転職希望




※主人公がデリヘル勤務です。



常用しているというわけではないが、まぁそういう気分の時に利用することがある。
デリバリーヘルス、通称デリヘル。このヘルスというのはファッションヘルスのことで、性感マッサージをヘルスマッサージと婉曲表現したのが始まりらしい。強調されるべきだった「マッサージ」の部分ではなく何故か「ヘルス」の方が強く定着し、今に至るというわけだ。
しかしそれもこれも俺の目の前の光景から現実逃避するためのどうでもいい雑学に過ぎない。

「ラブリーゴールドのアゲハでーす。ご指名ありがとうございまーす」
「…ミョウジ…?」
「え…え?つ、月島主任…?」

俺の前に元部下がデリヘル嬢として現れたのだ。


ミョウジナマエ。俺と同じ会社で1年前まで働いていた事務員。営業部の中でも同じ課に属していて、何度か一緒にプロジェクトチームに配属されたこともある。飛び抜けて有能というわけでもなかったが、真面目で丁寧な仕事ぶりに俺は好感を持っていた。

「彼氏の転勤についていくんです!」

退職したのは半年前。理由は結婚を前提に考えているという恋人の転勤についていくためだった。ミョウジに結婚を考えるほどの相手がいたとは知らなかった俺は正直少し落ちこんだ。いや、かなり落ちこんだ。
実のところ、好感を持っていた程度の話ではなかった。何なら結構好きだった。
まさかもうすぐ結婚しますというところで今更何も言えるわけもなく、俺はミョウジが花束を持って会社の皆に見送られていくところを遠巻きに見ていることしかできなかった。

「月島主任!お世話になりました!」
「おう、元気でな」

そう別れたはずの彼女が、どうしてこんな薄着で俺の部屋の前に立っているんだ。
処理落ちしていた脳みそを何とか再起動させ、彼女を改めて見る。ベンチコートを羽織っているが、足は生足にサンダルをはいているだけだった。このコートの下がいわゆる「そういうこと」のために薄着をしているのを証明している。

「…ひっ…くしゅんッ!」

呆けているとミョウジがくしゃみをして、我に返った俺は彼女の鼻の頭が真っ赤になっていることに気が付いた。いや、玄関先でこんな恰好じゃ寒いに決まっている。中で何か温かいものでも、いや、これって普通に部屋にあげて大丈夫なやつか?まぁ会社は辞めてるわけだし別にその辺も問題ないだろうが…って本当に問題ないやつか?

「…あー、なんだ…コーヒーでも飲んでいくか?」
「え、あ…はい…」

様々な無駄な思考を経て、俺はミョウジを部屋に上げた。ミョウジも何が何やらと言う顔のまま「お邪魔します」と完全に俺がデリヘルの客であることを忘れている様子だった。
男のひとり暮らしには充分過ぎる3DKの居間にミョウジを通し、そのままキッチンに向かって湯を沸かす。というかなんで結婚間近で退職したはずのミョウジがデリヘルなんかで働いてるんだ?本当にデリヘルか?いや、俺が予約した店の名前きっちり言ってたな。

「ん。ミョウジは確か砂糖なしのミルクありだったよな」
「あ…ありがとうございます…」

俺はインスタントコーヒーを溶き、牛乳を多めに注いだマグカップをミョウジに渡す。いくら一緒に働いてたからってコーヒーの好みまで覚えていたのは気持ち悪かっただろうか。
俺は自分のマグカップを手に、ミョウジの隣に座った。いや、これ絶対に間違えただろ、なんで隣なんだ、もう少し距離を取るべきだった。

「はぁ…あったかぁ…」

マグカップを両手に持ちふうふうと吐息を吹きかける。半年前最後に見た時よりも痩せているように見えた。

「あの、すみません、おうち上げていただいてからでアレなんですけどチェンジします?」
「は?」
「いえ、流石に元部下とは嫌でしょうし…」

そうだ、ミョウジは今デリヘル嬢としてここにいるんだった。なんだか思いもよらない事態が起き過ぎていて混乱している。あいにくだがもうそもそもそんな気分にはなれそうもない。

「まぁ、そりゃそうか…。いや、そもそもミョウジ。お前なんでデリヘルなんかやってるんだ?」
「え、聞いちゃいます?」
「職業差別をするつもりじゃないが、結婚を前提にって転勤した男について行ったんじゃなかったのか?」

ミョウジは「あはは…」と気まずそうにへらへら笑い、それからマグカップをローテーブルに置いて「実はですねぇ」とことの顛末を語りだす。

「会社辞めて一か月で彼氏と連絡つかなくなりまして」
「はぁ?」
「いやぁ、結婚詐欺ってあるんですねぇ、びっくりー、みたいな?」

凡そ内容と表情の噛み合わない話に思考が一瞬置いてきぼりになった。結婚詐欺…結婚詐欺?

「貯金もすっかり巻き上げられちゃってる的な?」
「的な?じゃないだろ、警察には?」
「一応届けましたけどぉ…」

言わんとしていることはわかる。この類の詐欺はそもそも起訴が難しい。その上、起訴出来たところで当面のカネの問題が解決されるわけではない。
「私免許の更新以外で初めて警察行きましたよ」と、当の本人はどこ吹く風だが、これは中々に深刻な状況ではないのか。

「…実家は?」
「うちシングルマザーの毒親なんで無理ですね」
「友達は?」
「頼れそうな子は去年までで皆結婚しました」
「どこに住んでるんだ」
「デリヘルの寮です。超狭くって小汚いかんじの」

あ、お風呂は毎日入ってますよ?と、聞いてもないのに両手を上げて清潔であることをアピールする。いや、聞きたいのはそう言う意味じゃない。俺は深くため息をついた。
せっかく幸せな未来へ前途洋々送り出した好いてる女が、あろうことか詐欺にあって風俗に沈んでるってどういうことだ。

「会社のみんな、元気です?」
「ん?ああ。菊田課長が出向から帰って来て喫煙者率が上がったぞ」
「あ、菊田課長やっと出向終わったんだぁ」

ミョウジが退社してからの半年の話を引っ張りだす。二階堂兄弟から聞いた美味いみかんの見分け方の話、鯉登さんから貰った三種類のえらく高いチョコレートの味の違いがわからなかった話、三島が取引先の女性社員に「プリンス」と呼ばれている話。そんなしょうもない話ばかりをあれこれと並べ、ミョウジはそれらすべてを楽しそうに聞いていた。

「みんな元気そうで良かったぁ」

半年。たった半年だが、されど半年だ。
ミョウジにとっては少なくともしんどいことの連続だっただろう。平気そうな顔をしているけれど、夜の仕事が出来るようなタフな女じゃないはずだ。何か手助けは出来ないか。手助けって言ったって、ただの元上司に何ができる。
ぐるぐる考えていると、リリリリリ、と小さくアラームが鳴った。

「あ、時間だ」

どうやらコースの終了時間が来たようだ。俺はチェストの上に放ってあった財布から札を取り出してミョウジに握らせる。

「えっ!いただけませんよ、何もしてないのに!」
「拘束時間分俺の相手はしてくれただろ。正規料金なんだからちゃんと店に持って帰れ」
「で、でも…」

渋るミョウジにぎゅっと金を握らせる。店を利用するにあたって想定されているような…まぁありていに言えば性的なサービスは受けていないが、だからといってタダで帰らせられるわけがない。
玄関先まで見送りに出て、これで最後なんていくらなんでもあんまりだろうと手を伸ばした。

「つ、きしま…主任…?」
「頼る人間がいなかったから無理して合わん仕事をしてるんじゃないのか」
「えっとぉ…それは…」

ミョウジが口ごもり、もはやそれは肯定だった。それからミョウジの口が少しだけ動きそれより先に俺が「なぁ」と切り出そうとしたところで今度はスマホが鳴る。恐らく近くで待機している運転手だ。キャストが時間になっても戻ってこないから安否確認と督促のために電話を入れているのだろう。

「すみません行かなくちゃ」
「いや、引き止めて悪かった」

断りの言葉が冷たく聞こえる。突然俺なんかにそんなことを言われても困るだけだろう。一歩、二歩、鳴りっぱなしのスマホを手にしたままミョウジがマンションの廊下を歩く。三歩進んだところでぴたっと立ち止まり、髪を泳がせながらくるりと振り返った。

「あの!久しぶりに会えて、よかったです!」

マンションの外灯なんか安っぽくて弱い光で、その中でも彼女の顔が少し赤くなっている気がした。スマホが一度鳴り止み、急速にあたりが静かになる。

「ああ。俺もだ」

俺がそう返事をすると、ほっとしたように顔を緩ませた。また運転手からの電話が鳴りだし、ミョウジは俺に会釈をしながら電話に出ると「すみませーん、今向かってるところでーす」と話しながらマンションの階段を下って行った。


どうしてあのまま引き止めたり、もっと突っ込んだことを言わなかったのか、と、自分の中のもう一人の自分が猛烈に俺を攻めてきた。いや、流石にあの場ではそんな空気じゃなかっただろ。だからって黙って帰らせる奴があるか。くそ、心の中の自分は言いたい放題だな。
連絡を取ろうにも、俺はミョウジのプライベートの番号なんて知らなかった。仲の良かった…例えば谷垣あたりに聞けばわかるのかもしれないがそれも憚られる。俺がミョウジに連絡を取ることが出来る手段なんてひとつっきりで、スマホを取り出して件の番号に電話をかけた。デリバリーヘルスラブリーゴールドである。
今度は俺だとわかってしまっているわけだから、向こうからNGを食らえばそれまでだ。幸いなことに、予約はNGにならなかった。こうして俺はラブリーゴールドのアゲハことミョウジを三日後に再び指名するに至ったわけである。

「…月島主任、アゲハって私ですけど指名間違えてません?」
「間違えてないな」

ミョウジは前回と同じベンチコートを着てきた。店のユニフォームだろうそのコートの下はまた生足で、薄着をしているのだろうと言うことが伺える。
とりあえず中に寒空の下に置いておくわけにはいかないと中に入ってもらい、前のようにコーヒーを淹れて手渡す。ミョウジもこの前と同じように受け取り、ふうふうと湯気を吹いて冷ましていく。

「絶対間違いだと思ったんだけどなぁ」
「これくらいしかミョウジに連絡を取る方法が思いつかなかくてな」
「なるほど。べつに谷垣君あたりに聞いてもらってもよかったのに。ほら、あと尾形さんとか」
「なんで尾形がお前の連絡先知ってるんだ」
「なんでだったかなぁ…もう覚えてないですけど」

湯気はもやもやとのぼる。谷垣はまだしも、なんでよりによって尾形が知っているんだ。それでもってどうして尾形が知っていて俺が知らないんだ。八つ当たり的にそう考え、隣に座って自分のマグカップに口をつける。

「あの、それで、します?」
「するって何をだ?」

何の話だと言わんばかりに返すと、ミョウジが唖然として「え、嘘でしょ」と溢した。主語をつけて話せ、と言ってやろうとすると、それよりも先にミョウジが「だからぁ」と本題を切り出した。

「プレイですよ、プレイ。私一応デリヘルなんですけど」

…そうだった、うっかりしていた。いや、うっかりしているというよりは自分の部屋に好いている女がデリヘルのユニフォームを着て座っているなんて状況から現実逃避していると言ったほうが正しい。

「別にそういうために呼んだんじゃない」
「月島主任ってデリヘル使ったことあります?」
「ある」

デリヘルのサービスがいかなものかとわかっていないのではないかと言わんばかりの言いっぷりに即答すると、ミョウジは大人しく「そうですか」と言って、あろうことか分厚いベンチコートを脱ぎだした。

「待て待て待て、なんで脱いでるんだ!」
「え、だって、だからデリヘルですよ?」
「言わんとしてることはわかるがコートを着ろ」

あからさまに納得がいかない顔をしながらミョウジがもう一度コートのボタンをぷちぷちととめていく。一瞬覗いた胸元に気を取られそうになったが、このままではデリヘル嬢になった元部下を抱きたいだけの元上司になり下がってしまう。今のところ彼女から見ればほぼ言葉の通りなのだからなおさら大問題である。

「ミョウジ、俺の部屋のはあと2つ空き部屋がある」
「ありすぎじゃないです?」
「茶化すな。あー、だからその、なんだ…」

どんな言葉が相応しいのか、皆目見当もつかない。鶴見部長や尾形なら上手い言葉のひとつでも知ってるんだろう。ちくしょう。谷垣、お前は俺と一緒だよな。信じてるぞ。
そう頭の中のイマジナリー同僚たちに話しかけ、結局口下手な俺にはシンプルな言葉しかないのだと悟った。

「お前が好きだ。頼れるところがないなら、俺を頼ってくれないか」
「は?え?誰が…誰を…?」
「俺が、ミョウジを」
「月島主任が、私を?」
「そうだ。…って何回言わせるんだお前は」

尻窄みになっていく語尾と一緒にミョウジを見ていられなくなって、視線がズルズルと下がる。ぐっと握っている自分の拳が目に入り、続いてそこにミョウジの指先が伸びてきた。

「今日、指名されたとき、指名間違えてないんなら私、月島主任とするんだろうなぁって思って来たんです」
「……おう」
「いちおう、その、店側からNG出すこともできるんですけど、その……つ、月島主任ならいっかなと、思って…」

はっと顔を上げると、ミョウジがこれでもかというほど顔を真っ赤にしている。これはその、仕事じゃなくてもいいとか、そういうやつか?
ミョウジが「何か言ってくださいよ」と言い、俺はもうぐつぐつ沸き始めた頭でどうにか言葉を探す。

「マジか」
「マジです」

馬鹿みたいな言葉に同じレベルの言葉が返ってくる。ミョウジの指先が少し震えていて、俺はそれを上から包み込んでぎゅっと握った。
とりあえず、なんだ、その。今日でデリヘル辞めてくれ。


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