。
もうそろそろ潮時だ。宇佐美さんには何度か気持ちを伝えてみたけれど、毎度「そうなんだ」と仰るばかりで脈がないにも程がある。

「あの、親父さま、縁談お受け致します」
「ナマエちゃん…」
「元からわかっていたことですから」

恋愛結婚なんて夢のまた夢。親父さまがご紹介してくださった男のひとには会ったことがないけれど、優しいひとだと言っていた。もう私も少女じゃないのだから、しっかりと次の道を選ばなければならない。

「まぁ、もうちょっと考えてごらんよ、ナマエちゃんが行き遅れちまうのは心配だが、ナマエちゃんが納得できるのが一番だと思ってるからね」
「ありがとうございます、親父さま」
「なに、俺たち夫婦はナマエちゃんのことを本当の娘みたいに思ってんだからよ、このくらい当然さ」

本当にありがたいところでお世話になることができた。ただの奉公人の私にここまで良くしてくださるなんて。
最後にもう一度だけ宇佐美さんに会おう。会ってちゃんと自分の中の気持ちに折り合いをつけよう。


宇佐美さんがお店に姿を現したのはそ羽心に決めてから三日後のことだった。
昼下がりの少し客足の引いた時間に、暖簾をくるりとかき分けて綺麗な坊主頭が姿を現す。

「いらっしゃいませ」
「いつものお団子。あ、あと鶴見中尉殿にお土産で持って帰るから包んでおいて」
「承知しました」

宇佐美さんはいつも通り店の一番奥に腰掛けて注文を言いつける。私はそれを聞いて厨房に戻り、宇佐美さんの好みに合わせて少し濃い目に出したお茶をお団子と一緒に盆に乗せて彼の元へ近づく。

「お待ちどうさまです。お土産のお団子はお帰りの頃にお渡しできるようにしておきます」
「どうも」

宇佐美さんはお団子を一口頬張ってズズズとお茶を啜った。私は彼の形のいい頭を見つめる。

「今日、なんか元気ないね」
「え」

黙ったままでいたら宇佐美さんがぐるっとこちらに頭を向けた。じっと黒い瞳が私を拘束する。
黒はどこまでも澄んでいて、私はこの瞳に言い訳なんて通用しないことをよく知っていた。私はこのひとが好きだ。

「あの…私、今度お見合いするんです」
「はぁ?」
「…行き遅れないうちに。そう若くもありませんので」

今日ここで自分に決着をつけなければ、私は一生この人のことを引きずってしまうと思った。行き場を無くした手が反対の手首を握って、どうしようもなくなって力が入る。

「…あんなに僕を好きだと言ってた癖に随分尻軽だね」
「そ、それは…」

だって、いつまで待っていてもあなたは振り向いてくださらないじゃない。その言葉が喉元まで出かかって、私はぐっと飲み込んだ。

「いつ見合いするの」
「まだ決まっていません」
「じゃあ見合いなんかするな」
「え…?」

どうして、と尋ねるまもなくぐっと腕が引かれて私は宇佐美さんの隣へと倒れ込むように座った。顔を上げればあの均等な美しい顔がすぐそばに迫っていて、目を逸らすことも出来ずにじっと見つめる。
宇佐美さんは弓形の眉をくしゃりと顰めて言った。

「お前が誰かのものになるのは腹が立つ」

何よ、そんなのまるで私のことが好きみたいな言い方だ。

「ナマエ」

宇佐美さんはそう私の名を呼んで、手の甲をするりと撫ぜた。兵隊さんらしい分厚くてカサついた手のひらだった。撫でられた部分がじんじんと熱くなって皮膚を溶かしていってしまいそうだと思った。

「…私の名前、知っていたんですね」
「まぁ、そりゃね」
「てっきりご存知ないのかと思っていました」
「それは僕のこと馬鹿にしすぎだろ」

鼻先をつんと摘まれる。痛い、と抗議をしようとしたら宇佐美さんの綺麗なお顔が真剣に私を見つめていて、それどころではなくなってしまった。

「僕別に、甘いものも団子もそんなに好きってわけじゃないんだ。ねぇ、この意味わかる?」

そんなこと聞かれたって、もう私の頭は沸騰寸前なのだ。


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